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2012年1月31日 (火)

「西浦の田楽」―2012年2月9日夜~10日朝

Nishiure665  いよいよ来週(2月9日~10日)に、国指定の重要無形民俗文化財「西浦の田楽」が開催されます。

 「西浦の田楽」とは、養老3年(719)に行基菩薩が、この地に来て始めた伝えられる田楽。以来1700年間守り継がれて来た、五穀豊穣、無病息災などを祈願する神事です。

 ●日時:平成24年2月9日夜(月の出)~翌10日朝(月の入り)
 ●会場:水窪町西浦観音堂境内
 ●駐車場:西浦小学校臨時駐車場(ミナの森)
    国盗り横駐車場からシャトルバス運行
    (行き:19:00、21:00、23:00、戻り:0:00、3:00、6:00、8:45)
 ●問合せ:水窪地域自治センター(TEL053-987-0001)

 ぜひ、お出かけください!

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北遠の「龍」を探せ!―観光客の誘致に頑張る「龍」

Minwa5  大井橋のたもとで見慣れた看板ですが、よく見るとちょっと違っています。ロールスクリーンカーテンのようなデザインは変わりませんが、「天竜奥三河国定公園 佐久間町」のボードを抱えた「龍」の位置がこちらは右。

 それだけではなくて、イラストマップの下がN(北)に描かれています。つまり、見慣れた地図とは天地が逆。県道1号の相川の地に建てられています。

Minwa4  そして、とぼけたポーズの「龍王ごんげん」のキャラクターにも注目してください。

 イラストマップの下にある「歴史と民話の郷 さくま」の帯看板のセンターポジションが「龍」。カッパ、お銀、やまんばと地蔵様のMKB(MむKかしBばなし)48選抜メンバーを従えて、堂々のセンターを張れるのは、さすがは我らが「龍」。

 北遠では、「龍」が観光客の誘致に頑張っています。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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雪道を歩いて②―冬にだけ現れる自然の造形「足神様の氷壁」

Bato8  「足神様の氷壁ウォーク」は、国道152号から青崩峠越しの古道に入ったところから始まります。

 結論からすれば、氷柱が下がるところは「さば地蔵」の少し下でしたので、1月30日(月)には、車で行くこともできました。でも、それは、行ってみなくては分からないこと。私は安全第一を考え、「にゅうぎ」が供えられた馬頭観音に見送られ、いつ開通するのか分からない「三遠南信自動車道」から一般道路へと格下げされた高架を仰ぎ、歩いて歩いて上を目指しました。

Kouka2 あれ?あれが、氷の壁?しばらく歩くと、山の斜面の高い位置に白く光る氷の壁が見えるところがあります。でも、あそこまで登るのはかなり危険。あれが、目的の氷の壁でなければ良いのですが…。

 今回の氷壁ウォークに関しては、事前調査もして来ていません。ヒントは「足神様の氷壁」というだけ。道路の脇にはまだ雪が残ってはいましたが、歩くには困りません。でも、遠くを見遣れば、木々の隙間に白い雪が残っています。

 「三遠南信自動車道」になるはずだった「草木トンネル」手前で高架をくぐり、前方に「さば地蔵」の看板が見えた辺り。ふと、目を左に振れば、そそり立つ真っ白な壁が見えました。これだ!岩から染み出した水が凍りつき、幾筋もの長い氷柱となって下がっています。

Hyouheki3 Hyoheki8
Hyouheki5 Hyouheki18

 道路から川へと下りてみました。長い氷柱は日に輝き、時々、融けた氷が雫と一緒に落下。下からは、氷筍も伸び、沢にも不思議な形の氷ができています。

 見たかった「氷の壁」は、これ!北遠の冬にだけ現れる自然の造形は、期待以上の美しさで私を迎えてくれました。これこそ、皆さんにも、ぜひ、見に行っていただいきたい北遠の絶景です。

 もう、ここまでで帰っても良いとさえ思ったのですが、せっかく来たのですから、足神神社にお参りをし、青崩峠まで行ってみることにしましょう。さあ、先に行くぞ!

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2012年1月30日 (月)

たすきつなぎ力走 佐久間駅伝に92チーム 6区間26.6キロ競う

 第39回佐久間駅伝大会(浜松市主催、同市体育協会佐久間支部など共催、中日新聞東海本社後援)が29日、同市天竜区佐久間町内であった。4部門に町内外から92チームが出場し、6区間、26.6キロで健脚を競った。

 城西幼稚園前を正午にスタート。国道152号を南下して大井橋から国道473号に入り、西渡郵便局や佐久間地域自治センター前を通過して、浦川公民館前のゴールを目指した。選手は沿道の市民の応援を受けて山あいの走路を駆け抜け、懸命にたすきをつないだ。

 ▽総合=①Honda-RC1時間24分12秒②天竜連合A③飯田下伊那A④浜松日体中⑤田口高A⑥天竜連合B⑦居酒屋「八甲田」⑧ネバーギブアップ
 ▽中学男子=①浜松日体1時間29分20秒②佐久間③清竜
 ▽女子=①ポニー&ラブお湯わり1時間46分43秒②清竜中③浜松日体④佐久間中⑤ポニー&ラブ水わり⑥スマイリーズ⑦ネバーギブアップB⑧なでしこ新城
 ▽佐久間地域在住在勤=①山香Bシニア1時間48分40秒②川上鶴ヶ会③チームタカハシ④野田⑤ハッチ&花の舞⑥でんぱつ佐久間土建⑦でんぱつ佐久間でんき⑧ARC
 【区間賞】▽総合1区=原武司(飯田下伊那A)14分14秒▽同2区=河合信晴(Honda-RC)10分23秒▽同3区=北川晋吾(同)14分47秒▽同4区=鈴木覚(天竜連合A)13分51秒▽同5区=平野純也(Honda-RC)15分58秒▽同6区=中川学(同)12分56秒=大会新
 ▽中学男子1区=飯田晃大(浜松日体)14分19秒▽同2区=戸塚香晴(同)12分31秒▽同3区=松葉慶太(同)15分34秒▽同4区=白柳和也(同)14分46秒=大会新▽同5区=樋口颯(同)16分3秒=大会新▽同6区=金森穣(佐久間)15分47秒
 ▽女子1区=矢部鞠実(清竜中)16分36秒▽同2区=柴田美里(スマイリーズ)13分43秒▽同3区=河合美雨(ポニー&ラブお湯わり)18分49秒▽同4区=平野真緒(浜松日体)17分16秒▽同5区=川島悦代(ポニー&ラブお湯わり)18分53秒▽同6区=三嶽有咲(清竜中)17分23秒
 ▽佐久間地域在住在勤1区=柳瀬浩志(でんぱつ佐久間でんき)17分33秒▽同2区=粟田剛(山香Bシニア)12分38秒▽同3区=坂本角仁(野田)18分2秒▽同4区=仲谷光生(同)18分31秒▽同5区=守屋慶(チームタカハシ)18分29秒▽同6区=藤牧利彦(川上鶴ヶ会)17分44秒(「中日新聞」より)

 「佐久間駅伝」の結果を「中日新聞」から拾いました。入力ミスもあるかも知れませんので、そのつもりで参考にしてください。

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雪道を歩いて①―足神様の氷壁と雪の青崩峠

 行ってみたくて、見てみたくて…。今朝の北遠の気温を確認し、思い切って水窪に向かいました。

 前回、国道152号線から青崩峠に向かう脇道に入った後、道路を覆う雪に行く手を阻まれて断念した経験がありましたので、今回は、下から歩くことにしました。

 足神様の氷壁までは、徒歩で約20分。白く輝く氷の壁が見えて来ました。

Hyoheki3_2

 氷壁は、「さば地蔵」の少し下。木々の間から太陽の光が射し込めば、氷柱から落ちる水がキラリと煌きます。

 ウォーキング・レポートは後日に回し、先ずは雪に埋もれた青崩峠も見てください。

Aokuzure5_2

 雪の青崩峠の写真が撮りたくて、足首まで雪に埋もれながら、ただひたすらに歩きました。

 積雪の深さは20~25センチほど。飲まず食わずで歩き続けた疲れは、足神様の水がすっかり癒してくれました。

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北遠の「龍」を探せ!―昭和63年、平成12年「年賀切手」の「龍」

Kitte841  北遠の「龍」を探さずに、我が家「龍」を探してしまいました。別にたいしたものではなく、昭和63年と平成12年の「年賀切手」です。

 昭和63年の切手の図柄は、岡山県の伝統的工芸品、「倉敷張り子」の「辰」(40円)でした。

 「倉敷張り子」は明治2年(1869)、農業の傍ら、雛人形や武者人形を作っていた生水多十郎が、男児の節句の飾り物として虎の張子を作ったことに始まっているとのこと。

 平成12年の図柄は、佐賀県「からつ曳山人形・七宝丸」(50円)と広島県「常石張り子・辰」(80円)。

 「からつ曳山人形」とは、佐賀県唐津市の郷土玩具。「唐津くんち」という祭りに使われる曳山をかたどった人形で、「七宝丸」は14番曳山の名称です。

Kitte842  「常石張り子」は、広島県沼隈郡沼隈町常石の郷土玩具。明治20年頃から作り始められたとのこと。土人形の型を使用するのが特徴だそうです。

 日本で「年賀切手」が最初に発売されたのは、昭和10年(1935)。戦争による一時中断の後、昭和24年(1949)に再開。昭和29年(1954)の午年には福島県の「三春駒」が採用されたのが、干支の郷土玩具登場の最初でした。

 その後も郷土玩具が図柄として採用されましたが、必ずしも干支とは限りませんでした。干支にまつわる郷土玩具が定着したのは、昭和51年(1976)の辰年から。やはり、福島県三春の「たつぐるま」だったそうです。

 引き出しの中を探してみたのですが、昭和51年の年賀切手は見当たりません。我が家の「龍」は、この3枚の切手の「龍」。「たつぐるま」の切手をお持ちの人は、ご連絡をお願いします。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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佐久間ダムが出来る前の中部(なかっぺ)の天竜川

 私の今年の年賀状を飾った「龍」のモニュメントがある場所―佐久間町中部に「王子製紙中部工場」が操業していたのは明治32年(1899)~大正13年(1924)。昭和9年(1934)11月11日に開業した三信鉄道「佐久間駅」が、現在の飯田線「中部天竜駅」です。天竜川にプロペラ船が就航していたのは、大正11年(1922)~昭和15年(1940)。

 その辺りの時の流れを頭に入れた上で、中部(なかっぺ)の風景が写る古い絵葉書の写真を見てみることにしましょう。

Nakabe818 Nakabe819

 「天龍川下り中部乘船塲」には、慶長12年(1607)に角倉了似(すみのくらりょうい)によって開かれた川運の中部港が写り、「(南天龍峡)中部發着所ト飛行艇」には、プロペラ船の「第三飛鳥號」が写っていますが、「飛鳥」の名は、プロペラ船が開発された熊野川に因んだ名前です。

Nakabe820 Nakabe821

 「〔奇勝天龍峡〕佐久間驛附近に見る輕快な中部天龍の天龍橋」と「(南天龍峡)天龍川橋梁ノ美觀」には、昭和28年(1953)に開始された佐久間ダム建設による路線付け替え以前の古い鉄橋が写っています。

 しかも、「(南天龍峡)天龍川橋梁ノ美觀」に写っている筏が見えるでしょうか?裏面には鉛筆書きで「1937(S12)三信鉄道」のメモが残っています。

 佐久間ダムの完成により大河の水が堰き止められ、筏も船も航行不能。中部の流れも景色もすっかり変わってしまいました。 

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2012年1月29日 (日)

厳しい冷え込み 新宮池が氷結 浜松・天竜区春野町

Shinguike  厳しい冷え込みが続く中、浜松市天竜区春野町和泉平の新宮池が半分以上凍り、冬の表情を見せている。

 新宮池の標高は約650メートル。時折、鳥の声や風が吹き抜ける音が聞こえる以外は、静寂に包まれている。

 池の周囲は約500メートル。地元には、諏訪湖(長野県)と地底でつながっているという言い伝えなども残る。(「静岡新聞」より)

 あの新宮池が凍り付くなんて、見に行ってみたい風景ですね。行ってみようかな?

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雪に埋もれた「ヒカゲノカズラ」

Hikage5  秋葉山を薄っすらと覆う雪を手で払ったら、常緑のシダ植物「ヒカゲノカズラ」が顔を出しました。薄緑色の「ヒカゲノカズラ」は一見ひ弱そうに見えますが、雪の下でもへっちゃらです。

 でも、「ヒカゲノカズラ」はニホンジカの「不嗜好性植物」らしいのです。「不嗜好性植物」とは、好きな植物を食べ尽くしたあとに残されるもの。「ヒカゲノカズラ」が生育しているのは、秋葉山がニホンジカの棲息域である証拠なのかも知れません。

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北遠の「龍」を探せ!―佐久間のレリーフトンネルで「龍」発見!

Mamekoboshi7  佐久間地域自治センターにあと1歩のところにある「豆こぼしトンネル」は、大井橋側の東口には、天竜川の激流を下る筏乗りのレリーフですが、トンネルを抜けて振り返ると、そこには…。

 延長303メートルの「豆こぼしトンネル」が開通したのは、平成5年(1993)8月。それまでの旧道が、通称「豆こぼし」と言われた天竜川の難所を見下ろす山際を通っていましたので、この名前が付きました。

Ryujin0  そして、西口のレリーフは巨大な「龍」。天竜川の波の上で体をうねらせる「龍」の頭部だけを迫力たっぷりのレリーフに仕上げています。「佐久間ダムまつり」で舞われる「龍神」にも似ています。

 トンネルの「龍」は、きっと天竜川の激流「豆こぼし」を表しているのでしょう。いかにも佐久間らしい「龍」です。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

古い絵葉書で探る「佐久間ダム」の完成はいつ?

 「佐久間ダム」建設の過程を、龍山の和田芳博氏からお借りした古い絵葉書で振り返ってみます。

 今回お見せする資料写真の中に、撮影日が印刷されたものがありました。

Sakumadam817 Sakumadam815
天龍川に工事中の日本一発電所佐久間ダム 展望台より見たる工事中の堰堤(昭和31年3月15日写す) (サクマダム)完成目捷に迫る大堰堤と副堰堤工事中 31.6.26日写す
Sakumadam813 Sakumadam816
(サクマダム)大堰堤人造湖上より見る 裏面31.6.26日写す (サクマダム)展望台から見るゲート 取付作業の実況
Sakumadam812
暑中御伺い 佐久間ダム

 まずは「天龍川に工事中の日本一発電所佐久間ダム 展望台より見たる工事中の堰堤」には「(昭和31年3月15日写す)」とあります。もしも「昭和31年4月」完成だとしたら、あと1ヵ月半。これでは間に合いそうにありません。

 「(サクマダム)完成目捷に迫る大堰堤と副堰堤工事中」と「(サクマダム)大堰堤人造湖上より見る」には、「31.6.26日写す」と印刷されています。「(サクマダム)展望台から見るゲート 取付作業の実況」も、きっと同じ撮影日のはず。あれ?6月になっても、まだ完成してないじゃん…?
 
 確かに昭和31年(1956)はダム完成の年なのですが、写真で見る限り、6月26日にはまだ完成していません。

 「暑中御伺い 佐久間ダム」の絵葉書は、「31.7.24」に投函されています。撮影日はその前だとは思いますが、ダムは未完成です。

 佐久間ダムの完成は、一体いつだったのでしょう?

 もう一度調べ直してみると、昭和31年9月に浦川町、佐久間村、山香村、城西村が合併し、旧佐久間町が誕生。翌10月15日にダムの完成式が行われたのが分かりました。工期はわずか4年半。前年昭和30年末には潅水が開始されています。

 じゃあ、「昭和31年4月」は間違いだったの?いえ、同年4月22日には運用開始されていましたので、まったくの「間違い」でもありませんが、やはりデータは直さなくては…。

 …ということで、「着工 昭和28年4月 竣工 昭和31年10月」に訂正させていただきました。

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2012年1月28日 (土)

連日の氷点下―長く伸びた氷柱と早春のフキノトウ

 連日、寒い朝が続いています。佐久間の最低気温を、アメダスは「-2.7度」と報告。午前11時30分ですが、ホウジ峠への登り口には、こんな氷柱が下がっていました。

Tsurara2 Tsurara9

 「何してるの?」と声を掛けられ、「この氷柱の写真を撮りに寄ったんですよ」と応えたところ、「早春らしく、こっちのフキノトウも撮ったら?」とのアドバイス。なるほど、もうずい分伸びています。中には、開花間近のものも。「今日、採ろうと思ってたんだ」。

Fukinoto4 Fukinoto5

 それにしても、今朝の地震には驚きましたネ。

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2012年―石雲寺の「セツブンソウ」開花!

 待ち切れません。もう、待ち切れませんので、新城市(旧鳳来町)の石雲寺まで節分草(セツブンソウ)を見に出かけて来ました。

 結果は、写真の通り。平年並みなのですが、昨年と比べれば1週間ほど早い開花です。

Setsubun10 Setsubun11
Setsubun16 Setsubun18
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 撮影時間は10時を少し過ぎた頃でしたので、この後もう少し開いたはず。ただし、佐久間町上市場、柏古瀬のセツブンソウは、まだ蕾も見えません。待ち切れない人は、お隣の石雲寺までお出かけください!

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北遠の「龍」を探せ!―栄林寺梵鐘の「一角龍」

Eirinji5  二俣の「栄林寺」は、テレビ朝日『ナニコレ珍百景』で「ミスマッチなクリスマス」として「お寺でありながら思いきりクリスマスを祝っている」と紹介された寺。1月になっても、キティちゃんやピカチュー、ピカピカの点滅イルミネーションが残っています。

 山門の棟の「龍」は紹介しましたが、梵鐘の龍頭にも、もちろん「龍」はいました。

 写真は笠形に接する部分までは撮れませんでしたが、宝珠を囲む火焔が印象的。先端が2本に分かれ大きく巻き上がった1本角。まさに美しい「一角龍」です。

 よく似た仲間を探すとすれば、袋井の油山寺の梵鐘でしょうか?

 これまでに紹介した、梵鐘の龍頭を一覧にしてみました。よく似て見えても、微妙に違う「龍」の顔を比較してみてください。

Myoukouji0 Ryuzenji1 Seiryuji9 Kaizozenji9
明光寺 浜松・龍禅寺 清瀧寺 海蔵寺
Zuiunin2 Senkoji5 Yusanji16 Hattasan4
瑞雲院 磐田・宣光寺 袋井・油山寺 袋井・法多山

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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繁栄の時代―久根鉱山社宅

 その上に青緑の山は高くそびえ、川は勾配を急に、杉の培養林のある山を匝(めぐ)る、久根(くね)の銅山が見えて、その銅山を中心に生活してゐる人たちの家が、重なり合つて、崖腹に巣を喰つてゐる。(小島烏水「天竜川」より)

Kune808 Kune809
久根鑛山之全景 北遠名所(TOTOMI,JAPAN.)
Kune810 Kune811
靜岡縣磐田郡久根銅山役員社宅
(橋本賄所發行)
久根銅山役員社宅
(橋本賄所發行 三浦寫)

Kune2  絵葉書は別々のセットのものですが、それぞれに「銅山を中心に生活してゐる人たちの家」が写っています。操業は明治32年(1899)~昭和45年(1970)までの72年間にわたり、「佐久間村誌」によれば、大正元年の「鉱夫900人・船夫600人・運搬船大小250艙」となっています。

 大正3年の年間生産量は、開発初期の粗鉱量2万トンから15万トンに増え、硫化鉱では当時日本最大の出鉱量だったのですが、第2次大戦中の増産により昭和45年(1970)には鉱量が減少し閉山。多くの人が職を失い、「重なり合つて、崖腹に巣を喰つてゐる」久根を離れ、社宅のあった久根の山には石積みだけが残されています。

 ●山香地区大井の「山香ふるさと村」に寄ってみました…
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2012年1月27日 (金)

秋葉山を薄っすらと覆う雪と長く伸びた霜柱

 北の空には、厚い雲が掛かっていました。でも、天気予報は「晴れ」。秋葉山が呼んでいるような気がして、車を走らせました。

 途中までは順調だったのです。山道を登るにつれて、チラチラと白いものが舞い始め、もう少し上まで行ってみたかったのですが…。

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 秋葉神社の駐車場まであと1.5キロ地点で、道路上を雪が覆うようになって来ました。道路脇の杉丸太の上にも薄っすらと雪が積もり、水の湧く沢の近くには、霜柱が長く伸びています。

Shimobashira4 Shimobashira6

 結局、たいした成果もないままに撤退。呼んでるような気がしたんだけどなあ…?チェーンでなくても、せめてスタッドレスタイヤに履き替えていれば、行けたはずなんですけど。

 こんな雪の舞う日にも、秋葉山には間伐作業のチェーンソー音が響いていました。

県産材利用住宅人気伸び悩み 助成金申請減少見通し

 (静岡)県が行っている県産材利用住宅補助事業の申請件数が、期待に反して伸び悩んでいる。募集枠を超える申請が続いたため、県は2011年度、大幅に募集枠を拡大したが、昨年12月末での申し込みは508棟と前年同期に比べて68棟減少した。東日本大震災後、安全性と低価格を求めて大手ハウスメーカーの住宅に人気が集まっていることが影響しているという。

 優良木材の家総合支援事業は、05年度にスタートした。10年度までは毎年、申し込みが募集数を上回り、抽選で助成先を決定していた。10年度は300棟の募集に対して644棟の応募があったが、「抽選になるのは不公平」との指摘もあり、県は11年度、申請者全員に助成できるよう制度を変更し、予算も9000万円から2億円に倍増させた。

 ところが、11年度は先月末時点で申請は502棟、助成額も1億101万円にとどまっている。申請期限は2月8日で、予定していた1100棟には遠く及ばない状況だ。

 県によると、東日本大震災の影響で、消費者が安心と安さを求めて大手ハウスメーカーを選び、県産材利用促進を担う地元の工務店の仕事が減る傾向があるという。県産材だけを使った合板を製造してきた宮城県石巻市の工場が震災で被災し、県産材合板の製造・流通が滞ったことや、円高で輸入木材が安くなっていることも申請低迷の要因と考えられる。

 また、11年度に予算を倍増させた際に国の補助金を組み入れたため、県の助成金を受けると、県より助成額が大きい国の補助制度を併用できなくなったことも影響しているとみられる。このため、県は12年度、予算の全額を県費で負担し、県と国の助成金を共に受けられるよう制度を戻す。予算規模は11年度と同じ2億円とする方針だ。(1月22日付「読売新聞」より)

 県産材利用住宅を増やすため、「天竜材家づくり大円卓会議」に参加して一緒に考えましょう!2月26日開催です。

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「カラスウリ」の真っ赤な実

Karasuuri3  枯れた蔓に下がる真っ赤な実。「カラスウリ」を「烏瓜」と書くとピン♪と来ませんが、「唐朱瓜」と書けば、「なるほど」と納得します。「唐朱」とは、唐から伝来した朱墨のこと。

 これまでに、「カラスウリ」の花と「ウリ坊」のような縞の入った幼い実は紹介していましたが、赤い「カラスウリ」の実を紹介するのは、これが初めて。うっかりしていました。

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「第41回静銀の割増金附七福定期」静岡県名所案内(その五)佐久間ダム

 これも、建設中の佐久間ダムの紹介です。絵葉書のように見えますが、絵葉書ではありません。「静岡銀行」で発行した「第41回静銀の割増金附七福定期」のPRカード。芳川支店と袋井支店の2枚です。

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 静岡県名所案内(その五)佐久間ダム

 総工費二六〇億円、世界第五位の規模をもつこのダムは、天龍川に来春完成の予定で、現代科学の粋をあつめた超大規模工事は愈々最高潮に達しています。

 発行されたのは昭和30年(1955)。つまり、ダム完成の前年です。

 ところで、静岡銀行の「割増金附七福定期」とは一体何でしょう?

 戦後まもない昭和23年(1948)7月、割増金付貯蓄の取扱いに関する法律が公布・施行され、各銀行独自に割増金付定期預金を取り扱うことができるようになりました。静銀は「七福定期預金」と名付けた割増金付定期与信の取扱いを開始。第41回は、期間6ヵ月、1口1,000円。利子は1口につき20円でしたが、1口毎に抽選券の「七福券」を交付し、抽選により、特等金賞10万円、銀賞5万円、1等1万円、2等千円、3等2百円、4等100円、5等30円が割増金として支払われました。

 …と、まあ、そんなことはいいのですが、抽選日は昭和31年1月14日、割増金支払は1月20日より、とのことでしたが、4月23日には23万キロワットの一部運転が開始されました。

 重力式コンクリートダム「佐久間ダム」は…
 遠州灘海岸の浸食対策とダムの氾らんを防ぐため…
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 ●毎年、10月の最終日曜日に開かれる「佐久間ダムまつり」…
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参加しよう!「天竜材家づくり大円卓会議」―2月26日開催

Entaku1  天竜材を送り出す「木材生産者」「製材業者」には伝えたいことがある!住む人には聞きたいことがある!―「天竜材家づくり大円卓会議」(主催:天竜地域森林県民円卓会議)が、2月26日(日)午後1時30分から開催されます。

 天竜材を知ってもらい、もっと天竜材を使った家を建ててもらおう!というのが狙い。

 ●「天竜材」って?
 日本三大人工美林のひとつ「天竜美林」。その高い技術で大切に守り育てられた森から切り出された天竜材。それは良質で美しい逸品です。浜松市では適切に管理された森林であることを国際機関が認証するFSC認証に力を入れています

 ●「体験談コーナー」
 家を建てた方の成功・失敗談や参考にしたい木の使い方など本音トークが聞けるチャンスです。

 ●「家づくり Q&A」
 お得、耳寄り、お役立ち情報を持ち帰ろう!住まいに木を取り入れたいけど、ここはどうすればいいの?」。聞きにくいことも、気軽に聞けちゃいます!

 いずれも、答えてくれるのは、「工務店」「製材業者」「木材生産者」「建築士」の方々です。会場は浜松市地域情報センター(浜松市中区中央1丁目12-7)。参加無料です。

 ●問合せ先・申し込みは、
 静岡県西部農林事務所(森林整備課)=電 話 053-458-7234、FAX 053-458-7169
 静岡県中遠農林事務所(森林整備課)=電 話 0538-37-2301、FAX 0538-37-2305

 ぜひ、参加しましょう!

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小正月の風習「にゅうぎ」「削り花」の素朴さが好き

Nyugi12  「小正月(こしょうがつ)」とは、正月の「望の日(もちのひ)」のこと。「望の日」とは「満月の日」のことですので、本来は旧暦の1月15日に当たります。となると、平成24年(2012)は2月6日のはずですが、現代では新暦1月15日に行われることが多いようです。

Nyugi18 「小正月」に「にゅうぎ」を供える風習は、正月に伐り出した新しい枝を薪状に割り、割れ痕の残る木肌に「十二月」(閏年は「十三月」)、あるいは12本(閏年は13本)の横線を書き、門口や屋内神、仏壇、野外神、墓などに供えるものです。

Kezuribana1  この新しい木肌を曝す「にゅうぎ」は、年神や祖霊、農業や屋敷の神などを迎える目印であり、この点では「削り花」も同じ。御幣の元になったもの、とも考えられているようです。

 …という難しい話はさておいて、私は北遠で見かける「にゅうぎ」や「削り花」の素朴さが好き。私以外にも、きっとそんな人は多いでしょうね?

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北遠の「龍」を探せ!―白倉・金山神社の「龍」

Shirakura1  「龍」が付く地名であるにも関わらず、意外と「龍」が見つからないのが「龍山町」。それでも、探せば出会えるものです。紅葉の名所「白倉峡」に、「龍」が棲んでいました。

 「龍」が棲んでいるのは、名所「金山の滝」のすぐ上に祀られている金山神社の屋根。小さな祠の屋根は青緑色の金属板で覆われていますが、その棟の先に、やはり銀色の金属板で作られた「龍」が飾られています。

Shirakura0 ちょっと、分かりにくい形かも知れませんが、「龍」に違いありません。これって、なかなかマニアックでしょう?12月から始めた「龍」探しですが、1月末になってもまだ止まりません。

 北遠には、本当に「龍」が棲んでいるんです!

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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2012年1月26日 (木)

明善直筆の書状、記念館に 浜松の山崎さんが寄贈

Meizen1  山崎新聞店(浜松市東区豊町)の山崎純三社長(74)が25日、天竜川治水の父、金原明善直筆の書状を同区の「明善生家記念館」に寄贈した。山崎さんは「貴重な資料が失われつつある。大切に管理してもらい、明善公の足跡を引き継いでほしい」と願いを語った。

Meizen2 金原明善公(1832~1923年)は、私財を投じ天竜川流域の治水・治山に生涯をささげた郷土の偉人。書状は1896年(明治29年)6月13日、植林事業の最前線だった磐田郡龍山村の瀬尻事務所(現・天竜区龍山町)で伐採や地ならしに当たっていた右腕の鈴木信一宛てに東京から郵送された。

 山林の新規買い入れ費などとして500円(現在の約500万~600万円)を出資する内容で、前日届いた書状に対する返事とみられる。

 書状は山崎さんが昨年秋、同市の古書店で偶然見つけ、「適切な施設で管理すべきだ」と購入した。同館顧問の鈴木雄介さん(76)は「多額出費を翌日に決断する対応の早さに驚く」と話す。

 筆まめで生涯に1万2千通以上の手紙を交わしたとされる明善公。同館の桜井芳夫主事(62)は「書状は『金原明善資料集上巻』(1968年出版)に収録されている。現物を見てもらうよい機会になれば」と語った。同記念館は書状を修復後、来年度に展示を始める予定。(「静岡新聞」より

 「天竜林業の父」金原明善翁の新しい資料が公開されました。「明善生家記念館」でご確認ください。

ツキノワグマ推定生息数 10年で8割増え3624頭

Tsukinowaguma  2011年の県内のツキノワグマの推定生息数が10年前に比べ約8割増の3624頭だったことが24日、県野生鳥獣対策室のまとめで分かった。県は、本年度まで5年間の第2期特定鳥獣保護管理計画で毎年、約150頭の捕獲上限数を設けて県内8地域ごとの個体数維持に努めており、一定の成果が出た形だ。

 ツキノワグマは、九州では絶滅したとされるなど種の存続が求められている一方、県内では農林業や人身被害が多発するなど共存の在り方が大きな課題。同室は「県全体としては安定かやや増加傾向にあるが、八ケ岳では存続が懸念される」と分析。来年度から5年間の次期計画でも個体群を安定的に維持するため現行並みの捕獲上限数を設ける―としている。

 推定生息数は同日、県庁で開いた県環境審議会で示した。捕獲数や目撃情報を基に算出した推定生息数(平均値)は、第1期計画(2002~06年度)開始前年の01年が8地域合計1913頭、第2期計画(07~11年度)前年の06年が2771頭だったが、昨年は3624頭まで増えた。昨年は県東北部の越後・三国地域が779頭で最多、八ケ岳が47頭で最少だった。

 捕獲上限数は来年度当初をめどに決める。北アルプス南部や南アルプス地域を中心に、ヒノキやスギの皮をはいで食べるなど林業被害が深刻化していることから、次期計画では被害林にわなを設置して駆除に乗り出す方針。人身被害を減らすため、えさとなるドングリの生育状況に基づく出没予報や出没情報も広く発信する。(「信濃毎日新聞」より)

 ニホンザルは普通に見かけます。先日は春野の静修の山でカモシカと遭遇しました。出会っていないのはツキノワグマだけですが、近々出会いそうな予感が…。

俳句が懸け橋 60年ぶりの再会 浜松・旧龍山村

Haiku 旧龍山村(現浜松市天竜区龍山町)の白倉分校で俳句の会を楽しんでいた教員や住民13人がこのほど、同市浜北区於呂の元同校教員永井とよ子さん(89)方で約60年ぶりの句会を開き、再会を果たした。

 永井さんら教員や児童の保護者ら約20人は1954年度の約1年間、月に1、2回各家庭に集まって俳句に親しんだ。「当時はほかの娯楽も少なくて盛り上がった」と永井さん。参加者は互いの句に点数を付け、ガリ版の会報「しらくら」に毎回まとめたが、年度が替わり、いつしか会は開かれなくなった。

 昨年11月、自宅の押し入れを整理していた永井さんは偶然この会報20枚を発見。「しらくら句集」と手書きの表紙を付けたコピーを当時の参加者全員に郵送した。すると参加者やその子孫から「みんなに会いたい」と反響があり、句会が実現した。

 13人には永井さんから新作の俳句や話題を持参する“宿題”が課され、それぞれ孫についての句や手描きの絵を披露して近況を報告した。

 参加した山本麻子さん(75)=同市天竜区横山町=は「嫁いで白倉を離れ、永井先生と会うのは50年ぶり。あのころのみんなの顔やふるさとの風景を思い出した」と感慨深げ。青山欣三さん(83)=同区龍山町=は「当時は誰よりいい句を作ろうと頑張っていた。昔話ができて、83歳まで生きたかいがあった」と目を細めた。(「静岡新聞」より)

 龍山は、俳句、短歌などが盛んだったようです。自費で建てた歌碑などを見かけることもあります。

今年は旧暦の「閏年」―「十三月」と書かれた「にゅうぎ」

Nyugi2  「にゅうぎ(新木)」とは、小正月に神仏や門口などに供える「割り木」のこと。「十二月」と漢字で書いたり、漢字が書けない人は「12本の横線」を書いたりします。

 ところが、いつでも「十二月」と書くわけではなく、「閏年」には「十三月」書きます。

 …となると、平成24年(2012)はオリンピックイヤー。つまり、2月が29日まである「閏年」ですから、「十三月」と書くのでしょうか?いやいや、そう簡単にはいきません。ここで言う「閏年」とは、旧暦で言う「閏年」のことなのです。

 旧暦=太陰暦では、月の満ち欠けで1ヵ月を決めています。こちらで計算すると、1ヵ月は29.53日。29.53日×12ヵ月=約354日となり、1年は新暦の365日と比べて11日短くなるのです。

 このまま放置しておくと、暦上の月日と実際の季節がどんどんズレて行ってしまいます。そこで旧暦では約3年に一度、「閏月」と呼ばれる月を足して、1年を13ヵ月とすることで誤差を調整しています。

Nyugi8  つまり、この「閏月」を足す年が、旧暦で言うところの「閏年」。ですから、新暦で言う「閏年」だからと言って、旧暦の「閏年」と一致するわけではありません。

 じゃあ、今年はどうなんでしょう?

 今年は、新暦3月22日~4月20日が日本の旧暦3月となり、4月21日から「閏3月」が始まる「閏年」なのです。

 …というわけで、水窪で出会った「にゅうぎ」には、「十三月」と書いてありました。でも、「十二月」と書いたものも、交じっていましたけどね。「横線」の数も「12本」でしたが、本当は「13本」が正解だと思います。

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北遠の「龍」を探せ!―「秋葉山常夜燈」に「龍」の意匠が多い訳

Nagasuka1  「秋葉山常夜燈」の「龍」のことなら、長年調査して来た斉藤のお任せください。

 磐田市、旧竜洋町、旧豊田町と天竜川以東には、コンクリート製の門柱のような形の常夜燈が建てられています。とりわけ大正期以降、文明開化の香り漂う方柱型の常夜燈が現れ、ロウソクや菜種油に代わって電気の光を点して来ました。

 昭和17年(1942)建立の磐田市長須賀の「秋葉常夜燈」もそんな方柱型。前年(昭和16年)9月1日には「金属類回収令」が施行され、寺の梵鐘や学校の金次郎像、金属製の欄干まで戦時供出の対象となったまさに戦争の真っ最中に建てられました。

Nagasuka9  長須賀の「秋葉常夜燈」はコンクリート製とは言え、人造石洗い出しで仕上げられています。そして、お札を納める扉の上には、同じく人造石洗い出しで仕上げられた「龍」の顔が飾られています。

 いかがですか?「龍」の顔を正面から見たことはないのですが、こんな感じでしょうか?

 「秋葉山常夜燈」とは、それぞれの村落や講中共同で火災から家を守ろうとする信仰のシンボルです。1晩中灯火を点し続けたのは「火の用心」のため。水神でもある「龍」は、いざとなれば水を吐きかけて火災から木造家屋を守ってくれるはず。

 「秋葉山常夜燈」に「龍」の意匠をあしらっているケースが多く見られるのは、根本にはそんな素朴な信仰があったからです。

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

三椏は膨らんだ。節分草はまだか?

Ashiato8  今年もセツブンソウの開花が気になる時期になりました。佐久間町上市場の自生地の様子を見に出かけましたが、まだその気配は見られません。

 その代わりに、このところ気になっている足跡が…。地元の人に「シシですか?」と聞いてみたところ「ううん。シカ」との返事。やはり、足跡の主は山里を荒らすニホンジカだったようです。

Mitsumata7  私がセツブンソウ開花の参考にしているのは、ジンチョウゲ科ミツマタ属の三椏(ミツマタ)の花。近くの家のミツマタの蕾が白い毛に覆われて、膨らみ始めています。

 三椏は膨らんだ。節分草はまだか?

 昨年のセツブンソウの開花は2月19日。今年は、いつ頃になるのでしょうか?

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2012年1月25日 (水)

NPO法人「天竜川・杣人の会」1月定例会

Somabito2012012101 今年最初のNPO法人「天竜川・杣人の会」定例会が1月21日に行われました。参加者は7人。

 新会員の佐々木さんもいらっしゃいました^^。

 まず、福井会長より、「我々の会の理念『やまの命をまちに、まちの富をやまに』のとおり、森の良さ、緑の価値を次世代へ引き継ぎ、自然と向き合う社会にしよう。」と年頭の挨拶がありました。

 次に鈴木副会長より、森の力再生事業を活用する計画の紹介がありました。 Somabito2012012102去年の台風15号による風倒木を処理するそうです。場所は旧中川根。一度見学に行くことになりました。

 そして最後に久保田理事より、新規事業として「水窪石」の研究会を結成し、その活動を通して地域おこしを行ったらどうか?という提案がありました。面白そうです^^。

以上 1月定例会の報告でした。事務局M

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水窪―布滝の凍結、河内浦の雪景色

 「チェーン必要」の看板は立っていたのですが、「え~い、行けるところまで行ってみよ~」と、県道389号水窪森線を山住方面に向かって登ってみました。

 途中、「新・浜松の自然100選」にも指定されている「布滝」を横目で見ながら…。あれ?水がないじゃん…?

Nunotaki8 Nunotaki7

 普段から水量が少ない滝ですが、現在は「布滝」でも「糸滝」でもなく、流れ落ちる水は一筋もありません。岩壁にへばり付いているのは、白い氷だけ。

 仕方なしに先へと進みます。

 山住峠の手前の集落は河内浦(こうちうれ)。ここで、もう1度「チェーン必要」の看板です。

 そして、山の斜面も川岸も作業用の橋も真っ白。残念、ここまでのようです。せめて、写真だけでも撮ることにしましょう。そして、山住家の石垣の前でUターン。

Kouchiure0 Kouchiure1
Kouchiure2 Kouchiure3

 やはり、ノーマルタイヤで雪道を行くのは無謀でしたね。

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蝋細工みたいな花を咲かせる「ロウバイ」2種

 わが家の庭にも咲き、上品な香りを漂わせているのですが、写真は佐久間町浦川で撮影したもの。庭木として見る機会が多い「ソシンロウバイ」と「マンゲツロウバイ」です。

 「ロウバイ」の名は、半透明の光沢を帯びた薄黄色の花が蝋細工みたいなところから付けられたもの。納得しやすく、覚えやすい名前です。

 花弁の芯まで黄色く、斑が入らないのが「素心ロウバイ」で、紫褐色の輪が入るのが「満月ロウバイ」ですが、実際には、さまざまな品種が作られているようです。

Roubai6 Robai2

 たまたま、2本並んで咲いていましたので撮影しました。本来は落葉樹なのですが、花が咲いても枝に葉が残っていることもあります。

 そろそろ、私の中の道草の虫が動き始めました。上市場の「節分草」の様子も監視しに出かけてみましたが、開花までにはあと少しかかりそうです。

「佐久間ダム」建設途中の絵葉書

Sakumadam800  佐久間ダム建設の着工は昭和28年(1953)4月、竣工は同(1956)31年10月。その建設途中にはたくさんの写真が撮影され、一部は絵葉書に使われていました。

 龍山の和田芳博氏からお借りした「天龍川に工事中の日本一発電所佐久間ダム」と題した絵葉書を紹介します。

 「第二次締切による洪水(左方は取入口)」「正面より見た第二次締切後のダム(高さ150メートル)」「展望台よりダム及び右方バッチャー・プラントの偉容」「セメントサイロと佐久間村の夜景」の4枚ですが、ダムはかなり上まで出来上がり、完成に近づいていた時代の写真だと思われます。

Sakumadam802 Sakumadam803
第二次締切による洪水(左方は取入口) 正面より見た第二次締切後のダム(高さ150メートル)
Sakumadam804 Sakumadam805
展望台よりダム及び右方バッチャー・プラントの偉容 セメントサイロと佐久間村の夜景

 「バッチャー・プラント」とは、セメント、骨材(砂・砂利)、水などを調合しコンクリートを作る設備。セメントは、北区引佐町で採掘された石灰岩を、二俣線、飯田線を使って運び、中部の「セメントサイロ」で作られていました。

 上は、「ISAMI ART STUDIO」(イサミ写真館)の「30.12.17」のスタンプが押された写真です。これは、下の放水口から水が流れていますので、絵葉書の写真よりも少し前。上空には無数の鉄索が張り巡らされています。

 建設中の佐久間ダムの古い絵葉書は、まだまだありますので、順次紹介していきます。

 重力式コンクリートダム「佐久間ダム」は…
 遠州灘海岸の浸食対策とダムの氾らんを防ぐため…
 ●大雨でダム湖の水位が上がった浜松市天竜区佐久間町の佐久間ダムが…
 ●先日、全5門からの放水の記事と写真を紹介…
 ●「佐久間ダム」の大放水―2008年6月21日となっていますので…
 ●長野県の諏訪湖から遠州灘に注ぐ天竜川水系で今後約30年間…
 ●「佐久間ダム」は、昭和28年に着工。アメリカの重機や…
 ●毎年、10月の最終日曜日に開かれる「佐久間ダムまつり」…
 ●佐久間ダムの下にあるのだから、きっと発電所だろう…
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北遠の「龍」を探せ!―祭り屋台、堂宮彫刻の「龍」

Suwaren4  春野町長蔵寺地区の諏訪神社祭典で引廻される祭り屋台は「諏訪連」のもの。唐破風と懸魚に「龍」の彫り物(堂宮彫刻)が飾られています。

Suwaren3  春野の屋台の「龍」は、これまでにも犬居の「龍勢社」、西領家の「紅葉社」を紹介しましたが、「諏訪連」の屋台もなかなかのもの。

 屋台の彫り物には雲や雨を自在に操り雨を降らせる「龍神」が好まれるのですが、「昇龍」または「登龍」といえば、めでたい祭りにはふさわしい装飾。

 写真は2009年10月に撮影しましたが、遠州の堂宮彫刻文化が色濃く現れた祭り屋台です。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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2012年1月24日 (火)

天竜二俣駅の「扇形車庫」修復始まる 台風で屋根被災

Syako_2  浜松市天竜区二俣町の天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅構内にあり、昨年9月の台風15号で被災した国登録有形文化財「扇形車庫」の修復作業が今月中旬、始まった。3月末までの完成を目指している。

 1940年に建設された扇形車庫は、98年に国の登録有形文化財になった。台風15号で屋根の4分の1がめくれて以来、その部分が野ざらし状態となっていた。足場の組み立て作業はすでに終わり、資材の搬入に移る。

 一方、同社は新年から、同駅構内で実施している転車台見学を従来の金~月曜日から連日開催に変更した。金~月曜日と祝日は午前と午後の1日2回、火~木曜日は午後1時45分~の1日1回行う。(「静岡新聞」より)

 いつも気にしていましたが、ようやく修復作業が始まったようです。

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「広報はままつ」天竜区版 歴史探訪―「光明山遺跡」

Koumyousan  「広報はままつ」天竜区版1月20日号の「TENRYU WARD HISTORY 天竜区ヒストリー」は「光明山遺跡(天竜区山東字光明山)」でした。

 標高540メートルの光明山山頂に残される遺跡。養老(ようろう)元年(717年)、僧・行基(ぎょうき)が密教修験の地として光明寺を開創したと伝えられ、享禄(きょうろく)年間(1528~32)に、今川家の家臣であった朝比奈時茂(あさひなときしげ)が山城として改築、光明城を築いたとされています。元亀(げんき)年間(1570~73年)には武田氏の属城となっていましたが、天正(てんしょう)3年(1575年)に徳川軍に攻撃され落城。その後、再び光明寺となり、霊場として発展を遂げましたが、昭和6年(1931年)に火災で焼失してしまったため、現在地(山東地内)に再興されました。現在は、石垣などが寺院遺構として保存され、周辺には曲輪(くるわ)、堀切なども残っています。遺跡からの眺望は素晴らしく、遠州灘をはじめ、西は浜名湖から東は小笠山までを一望することができます。

Koumyousanmap  先日出かけた時には林道に雪が残り、あと2キロ地点で「勇気ある撤退」。自然の豊かさを感じたり、季節ごとに変わって行く景色を眺めたり、1年を通して楽しめるのが光明山です。

 山頂付近に残る光明寺、光明城の遺跡は、まるで「遠州のマチュミチュ」。道路の心配がなくなったら、ぜひ、お出かけください!

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♪愛しい人に出逢える 羽ヶ庄―「郷の調べ」

Satonoshirabe1  佐久間出身で千葉県に住む夏目琴美さんが作詞した歌「郷の調べ」が、作曲者である藤田稲子さんの作品集『名もない小さな歌』(文芸社 1,575円)に収録出版されました。

1.空よ雲よ映しておくれ ふるさとの景色
  青く澄んだ空 矢嶽山仰いで
  杉木立吹き抜ける風 ふるさとの香り
  傍示峠は民話の郷 羽ヶ庄

2.風よ水よ届けておくれ ふるさとの味を
  清く美しい 天神淵の流れ
  かじかやあめんぼ ざこ捕まえて
  厚血川は伝説の郷 羽ヶ庄

3.山よ川よ佐久間の灯り 二本杉峠
  思いではるかに 父母の面影を
  遠い夢捨てきれず ふるさと恋し
  愛しい人に出逢える 羽ヶ庄
  羽ヶ庄

Satonoshirabe  夏目さんはブログ「ライフ in 柏」の中で、「名もない小さな村『羽ヶ庄』―この本が売れたら有名になるでしょう」と書いています。

 「矢嶽山」「天神淵」「厚血川」「二本杉峠」とよく知っている名前が続きます。「傍示峠」とは、「北条峠」と書かれることが多い「ホウジ峠」のこと。「羽ヶ庄」は、「はがしょう」と読みます。このブログの読者でしたら、ご存知ですよね?

 夏目さんの故郷「羽ヶ庄」は、とてもいいところです。あなたも、ぜひ、お訪ねください!

 【関連記事】「郷の調べ」―ふるさと羽ヶ庄を歌う曲 完成!

昔から親しまれ続ける「おきん橋」

 天竜川に架けられた橋ではないのですが、支流大千瀬川に架けられている「錦橋」の名は、明治37年(1904)、私財を投じて吊り橋を完成させた、四ツ門きん媼に由来していることは、すでに何度か紹介した通りです。

 現在の橋は、3代目に当たりますが、昔も今も佐久間と浦川とを結ぶ重要な橋。明治24年の浦川村の町勢は、戸数494・人口2,731・厩358・船12。同40年には、戸数620・人口3,523へと伸びています。

 そんな時期に架けられた吊り橋の写真が、古い絵葉書に残されています。

Kinbashi794 Kinbashi795

 「遠州浦川風景(大千瀬川錦橋)」には、傘を差す人の姿が写っていますので、雨の日の撮影だったのでしょうか?

 「〔奇勝天龍峡〕風致得も言はれぬ浦川驛附近の三信長瀞の景」の「三信長瀞」に「遠」の字が入っていないのは、飯田線の前進である三信鉄道で売られたものだったからでしょう。

Kinbashi796 Kinbashi798

 「(北遠浦川)錦橋の美観」には、川面に浮かぶ夥しい木材と、画面の右端には木材の上で作業している人物も写っています。木材が流れ出さないように設けられたフェンスのようなものも写っていますので、天竜川に流すための筏を組むための貯木場だったのでしょう。

 この葉書を裏返すと、そこには「9.11.23」の数字の入ったスタンプが。これは昭和9年(1934)11月11日に開業した三信鉄道「浦川駅」のスタンプ。アユの体に、釣り人と「錦橋」が描かれています。

 地元では親しみと尊敬の意味を込め、「おきん橋」と呼ぶ初代「錦橋」の完成当時の姿が蘇って来ます。

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 ●「錦橋」と書いて「きんばし」と読みます。国道473号の…
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北遠の「龍」を探せ!―「新宮池の大じゃ」犬居小

Alim0971  犬居小学校のプール壁面にも描かれている春野の伝説の「龍」は、「堤防をとめた二匹の竜」だけではなく、「新宮池の大じゃ」も。

 「新宮池の大じゃ」とは、春野町和泉平(いずみたいら)の新宮池は、諏訪湖の龍神が遠州へ訪れる際に 立ち寄る所とか、長野県の諏訪湖とは地底でつながっているとかいう伝説。

 そんな地元に伝えられた昔話の龍神を、犬居小学校の子どもたちが描き上げた恐ろしい形相の「龍」の壁画です。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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北遠七福神巡り―佐久間の川合院

Bokejizo9  幸福をもたらす7人の神さま七福神―私は「恵比須大黒布袋福禄弁天毘沙門寿老人」と覚えましたが…。

 全国にはあちらこちらに「 七福神巡り」のお寺があります。そんなお寺の1つ、佐久間町川合の「佛法山・川合院」に寄りました。地域名は「かわい」と読みますが、お寺の名前は「せんごういん」と音読み。お寺の裏山には、「七福神」と「ぼけ地蔵」が点在する遊歩道が設けられ、約1キロを歩いてグルリと1周しました。

 七福神の石像には、解説の石碑が建てられていましたので、その解説も一覧にしてみました。それぞれの画像に手を合わせれば、きっとご利益が得られるはず。

 でも、私にとって、一番ご利益にありつきたいのは「ぼけ除け地蔵尊」。じゃあ、ここにお賽銭を上げて手を合わせることにしましょう!ナムナム…。

Ebisu6 恵比酒(須)大神

 えびす様の福徳は神慮のこもる両手に示される。手に抱える鯛は、めでたいで商売繁盛、無病息災、家門繁栄、交通安全など全てのめでたいことを授ける心を表わし、釣り竿の釣り糸一筋下がるは、ひたすらな信仰にこたえ、いろいろと配慮なさるお姿を表しています。

大黒天

 大古久とも書き、摩訶(大)迦羅(黒)とも言う。一切衆生に福徳を授けるために、この世に出現され、五穀豊饒をもたらし開運徳幸を授ける天神で、おまいり下さる方々に御利益をお授け下さいます。

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Bisyamon2

毘沙門天

 厳しい顔で生きる勇気を与えて下さる福神であり、笑顔と財宝を授けて下さるのです。もともとインドの神様ですが中国では多門(聞)天として礼拝される一人、北方守護神としても有名。左手に宝塔を持ち厄除け開運、右手に如意宝珠を持ち無量の財宝が湧き出るのを表す。

辯財天

 七福神の紅一点、みめうるわしい女神、全ての人々に愛情と親切な心によって幸せを授ける。インドの水の神様で河水の流れる音から音楽の神、よどみなく流れる姿から知恵と弁舌の神、美の神、音楽の神という。

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福緑(禄)寿

 中国の神聖な仙人、南極老人星といわれ背が低く頭が長く、あごに立派なひげを貯える。年齢千年の仙人、微笑みを浮かべ大きな耳たぶの見事な福相、長寿の印、鶴亀を従え宝珠を持つ。財を受け、子供たちに智恵立身出世を授けるのです。

寿老人

 中国の神聖な仙人、お星様の化身で鹿を伴ったお姿で知られる。長寿の印の桃を持っている寿老人は、にこやかな微笑みをたたえるお姿で、延命長寿、福徳を祈られています。

Jyurojin8
Hotei2

布袋尊

 中国梁の頃の高僧、布袋和尚とも言う。弥勒の化身ともいわれ吉凶晴雨を予知したという。福ぶくしい大きな耳、何時にも笑顔をもって人に接し、然も内にはしっかりした意思を持ち世の中の清濁を合せ呑む大きな腹をしている。宝物の一杯入った袋を背負い信仰する人に対し金銀財宝を限りなく与える。

2012年1月23日 (月)

北遠の「龍」を探せ!―浜北・不動寺の「龍」

 上り竜に幸せ祈願 初詣客にぎわう 浜北区・不動寺

 浜松市浜北区平口の不動寺(加藤泰明住職)で、明治期に作られたという竜の彫刻が、辰(たつ)年の幸せを願う初詣客らを迎えている。

 本堂入り口の両側にいずれも長さ3メートルほどの「上り竜」と「下り竜」が波打つ体を見せている。同寺によると、竜は袋井市の「鈴木八郎」さんの作品。鈴木さんは竜の完成後すぐに亡くなったといい、竜とつながる梁(はり)の彫刻は未完成のまま残されている。(1月4日付「静岡新聞」より)

Fudoji03 Fudoji05

 「上の記事を見てから、ずーと撮ってこなきゃあと思っていたんですが、今日やっと行ってきました」と事務局のM氏からのメール。私も不動寺には寄りたいと思っていましたので、以心伝心。M氏のおかげで、皆さんに素晴らしい「龍」をお目にかけることができました。

 「これで、任務完了でしょうか?」とのことでしたが、いやいやまだ残っています。フルーツパークや龍潭寺、方広寺の「龍」も見てみたいですねぇ。

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北遠の「龍」を探せ!―「龍」の年賀切手

Nenga0  「お年玉付き年賀はがき」の当選番号が発表されました。1等、2等は無理でも、せめて3等くらいは…。「3等 下4けた 2511」。う~ん。

 …で、当たったのは、「下2けた 27」のたった1枚だけ。NPO法人「天竜川・杣人の会」事務局のM原氏からのものでした。

 早速、郵便局まで出かけ、50円+80円の年賀切手のセットを貰って来ました。

 50円切手は、神奈川県の相模土鈴「頭竜」、80円切手は高知県の土佐和紙雁皮張り子「龍」。年賀切手は昭和10年(11年用)から発行され、一時中断後、同23年(24年用)から現在まで毎年発行されています。郷土玩具が使われ始めたのは、同29年の「三春駒」からだそうです。

 縁起の良い干支がデザインされた切手。平成24年は「龍」の年賀切手です。

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打ちたて新そば味わう まつりに多くの観光客 佐久間

Sobamatsuri  浜松市天竜区佐久間町の佐久間地域自治センター駐車場で22日、「佐久間新そばまつり」(静岡新聞社・静岡放送後援)が開かれた。県内外の手打ちそばの味を求め、同日朝から多くの観光客が訪れた。

 地元の「野田やまびこ会」をはじめ、「南信州飯田そばの会」(長野県)、「会津磐梯そば道場」(福島県)など8団体が出店。来場者はそれぞれのブースに行列を作り、職人打ちたてのそばを味わった。物産展も行われ、地場産品を買い求める人でにぎわった。

 隣接する佐久間歴史と民話の郷会館には、そば打ち体験コーナーが設けられ、家族連れなどが挑戦した。(「静岡新聞」より)

 昨日は、会場で静岡新聞水窪支局の木村支局長と会いました。「この間の駅伝で区間賞だったら?」。ニコニコと冷やかされていましたね。取材ご苦労様でした。

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語り部「やまんばの会」の昔話を聞く

Shiozawa5  佐久間の語り部「やまんばの会」の昔話を聞く機会ができました。

 1月22日(日)、「さくま新そばまつり」の催し物の一環として、「さくま歴史と民話の郷会館」2階ホワイエでの読み聞かせ。塩沢さわさんの『きんたまやきど』と今川淳子さんの『たっくり淵』です。

Imagawa7   『きんたまやきど』は、「むかし、峰に源兵衛さんという人が山作りの仕事をして暮らしていました」で始まる、悪いタヌキを懲らしめるちょっとおかしな話。『たっくり淵』は、淵に潜んだクモにより、魚釣りの男が水の中に引き込まれそうになる恐ろしい話。

 皆さんには、冊子『さくま昔ばなし』にまとめられた2つのストーリーを思い起こしていただきたいのですが、お二人の話はもっともっと魅力的。久しぶりに昔話の世界に浸ることができました。ありがとうございました。

古い絵葉書に見る天竜川の「原田橋」

 佐久間ダムの下流で、天竜川が北から東に流路を変える辺り。「原田橋」の建設については、郷土の偉人原田久吉翁が建設費を負担したところから、名づけられた橋であることは、すでに紹介した通りです。その初代「原田橋」が写った古い絵葉書は、これまでにも紹介しました。

 今回、龍山の和田芳博氏から、新たな資料写真となる2枚の絵葉書をお借りしました。鋼材を使った主塔から吊るされたワイヤーと長くて美しい橋が白っぽく写っています。

Haradabashi792 Haradabashi793

 2枚ともよく似た橋が写ってはいるのですが、左の絵葉書は「(北遠中部)原田橋ノ景」はそのままですので問題ありませんが、右は「北遠中部天龍橋及鷲ノ澤山 王子製紙株式會社 中部工塲購買組合發行」となっています。

Haradabashi3  北遠中部の「天龍橋」とは、一体どの橋のことでしょう?

 2枚の写真をじっくりと比べてみました。すると、撮影角度はやや違っているものの、橋の構造はまったく同じであることが分かりました。間違いありません。この「天龍橋」とは「原田橋」のことです。

 王子製紙が佐久間で操業していたのは、明治32年(1899)~大正13年(1924)。「原田橋」の竣工は大正4年(1915)でしたので、この写真が撮影されたのは大正4年~13年までの間。もしかしたら、この間、この橋は「天龍橋」を名乗り、その後、原田翁の名を冠した名前に変わっていたのかも知れません。

 ●「原田橋」は、国道473号、「中部(なかべ)」と「川合(かわい)」の間に架かる吊り橋…
 ●「錦橋」と書いて「きんばし」と読みます。国道473号の…
 ●佐久間には「原田橋」が2本あります。1本は国道473号…
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 ●原田久吉翁(1837-1929)の号は「二楽」。原田翁の揮毫には…
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県内外 新そば競演 佐久間でまつり

Sobamatsuri12  「佐久間新そばまつり」(浜松市主催、中日新聞東海本社など後援)が22日、同市天竜区の佐久間地域自治センター駐車場と隣接する佐久間歴史と民話の郷会館で開かれ、多くのそばファンらでにぎわった。

 「そばの里づくり」を進める佐久間町が年明けに開く恒例行事え、今年で14回目。地元の「野田やまびこの会」や「NPO法人がんばらまいか佐久間」をはじめ、浜松市内と福島、愛知、長野の3県からそば作りの計8団体が「そばの味くらべ広場」に出店した。

 来場者は列をつくって並び、打ち立てのそばをおいしそうに味わった。持ち帰りそばや、そば打ち道具、地場産品などの販売も盛況。名人と呼ばれる職人のそば打ち実演コーナーや、地元そば作り団体が指導するそば打ち体験もあり、人気を呼んでいた。(「中日新聞」より)

 私と同じように、毎年楽しみにしているファンがいます。愛知県や長野県から、道路の凍結を心配する問い合わせの電話が数多くかけられたそうです。「佐久間って寒いところだと思われているんだね」。

 写真は、私が撮ったものです。

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雨上りの朝、こんなにキレイな「戸口橋」

Toguchibashi2  佐久間に入る時に最初に渡るのが天竜川の「大輪橋」、次に渡るのが水窪川の「大井橋」です。天竜川の橋としては、「大輪橋」の1つ上流に架けられているのが「戸口橋」ですが、横目で見て通り過ぎるだけですので、あまり印象に残りませんね。

 そんな人には、ぜひこの写真を見ていただきたいと思います。

 鏡のような天竜川の川面に、赤いワーレントラスの「戸口橋」がきれいに写っています。そればかりか、中部電力の西渡発電所と送電線の鉄塔も逆さに写り込んでいます。

 小波すら立たない天竜川の朝―雨上りの久根の山には薄い雲が浮き、時にはこんなキレイな景色を見せてくれます。

 どうですか?キレイでしょう?

 【関連記事】赤いトラス橋「戸口橋」
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 ●昭和45年(1970)竣工の「戸口橋」以前は、大正14年(1925)に竣工となった旧「戸口橋」…
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2012年1月22日 (日)

旧「八代沢橋」の遺構に間違いなし

Yashirozawabashi8  ブログ記事「古い絵葉書―瀬尻の『八代橋』を探す」に、昨夜(1月21日)、ワタナベ様から次のようなコメントをいただきました。

 正しく八代沢橋です。端を渡りきった左上の家、鈴木さん宅 その上は瀬尻小学校の教頭の住宅だったような気がします。間違いなく八代沢橋です。

 事の発端は、佐口行正氏からお借りした「瀬尻區ニ架セル八代橋ノ壯觀」と書かれた古い絵葉書。この「八代橋」が現在の国道152号線に架けられている「八代沢橋」から見下ろせるコンクリート遺構ではないのか、という推論に対する回答です。

 ここまで具体的な情報をいただけば、絵葉書に写る古い橋は、やはりあの遺構に違いなかったと自信が持てました。すべては、秋葉ダムにより天竜川の水位が上昇し、道路や集落の一部が水没したことによるもの。

 「さくま新そばまつり」に出かけたついでに、もう一度旧「八代沢橋」を見下ろしてみました。

 【関連記事】古い絵葉書―瀬尻の「八代橋」を探す
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「さくま新そばまつり」では、今年も会津の「地鶏そば」

Sobamatsuri2  心配していた天気が回復し、「さくま新そばまつり」は今年も大賑わい―私が「会津磐梯そば道場」の列についたのは9時半。狙いは100食限定の「会津地鶏そば」(800円)です。

 地元の出店者には申し訳ないのですが、せっかくの「新そばまつり」です。普段なかなか食べることができないそばを食べてみたくなるもの。朝一番の列はそんなに長くはありませんでしたので、そば打ちの実演を眺めているうちに、案外早く順番がやって来ました。

Sobamatsuri1 日本で一番新しい「そば」の新品種「会津のかおり」使用 会津地鶏と焼きネギをそえ温かいそばつゆで食べる最高の一品です

 これが、「会津地鶏そば」の謳い文句。去年は写真を撮るのを忘れてしまいましたので、今年は食べる前にカシャ♪。さあ、いただきま~す。

Jidorisoba3 少し甘めの汁ですが、焼きネギの香りが高く、地鶏の旨みも強く、これはウマイ!などと、グルメ番組みたいなコメントを思い浮かべながら…。

 顔馴染みさんから「斉藤さん、何杯目?」と声をかけられましたが、私は1杯でお腹いっぱい。後は、「山香ふるさと村」の五平餅(200円)を1本食べるのが精一杯。

 自宅に戻って、去年書いた記事を読み返してみたら、何と、去年も「地鶏そば」でした。

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第2回地域再生大賞 「夢未来くんま」ブロック賞

Kuma  地域活性化に取り組む団体を支援しようと静岡新聞社など全国の地方新聞社と共同通信社が設けた「第2回地域再生大賞」の受賞団体が21日決まった。「ブルーリバー」(広島)が大賞(副賞100万円)に、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル実行委員会」(宮城)と「大宮産業」(高知)が準大賞(同30万円)に選ばれた。ブロック賞(同10万円)の東海・北陸には「夢未来くんま」(静岡)を選出した。表彰式は2月23日、都内で開く。

 明るく元気に支え合い 中山間地に誇り

 中山間地の文化に誇りを持ち、明るく元気に支え合おう―。第2回地域再生大賞ブロック賞を受賞した浜松市天竜区熊のNPO法人夢未来くんま(大石顥理事長)は、心豊かに安心して暮らせる地域づくりに努めている。

 同区神沢の六郎沢地区で17日、同NPOが2000年から続けるミニデイサービス「どっこいしょ」が行われた。お年寄り8人がこたつに入り、和気あいあいと近況報告。大石達江さん(84)は「元気が出る」と笑った。

 道の駅「くんま水車の里」の運営で知られる同NPOは、給食サービスなど地域福祉にも取り組む。「どっこいしょ」は熊地域を七つに分け、NPO側が月に1回ずつ出向いて展開。家が点在しがちな中山間地で、つながりの場を届けている。

 地域おこしを始めた四半世紀前、熊の文字になぞらえ「ム月(6カ月)すればヒーヒー言い出すのでは」と言われたこともあった。だが今、市内外から多くの人が訪れる。心を一つに、スタッフの女性陣はみんなの「かあさん」として前面に立って活動し、それを男性陣が支えている。

 大石理事長は「活動を次世代へどうつなげていくかが課題。若い人の理解を得ながら少しずつ、前を向いて改革していく」と話す。(「静岡新聞」より)

 元気が出るニュースですので、「静岡新聞」の記事も紹介します。

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「夢未来くんま」ブロック賞 地域再生大賞

 地域活性化に取り組む団体を支援しようと全国の地方新聞社と共同通信社が設けた「第2回地域再生大賞」の受賞団体が21日決まり、東海・北陸のブロック賞に「夢未来くんま」(浜松市天竜区)が選ばれた。副賞10万円が贈られる。

 道の駅運営 人気に

 ブロック賞に輝いた「夢未来くんま」は、浜松市着北西部の山間にある熊地区の住民らでつくるNPO法人だ。道の駅「くんま水車の里」を運営し、デーサービスなどの福祉事業や地域の環境保全事業、スローライフを求めて地区への移住を考える人たちへの情報発信にも積極的に取り組んでいる。

 地域おこしの出発点は1986年に設立された熊地区活性化推進協議会。基幹産業である林業の低迷と過疎化に危機感を抱いた住民らが、地域を元気にしようと発足させた。

 農産物の加工販売施設から手打ちそばを中心とした食事処、体験交流館などを次々と整備。明るい笑顔でもてなす「かあさん」たちと裏方役の男性らが連携し、年間7万人が利用する人気施設に育てた。

 会員は地区住民ほぼ全員と熊地区出身者も加わり約530人。大石顥(あきら)理事長は「地域の皆さんの支えがあってここまでになった。受賞は励みになる。今は後継者の育成が課題。若い人たちに仲間に入ってもらい、活動をさらに発展させたい」と話した。(「中日新聞」より一部引用)

 熊地区に嬉しいニュースが届きました。くんま水車の里の「大寒謝祭」を来月に控え、ますます地域が元気になることと思います。おめでとうございます!

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製紙に必要な石灰の採取地は、この辺り?

Sekai1  少し専門的な話ですが…。

 明治22年(1889)、我が国で最初に王子製紙気田分社で採り入れた製紙法は、サルファイト法と呼ばれる木材パルプによる生産でした。サルファイト法とは、回転する砥石(グランドストーン)に木材を押しつけ、擦り潰して作る砕木パルプとは異なり、細片化した木材(チップ)を重亜硫酸石灰水などで煮て、木材の中に含まれた不要の成分を溶出させ、繊維化したパルプのことです。

 この製紙工程で大量に必要だったのが、原材料となる樹木と「石灰」でした。木下恒雄著「気田川ものがたり」に、詳細な調査が記されていましたので紹介します。

 王子製紙株式会社気田工場での抄紙事業に消費された石灰は、生石灰のことである。

 この生石灰が何処で採取されて、気田工場まで運ばれて来たのかと言うと、実は意外と近い場所からであった。

 その場所は、気田工場の所在地より気田川を十数キロ下ったところであった。

 石灰岩の採取された土地は、秋葉山登山口の坂下の地から下流の“下山”と呼ばれている所であった。それは秋葉山の腹中の場所と言ってもよい。

 “下山”の通称の場所もその山の背は広く、然かも険しい様子を見せている。こゝに一筋の澤水が流れ出ている。秋葉山の腹中からの水にて清冷である。この細い水流を“大澤”とも人は呼んでいる。この大澤の細流を辿って山中に入ると石灰採取場がある。此所を今もって“いしばい山”と近間の人達は呼んでいる。しかしこの“いしばい山”に至る大澤の水辺の山肌は、崩れ易い岩石も在って険しい景色である。(「気田川ものがたり」より)

Sekai3  木下氏の言うように、気田川を下ってみました。石灰が掘り出されていたのは、天竜市と春野町の境界に架けられた「天春橋(てんしゅんばし)」の辺りでしょうか?だとすれば、この辺のはず。

 ここで採取された石灰岩を焼き上げた生石灰を俵に詰め、石灰運搬船1艙につき30俵ほどを積み、1日2艙が気田川を溯り、工場へと運ばれていました。

 現在も残る旧製品倉庫の赤レンガの接着に使われたセメントも、地産の石灰を使っていたようです。

 日本最初の木材パルプによる製紙工場が、気田に開設された理由には、原材料・燃料になる木材、気田川の水力・水運と並び、石灰採取できる山が近くにあったことが決め手となったのです。

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北遠の「龍」を探せ!―法多山の「龍」②葵のご紋の干支恵方盤

 「遠州三山」の中でも、初詣客が1番多いのが「法多山(はったさん)尊永寺」。本堂へは、長く急な石段を登ります。途中で何度か息を整えますが、やがて本堂の青い屋根が見えて来ます。

 でも、本堂までは、まだまだ…。あそこまで、その先までと1歩ずつ登ると、やっと到着。本堂隣接の北谷寺(きただにじ)に入り天井を見上げると、「法多山厄除正觀卋音菩薩尊永寺廿六卋大谷義延純教師代奉納」の文字が入った「干支恵方盤」が。「明治三十六年六月吉日」に奉納されています。

Hattasan2 Hattasan3

 「干支恵方盤」ですから、「大谷」の文字のところに描かれているのが「辰」。ただし、恵方を示す針は見当たりません。

 中央に描かれているのは徳川家の「三つ葉葵紋」。法多山の「厄除け団子」は、安政元年(1854)、徳川家への献上品として考案されたのが始まりとか。明治36年(1903)に奉納されたものに「三つ葉葵紋」が描かれている理由は未調査ですが、時代は江戸から明治に変わったとは言え、徳川家と尊永寺との間には、深い関わりがあったのかも知れません。

 さあ、これで「遠州三山」への初詣も終了。「龍」に囲まれた偏額、願掛け絵馬と梵鐘の「龍頭」も紹介しておきましょう。

Hattasan4 Hattasan5

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2012年1月21日 (土)

「王子製紙株式會社中部工塲抄紙機」其一と其二

 以前、王子製紙株式会社中部工場の古い絵葉書を紹介したことがありました。それは、「中部工塲購買組合發行」のものだったのですが、今回、龍山の和田芳博氏からお借りしたものは、それとは少し違う「王子製紙株式會社中部工塲抄紙機(其一)」と「同(其二)」の2枚です。

Oujiseishi790 Oujiseishi791

 「抄紙機」とは、ドロドロに煮溶かした木材パルプを紙に漉(す)く「紙漉機」のこと。回転している銅製の簾で湿紙を巻き取る装置のことのようです。

 中部工場の開業は、気田分社より10年遅れの明治32年(1899)。大正13年(1924)までの操業ですが、この写真はかなり初期のものだと思われます。

 中部工場は、気田工場と同じように西洋の技術を導入した洋紙製造。木材パルプを使っての紙作りでした。

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北遠の「龍」を探せ!―法多山の「龍」①石燈籠、金属燈籠

Hattasan1_2  「遠州三山」と言うのなら、「法多山(はったさん)尊永寺」に行かないわけにはいきません。駐車場に車を停めて、長い参道を歩きます。

 最初に出会う国指定重要文化財「仁王門」の手前に、「大正四年十一月建之」の「戰捷」と「紀念」の文字が刻まれた左右1対の常夜燈が。「戰捷」とは「戦勝」、「紀念」とは「記念」の意味。大正3年(1914)には、日独戦争=第1次世界大戦が勃発。日本経済は空前の好景気を迎えた時期です。

 歴史の勉強は置いておいて…

 石の燈籠の「中台」に「龍」が彫ってありました。グルリと回ってみると、4面にそれぞれ四神「朱雀」「白虎」「玄武」もいますので、この「龍」は東を守る「青龍」です。

Tourou1 Tourou2

 「仁王門」をくぐって参道を進めば、金属燈籠の「中台」にも「龍」が飾られています。燈籠の「龍」は、建物を火災から守ってくれることを願い、「水神」でもある「龍」を飾ったものだと思います。

Tourou3 Tourou4

 「龍」を飾った燈籠は、「本堂」前に立っていました。これも、金属燈籠ですが、やはり六角の「中台」に6体6様の「龍」が飾られています。燈籠の「笠」の突端の「蕨手」と呼ばれる飾りも「龍」によく似ていますが、これは蜃気楼を吐き出すといわれる「蜃」。

 「龍」「竜」「辰」「蜃」…。法多山の境内の燈籠には、たくさんの「龍」が棲んでいました。

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2012年1月20日 (金)

赤い「Toshiba 東芝テレビ」のホーロー看板

Toshiba9  今夜(1月20日)は、金曜ロードショーで映画『ALWAYS 続三丁目の夕日』がオンエアされます。再現される時代は昭和34年(1959)。わが国でテレビ放送が開始されたのは、同28年(1953)でしたが、わが家にテレビがやって来たのは、昭和39年(1964)。確か、東芝製のテレビだったと思います。

 現在の「株式会社東芝=TOSHIBA」のロゴはゴシック体ですが、懐かしい筆記体ロゴ「Toshiba 東芝テレビ」のホーロー看板を見つけました。

 調べてみると、この筆記体「Toshiba」マーク(傘マーク、傘ロゴ)が制定されたのは、昭和25年(1950)。その後、海外で「Joshiba」と誤読されたため、同44年(1969)には現在のようなゴシック体に変更されたそうです。

 同じ年(1969)にテレビアニメ『サザエさん』が東芝の1社提供でスタート。サザエさんが「東芝の提供 でお送りいたします」と言うと、 タラちゃんが「いたしまぁ~す」ドン! と言っていましたね。

 時代は流れて、テレビは地デジの時代。それでも、わが家のテレビは「TOSHIBA REGZA」です。

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 ●「電球はナショナル」のホーロー看板で思い出されるのは…
 ●「一ばん良い ナショナル電球」の横長ホーロー看板は、水窪町での撮影です…

天竜川舟運の歴史①―久根・峰之沢の鉱石船が並ぶ

 「天竜川下り」事業の廃止が決まりました。

 私の手元に、懐かしい天竜川の舟運の様子が写された古い絵葉書がたくさんあります。筏、渡船、プロペラ船、鉱石船…。パンラマ写真を使った2枚続きの絵葉書「遠州二俣町天龍吊橋全景」には、「山一」の久根と「扇」の峰之沢の両鉱山の鉱石船が並んで写っています。

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 撮影場所は、現在の鹿島橋辺り。今から約100年前、明治44年(1911)に架橋されたのが「天龍橋」。写真は竣工直後に撮られたもののようです。

 今、伝統の舟運の歴史が途絶えようとしています。これを機会に、天竜川の舟運を、古い絵葉書の写真を通して振り返ってみたいと思います。

 ●久根の鉱石を満載して天竜川を下ったのは「鉱石船」と呼ばれる帆掛船…
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大根ゆらり寒風干し 天竜区熊

Daikon  浜松市天竜区熊のNPO法人夢未来くんまは、「大根漬け」用の大根干し作業を、同所の道の駅「くんま水車の里」で行っている。

 冬の風物詩。2等分または4等分にした大根を、風通しの良い場所につるしている。1カ月ほど干すと、黄色がかった色になる。

 干した大根は冷凍保存する。水戻ししては切って漬け、「寒風ぼし大根漬け」のネーミングで販売する。(「静岡新聞」より)

 子どもの頃によく見た風景です。遠州のからっ風とともに、冬の遠州の風物詩。懐かしさが募ります。

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天竜川下り事業廃止へ 観光協「単独運営無理」

 昨年8月、浜松市天竜区の天竜川で5人が死亡した川下り船の転覆事故で、事業主体の天竜観光協会(萩田幹雄会長)は19日、川下り事業から手を引くと表明した。現時点で引き受け手はなく、事実上の事業廃止となり、60年余の伝統は途絶えることになりそうだ。

 同日、天竜区役所で開催された「天竜舟下り検討委員会」で協会幹部が明らかにした。

 協会側は「現時点では民間が引き受けてくれる可能性はない。任意団体の協会では、資金的にも人的にも舟下りの単独運営は無理」と、理由を説明した。

 協会から委託を受けて運営している天竜浜名湖鉄道は、2月末に事業の廃止届を国土交通省へ提出する。3月以降に引き受け手が現れたとしても、協会は委託元にはならない考え。船や乗船場の処分は市と協議していく。

 営業運航との関わりを絶つ一方、実行委形式のイベント開催などには参加する意向も示した。協会は「何らかの形で残したい」として、今後の検討委では川を利用した地域活性化策を話し合う予定。

 委員の市職員は「気持ちとしては今まで通り続けてほしいが、協会が決めたことならやむを得ない」とした。

 市によると、現在の天竜川下りは協会の前身、二俣町観光協会が1948年に開始。運営主体の変遷を経て、2003年から天竜浜名湖鉄道が受託する。(「静岡新聞」より)

 昨日、「SBSテレビ」の引用で速報したニュースの詳報です。これで、天竜川の舟運の伝統が消えてしまうわけではありませんが、一区切りとなりそうです。

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北遠の「龍」を探せ!―油山寺の「龍」②滝堂の白い「龍」

 「遠州三山」の1つ袋井の「油山寺」での「龍」探し― 門を抜ければ半鐘の「龍頭」。「薬師本堂」の軒にも「龍」。

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 梵鐘の上にも「龍頭」。願掛け絵馬の「龍」も入れれば、「油山寺」にもかなりたくさんの「龍」が棲んでいます。

 「宝生殿」から石段を降り、川沿いの道を「薬師本堂」に向かって歩いてみました。

 やがて、水の流れる音が響き、帝孝謙天皇が滝の水で洗眼し眼病を治したと伝えられる「るりの滝」と、「滝堂」の赤い屋根が見えて来ます。

 先日、杉浦昭さんから投稿をいただいた通り、「油山寺」1番の「龍」が、「滝堂」の「天井白龍の画」。鋭い3本の爪で宝珠を掴み、渦を巻くように天を目指す白い「龍」です。「油山寺」へお参りに訪れた時には、ぜひ、この白い「龍」を見逃さないようにしてください。平成4年6月に奉納されています。

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 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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県道263号旧道に残る「飛石隧道」の坑口

Tobiishitunnel9  田河内に抜ける県道263号春野下泉停車場線、筏戸大上(いかんどおおかみ)の集落を過ぎると大きな岩山を左に見ながら、その名の通りの「新岩見橋」を渡って迎えるレリーフトンネルの「飛石トンネル」。平成10年(1998)8月に竣工したトンネル・レリーフのデザインは春野を代表する「アマゴ」と「モミジ」です。

 それ以前の県道263号は、旧「岩見橋」を渡り熊切川沿いに大きく迂回。途中には崩落もありガードレールが失われた箇所もあり、現在では廃道となってはいますが、歩いてなら行くことができます。

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旧「岩見橋」 「飛石隧道」坑口
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「飛石隧道」坑口 旧道

 旧道が大きくカーブを切る辺りの山側斜面に、コンクリートで封鎖されたトンネルの坑口が残っています。低くて狭い坑口の上には、苔むした「飛石隧道」の銘板が。さらにカーブを回ったところにも、反対側の坑口が開いています。

 この古い「飛石隧道」がいつ頃開通し、車が通るには狭過ぎる隧道には、いつ頃迂回路が設けられたのでしょうか?

 旧道はその先で現在の県道263号と合流。ここで2012年に戻り、しばしのタイムトリップは終了です。

旧「山香小学校」は、あの時のまま?

Yamakasho4  小中学校の統合が進む中、すでに廃校となった学校の記事へのアクセスが増えています。中でも、1番多いのが「山香小学校」。平成18年の「学校規模適正化推進だより第11号」には、「佐久間小学校と山香小学校」の統合を伝える記事が掲載されていました。

Yamaka  山香小学校も、3月26日(日)に閉校式と交流会を開き、卒業生、地域の皆さま、恩師など約300名が出席しました。懐かしい写真や映像を見て思い出を語り、参加者全員で校歌を歌いました。とりわけ、校歌の歌声は山々にこだまするほど素晴らしいものでした。山香小学校は、平成17年度末をもって132年の長い歴史に幕を閉じました。山香地区の子どもたち8人は、4月から福祉バス・スクールバスを使って佐久間小学校に登校し、元気に学んでいます。

 写真は、現在の旧山香小学校跡。皆さんの思い出の中の山香小と比べて変わっていますか?それとも、あの時のままでしょうか?昨年(2011)末、12月26日の雪の朝に撮影しました。

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2012年1月19日 (木)

「天竜川の川下り 廃止へ」SBSテレビより

 昨年の8月に死者5人を出す転覆事故が起きて以来、運航を休止していた天竜川での川下りが事業を再開するめどが立たず、廃止され­ることになりました。

 川下りは5人が死亡した転覆事故の後、これまで運営をしてきた天竜浜名湖鉄道が事業から撤退し、引き受け手が見つかっていません­でした。

 地元では川下りを運航する権利を持っている天竜観光協会が中心となり、事業を再開する方法を検討してきましたが、新たに川下り事­業を運営しようという企業などは見つからず、19日の検討会で観光協会も撤退を表明し、事実上、川下りの廃止が決まりました。

 天竜浜名湖鉄道が撤退の理由に挙げていた安全対策へのコストなどがネックになったとみられますが、これで60年以上続いてきた、­川下りは姿を消すことになります。(「SBSテレビ」より)

 「存続」に向けての検討がされていたと思っていたのですが、「廃止」が結論。寂しいニュースです。

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枯れた蔓に下がる白い「スズメウリ」の実

Suzumeuri2  枯れた蔓に下がる白い卵のような実。触ってみると皮の中はグニャグニャして柔らかく、思い切って潰してみると、黒い種が出て来ました。

 これが、ウリ科スズメウリ属の「スズメウリ」です。学名は「Melothria japonica」。「Melothria」とは、白いブドウの意味。白く熟したスズメウリの実が、ブドウに似ているというのでしょうか?「japonica」がついているところをみると、日本の在来種のようです。

 光明山に行く途中の山道で見つけました。

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一人暮らし高齢者に心温まる"お年玉" 佐久間

Sakuma  「今年も楽しい事やうれしい事がたくさんありますように」。浜松市北部の山あいの町、天竜区佐久間町で暮らすお年寄りの元に、今年の正月も温かなメッセージの年賀状が届いた。送り主は町内唯一の中学校、市立佐久間中(荻靖義校長)の生徒たち。同校では生徒全員が、地域の一人暮らしの高齢者宅に暑中見舞いと年賀状を送っている。

 校内の学習委員会が中心となり、今年は全校生徒68人がそれぞれ2枚ずつ作成した。年賀状が届くおじいさん、おばあさんの顔は知らない。それでも受け取った時の様子を思い浮かべ、「はがきを見るだけで気持ちが明るくなるように」と、辰や雪だるまなどの絵も加えた。

 高齢者の家族から、亡くなったことを知らせる返事が届いたこともある。ただ、そこにつづられていたのは、生徒たちのはがきに対する感謝の言葉だった。原田功教頭は「最初に読んだ時は切なかったが、ご家族にも思いが伝わっているのだと感じた」と話す。

 直筆の言葉で交わすコミュニケーションは、世代を超えた心の交流を育んでいる。「朝夕のあいさつ、ありがとう」「おばあちゃんも老いに負けないよう、頑張ります」。学校に届いた返事のはがきには、中学生に元気をもらったお年寄りの言葉がしっかりと刻まれていた。(「静岡新聞」より)

 こんなことができるのも、狭い地域ならでは。生徒たちにも、お年寄りの気持ちが温かく伝わったはずです。

小正月彩る「削り花」 民家で五穀豊穣を祈願 水窪

Kezuribana_2  浜松市天竜区水窪町では、ツタに木の枝を削って作る「削り花」を飾り付ける、独特の小正月飾りが姿を見せている。

 削り花は小刀で枝の表面を薄く削り取り、花びらに見立てるのが特徴。五穀豊穣(ほうじょう)を願う小正月の儀式に使われるとされ、同町や長野県南部の民家でこの風習が見られる。

Kezuribana1  同町西浦地区の小塩勉さん(80)宅では、柱から天井に取り付けたツタに、小塩さんがクルミの枝で作った削り花を添えた。妻のまさ子さん(73)が米粉を丸めた紅白団子も加えて、全体を華やかに彩っている。

 削り花は初午(はつうま)の2月3日まで飾るという。(「静岡新聞」より)

 先日、新しく作られた「削り花」を見ました。写真は色は変わってしまっていますが、昨年5月、水窪の大沢で撮った「削り花」。いかにも、山に生きる地域らしい風習だと思います。

 ●浜松市天竜区水窪町で、家の中にツタをはわせた独特の小正月飾りの取り付けが行われている…
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「玉取り」「子取り」の狛犬が守る神原の「八幡宮」

Hachiman2  八幡神楽で知られる水窪町奥領家神原の「八幡宮」は、明治7年(1874)には他の神社と共に山住神社に合祀されましたが、現在の地に復旧したのは同13年(1880)。すぐ隣には、同17年(1884)に復旧した「薬師堂」が並んでいます。

 「薬師堂」の堂舎には左右一対の仁王像がありましたが、「八幡宮」拝殿前では魔除けの狛犬が置かれています。

Komainu4 Komainu5  狛犬は一般的に、向かって右に口を開いた「阿形(あぎょう)」、左に口を閉じた「吽形(うんぎょう)」が配置されます。ここでは、阿形の狛犬は前足で玉を押さえている「玉取り」、吽形は子犬をあやす「子取り」。これらは、必ず対をなして置かれています。

 向田邦子作『あ・うん』とは、月給暮らしの水田仙吉と、太平洋戦争前の軍需景気で羽振りの良い中小企業の社長、門倉修造との間の親密な友情を狛犬に例えた題名。

 原則として、狛犬があるのは神社ですが、中には春埜山大光寺のように寺院でありながら狛犬が置かれているケースもあります。あれは、おそらく神仏習合の名残。今年は、そんな狛犬の様式に注目してみようかな?

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北遠の「龍」を探せ!―油山寺の「龍」①気賀林ゆかりの「龍」

 初詣と言えば「遠州三山」。眼病平癒の寺として有名な「油山寺(ゆさんじ)」に、「龍」を探しに出かけました。

 先ずは、国指定重要文化財の「山門」を抜け、石段を登り「礼拝門」の上で金色に輝く「双龍」を見つけました。

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 この「礼拝門」は、三方原開拓の祖「気賀林(きがりん)」宅の屋敷門だったのです。倒壊寸前のところを子孫である気賀祥太郎氏の寄進と信者の協力により、昭和58年(1983)に移築、修理したもの。

 細江町気賀出身の私にすれば、引佐郡気賀村の「気賀林」は伝説の人。「気賀林」が貧しい人たちを救うために創設すた「三方原教貧院」は、気賀出身の私たちなら誰もが知っている話。そんな「気賀林」ゆかりの「龍」と、「油山寺」で出会うことができました。まさか、ここで出会えるとは…。棟上の「双龍」は陶芸家大橋貞華氏の作だそうです。

 さて、もう少し先まで「龍」を探しに行ってみましょう!

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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2012年1月18日 (水)

縁起の良い紅白のナンテン

 南天も 実は紅白に 辰の朝 北遠楽

 縁起の良い植物の代表「ナンテン」ですが、赤い実を付けるものほか、白い実をつける種類もあります。

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 「難を転じる」上に、紅白となれば「辰年」の運勢は大吉です。大園の諏訪神社で見つけましたので、紹介します。

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福島の名人そば打ち実演、体験も 22日、佐久間でまつり

 「そばの里づくり」を進める浜松市天竜区佐久間町で22日、年明け恒例行事の「佐久間新そばまつり」(市主催、中日新聞東海本社後援)が開かれる。今年で第14回で、佐久間地域自治センター駐車場と隣接の佐久間歴史と民話の郷会館を会場に午前9時から午後3時まで。

 地元佐久間地区の「野田やまびこ会」や「NPO法人がんばらまいか佐久間」をはじめ浜松市内と福島に愛知、長野3県からそば作りの計8団体が参加を予定。「そばの味くらべ広場」で自慢のそば料理と土産用食材を販売する。

 また各地の名産品やそば打ち道具などを並べた物産展、そば打ち名人として知られる福島県会津若松市のそば店主唐橋宏さんを講師に迎えたそば打ち実演(午前11時)、地元そば作り団体が指導するそば打ち体験コーナー(1人1500円)もある。

 そば打ち体験は同会館1階ロビーで午前10時から4回開き、定員は1回15人で計60人。午前9時半から参加を受け付ける。体験料1人1500円。問い合わせはNPO法人がんばらまいか佐久間=電053(965)1100=へ。(「中日新聞」より)

 今年も出かけます!たくさんは食べられないのですが、家族と一緒に楽しんで来る予定です。

 ●「第11回さくま新そばまつり」に出かけてきました…
 ●蕎麦(そば)の里、佐久間をPRするイベント「佐久間新そばまつり」…
 ●そばで地域おこしを目指す浜松市天竜区佐久間町で…
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雪の光明山―ウサギ、タヌキの足跡

Koumyouzan6  天竜川河口近くに住んでいる私が北遠の方に目をやると、秋葉山頂の積雪は14センチとの報告も入った昨日の厚化粧と比べれば、少し薄化粧になったようです。

 よし、行ける所まで行け!

 いつもそうですが、行き先も決めずに堤防道路を北に向かい無計画に車を走らせます。

Ashiato3  …で、光明山に向かう林道を登り始めてみたのですが、行ける所の限界がここ。林道は、あちらこちらに薄っすら雪が残り、凍結している箇所もあり、限界は光明山遺跡の手前約2キロの地点です。

 車を停めて歩いて行こうとしたのですが、ツルツルと滑り、受験生でもないのに怖くなりUターン。こんな危ない林道でも、森の動物たちはしっかりと足跡を残していました。 多分、ウサギとタヌキだと思います。

Ashiato4  「下り坂は、登り以上にスリップするか気をつけ帰れ!」と、叱られているような気がして、慎重に山を下りました。

 それにしても、乱暴な北遠ファン。賢明なみなさんは、絶対に私のマネをしないでください!

 2月4日(土)は、「秋葉極参会」の今年第1回の例会。表参道をのんびりと登りますので、一緒に登ってみようと思う人は、手を挙げてください!雪が降っているといいんだけど…。

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モニュメントに復興の願い込め 浜松・天竜林業高生が製作

Tenryuringyo  自分たちにできる復興支援をしたいと、天竜林業高校(浜松市天竜区二俣町)の環境システム科3年生らは、東日本大震災の復興をテーマに鉄筋コンクリートと鉄製のモニュメントを製作した。同校が整備を進める校内の「四季の森」に設置され、17日に披露した。

 モニュメントの題名は「彫刻 復興」。台座部分は横幅4メートル、奥行き1メートルの大きさがあり、その上に落葉広葉樹の幹を模した最高2.5メートルの円筒3本を建てた。茎と葉の部分は鉄製。根が残っていれば伐採しても再生する広葉樹の力強さを表現した。後部には壊れた建物をイメージしてレンガを積んでいる。

 また台座部分には粘土で型を作ってモルタルで仕上げたシオカラトンボと天狗(てんぐ)のイラストをはめ込んだ。トンボは前にしか進まないことから前向きな意味合いを込め、山の神の化身といわれる天狗で被災地の早い復興を願った。

 同校では2003年度から校内整備に着手、「四季の森」として市民にも開放する憩いの場づくりを進めている。昨年度末、本年度に進める校舎裏を流れる旧二俣川河川敷ののり面保護工事を計画。計画中の昨年3月に東日本大地震が発生し、生徒の発案で擁壁を兼ねた復興を願うモニュメントの製作を追加することを決めた。

 モニュメントの設計図などは部活の環境研究部が担当し、環境システム科の3年生全員29人が製作に参加。総合実習と課題研究の週5時間の授業に加えて夏休みは交代で作業を行い、10カ月をかけて完成させた。

 平野修太郎部長(3年)は「大掛かりな鉄筋コンクリートのモニュメントを造るのは初めて。無事に完成してよかった。迫力ある出来栄えを見てほしい」と話した。(「中日新聞」より)

 天竜林業高校の「四季の森」は、一般に開放されているそうです。見に行ってみたくなりますね。

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「神原薬師堂」―赤鬼のような朱塗りの仁王像

Yakushido6  水窪町奥領家神原にある「薬師堂」。由緒書にいう僧行基の作の薬師瑠璃光如来像は拝めませんでしたが、堂舎の左右を守る阿吽の仁王像を拝見することができました。

 高さ8尺とのことですので約240センチの大男。木造朱塗の姿は、赤鬼のような姿。筋肉隆々の体で、太い手足。無骨に思える造りですが、迫力は満点です。

Nio8Nio7  武器は、向かって右側の仁王が金剛杵(こんごうしょ)のようなものを持ってはいますが、武器など持たなくても怒りに膨らんだ眼に睨まれれば、邪気など入って来れないでしょう。

 薬師堂は永禄2年(1559)に建てられ、承応3年(1654)に中村に移転。現在の堂舎は明治17年(1884)、現在の地に復旧建設されたものだとのことですので、この仁王像もその時代のものでしょうか?

 決して美しいとは言えない一対の仁王像からは、異常なほどの破壊力を感じました。

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北遠の「龍」を探せ!―静修「意昌庵」の半鐘

Isyoan6  中国には「有寺必有鐘 無鐘即無寺」という言葉があるそうです。つまり、「寺があれば必ず鐘があり、鐘が無ければすなわち寺ではない」という意味。ところが、実際には梵鐘がないお寺はいっぱいあります。

Isyoan8_2 梵鐘ではなく半鐘が吊るされているお寺もたくさんあります。半鐘が吊るしてあるお寺を見ると、「きっと、梵鐘を戦時供出で失い、火災発生時の合図に使っていた半鐘を貰い受けて代用しているのだろう」と思ってしまうかも知れません。

 ところが、もともと半鐘とは、お寺の僧侶に時間を知らせるために使用されていたもので、火災発生の合図に使われるようになったのは、その後。そんな半鐘も、最近では、サイレンや防災無線などに役目を譲り、地域のシンボル代わりに残されている場合がほとんどです。

 Hakken_007北遠の「龍」を追っているうちに、お寺の半鐘を見かけることが多くなりました。春野町静修にある「意昌庵」の寺額の横にも半鐘が吊るされています。もちろん、この半鐘が昔から「意昌庵」に伝えられたものであるのかどうかは分かりませんが、このように半鐘が吊るされているお寺はたくさんあるのです。

 梵鐘、半鐘などの戦時供出について調べていたところ、HP「目でみる郷土史 四日市のあゆみ」に掲載された「四日市の石原産業製錬工場に集められた大量の梵鐘」の悲しい写真を見つけました。

 おびただしい数の梵鐘、半鐘の上には、歯をくいしばる2匹の「龍」がいたはずです。そんな「龍」たちも鐘と一緒に熔かされて、本意に反して兵器へと生まれ変わりました。

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2012年1月17日 (火)

北遠の「龍」を探せ!―地震を知らせた「龍」

Yasimaji2 「国際連合協会柏支部」の支部長室に置かれている鐘の写真です。

 地震の時にうるさいくらいに鳴ったので、誰かが鎖を巻き付けてありました。これは国際交流をした時に会長が記念にもらったのですが、何処の国のものだったのかは忘れてしまいました。

 韓国?台湾?タイ?私も一緒に行きましたが、大きくて重たいから、もしかしたら相手国が来日した時のお土産だったのかも知れません。

 …と言うのは、「国連柏支部」でボランティアをしている佐久間出身の夏目さん。

 今日(1月17日)は「阪神大震災」発生から17年目。相変わらず、日本列島が揺れています。鐘は、地震の発生を知らせようと鳴ったのかも知れませんが、「もう2度と鳴らないで!」と願わずにはいられません。

 夏目さんが言うように、「龍(蜃?)」で飾られた鐘は、朝鮮半島で作られたものかも知れませんね。

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合格祈願に「滑らない砂」のキーホルダー 天浜鉄道

Keyholder  天竜浜名湖鉄道(本社・浜松市天竜区)は17日、列車の滑り止めに用いる砂を容器に入れた「合格祈願キーホルダー」を発売する。

 「滑らない砂」は、坂でレールと車輪の間にまいている。15日に龍潭寺(同市北区)で行われた学業成就などを願う新春祈祷大般若会に持参したという。

 「桜木」または「アスモ前」の駅名キーホルダーに付属し、「桜咲く」「明日も前に」と縁起を担いでいる。

 1個600円(税込み)。「桜木」「アスモ前」ともに150個限定。西鹿島駅以外の有人駅で取り扱う。問い合わせは同社営業課〈電053(925)2276〉へ。(「静岡新聞」より)

 今まさに受験シーズン。霙が降りましたが、この程度では「滑りません」!縁起を担いで、おおいに頑張ってください!

春野、佐久間で震度1 17日午前7時6分ごろ

 17日午前7時6分ごろ、浜松市天竜区で震度1の地震があった。気象庁によると、震源地は静岡県西部で、震源の深さは約10キロ。地震の規模はマグニチュード3.1と推定される。 静岡県内の震度は次の通り。 ▽震度1=浜松市天竜区春野町、同佐久間町(「静岡新聞」より)

 今朝は雪の便りをお知らせしようと思ったのですが、また北遠が揺れました。心配が募ります。

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北遠の「龍」を探せ!―「屋島寺」の石龍

Yakusimaji4  千葉の「龍」ハンター夏目さんが送ってくれた「屋島寺(やしまじ)」の石龍のオブジェは、こんな話に基づいているようです。

 それは、真言宗を開いた弘法大師空海が修行していた頃の話。「屋島寺」での修行中、突然天から額が降ってきました。見ると、そこには「天照金剛三密行所当都卒天内院管門」の16文字があったので、屋島の山は「都卒浄土」に違いないと、この額を仁王門に掲げました。

 ところが、夜な夜な龍神が現れて、この額を奪おうとしたのです。そこで大師は、寺の東に小池を掘って額を沈め、小丘を築いて弁財天を勧請し「瑠璃宝池」と名づけました。

 また、屋島合戦の折、源氏の軍兵が多くの血刀を洗ったので、池の水が赤く染まり、里人は「血の池」とも呼ぶようになったとも。

 おそらくこの石龍は、そんな伝説に基づいた龍。「龍」が抱える宝珠には「松に月 古き景色を 時雨けり」(梶原芭臣)の俳句が刻まれているようです。

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小畑と神原の半鐘台は廃レールの再利用

Obata9  さあ、今年も林鉄の話題です。

 「水窪森林鉄道」が廃止されたのは、昭和42年(1967)。あれから45年が過ぎた今でも、半鐘台へと再利用された廃レールを見ることができます。

 正月に訪ねた水窪の小畑と神原で、それぞれ1基ずつの半鐘台を見つけました。

Kamihara5 赤色に塗られた小畑の半鐘台は3脚スタイル。銀色に塗られた神原の半鐘台は、梯子を支えるだけの簡易3脚。ただし、神原のものには、和鐘様式通りの鋳造の半鐘が吊るされています。

 ちなみに、梵鐘、半鐘、喚鐘の区別は大きさの違い。梵鐘は口径2尺3~4寸以上重さ100貫以上(約375kg)、半鐘は口径2尺2~3寸以下、喚鐘は口径1尺以下の鐘とされています。

 おっと、林鉄の記事のつもりが、半鐘の紹介になってしまいました。神原の半鐘には、北遠の「龍」で探している「龍頭」もついているのですが…。

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北遠の「龍」を探せ!―悉平太郎ゆかりの「龍」

Mitsuke1  北遠にも言い伝えが残る霊犬「悉平太郎」が、怪物を退治したことで知られる磐田市の「見付天神社=矢奈比売神社」。鳥居の横には、凛々しい姿の「霊犬悉平太郎像」が祀られています。

Mitsuke7  「見付のお天神さま」に棲む「龍」なら、北遠ゆかりの「龍」ということになります。

 あちらこちらと見て回り、見つけたのは手水口の「龍」。どこにでもいそうな「龍」ですが、悉平太郎ゆかりの神社の「龍」ですので、私の勝手ですが北遠の「龍」と認定します。

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 【手水口の「龍」】●光明寺の「龍」の手水口●戒光院にあった「龍」●天龍院の「龍」●掛塚・貴船神社の「辰」●龍禅寺の大梵鐘●「月」に棲む「龍」●廣幡八幡宮の「龍」●安樂山龍光寺の「龍」●小國神社の「龍」●第84番札所「屋島寺」の「龍」

2012年1月16日 (月)

北遠の「龍」を探せ!―第84番札所「屋島寺」の「龍」

Yasimaji3  佐久間出身の夏目さんが送ってくれた「龍」の写真。ねえ、これって、どこで撮ったの?

 このお寺は、えぇーっと、なんて言うお寺だったっけ?出口の所で振り返ったら「源平合戦跡」という旗が立っていました。ひとり旅で友人になった人が、『YASIMA 屋島』と書かれたパンフレットを貰って来てくれたお陰で思い出せました。「第84番札所屋島寺(やしまじ)」でした。

 「屋島寺」は、源平合戦の古戦場で知られる屋島の山頂にある鑑真ゆかりの四国霊場。本尊の十一面千手観音ですが、アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」にも登場した日本三大名狸の一つ「太三郎狸」も祀られています。

 写真は「龍」の木鼻「龍鼻」。「龍鼻」は、須弥山の四つの門を守る四人の護法神、持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王を祀っている「四天門」で見ることができます。 

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北遠の「龍」を探せ!―倉敷・今橋の「龍」

Imabashi  千葉県柏市の夏目さんが、正月旅行で撮影した倉敷の「今橋」の写真を送ってくれました。

 現在の「今橋」が建設されたのは、大正15年(1926)。昭和天皇行啓(当時は摂政)を目前に控え、わずか40日間の突貫工事で旧今橋を架け替え、完成させたと言われています。

 構造は当時の最新技術、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ですが、花崗岩で覆って石橋のように見せています。欄干の壁面の通路側は線彫り、外側は浮き彫りの「龍」。石柱の上面には菊花文の彫刻が施されています。

 「今橋」は、大原美術館の前。白壁の街によく似合う、趣きのある橋ですね。

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2年ぶり「健脚」 天竜区水窪・北遠駅伝

 県内では最も歴史のある駅伝大会の1つ、第60回北遠駅伝大会(浜松市体育協会水窪支部主催、市など共催、中日新聞東海本社後援)が15日、同市天竜区水窪町内を中心としたコースで行われた。昨年は雪で中止となったため2年ぶりの大会。4部門に町内外から計31チームが出場し、たすきをつないだ。

 コースは水窪地域自治センター前を発着点に、水窪町内を縦走して一部佐久間町城西地区を通る6区間26.4キロ。正午の時報を合図に1区の選手らは一斉にスタートし、各区間にわたって健脚を競った。また地元ボランティアが恒例の豚汁などを用意、ゴールした選手らを喜ばせた。

 ▽総合=①浜松日体高B1時間27分17秒②浜松日体高A1時間28分37秒③スポーツタウンメイセイ1時間30分36秒④光明走友会1時間36分16秒⑤清竜中陸上部男子1時間43分16秒⑥北沢養蜂園1時間47分45秒
 ▽水窪地域在住・在勤=①どじょうとミナの森2時間1分47秒=大会新②天竜警察署・水窪分庁舎2時間7分2秒③チーム竹島屋2時間8分23秒④元祖育成会2時間28分15秒
 ▽中学男子=①清竜中陸上部1時間43分16秒②水窪中B1時間50分33秒③水窪中A2時間0分31秒
 ▽女子=①清竜中陸上部1時間55分0秒②ポニー&ラブ2時間7分51秒③水窪中2時間20分34秒

 【区間賞】▽総合1区=小沢洸太(浜松日体高A)▽同2区=安部晃也(同B)▽同3区=奥田竜(同A)▽同4区=桑山宗隆(同A)▽同5区=石田康幸(同B)▽同6区=野島大睴(同B)
 ▽水窪地域在住・在勤1区=守屋慶(どじょうとミナの森)▽同2区=三輪秋治(チーム竹島屋)▽同3区=石川雄祐(天竜警察署・水窪分庁舎)▽同4区=木村祐太(どじょうとミナの森)▽同5区=竹山清(同)▽同6区=大橋隆寛(天竜警察署・水窪分庁舎)
 ▽中学男子1区=生熊零大▽同2区=中村勝之▽同3区=小出颯人▽同4区=鈴木悠祐▽同5区=奥村颯▽同6区=上野祐斗(以上清竜中陸上部)
 ▽女子1区=三嶽有咲▽同2区=大谷舞▽同3区=浜中結菜(同清竜中陸上部)▽同4区=川島悦代(ポニー&ラブ)▽同5区=河合美雨(清竜中陸上部)▽同6区=原山奈々(同)(「中日新聞」より)

 昨日開催された「北遠駅伝大会」の結果を知りたがる検索が多いようでしたので、「中日新聞」に掲載された結果を転載させていただきました。

 ただし、入力ミスもあるかも知れませんので、そのつもりで参考にしてください。

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神々の舞、観客を魅了 阿南で新野の雪祭り

Yukimatsuri  下伊那郡阿南町新野(にいの)の伊豆神社で14日夕から15日朝にかけて、「新野の雪祭り」(国重要無形民俗文化財)が行われた。雪がちらつく境内で、地元住民らが田楽や舞楽などを披露。集まった観客約200人を魅了した。

 祭りは雪を稲の花に見立て、五穀豊穣(ほうじょう)を願う。15日午前1時半ごろ、境内のたいまつに火が付けられた。最高の神とされ、柔和な表情の面を着けた「幸法(さいほう)」が登場すると祭りは最高潮に。幸法は頭上にわらで作った細長い「冠」と呼ばれる飾りを着け、右手に松の枝、左手に田うちわを持ち、笛と太鼓の音に合わせて軽やかな足さばきで舞った。観客たちは盛んにカメラのシャッターを切っていた。

 祭りで使われた衣装約40着は、フジのつるを原料にした「藤織り」で作られており、新しいものでも約100年が経過している。祭りの継承のために新しい衣装が必要となっており、新野雪祭り保存会が飯田女子短大(飯田市)の青木千恵美講師に依頼して制作が進められている。

 保存会長の金田(かなだ)昭徳さん(70)は「祭りはいろんな人に支えられており、確実に伝承していきたい」と話していた。(「信濃毎日新聞」より)

 北遠と同じ文化圏に伝わる民俗芸能だと思うと、大変興味が湧きます。藤を原料にした織り物「コイノ」「コギノ」にも共通性と親しみを感じます。

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客席からおひねりも 雄踏歌舞伎が定期公演

Kabuki  浜松市西区の住民有志でつくる雄踏歌舞伎保存会「万人講」(中村徳久会長)は15日、第23回定期公演(静岡新聞社・静岡放送後援)を同区の雄踏文化センターで行った。

 保存会のメンバー25人による「寿式三番叟(さんばそう)」「義経千本桜」「奥州安達原三段目」と、地元小中学生11人による子供歌舞伎「寿吉例曽我」の計4演目を披露。役者たちの息の合った演技と力強い語りに、客席からは大きな拍手が送られおひねりが投げ込まれた。

 雄踏歌舞伎は江戸時代末期から続く伝統芸能。戦後に一時途絶えたが、万人講が約20年前から定例公演を毎年開いている。22日にも同センターで、同市天竜区の懐山おくない保存会など3団体を招いた「伝統文化地域交流公演」を開く。(「静岡新聞」より)

 素人歌舞伎つながりで「雄踏歌舞伎」を紹介します。次の日曜日(22日)には、「懐山おくない」を招いた交流会が開かれるそうです。

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月に残る52年前の小学校跡

Tsukisyo9  国道152号の対岸、月の高台に旧月小学校跡が「市立老人憩の家 せきれい荘」として残っていました。天竜川に面した側に立つ、2本の石の柱が校門だったのでしょうか?

Tsukisyo2  旧天竜市立月小学校の創立がいつであったのかは未調査ですが、昭和35年(1960)に竜川地区の他の小学校(横山、相津、小川、東雲名)とともに、横山小学校へと統合されました。

 そういえば、2010年に横山小学校統合50周年が祝われていましたね。

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北遠の「龍」を探せ!―家康ゆかりの「龍」

Senkoji3  磐田市の「宣光寺」は曹洞宗の寺院。「地蔵小路」の奥にあり、徳川家康が寄進した梵鐘があることでも知られています。

 この梵鐘は、徳川家康寄進によるものであります。

 天正十五年(一五八七)戦国時代のたたかいに戦死した多くの武将の為に、家康が信仰の厚かった延命地蔵菩薩にその命福を祈って寄進したものであります。

 世界大戦の折には、家康の銘文のある梵鐘の為供出はまぬがれました。

 史上といい地理上といい誠に貴重な古鐘であります。

 梵鐘の銘文は「旹天正拾五亥年霜天廿四日 大担越源家康敬白」。「旹」とは「時」と同じ。確かに天正15年(1587)に製造されたと記され、「源家康」とあるのが「徳川家康」のことです。

 「宣光寺」と言えば、やはり家康ゆかりの「身代わり地蔵」でも有名です。

Senkoji5 元亀3年(1572)三方原の戦いで、敗北した徳川家康は、見付に逃れ火を放った。地蔵は逃げ惑う人々を助けるため、幼児に化身して身に火傷を負いながら火を消して廻った。その功徳により、多くの人々は難を免れた。深く地蔵に帰依した家康は、後に天下人となった。以来、心や身体の苦しみなどの災難を、身代わりになってくれる仏として信仰を集めている。

 家康寄進の梵鐘は、新しく造られた鐘楼に吊るされています。その梵鐘を吊っているのが、すでに何ヵ所かで紹介した「龍頭」。これぞ、家康ゆかりの「龍」です。

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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2012年1月15日 (日)

1月22日は「第14回佐久間新そばまつり」

Sobamatsuri  ―静岡県内外の“そば”の味と香りを堪能―

 天竜区佐久間町で、休耕地を借り上げてそばを栽培する「野田やまびこ会」やNPO法人「がんばらまいか佐久間」などの地元の団体のほか、福島県磐梯町や愛知県常滑市など県内外から7つの団体が参加し、各地域自慢のそばを提供する「佐久間新そばまつり」が開催されます。

 「佐久間新そばまつり」は、今年で14回目を迎え、会場内では、佐久間町をはじめ、県内外のそばが楽しめる「そばの味くらべ広場」、福島県会津若松市の唐橋宏名人による「そば打ち実演」、さらに一般の人が参加できるそば打ち体験や地場産品の物産展など多彩な催しが行われ、会場はそば一色に染まります。

 ■開催日:平成24年1月22日(日) 午前9時~午後3時
 ■場所:天竜区佐久間地域自治センター駐車場
      および佐久間歴史と民話の郷会館
 ■主催:浜松市・新そばまつり実行委員会
 ■お問い合わせ:NPO法人がんばらまいか佐久間
           TEL:053-965-1100
 ■アクセス:
  【車の場合】東名高速浜松ICまたは浜松西ICから約1時間30分
  【電車の場合】JR飯田線佐久間駅から徒歩約5分

 楽しみにしている「佐久間新そばまつり」が、いよいよ来週の日曜日に迫りました。

 あなたは、お出かけになりますか?もし、私の姿を見かけたら、声を掛けてください!

 ●「第11回さくま新そばまつり」に出かけてきました…
 ●蕎麦(そば)の里、佐久間をPRするイベント「佐久間新そばまつり」…
 ●そばで地域おこしを目指す浜松市天竜区佐久間町で…
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2年ぶりに北遠駅伝 天竜区水窪町、準備万端

Misakubo  浜松市天竜区水窪町と佐久間町を舞台にした「北遠駅伝大会」(市体育協会水窪支部主催)が15日、2年ぶりに開かれる。

 昨年は大雪のため中止。ランナーは6区間でたすきをつなぎ、全長26.4キロのコースを駆け抜ける。

 14日は支部員らが出発点の水窪地域自治センター前に横断幕を設置し、熱戦へ向け準備を整えた。田辺忠男支部長は「全チームが完走し、昨年の分まで頑張って欲しい」と話した。

 駅伝は正午にスタートする。(「静岡新聞」より)

 北遠のあちらこちらで見かけた看板は、この大会のコース案内。気温は低くても、天気には恵まれましたので、ご参加のみなさん、頑張ってください!

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天浜鉄道 修繕費サポート募集 国文化財の駅舎 老朽化

Futamataeki_2  天竜浜名湖鉄道は、国の登録有形文化財である駅舎の耐震・修繕工事費用を出資してくれる「文化財オーナー」を募集している。天竜二俣、原谷など11駅で各80人を募集。オーナーになってくれた人の名前を刻んだプレートを、各駅にある記念碑に12、13年度の2年間掲げて感謝の気持ちを表す。一口3000円で、募集は3月11日まで。

 同社によると、ほとんどの施設は1940年までに作られ、昨年1月までに36施設が国の登録有形文化財に登録された。一方で老朽化も激しく、耐震工事や屋根の修繕などが急務となっていた。11駅の工事費用は9000万円以上に上り、市民に愛着をもってもらおうと費用の一部を募集することにした。

 同社の担当者は「普段何気なく見ている施設も、実はとても貴重なもの。将来に残すために協力してもらえたらうれしい」と話している。問い合わせは、同社(053・925・2276)。(「読売新聞」より)

 台風で屋根の一部が破損した「扇形車庫」もそのまま。利用客が増えるのが一番なんですが…。地方鉄道の運営は難しいですね。

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北遠の「龍」を探せ!―桜ヶ池の「龍」

Sakuragaike1  テレビで御前崎市の「桜ヶ池」を、「龍」が棲む池として紹介しているのを視て思い出しました。

 2010年7月、水窪の「池の平」に水が湧いた直後に「桜ヶ池」を訪ねて、撮った写真を振り返ってみました。すると、そこには、モザイカルチャーの「龍神」が写っていました。

Sakuragaike7  確かこれは、「浜松モザイカルチャー2009世界博」に御前崎市から出展された作品。№18~遥か未来へ~遠州七不思議「龍神」と「波小僧」ということでしたが、「波小僧」の姿はもうありません。

 現在、この「龍神」があるのかどうかは分かりませんでしたが、テレビには映っていましたので、まだあるはずです。池の畔に立つ「法然上人之碑」「皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)之碑」前に置かれた賽銭箱にも「龍」がいます。

 「龍」が棲む池、北遠「池の平」と関わりの深い「桜ヶ池」の「龍」を紹介します。

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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「火+禾」と彫られた「秌葉山夜燈」

Akiha1  秋葉山常夜燈を追い駆けて来た私が、このブログで最初に紹介したのは、佐久間町城西地区、芋堀(いもほり)大日堂前の常夜燈。その時にうっかりと紹介し忘れたことがありました。

 実は、この常夜燈の竿に彫られた文字は「秌葉山夜燈」。「秋葉山」ではなく「秌葉山」と彫られています。

 「火+禾」の「秌」は、「禾+火」の「秋」の異体字。偏と旁の左右が入れ替わっただけで、意味も読みも同じです。常夜燈は嘉永2年(1849)に建立されたものですので、江戸時代の末期。「秋」の字はあちらこちらで見かけているはずで、わざわざ「秌」の字を使ったのには、理由があったような気がします。

Dainichido2 以前紹介した、「火」偏が小さい「燈」の字を彫った秋葉山5丁目の「常夜燈」と同じように、「火伏せ」への願いを強調したいがために、あえて異体字である「秌」を使ったのではないでしょうか?

 当時の人々の信仰とは、融通の利かないガチガチのものではなく、ユーモアとアイディアの入り込んだ一種のレジャーの要素もあったのかな?

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2012年1月14日 (土)

社会実験:放置森林、住民協力で再生 間伐材、地域通貨と交換/京都

 ◇里山として手入れ、温泉燃料に活用

 林業衰退で放置された森林を里山として再生させる方途を探ろうと、笠置町などは14、21の両日、間伐材を提供した町民に、地域通貨を渡す社会実験を実施する。総務省の「緑の分権改革調査事業」の一環。提供された間伐材はペレットに加工し、町が全額出資する有限会社が運営する温泉施設「いこいの館」の燃料に活用する。

 社会実験は町と同志社大、町森林組合、コンサルタント企業などでつくる町環境経済好循環推進協議会が実施。放置された森林が多く存在し、間伐材や小水力を活用したエネルギー開発に努める町が、過疎地域が自立して存続できるモデルとして確立を目指している。

 町最初の地域通貨は「かさぎ」と名付けた。募集に応じた町内の旅館、温泉施設、ガソリンスタンドなど8店舗で使用可能で、町は今後も店舗拡大を呼びかける。今回のポイントの有効期間は4週間だが、実験結果も考慮しながら、期間の延長なども検討する。

 今回募るのは長さ1~4メートルの間伐材、小径木で樹種は指定しない。ひどい腐りがないことや、枝が付いていないのが条件。「いこいの館」駐車場で、1立方メートル(軽トラック1杯分)あたり3000円分の地域通貨と交換する。先着順で、収集上限は20立方メートル。町民限定だが、林業を生業とする者の提供は認めていない。

 町の担当者は「放置されている山林を、里山として手入れしてもらうためにどの程度のメリットがあればいいかを検討したい。町にお金が回る仕組みも実験したい」と話している。(「毎日新聞」より)

 以前から、こうしたシステムが有効だろうと考えていたところです。間伐ボランティアなどの報酬としても地域通過を支払い、それを山間地で使っていただくようにすれば、地元への還元になります。

 ぜひ、検討していただきたいものです。

北遠の「龍」を探せ!―袋井・油山寺の「龍」

Sugiura057  杉浦昭さんからの「龍」の投稿をいただきました。

 「出かけよう!北遠へ」を毎日楽しく拝見しております。

 北遠ではありませんが、袋井市油山寺にある「瑠璃の滝」の建物の天井に、龍の絵が描かれています。

 実は、私も袋井の「油山寺」に出かけて「滝堂」の天井画を撮って来ています。私の写真は、もう少し先に回し、杉浦さんの素晴らしい「白龍」を紹介します。

 杉浦さん、ありがとございました!

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「記念きっぷ」が人気 道の駅「いっぷく処横川」

Yokokawa  浜松市天竜区横川の道の駅「いっぷく処横川」は今冬、「記念きっぷ」(縦3センチ、横9センチ)の販売を始めた。

 きっぷの裏面にはイラストを入れ、特産の原木シイタケをPRしている。道の駅の「記念きっぷ」を収集しているファンらからの要望を受け、発行した。

 1枚160円(税込み)。昨年12月1日の発売開始から、300枚以上が売れているという。担当者は「今後は裏面で加工品や地域の伝説について紹介していきたい」と話す。

 いっぷく処横川は2月12日には、もちつき大会を予定している。(「静岡新聞」より)

 今度行ったら、買ってみることにしましょう!日付が入っているのかな?

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柚餅子を天日干し 「東農」で大詰め 佐久間

Yubeshi  三遠南信地域で製造されている保存食の一つ「柚餅子(ゆべし)」の天日干し作業が、浜松市天竜区佐久間町浦川の名産店「東農」(近藤與志雄店主)で大詰めを迎えている。

 柚餅子はユズの中身をくりぬき、クルミやゴマなどを混ぜたみそを詰めて蒸し上げた後、自然乾燥させて仕上げる。天日干しは約1~2カ月かけて行う。

 東農では昨年11月中旬に始めた生産がほぼ最終段階に差し掛かり、現在は販売に向けて袋詰め作業と並行して進めているという。近藤店主(75)は「寒い内に素早く仕上げないと」と話した。(「静岡新聞」より)

 「うまいもん」を作るには、時間と手間を掛けなくてはできません。寒い季節には、寒い季節ならではの仕事があります。

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天竜川水系で自主節水対策

 冬型の気圧配置が強まって降水量が少ない状況が続いていることから、県と関係団体で組織する天竜川水利調整協議会は、上水道などで5~10%の自主的な節水対策に入りました。

 雨不足により佐久間ダムの貯水率は12月1日の73.1%から11日には50%に減少し、今後も降水量が少ない状況が続くことが予想されています。

 このため天竜川水利調整協議会は13日、浜松市で幹事会を開き13日午後5時から自主節水に入りました。

 節水は浜松市、磐田市、袋井市、湖西市、森町の4市1町の上水道で5%、浜松、磐田、袋井の工業用水とこれに森町を加えた地区を範囲とする農業用水がそれぞれ10%です。

 今回の節水は一般家庭への給水制限ではないため家庭生活への直接の影響はありませんが、このまま雨が降らなければさらなる対策を取る必要に迫られるということです。(「SBSテレビ」より)

 このところの雨不足、異常乾燥が、節水を呼びかけるまでになってしましました。インフルエンザにも気をつけましょう!

北遠の「龍」を探せ!―「開運TEN龍巡り」って、どう?

 北遠10ヵ所の「龍」を巡り、辰年の運気を上げましょう!

 北遠の「龍」を探しているうちに、ぜひ、みなさんにもお出かけいただきたいと思うようになりました。そこで考えたのが、「開運TEN龍巡り」。TEN(10)と言ってはいますが、実際には、10ヵ所以上で北遠に棲む「龍」に会っていただけます。

 例えば…

 静瀧寺(本田幸一郎ゆかりの梵鐘)→光明寺(手水口)→海蔵寺(月の龍)→龍山町(龍の付く町)→大井橋(民話の看板)→佐久間歴史と民話の郷会館(民話の龍)→中部の昇龍(龍のオブジェ)→佐久間図書館(ステンドグラスの龍)→龍王権現の滝(龍の滝)→水窪・小畑観音堂(龍で飾られたお堂)→龍頭大橋(橋を飾る龍頭)

Seryuji2 ●清瀧寺の「願意龍」
●本田宗一郎ゆかりの「龍」
Ryu1 ●光明寺の「龍」の手水口
Kaizozenji8 ●「月」に棲む「龍」
Tatsuyamachu8 ●旧「龍山中学校」の青い「龍」
Ryuou6 ●民話の郷 さくまの「龍」
Ryuou1 ●民話の郷 さくまの「龍」
Tosyokan8 ●佐久間図書館のステンドグラス
Sakumaryu3 ●佐久間の「龍」のモニュメント
●年賀状には佐久間の「龍」
Ryuoutaki6 ●龍王権現の滝
Kannondo8 ●水窪・小畑観音堂の「龍」
●小畑観音堂の「龍」のもっと良い写真
●ナンバー・ワンは小畑「観音堂」
Ryutouoohashi ●龍頭大橋の「龍」

…と巡るだけで、11ヵ所。途中でも、たくさんの「龍」と出会うことができます。もし、興味を持たれたならメールをください。会費無料でご案内します!

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 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

ふるさとものがたり天竜「肉づき地蔵」より

Nikudukijizo8  竜川の里の月部落は、天竜川沿いの部落である。
 その月部落の沢の上(さわのかみ)というところに、昔は水難供養のお地蔵さまがおまつりされていた。
 陸上路の発達していなかった昔は、天竜川を交通路として大いに利用したので、船や筏がひんぱんに、川を上り下りしたものである。
 ところがこの川は、当時“あばれ天竜”と言われて、水の事故が大変に多かった。
 あまりに水難事故が多いので、村人はいつころからか川沿いの沢の上に、水難供養のお地蔵さまをたて、事故にあった人々の冥福を祈って、秋の彼岸におまつりをするようになったのだという。

 さて時代が下って明治のころ、村人は相談の上、沢の上のお地蔵さまを、月部落の中心にある海蔵寺(かいぞうじ)に移して、おまつりすることにした。
 お地蔵さまを運ぶには、力持ちの人間が必要である。
「まず、平八がよかろうのう。平八は、村一番の力自慢じゃで。」
「その次は安兵衛かのう。安兵衛も、なかなかたいしたもんじゃぞ。」
 船明の平八と安兵衛が、みんなから選ばれて、お地蔵さまをかついで運ぶことになった。

 そこで二人は調子をそろえて
  エンヤラ エンヤラ
      ヨッコラショ
と、かついで運んだのだが……。
 何しろ石のお地蔵さまは、重たい。
  エンヤラ エンヤラ
      ヨッコラショ
 力自慢の平八と安兵衛であったが、ついに
「安兵衛、重たいのう。」
と、音をあげた。すると安兵衛も、
「ふんとだ。この地蔵め、何でこんなに重いだや。」
 二人は怒って、石のお地蔵さまをほうり出してしまった。あわれお地蔵さまの首がぽっかり折れた。
「あっ、しまった。」
「おい、どうしよう。」
 二人はさすがに困ったが、折れてとんでしまった首は、もうもとにはもどらない。
 二人はしょげ切って、
「お地蔵さま、ごめんよう、ごめんよう。」
 そう言いながら、まっ白なさらしの布で、しっかりと首を体にゆわえつけて、海蔵寺の境内に安置した。

 そして一年が過ぎた秋の彼岸に、村人たちは海蔵寺に集まって、お地蔵さまのおまつりをすることになった。
 見ると、お地蔵さまの首に巻いたさらしが、うす汚れていた。
 そこで真新しいさらしにとり替えようとして、古いさらしを解いていた平八と安兵衛が、すっとんきょうな声を上げた。
「不思議じゃ、お地蔵さまの首が、ちゃんとくっついているぞ。」
 なるほど、見ればお地蔵さまの首は、しっかりと胴体にくっついていた。
「お地蔵さま、お怪我は全快なすったんで……。」
「おめでとさんでござんす。」
 平八と安兵衛は大喜びで、お地蔵さまの首をなでさすった。

 以来村人たちは、このお地蔵さまを『肉づき地蔵』または“延命地蔵”と呼んで、ますます厚く信仰するようになっていった。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)

  ◆       ◆       ◆       ◆

 「肉づき地蔵」と聞いていましたので、ふっくらとした「肉づき」の良いお地蔵さまだろうと思っていましたが、とんだ勘違いだったようです。

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

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北遠の「龍」を探せ!―可睡斎の「龍」③願掛け絵馬

Kasui19  火防総本山秋葉総本殿「可睡斎」の本堂「護国殿」にも「龍」がいました。軒の上には、絡み合う2匹の「龍」が。

 本堂の前には、「平成壬辰歳」の願掛け絵馬が吊るされています。元はと言えば、本物の馬の代わりに「馬の絵」を描いて奉納したのが始まりでしたが、干支の絵馬が登場したのは明治以降とのことですが、特に戦後に一般化したようです。

Kasuiema6 Kasuiema7

 さて、「可睡斎」は「遠州三山」の1つ。「油山寺」「法多山」にも、「龍」を探しに出かけてみることにしましょう!

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

 >>>北遠の「龍」を探せ!―INDEX

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2012年1月13日 (金)

木の香り高い天竜産ヒノキ使用 浜松・中郡小など4校に学習机と椅子を導入

Hinoki1  地元産の木材を地域で使う大切さを子どもたちに伝えようと、天竜産ヒノキで作った学習机と椅子が、浜松市内の小学校に導入され始めた。12日には同市東区の中郡小で真新しい机が並ぶ教室での初授業があり、児童らが木の香りとぬくもりを味わった。

 森の保全と地域経済を支える林業振興のための国際基準「FSC森林認証」の普及を図る、市のFSC森林認証啓発事業の一環。認証を受けたヒノキ材で初めて作られ、これまでの机より幅が約3センチ広くゆとりがあり、高さも工具を使わずに簡単に調整できる。合わせて約200セットが中郡、砂丘、西都台、北浜東の4小学校に今月上旬から導入されている。

Hiniki2  このうち、中郡小には50セットが納入され、多くの児童が使えるように5、6年生が共通で使う教室や、発達支援教室に配備された。この日は6年生が共通教室で英語の初授業。始業式の日から真新しい机を目にして心待ちにしてきたという児童らは、ヒノキの香りが漂う明るい色調の机や椅子に「木の香りがする」「広い」などと歓声を上げ、伸び伸びと使っていた。

 市では児童や教員、保護者らへのアンケートを基に今後の導入方針を決める。また、4校では今後、天竜森林組合や市職員を招いて地元の林業の現状や森林の役割をクイズ形式で学ぶ環境教育にも取り組んでいく。(「中日新聞」より)

 小学校では、ヒノキ机で勉強するのが当り前―そんな風になってほしいと思います。

ビニール袋で"スクスク" 天竜区のシイタケ栽培

Shiitake  遠州の空っ風に負けない―。浜松市天竜区でシイタケが、風よけや保湿のために袋をかぶせられ、育っている。

 同区春野町杉の増田行雄さん(62)=同町椎茸生産者組合長=は今冬、原木シイタケにビニール袋を1400枚以上かぶせた。「今が一番、シイタケにとっては厳しい時季。袋がないと、硬く黒ずんでしまう」ためだ。

 袋を必要とする期間は11月下旬から2月上旬まで。手間は掛かるが、成長が遅い分、極上品ができるという。

 増田さんは、同市内で28、29日に行われる「浜松市農林水産まつり」にも出品する。(「静岡新聞」より)

 この寒い季節にシイタケとは驚きました。きっと美味しいはずですね。

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北遠の「龍」を探せ!―可睡斎の「龍」②秋葉總本殿

Goshinden4  「可睡斎」に遷座された秋葉三尺坊大権現が祀られているのは、本堂裏の「御真殿(ごしんでん)」。秋葉三尺坊ゆかりの天狗と烏天狗の像に見守られながら、石段を登ります。

 「御真殿」には「秋葉總本殿」の金色の額が掲げられています。裏に回れば同じ金の額には「明治十九年六月 二品熾仁親王書」の文字。「二品熾仁親王」とは、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)のことです。

 あれ?これって、どこかで聞いたことがありませんか?

 確か、秋葉山にある「秋葉寺」の仁王門に掲げられた「秋葉山大權現」の菊紋入りの額の字を書いたのが、「二品中卿幟仁親王」であり、「有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)」でした。

 これって、同じ人?

 いえ、違います。「幟仁親王」は「熾仁親王」の父親。「幟」と「熾」と1文字違っているのです。額を飾る菊紋も、有栖川宮家の「三つ寄せ横見菊」。

 「秋葉寺」の額は安政5年(1858)、「可睡斎」の額は明治19年(1886)。この年に、父「幟仁親王」が没しています。

 …で、「御真殿」の「龍」は…?いました!いました!内にも外にも、今年の干支でもある「辰=龍」が、目を剥いて睨みを利かせてました。

Kasui6 Kasui7
Kasui9 Kasui4

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明治時代の三尺坊「遠江國秋葉山秋葉寺参拝紀念繪葉書」

Syuyouji787  秋葉山の起源と発展は、修験系の色合いが強い神仏神仏混淆の宗教施設。明治時代の太政官布告の神仏分離令が拡大解釈され、全国に廃仏毀釈運動が広がると、秋葉山は神社であるとする修験側と、もともと寺院であるとする側とに分かれ、秋葉山は人も住まずに荒廃していました。

 そんな中で、住民たちが火之迦具土大神(ヒノカグツチノ オオカミ)を祭神として秋葉神社建立を県に願い出、許可されたのが明治6年(1873)。同13年(1880)、「秋葉寺」にも再建の許可が下りました。

 明治34年(1901)、昭和18年(1943)、同25年(1950)の3回にわたる山林火災に見舞われながらも、山頂から少し下った現在の地に建ち続け、表参道を登る私たちの秋葉詣の立ち寄りポイントとなっています。

 梵鐘や金属製燈籠は、戦時供出により、鐘楼も火災によって失われましたが、明治時代の「秋葉寺」の様子を垣間見ることができる古い絵葉書があります。

Syuyouji786 Syuyouji788

 「遠江國秋葉山秋葉寺参拝紀念繪葉書」は何枚組であったのかは分かりませんが、「遠州元山秋葉寺祭典」「遠州元山秋葉寺鐘楼」の2枚がここにあります。ともに、「FESTIVAL IN THE AKIHA TEMPLE, GENSAN OF TOTOOMI」「BELL TOWER IN THE AKIHA TEMPLE, GENSAN OF TOTOOMI」の英語表記があり、秋葉山の紋である「剣花菱」のスタンプが押されています。

 当時の秋葉詣と言えば、間違いなく徒歩によるもの。それでもなお、多くの参詣客を集めていたようです。時代の変遷を歴史の脇に置いて、今度の休日、秋葉山に登ってみませんか?私たちの忘れかけている何かを、必ず思い出させてくれるはずです。

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2012年1月12日 (木)

天竜川今昔②―小和田・山室の景勝

 天竜川の景勝地「山室」の名は、佐久間ダム建設により水没した旧・飯田線「天龍山室駅」で記憶される程度。読み方は「やまむろ」とも、「やんぶろ」とも。

 明治の登山家で随筆家、小島烏水(こじまうすい 1873-1948)が、紀行文「天竜川」の中で天竜川の川下りをレポートしています。

 上り船が一隻、三人の船頭が、崖の下をしがみつくやうにして、綱を肩にして引き上げ、一人が棹を弓のように撓(しな)はせて、遅々として水に逆つて来たが、私の乗つてる船と、行き違はうとして、ひどい波におつかぶせられ、向うもこつちも、ヅブ濡れになつて、両方の船が、急な角度で傾斜した、向うの船頭がポツリと黒い点になつて、乱濤の間に小さく立つてゐる、振り返ると、もう船も人も、影も形も見えずに打捨てられた、波は白い生毛のやうに、微かに彫刻した象牙のやうに、柔らかく泡立つて、大石の下の窪みに、逆さに落ちて、渦を巻き、反流を起したかとおもふと、波浪の特質の前進運動を沮められて、船はあふりを喰ひ、一二度振り廻される、「何しろ山室(やまむろ)の滝せえつて、遠州一の難所だあね」と船頭は後で話した。

 灘をこえて、水が静かになると、両方の岸を見廻すだけの余裕が出てくる、河原には材木を伐り出す小舎がある、岩石は上流の花崗岩と違つて、小さな褶曲(フオールヂング)や白や褐色の岩脈(ダイク)が、横に帯をしめたやうな、筋を入れたのが、美しく見える。

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山室ノ瀧(天龍川難所)王子製紙株式會社中部工塲購買組合發行 〔奇勝天龍峡〕天龍下りの難所.激流雄叫ぶ山室の淵の壯觀
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(南天龍峡)豪壯ナル山室瀧下リ 天龍下れば飛沫にぬれる 山室の急淵(天龍山室驛)

 烏水により「遠州一の難所」と表現された山室の風景が、古い絵葉書に印刷された写真で蘇って来ます。これらは、烏水が見た暴れ天竜そのもの。今では絶対に見ることができない風景です。

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〔奇勝天龍峡〕小和田驛附近.其の姿もいと長閑な.天龍下りの歸り船

 飯田線の秘境駅で知られる「小和田」辺りの天竜川は、緩やかに流れていたようです。

ままごとのスイカみたいな「オキナワスズメウリ」

Ryukyusuzumeuri3  水窪の民家の軒先で見つけた「オキナワスズメウリ」の実。去年の夏、緑のカーテンとして育てたのだそうですが、このままごとのスイカみたいな実が可愛らしいので、年が明けてもそのままにしてあるのだそうです。

 緑の実に子どもの悪戯書きのような白い筋が入り、赤く色づくようです。

 もともとは、名前の通り亜熱帯性の植物で暑さに強く、冬にはそのまま輪にしてクリスマスリースとしても楽しめそうですから、来年の緑のカーテンは「オキナワスズメウリ」が受けるかも。

 カラスウリ属でも、スズメウリ属でもなく、オキナワスズメウリ属です。

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北遠の「龍」を探せ!―可睡斎の「龍」①干支恵方盤

Soumon5  明治6年(1873)、神仏分離令に伴い秋葉三尺坊大権現が遷座され、北遠の秋葉山と深い関わりがある曹洞宗の寺院、袋井市の「可睡斎」に「龍」を探しに出かけました。

 先ずは、総門をくぐりますが、門の柱には「秋葉三尺坊大権現御本躰鎮座道場」の木札が掲げられています。「御本躰」とは、神社でいう「御神体」に当たるもの。つまり、秋葉山から「御本躰」を移したことが「遷座」の意味。

 そんなことを考えながら、ふと総門の天井を見上げると「干支恵方盤」が吊るされているのが目に入りました。

Kasui1 Kasui2

 「干支恵方盤」とは、正月に祭る神である歳徳神のいる方位「恵方」を示すもの。その「干支恵方盤」の東からやや南に寄った位置に「辰」が描かれています。

 2012年は「壬辰(みずのえたつ・じんしん)」。恵方は、針が示すように「やや西寄りの北」。「亥」の絵の描かれた方角のようで、「鳳来寺ェ・・・」と書かれています。反対方角が「鬼門」かな?と思ったのですが、「鬼門」はいつでも「艮=うしとら=北東」の方角だとか。そして「辰」の方角には「冨士山ェ廿八里」の文字。観光案内にもなっていたのでしょうか?

 北遠と縁がある「可睡斎」で最初に見つけたのは、総門天井の「龍」でした。

 「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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2012年1月11日 (水)

秋野不矩さんの創作意欲を継承 きょうから浜松で地元高校生がアート交流展

Akinofuku1  地元高校生らの美術作品を紹介する「地域アート交流展~めざせ創作の輪~」が11日から、浜松市天竜区二俣町の秋野不矩美術館2階市民ギャラリーで始まる。10日は教諭や生徒らが作品の飾り付けを行った。22日まで、入場無料。

 天竜地区の二俣と天竜林業両校生徒らの学習成果発表を通して地域文化の交流を図ろうと、美術館と両校が協力して初めての展示会を企画した。

 二俣高は美術部生徒が2010年末に完成させた、大先輩の日本画家秋野不矩さん(1908~2001年)が描いた「野を帰る」の復元模写画をはじめ、その下絵と完成までの制作過程を紹介した写真などを展示する。

Akinofuku2  「野を帰る」は秋野さんが1930年に描いた100号の大作。日本画壇への登竜門とされるその年秋の帝展に初入選を果たした記念すべき作品で、母校に寄贈されたが1965年の学校火災で焼失した。

 同校では秋野さんの生誕100年を機に復元することになり、残されていた作品のモノクロ写真1枚を手がかりに08年秋から美術部員と同窓生が復元作業に取り組んで10年末に完成させた。秋野さんが当時住んでいた京都市で見た「在日朝鮮人の女性が赤ん坊をおんぶして麦畑を歩いて帰る姿」(秋野さん)が描かれている。

 天竜林業高は、生徒が鉄を材料に制作した「更竜男(サラリューマン)」(2010年の第20回富嶽ビエンナーレ展凖大賞)、「塩の道伝説」(2005年度県高校総合文化祭美術工芸部門最優秀賞)などの彫刻、生徒と指導教諭が木をキャンバスに合成樹脂(水性ペンキ)で描いた風景画など、合わせて45点を並べている。

 開場は午前9時半から午後5時(最終日午後4時)、16日休館。問い合わせは秋野不矩美術館=電053(922)0315=へ。(「中日新聞」より)

 いやいや、行ってみないといけませんね。アートに興味がないわけではありませんから。

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北遠の「龍」を探せ!―小國神社の「龍」

Ogunui7 暇さえあれば、「龍」探し。あっちこっちに車を走らせ、今年の干支「辰=龍」を探しています。そんな俄かマニアの私がビックリする「龍」が、遠江国一宮「小國神社」の拝殿前にいました。

 髯の1本1本、鱗の1枚1枚がすべて鉄で出来上がっています。一体、誰が作ったのでしょう?

 黒光りしたオブジェ「壬辰」には「製作鈴木格子」の看板が立ち、ネット調査の結果、地元森町在住の鉄アーティスト・鈴木格子さんの作ったものだと分かりました。

Oguni2 Oguni3

 この「龍」のオブジェに似たものを見た記憶がありませんか?形は違いますが、爪の数は4本。先日、加藤さんから投稿があった天浜線「遠江一宮駅」のオブジェとよく似ています。十中八九、同じ作家のものと断定して間違いないと言っても決して言い過ぎとは言えない可能性がなくはないと思います。

 「龍」を探しに出かけたのですが、これほどの傑作と出会えたのですから幸運です。

 鳥居横には、願掛けの大絵馬、売店には破魔矢が売られていました。ここにも「龍」。

Oguniema6 Obunihamaya4

 それにしても、鉄の「龍」には圧倒されました。スゴイ!

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北遠の「龍」を探せ!―曽布川藤次郎の「龍」

Takagi9 秋葉山常夜燈

 火防の神として信仰された秋葉山への具体的な信仰を示す遺物である秋葉山常夜燈としては、町内で最も古く、作りも立派である。

 高木の常夜燈は、明治元年九月十郎島の大工棟梁・曽布川藤次郎の建造によるもので、これだけみごとな彫刻が施されたものは少ない。なお、当地で作られて他へ運ばれた常夜燈もあり、掛塚の職人の腕の確かさを物語っている。

Takagi8  市指定有形文化財であることを示す「磐田市教育委員会」名の史跡案内看板です。

 ここで言う「町内」とは、旧竜洋町のこと。つまり、私が住んでいる町です。郷土の大工・曽布川藤次郎は、高木の常夜燈のほか、北遠水窪の山住神社社殿、王子製紙気田分社、同中部工場の建設にも携わった人です。

 火防の願いを込めた常夜燈の屋根の上では、体をくねらせた三爪の「龍」がしっかりと見守っています。

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縁起の良い植物―アカネ科の「アリドオシ」

Aridooshi2  正月にふさわしい縁起の良い植物―アカネ科の「アリドオシ(蟻通し)」の名前は、鋭く長い棘が、蟻の体も突き通してしまうほどだというところから来たとの説と、もう1つ、秋に実った赤い実が翌年、花が咲く初夏になってもまだ残っているから「有り通し」だという説もあります。

 別名は「一両(イチリョウ)」。ヤブコウジ科「万両」、センリョウ科「千両」、ヤブコウジ科「百両=カラタチバナ)、同科「十両=ヤブコウジ」に続き、縁起ランキングでは第5位ですが、この赤い実を見る機会はあまりありません。

 今回、月(つき)の海蔵寺で偶然の出会い。良い年になりそうです。

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天竜川今昔①―川の港・西渡

 ブルー1色で印刷された古い絵葉書「橇(木馬)ニヨリ木材運搬中ノ實況」「西渡筏掻立場及運材隧道傾斜水路ノ實況」は、佐久間の森林作業の様子を写した写真。「西渡筏掻立場」は、水窪川と天竜川の合流地点を戸口から見下ろした風景です。

Nishido778 Nishido779

 絵葉書の写真が撮影されたのは、おそらく大正初期。現在では、天竜川はもちろん、水窪川にもダムが設けられ、雨の少ない冬場は枯れ川のような有様ですが、当時の天竜川には巨大な3層に組み直された筏を流すだけの水量がありました。

 昨年末、戸口橋を渡り、少しだけ山道を登ってみました。午前中の逆光の中で見下ろしたのが下のカラー写真です。

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 いかがでしょうか?ここが、天竜川の港「西渡駅」があった辺りです。赤い大井橋は2代目。絵葉書の右端に写っている橋は、初代の「西渡橋」です。

 近代化の進んでいた北遠、天竜川筋には、多くの写真が資料として残っています。このブログでもずい分紹介して来たと思いましたが、まだまだあるようですので、引き続き天竜川の今昔としてご期待ください!

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北遠の「龍」を探せ!―安樂山龍光寺の「龍」

Kashiwa5  酒井根にある「龍光寺」に行けば「龍」に会えると思って、廣幡八幡宮をお参りした後に行ってみるとやっぱり手水舎に待っていてくれました。

 「酒井根」とは「千葉県柏市酒井根」にある寺院。佐久間出身の夏目さんからの投稿です。

 その名にも「龍」が入っている「龍光寺」の本堂は安永2年(1773)に建てられたものとのことで、240年近くも経っている古い建物。今でこそ「立派に改装されて住職も住まわれている」ようですが、「数年前まで空き寺だった」のだそうです。

Kashiwa4  夏目さんの菩提寺、佐久間町中部の「宥泉寺」の山号には「龍頭山」と「龍」が入っています。同じ曹洞宗の「安樂山龍光寺」は、寺名に「龍」。「安樂山」の山号は、曹洞宗の開祖、道元の言葉「坐禅は習禅には非ず。唯是れ安楽の法門なり」から来ているとのこと。

 「龍」の年、2012年は「安楽」に生きたいものですね。

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2012年1月10日 (火)

心一つに童謡を熱唱 浜松・佐久間で「歌う会」が20周年コンサート

Sakuma  浜松市天竜区佐久間町を拠点に活動する「童謡を歌う会」は8日、20周年記念新春コンサートを地元の佐久間歴史と民話の郷会館で開き、息の合った歌声を会場いっぱいに響かせた。受付には東日本大震災支援の募金箱を置き、来場者に協力を呼びかけた。

 コンサートは3部構成。1部の「童謡の世界」では「たんぽぽ」「緑のそよ風」「埴生(はにゅう)の宿」など5曲を歌い上げた。

 2部は、同会では初の試みとなる合唱劇「サウンド・オブ・ミュージック」。せりふを交えながら「ドレミの歌」「一人ぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」などを歌い、大きな拍手を浴びた。

 3部の「ポピュラーの世界」では「君をのせて」「ジュピター」など4曲を紹介。「ふるさと」を全員で合唱して締めくくった。

 同会は1990年9月に結成。現在は30~70代の17人が各地のイベントに出演している。代表の金森喜久代さん(75)は「これからも楽しく活動していきたい」と話した。(「中日新聞」より)

 20年経てば、人間でも成人式。長く続けるのは大変なことです。30年、40年と続けて行ってください!

春野、佐久間で震度1 10日午前11時34分ごろ

 10日午前11時34分ごろ、浜松市天竜区で震度1を観測する地震があった。気象庁によると、震源地は静岡県西部で、震源の深さは約10キロ。地震の規模はマグニチュード2.9と推定される。

 県内の震度は次の通り。

 震度1 浜松市天竜区春野町、同佐久間町(「静岡新聞」より)

 年が変わり、地元で起きた最初の有感地震です。自然災害に対する備えを忘れずに!

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北遠の「龍」を探せ!―瑞雲院鐘楼の「龍」

Zuiunin0  市指定有形文化財 瑞雲院鐘楼堂

 瑞雲院鐘楼堂は棟札墨書によると宝暦(歴=原文)2年(1752)に建築されたと記されている。

 第15世泰山任超大和尚発願による伽藍整備事業の一環として建造されたものと思われる。袴腰付入母屋造り2階建てである。

 屋根は桟瓦葺で堂宇は弁柄塗りである。

 西面袴腰には唐破風造りの厨子をしつらえ厨子内には烏(鳥=原文)瑟沙摩明王が祀ってある。

Zuiunin2  堂内の梵鐘は戦時中は供出された為、昭和31年瑞雲院第31世大応繁定大和尚によって新鋳されたものである。境内の樹間に建つこの鐘楼は山門の偉容と共に一層、遠州三大名刹の一ヶ寺として趣きを添えている。

 瑞雲院の梵鐘は、鐘楼に登って立ち上がるとたいへん低い位置に吊るされています。そのため、「龍頭」を見下ろす感じで見ることができ、写真のような角度での撮影が可能です。

 看板は、平成5年3月25日に春野町教育委員会によって建てられましたが、現在は浜松市に修正されています。その時に、漢字の間違いも直してほしかったなあ…?

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操業中の「久根鉱山」が写る絵葉書

Sakudo4  龍山の和田芳博氏からは、久根鉱山の絵葉書もたくさんお借りすることができました。

 中でも興味を引いたのは、鉄索を使って鉱石を下ろす作業風景。「久根鑛業所門内之景」では林材を下ろす時に使うような索道を使い、「遠州久根 鑛業所通洞坑内巻揚機械塲(賄所橋本發行)」では、峰之沢のインクラインのようなシステムであったのかも知れません。

 先日、久根の山で写真のような施設を見付けました。索道のタワーのように見受けましたので、久根の山の斜面に沿って伸ばしたケーブルに、鉱石を満載した重いバケットを吊り下げて運んでいたのでしょう。

 久根鉱山が閉山したのは昭和45年(1970)11月。わずか41年前までは、北遠・佐久間に大きな雇用を生み出し、全盛期には約2000人とも3000人とも言われる多くの労働力を集めていたのです。

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 ●山香地区大井の「山香ふるさと村」に寄ってみました…
 ●「道がクネクネと曲がりくねっているから、『久根』?」…
 ●明治初年まで「片和瀬鉱山」と呼ばれた「久根鉱山」の始まりは…
 ●国道473号から天竜川方面を見晴らすと、「久根鉱山」選鉱所跡が…
 ●佐久間の「大鏡山明光寺」境内で、「じん肺物故者慰霊碑」を見つけました…
 ●「久根鉱山」での、鉱石採掘は昭和45年(1970)まで続き…
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 ●かつて「久根鉱山」で採掘された鉱石は、久根で精錬されて…
 ●佐久間町西渡で「久根鉱山」の沿革に関する資料と「鉱業所の全景」の写しを…
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 ●久根の鉱石を満載して天竜川を下ったのは「鉱石船」と呼ばれる帆掛船…
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2012年1月 9日 (月)

北遠の「龍」を探せ!―天浜線「遠江一宮駅」の「龍」

Ichinomiya5  加藤さんから「龍」の写真が届きました。

 天浜線「遠江一宮駅」の待合室に、今年の干支である「龍」のオブジェが展示されていることは、天竜浜名湖鉄道のHPで見てはいました。

 地元一宮の鉄工芸家の方の作品で正に【リアル】の一言です。幅約1m、高さ約80cmでインパクトも絶大、しかも鱗は800枚もの鉄を溶接しているそうです。ヒゲ、背ビレ、角、爪も精巧に作られており緊張感すら漂う雰囲気です。とにかく素晴らしい作品です。ぜひ遠江一宮駅に足をお運び下さい。展示期間が1/9までと短いため、お早目にお越し下さい。(「天浜線公式HP」より)

 本物の「龍」は見たことがありませんので、「リアル」と言われてもピンと来ませんが、もしかしたら、こんな感じなのかも知れません。展示期間は、今日(1月9日)までですので、ギリギリセーフの「龍」情報です。

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農林業者のわな猟免許取得者増加

 わな猟の免許を取得する農林業者が増えている。県猟友会によると、狩猟者の高齢化や銃所持許可の厳格化などで農作物を荒らすイノシシやシカが増え、農林業者自らわな猟免許を取得して自衛しなければならないためだ。静岡市内で7日にあった講習会には約120人が参加した。

 県猟友会によると、網・わな猟の免許を持つ会員数は昨年624人で、2006年の348人から約1.8倍に増えた。一方、ライフル銃、散弾銃、空気銃の第一種銃猟免許を持つ会員数は昨年3013人で、06年の3975人から962人(約25%)減った。

 銃免許所持者の減少の背景には、09年12月の改正銃刀法の完全施行で銃所持許可が厳格化されたことなどがあるという。

 県によると、有害鳥獣による農林産物の被害額は10年度で6億4200万円。年々増加傾向にあったため、わな猟の期間を延長してみると、09年度の6億9600万円から減って効果が出たという。

 わな猟免許の受験希望者向けに県猟友会が開いた7日の講習会には、県内各地から老若男女が集まった。同会の伊藤政夫会長らが、狩猟してはいけない動物や、使ってはいけないわななどを、絵や実物を使って説明した。

 浜松市内のみかん農家、浅井達明さん(71)は「イノシシから畑を守るために免許を取る。イノシシは増えていて実を食べたり、枝を折ったりする」。静岡市内の農業大石繁さん(63)も「イノシシが日本平にも現れるようになった。自分や近所の畑が荒らされ、困っている」と話していた。(「朝日新聞」より)

 とにかく、捕獲しなければ減りません。自然条件だけでは養えないほどの増え過ぎを減らさないことには、やがて反動が起きるはずです。元はと言えば、人間のわがままなんですけどね…。

北遠の「龍」を探せ!―ナンバー・ワンは小畑「観音堂」

Obatakannondo7  北遠の「龍」を探して、あちらこちらを訪ねました。神社、寺院には、ほぼ必ずと言って良いほど「龍」があしらわれているのですが、私が選ぶナンバー・ワンは、やはり水窪町奥領家小畑の「観音堂」。

 山の傾斜のわずかな平地に建てられた「観音堂」は決して大きなものではありませんので、精一杯後ろに下がって撮影しても、全景は無理。それでも、建物の各所に施された「龍」の彫刻は見応えがあります。「龍」の数は4匹。

 その1匹、1匹が個性的な顔立ち。新年早々、再び「観音堂」を訪ね、接近して「龍」に迫ってみました。

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Obataryu3 Obataryu4

 そのほか、青銅製の燈籠にも2匹の「龍」の飾りが施されていますので、合計6匹。

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 その全部をご覧いただきましたが、いかがでしょうか?

 私のお勧めナンバー・ワン!2012年は辰年ですので、ぜひ、訪ねてみてください!

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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秋葉詣の起点「坂下九里橋」の変遷

 ここに2枚の秋葉山の起点となる九里橋の絵葉書と、撮ったばかりの1枚の写真があります。天然色の絵葉書の九里橋は、現在と同じ赤い橋ですが、よく見ると欄干の親柱や木組みが違っています。擬宝珠が乗りよく似せて造っていますが、現在の九里橋はコンクリート造り。大正15年(1926)頃の九里橋は木造だったことが分かります。

 ところが、モノクロの写真が使われている絵葉書の九里橋は、親柱に擬宝珠ではなく燈籠の火袋が付けられ、欄干にも筋交いが入った構造となっています。おそらく、大正10年(1921)頃の撮影と思われますので、この数年のうちに、九里橋の架け替えが行われたらしいことが推測できます。

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 九里橋は、冬には枯れる栃川に架けられた小さな橋。3枚の写真を並べてみると、秋葉山表参道を登る時には何気なく渡っていた九里橋にも、こんな変遷があったことが分かります。現在の九里橋は、昭和38年(1963)に竣工しました。

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2012年1月 8日 (日)

北遠の「龍」を探せ!―廣幡八幡宮の「龍」

 またまた、千葉県柏市から「龍」の便りです。

 初辰で日曜日。地元の廣幡八幡宮の梁に「龍」がいましたので、お参りしてから順番に並んで写真を撮らせて貰いました。毎年、門松と去年の御札や破魔矢を納めるために行っていますが、今日は列に並ぶほど多くの参拝客が訪れていました。

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 他にも「龍」をいっぱい見つけました。こちらは白い破魔矢。私は、少し高かったのですが、赤い破魔矢を購入してきました。

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 今夜は満月。兎も見えたけれど、辰年に譲っているように見えました。

 …ということで、初詣の「龍」を紹介します。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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山中に「氷の壁」出現 浜松・水窪

Hyouheki  浜松市天竜区水窪町の山中に、多くのつららが連なってできた「氷の壁」が出現した。連日の氷点下の冷え込みにより、人知れず神秘的な光景が生まれている。

 氷の壁があるのは、健脚祈願などで知られる足神神社(守屋治次宮司)に向かう山道沿いの岸壁。約800メートルの標高に加え、日中でも日光があまり当たらない場所のため、岩肌からしみ出た水が凍ってつららが姿を現している。

 守屋宮司は「例年は大寒から節分のころにかけて全体が凍り付く。まだまだ大きくなるのでは」と話した。(「静岡新聞」より)

 「まだまだ大きくなる」のなら、ぜひ見に行きたいですね。下に車を停めて、歩いて登れば行けるのかな?

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凍える寒さ!-5.5度!

Batokannon8  寒い!気になる佐久間のアメダスが「-5.5度」を記録しています。

 1月5日に水窪で撮った「馬頭観音」の文字碑。今朝も、凍えているんでしょうね?

時間 気温
(℃)
降水量
(mm)
風向
(16方位)
風速
(m/s)
日照時間
(分)
積雪深
(cm)
8日
(日)
7時 -5.5 0.0 静穏 0 0 ---
6時 -5.3 0.0 静穏 0 0 ---
5時 -5.1 0.0 静穏 0 0 ---
4時 -4.5 0.0 静穏 0 0 ---
3時 -4.5 0.0 静穏 0 0 ---
2時 -4.1 0.0 静穏 0 0 ---
1時 -3.7 0.0 静穏 0 0 ---
7日
(土)
24時 -3.4 0.0 静穏 0 0 ---
23時 -2.9 0.0 静穏 0 0 ---
22時 -2.1 0.0 静穏 0 0 ---
21時 -1.4 0.0 静穏 0 0 ---
20時 -0.9 0.0 静穏 0 0 ---
19時 0.0 0.0 静穏 0 0 ---

北遠の「龍」を探せ!―相月に棲む「龍」

Aiduki7  「月」に棲む「龍」を紹介したばかりですが、相月にも「龍」がいるかも知れません。相月と言えば相月諏訪神社。諏訪神社には「龍」がいませんでしたが、境内社として祀られている日月神社と若宮八幡社の小さな祠に、いました!いました!

Aiduki4  小さい「龍」ですが、なかなかの迫力があります

 秋は淵の中に潜み、春には天に昇るとのこと。角は鹿、頭は駱駝、眼は兎(または鬼)、身体は蛇、腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛…。この眼は、兎というよりも鬼の眼ですね。

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正月の門先を飾る「男木」の風習

 佐久間町の城西地区から水窪にかけての見られる門松「男木(おとこぎ)」―折口信夫の著作「門松のはなし」の中に、「男木」に触れた下りがあります。

 私は、此数年間、毎年正月になると、三河・遠江・信濃の国境に近い奥山家へ、初春の行事を採訪に出かけましたが、こゝの門松は、また形が違つてゐるのです。門神柱、或は男木などゝ言はれる、栗・楢などの柱が二本立てられ、これに注連をはり、その下に松が立てられるので、その松の枝には、やすと言ふ、藁で作つた、つとを半分にした様なものが掛けられ、その中には、餅・粢(シトギ)などが入れられるのです。此形は、盆の聖霊棚に非常に近いと思はれます。

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 「男木」の写真は、相月諏訪神社と神原八幡宮で撮ったもの。残念ながら、「やすと言ふ、藁で作つた、つとを半分にした様なもの」は見られません。「男木」は個人宅でも見ることができますが、今では、松よりも高い3本の竹を立てた「竹が中心」の門松に主役を奪われた感があります。

 Kezuribana2折口は、門松とは「正月の神を迎へる招(テ)ぎ代(シロ)であつたかとも見られます」とも書いています。その点では、「門松」の名の通り「松が中心」であったと思われるのですが…。折口は、「削り花」も「山人の祓ひをうけたしるし」と書いています。

 「男木」を片付ける「男木納め」は2月1日。この日に正月の庭飾り、うち飾りをすべて片付けます。

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「中部工塲 薪材伐出地」の絵葉書

Ouji774_2 Ouji775_2  「王子製紙株式會社中部工塲」での洋紙製造の原材料、燃料を、天竜川上流の奥三河、南信州に求めたことは紹介した通り。その証拠とも言える古い絵葉書が見つかりました。

 「王子製紙株式會社中部工塲購買組合發行」の2枚は、周囲にディンプル加工も施した豪華なもの。「大入川ツゞミ渕」と「離山庚申ノ瀧」の横には、ともに「中部工塲 薪材伐出地」とされていますので、おそらく製紙の工程、木材チップを高温の化学薬品で蒸煮する必要があったようです。

 「大入川」は「離山」がある北設楽郡豊根村を流れ、天竜川水系大千瀬川に合流しています。ともに、奥三河と呼ばれる地域。 巨大な近代的工場は、県境をまたいだ経済的な発展を支えました。

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2012年1月 7日 (土)

北遠の「龍」を探せ!―四国札所の「龍」

Kashiwa3  佐久間出身で千葉県柏市に住む夏目さんからのメールです。

 石手寺の前を通ったとき、「行く年来る年」の中継準備をしていました。NHK「紅白歌合戦」を見るよりも何よりも、温泉とご馳走三昧だった大晦日。元旦はホテルから直ぐの所にあった石手寺に初詣をしました。

 ここで、龍のお皿を見つけました。箸は道後温泉の商店街で見つけました。購入したらサービスに名前を入れてくれました。持つところの上に龍の絵が描いてあります。

 このブログでは、すっかりお馴染みの夏目さんの「龍」は、四国八十八箇所霊場第五十一番札所の「龍」。

 正月に「女性ひとり旅 のんびり道後温泉連泊」のツアーに参加。四国の松山を訪れたようです。夏目さん、お帰りなさい!

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自然と歴史を発信―中日新聞「ゆうかんさろん」

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 自然と歴史を発信

 過疎が進む浜松市北部、北遠の活性化を目指すNPO法人「天竜川・杣人(そまびと)の会」の理事斉藤朋之さん(60)=静岡県磐田市堀之内=は、森林資源に恵まれた北遠の「今」を同会のホームページ(HP)で伝えている。

 魅力は自然環境ばかりではなく、鉱山跡やダムなど「近代化の歴史が感じられる」こと。富山県氷見市の姉妹が昨年、HPを頼りに訪ねてきた。大正時代に旧鉱山にいた亡き祖母の足跡を求めて。「『懐かしい』『行ってみたい』と思ってもらえる何かを伝えたい」(「中日新聞」夕刊『ゆうかんさろん』より)

 私によく似た人が紹介されています。どこのどなたか、面識はありませんが、考え方には共感できます。

 この顔にピン!と来たら、あなたもコメントを書いてください!

 私も負けないように、北遠のあれやこれやを紹介して行きます!

北遠の「龍」を探せ!―「月」に棲む「龍」

Kaizozenji8  臨済宗妙心寺派の海蔵寺は、天竜区月(つき)。つまり、この寺の「龍」は、「月」に棲む「龍」というわけです。

 手水鉢に身を乗り出す「龍」は、今にも舌を伸ばして水を飲もうとしているようです。「月光山海蔵寺」と浮き彫りにされた梵鐘を釣る「龍頭」の「龍」は巻き毛。

Kaizozenji9 寺院の鐘楼に登れば、いつでもどこでも梵鐘の「龍」に会えますが、「月」に棲む「龍」と会えるのは海蔵寺だけ。海蔵寺は国道152号の対岸、「湖畔の家」の奥にあります。

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「王子製紙株式會社中部工塲」を偲ぶ

Oujiseishinakabe768  「氣田分社」に遅れること10年、明治32年(1899)に操業を開始した「王子製紙株式會社中部工塲」の絵葉書を貸していただきました。

 以前にも紹介したものがありますが、外観と水路だけを掲載します。

 日清戦争(1894-1895)で増大した紙の需要に応えるために建設されたのが中部工場。天竜川上流で調達した原材料が積み上げられている様子が窺われ、「氣田分社」同様に水路が活用されていたことが分かります。

 現在、事務所に使われていたと言われる建物以外には、当時の面影を留める遺構は見当たりませんが、かつて佐久間の地に建っていた上丸窓の赤レンガ工場を偲んでみてください。

 絵葉書は、龍山の和田芳博氏からお借りしました。

Oujiseishinakabe762 Oujiseishinakabe764
(北遠名所)中部製紙全景 北遠名所 中部製紙工塲之景
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王子製紙株式會社中部工塲全景(其一) 王子製紙株式會社中部工塲全景(其二)
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王子製紙株式會社中部工塲水路 王子製紙株式會社中部工塲排水路

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2012年1月 6日 (金)

大地震、ダム大丈夫? 天竜川水系住民と事業者に深い溝

Sakumadam2  大地震でダムが決壊したら、どれほどの水があふれてくるか-。そんな被害想定を求める声が、天竜川水系に発電ダムを抱える浜松市天竜区で持ち上がっている。東日本大震災の津波と福島第一原発事故を受け、同区内の住民組織は沿岸部や原発周辺地域と同様に防災体制を整えておきたい意向だが、発電事業者側は「壊れることは想定していない」。認識の隔たりは埋まらず、市側は両者の対話を模索するなど頭を悩ませている。 

 区内の発電ダムは、佐久間(完成1956年)、秋葉(58年)、船明(79年)、水窪(69年)の4カ所。いずれも電源開発(Jパワー)が運営している。

 住民代表でつくる区内の地域協議会のうち、天竜地域協は震災以降、ダムの被害想定を断続的に取り上げてきた。昨年8月には、区役所が電源開発から説明を受けた内容を報告した。

Sakumadam3  説明では、4ダムの設計は建設時の耐震基準などに適合しており、東海・東南海・南海の3連動地震についてもダム本体の安全性を確認済み。区によると、電源開発は「壊れたらどうなるかというデータはなく、今後も出せない」と繰り返している。

 同じ報告は龍山、佐久間の地域協も受けた。上部組織の区協議会では、和田節男会長=天竜地域協会長=が「想定外を想定できる所を探し、聞くしかない」と指摘した。

 電源開発は本紙の取材に、3連動地震の動的解析を2005~10年に行ったと回答。マグニチュード(M)8.5級で刻々と変わる揺れが、どうダムに作用するかをシミュレーションして調べた。

 本体以外の付帯設備は損傷を受ける可能性があり、船明ダムでは放流ゲート柱「洪水吐(ばき)ピア」の補強対策を講じる。ただ、決壊被害の想定を出す予定がない立場もあらためて示した。

 電源開発の説明に、龍山地域協の鈴木政成会長は「あおるわけじゃないが、被害想定が出ないことは、やはり不満」と話す。秋葉ダムのすぐ近くに民家や公共施設があり、「国が何とかしないと」と投げ掛ける。

 東日本大震災では農業用ダムが壊れ人的被害が出たが、国土交通省によると、河川法が適用されるダムの震災被害はこれまで、上部などにひびが入った程度で、大きな支障は出ていない。決壊時の被害想定は「やっていない。今後、どうするかは何とも言えない」(担当者)という。

 政府は3連動地震の規模をM9に引き上げ今秋にも被害想定をまとめる予定。こうした動きに発電事業者側がどう対応するか、浜松市など行政側の担当者らも注目している。(「中日新聞」より)

 区内の発電ダムはこれだけ、との勘違いがあるようですが、中部電力が運営しているダムもあります。

 ダムに対する直接的なインパクト以外にも、手入れ放棄による人工林地の崩壊など計算できない要素があります。コンクリートの劣化もあるでしょうけど、その前にダム湖の堆砂の問題が深刻なような気がします。

 決して事業者側の肩をもつわけではありませんが、山林保有者の責任を差し置いてのシュミレーションは大変難しいと思います。

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寒の入り―春を待つ「フキノトウ」

Fukinoto5  今日は二十四節気の1つ「小寒」―「立春」の前日、「節分」までが「寒の内」ですから、今日は「寒の入り」。

 一年で一番寒い時期ではありますが、春が近いのも間違いありません。北遠の春を探してみると、もう「フキノトウ」の頭が出ていました。「フキノトウ」は、凍てつく地面を割って元気に春を待っています。

 寒の入り 春待つこころ 蕗の薹 北遠楽

 北遠から、寒中お見舞い申し上げます。

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北遠の「龍」を探せ!―本田宗一郎ゆかりの「龍」

Seiryuji3  本田宗一郎ゆかりの地 徳川信康の菩提寺 清瀧寺
 この信康ゆかりの寺で、二俣尋常高等小学校時代の宗一郎少年は、正午を知らせる鐘を30分前に突(原文のまま)き、まんまと弁当を早く食べたといわれている。

 これが、清瀧寺の梵鐘です。

 梵鐘の中帯と下帯の間の「草の間」には、4ヵ所に三爪の龍の文様が施され、「龍頭」の「龍」は目を見開き歯を喰いしばっています。

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 きっと、少年本田宗一郎もこの「龍」を見ていたはず。まさに、郷土の偉人、本田宗一郎ゆかりの「龍」と言えるでしょう。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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絵葉書に残る「王子製紙株式會社氣田分社」の残影

Suiro8  明治22年(1889)に日本最初の木材パルプかたの洋紙生産を始めた「王子製紙株式會社氣田分社」の動力は、春野を流れる気田川の水力と水力を利用した発電によって維持されました。

 その気田川の水を工場まで引き込んでいたのは、何と木製の水路だったようです。

 春野中学校内に残る赤レンガの製品倉庫跡に展示されている模型を見れば分かるのですが、現在は閉館されていますので、せめてこの古い絵葉書の写真で振り返ってみてください。

 北遠で進んだ日本の近代化―その残影が龍山の和田芳博氏からお借りした絵葉書に残っていました。

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王子製紙株式會社氣田分社(水路橋梁) 王子製紙株式會社氣田分社(仁平山砂防個所)
Oujiseishi761 Oujiseishi760
王子製紙株式會社氣田分社(水路隧道下口砂吐) 王子製紙株式會社氣田分社(水路水神淵)

 ●わが国最初の製紙会社「王子製紙」の創業は明治8年…
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体張ってたいまつ阻む 浜松

Okunai2  上半身裸の若者たちが、大たいまつの火と対峙(たいじ)する「川名ひよんどり」(国の重要無形民俗文化財)が4日夜、浜松市北区引佐町川名の福満寺薬師堂で行われた。

 五穀豊穣(ほうじょう)や子孫繁栄を願う祭事で、薬師堂に運び込まれようとする大たいまつを、若者たちが体を張って阻む勇壮な場面で知られる。

 吐く息が白くなる寒さの中、参加した地元の会社員山本翔太さん(20)は「体が冷え切っていたので、想像していたよりも熱くなかった」と唇を震わせていた。

 「ひよんどり」は「火踊り」が変化した呼び方と伝えられている。(「読売新聞」より)

 今日(1月6日)は「寒の入り」―「読売新聞」にも「ひよんどり」の記事が掲載されていましたので紹介させていただきます。

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2012年1月 5日 (木)

「広報はままつ」全市版『浜松百彩』青崩峠

Aokuzure  ◆塩の道の難所・・・青崩峠

 古来から、海岸から山間部へと暮らしに欠かせない塩が運ばれた道を「塩の道」と呼びます。遠州と信州の国境に位置する青崩峠は、標高1,082mに位置する「塩の道」の難所。青くむき出しになった岩盤がその険しさを物語ります。

 戦国時代には、武田信玄の軍勢が浜松城を目指し駆け上り、近世には、秋葉詣での往来でにぎわった青崩峠ですが、現在では交通の要衝としての役目を終え、静かな林道として訪れる人々を迎えています。

 *台風の被害により、現在、青崩峠への道路は通行止めとなっています。

 青崩峠の雪景色を見ようと思って出かけたのですが、路面凍結で断念。そうでなくても、台風による崩落があったんですね?気がつきませんでした。春になって雪が融けてから、出直すことにしましょう!

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ここが、浜松市?水窪の雪景色

 2012年1月5日、水窪には、まだ雪が残っていました。

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 水窪の中心から国道152号を北に進んで、西浦を過ぎた辺りから雪国の景色に変わります。ここが、南は太平洋に面している浜松市と同じだとは信じられません。

 青崩峠に行ってみようとしたのですが、ノーマルタイヤでは無理。諦めて引き返して来ました。

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火の粉散らし、情熱の舞 天龍村で「坂部の冬祭り」

Sakabe  (長野)県最南部、下伊那郡天龍村坂部(さかべ)の大森山諏訪神社で4日夜から5日昼にかけ、国重要無形民俗文化財「坂部の冬祭り」が行われた。氏子らが夜を徹して舞や湯立て神楽を繰り広げ、見物客ら50人余が山深い集落の伝統に浸った。

 厳しい冷え込みの中、神社の舞殿(まいでん)で神事や4人一組の舞を続ける。5日午前5時10分ごろ、鬼の面「たいきり面」を着けた赤鬼が登場し、祭りは最高潮に。赤鬼はまさかりを振りかざし、力強く足踏み。氏子が持つたいまつを切りつけ火の粉を散らした。

 坂部に伝わる「熊谷家伝記」によると、祭りは1428(正長元)年に始まったとされる。坂部は16世帯34人(昨年末現在)。担い手不足に直面しているが、福井県越前市から来た小倉実さん(62)は「ずっと伝えていこうという情熱が感じられた」と話していた。(「信濃毎日新聞」より)

 同じ文化圏である南信濃の民俗芸能との共通点や相違点にも、着目して行きましょう!

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600年の伝統“熱く” 浜松・引佐で川名ひよんどり

Hiyonndori5  浜松市北区引佐町川名地区で約600年前から続く正月行事「川名ひよんどり」(国指定重要無形民俗文化財)が4日夜、同所の福満寺薬師堂で行われた。

 辺りが暗くなった午後6時すぎ、若衆6人が下帯姿になって近くの川で水ごりを済ませると、「タイトボシ」と呼ばれるたいまつ献納者と若衆がもみ合う一番の見せ場を迎えた。

 お堂の前に立ちふさがった若衆は「8」の字に振り回されるたいまつの熱さをこらえながら競り合った。見物客からは「頑張れよ」の掛け声が飛ぶ。ようやく堂内に入ったたいまつの火は若衆らによって消された。

 お堂に静寂が戻ると、保存会員が「順の舞」「はらみの舞」など十の舞を夜遅くまで演じ、子孫繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)を願った。(「中日新聞」より)

 新聞記事の通り、「ひよんどり」と「おくない」とは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

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豊作や幸せ願って「おくない」披露 浜松

 新年に豊作や幸せを祈願する郷土芸能「おくない」が4日、浜松市天竜区神沢と同市北区滝沢町で行われた。

小中学生が伝統継承 天竜区

Kanzawaokunai  2009年に約50年ぶりに復活した、浜松市天竜区の「神沢おくない」の主な担い手は、地元・清竜中と熊小の児童生徒。今年は計20人が、神沢おくない継承同好会の指導の下、おはやしの音に合わせて「順の舞」や「鬼の舞」を見せた。

 「矛の舞」の一場面では、禰宜(ねぎ)役の中村勝之君(13)が「鶴亀どんの踏み鳴らし来るこの村に」と唱えると、残りの子どもが「悪魔は寄せじ富ぞ寄りくる」と応じた。

 少子高齢化が進行する中、どう伝承していけるかが課題だ。神沢おくない継承同好会の石野重利さん(70)は「底辺を拡大していかなくては」と話した。

住民一斉に「大笑い」北区

Takisawaokunai 滝沢のおくないは、浜松市北区滝沢町の林慶寺で営まれた。地元住民が伝統の正月行事を行い、豊作や子孫繁栄などを祈願した。

 おひつを上に置きながらつるを引っ張るもみ飯祭りで開幕。高盛り飯を食べる平治祭りや木で作ったイノシシに矢を放つシシウチ神事などを行った。

 シートー祭りでは、小禰宜(ねぎ)の山下紀治さん(71)の家に代々伝わる「ネンネコサマ」が登場。地元の若衆が、山下さんに背負われたネンネコサマを笑わせるために、布を引っ張った足で地面をたたくと、駆け付けた地元住民が一斉に大きな笑い声を上げ、一年間の無事を祈った。(「静岡新聞」より)

 1月3日、4日の両日にかけ、天竜区と北区とで、民俗芸能「ひよんどり」と「おくない」が催されました。

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迫る炎に若衆対峙 浜松・川名ひよんどり

Hiyondori3  国指定重要無形民俗文化財「遠江のひよんどりとおくない」の一つ「川名ひよんどり」が4日夜、浜松市北区引佐町川名の福満寺薬師堂(八日堂)で営まれた。子孫繁栄や無病息災などを願い、地元住民が600年余り続く伝統の儀式を繰り広げた。

 祭礼を前に、川名川の冷水で身体を清めた地元の若衆6人が、しめ縄を腰に巻いてお堂の前に並んだ。たいまつを献納しようとする「タイトボシ」を「場あきょう」と歌いながら迎え、迫る炎と対峙(たいじ)した。堂内へ炎が投げ込まれると、観衆からは大きな歓声が起きた。保存会員や地元の児童が夜更けまで、祭りを営み、全10番の伝統の舞を厳かに奉納した。(「静岡新聞」より)

 長い時間を経て、今なお伝えられる儀式には、無駄がそぎ落とされエッセンスだけが詰まっているはずです。きっとそこには、私たちが失くしてはならない精神性も含まれていると思います。

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ハイカラで美しい外観「王子製紙株式會社氣田分社」

Oujiseishi755  今まであまり目にする機会はなかったのですが、「王子製紙株式會社氣田分社」の大正時代(1910年代)の外観写真を使用した絵葉書がたくさん残っていることを知りました。

 現在では、春野中学校内に、かつて製品倉庫であった赤レンガの建物が残るのみ。中には、当時のジオラマ模型や写真、製紙に使用された道具類が展示されてはいたのですが、昨年(2011)3月末にて閉館され、日本の洋紙生産発祥の地としての面影を探したくても、気田の「コミュニティーバス待合室」で開催される「氣田森林鐵道 産業遺産文化展」の資料写真でその全容を知るだけでした。

 そんな人は、この絵葉書の写真で、西洋風なハイカラな外観の美しさを堪能してください。気田川に面した工場の敷地は広く、大量のツガやモミ材が積み上げられています。

Oujiseishi751 Oujiseishi752
王子製紙株式會社氣田分社全景 王子製紙株式會社氣田分社
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王子製紙株式會社氣田分社 王子製紙株式會社氣田分社
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王子製紙株式會社氣田分社(第二工場遠景) 王子製紙株式會社氣田分社(構内貯材池)

 絵葉書は、龍山の和田芳博氏からお借りしました。

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ふるさとものがたり天竜「兄弟地蔵」より

Kyoudaijizo3  むかし、竜川の横山村に、体の不自由な兄弟が、父と母と四人でくらしていた。
 ところが父は大酒飲みで、働いたお金は、みんな飲んでしまうのだった。
 そこで母は針仕事をして、どうやら兄弟を養っていた。
 小さい時から兄弟は、こうした母の苦労を見て育ってきた。兄弟は二人共、やっと家の中をはって歩けるくらいの体であったので、母の手助けは、何一つできなかった。

 ある日のこと、母は、
「山へ薪を取りに行ってくるから、弟をたのんだよ。早く帰るからね。」
と、兄に告げて、山へ出かけて行った。兄は思った。
(自分たちがいなくなれば、母は、どんなに楽になれるだろう。いっそ、ひと思いに……。)
 そこで父がよく使っていた、のみを、やっとの思いで取り出し、弟を差(原文のまま)し殺し、自分ものどをついて、死んでしまった。

 やがて山から帰ってきた母は、なげき悲しんだが、もう兄弟は冷たくなっていた。
 村人たちは兄弟を哀れんで、村の宝珠院の石段脇に『兄弟地蔵』を作って供養してやった。
 兄弟二人が寄りそって、哀れを誘うこのお地蔵さまには、今でも村人たちから、四季折々の草花が供えられるという。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

Yokoyamabashi4  写真が、「兄弟地蔵」を祀った祠。悲しい話を伝える解説板が、「宝珠院」への登り口に立っています。

 高台に立つ「宝珠院」から見下ろすと、旧天竜市立竜川中学校グラウンドの向うに横山橋が見えます。横山を通り過ぎてしまうのではなく、ぜひ一度、「宝珠院」にもお立ち寄りください!

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

2012年1月 4日 (水)

厳かに祈りの舞 懐山のおくない奉納

Okunai_2  浜松市天竜区懐山の泰蔵院で「遠江のおくないひよんどり」として国の重要無形民俗文化財指定を受ける民族芸能「懐山のおくない」が奉納された。

 山間の懐山地区に中世から伝えられる田楽芸能で、現在は毎年正月3日に地元住民らでつくる保存会が一年の安全や豊穣、子孫繁栄などを祈る20余りの舞を上演する。

 今年も本堂に会員らが集まり、「神の舞」や「剣の舞」、「鬼の舞」などを次々と披露。詰めかけた地域住民やアマチュアカメラマンらは写真に収めるなどして舞を見守り、一年の無事を祈った。(「中日新聞」より)

 天竜区の阿多古川筋と北区引佐町との間には、民俗文化的な共通性が見られ、「おくない」「ひよんどり」は大変興味深い催しです。

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“新年”鬼が舞う 浜松・引佐の宝蔵寺観音堂で「寺野ひよんどり」

Hiyondori2_2  五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災を願う国指定重要無形民俗文化財「寺野ひよんどり」が3日、浜松市北区引佐町渋川の宝蔵寺観音堂で行われ、大勢の見物客が正月の伝統行事を楽しんだ。

 400年以上前に始まり、地元の寺野伝承保存会(松本勝雄会長)が受け継いでいる。午後2時から始まった舞台では、面や衣装をまとった保存会員が、笛や太鼓などに合わせ「矛の舞」「女郎の舞」「獅子の舞」など13種の素朴でユーモラスな舞を披露。赤鬼、黒鬼、青鬼が三つどもえになってもみ合い、たいまつの火を消す「鬼の舞」で最高潮を迎えると、見物客は盛んにカメラのシャッターを押したり、ビデオで撮影していた。

 ひよんどりは「火踊り」がなまったとされる。(「中日新聞」より)

 「中日新聞」からも、新年の民俗芸能を引用させていただきました。

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新成人の決意新た 天竜区龍山・水窪

Seijinshiki1  浜松市天竜区の龍山、水窪両町で3日、成人式が行われ、新成人が地域社会を担う一員としての決意を新たにした。

 龍山地区は龍山森林文化会館で行い、10人が祝福を受けた。新成人たちは旧龍山中を卒業する際に作文を収めたタイムカプセルを開封。尊敬する人物の生き方を自分なりにまとめたリポートが登場し、当時を懐かしんだ。藤沢朋輝さん(20)は「少人数だったため、何をするにも全員で力を合わせた事が貴重な経験となっている」と述べた。

 水窪町の対象者は33人。水窪文化会館で開かれた式典では、保護者が持ち寄った新成人たちの幼少期などの写真がスライドショーで映し出され、会場からは写真が変わる度に歓声が上がった。(「静岡新聞」より)

 地域で育った子どもたちの成人を地域で祝うのが「成人式」。地域に育てられた恩は、進んで地域に返してください!

浜松で新春祝う伝統の舞

 正月の伝統行事として国の重要無形民俗文化財に指定されている「遠江のひよんどりとおくない」が3日、浜松市内で行われた。

Hiyonndori 北区 「寺野のひよんどり」 

 北区引佐町渋川の寺野地区に400年余り受け継がれる「寺野のひよんどり」は、同地区の直笛山宝蔵寺で営まれた。地元住民が勇壮な炎の舞を披露し、五穀豊穣(ほうじょう)を願った。

 同地区の全40世帯でつくる保存会の会員や地元の小学生が伝統の舞を奉納。山あいに響く美しいおはやしに合わせ「三つ舞」や「両剣の舞」など全13番を繰り広げた。

 日暮れとともに始まった「鬼の舞」では、おのを抱えた赤、黒、青の3匹の鬼が「まねき」に導かれて登場した。

 三つどもえになって激しく舞い踊った後、代わる代わるたいまつの火を乱打した。祭りは最高潮に達し、伝統の新春行事を見ようと詰め掛けた来場者を魅了した。

天竜区 「懐山おくない」

Okunai 浜松市天竜区懐山の山あいに伝わる「懐山おくない」は地元の泰蔵院で行われ、懐山おくない保存会(大石伝次会長)が豊作や子孫繁栄を祈り、舞った。

 約30人の来場者が見守る中、「宵の獅子」や3匹の鬼が登場する「鬼の舞」、邪気を払う「両剣の舞」など10以上の演目を本堂の南10畳で披露した。

 面を杯に見立てて酒を飲む所作が見ものの「年男」では、子どもから「飲み過ぎ」と声が飛んだ。

 田遊びの「田植え」には、来場者も笠をかぶって参加。その後、雨乞いの意味が込められているという「汁かけ飯」が振る舞われ、全員で腹を満たした。(「静岡新聞」より)

 正月伝統の民俗芸能「ひよんどり」と「おくない」が奉納されました。これからも、長く長く伝えていってほしいと思います。

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ふるさと春野の伝説「夜川十五七百村」より

 犬居と気田の境付近の気田川のほとりに、昔、「夜川十五七百村(よかわじゅうごななひゃくそん)」という里があったそうです。この村は、古くからあったものらしいのですが、もう、だいぶ以前の大水であらされて、そののち、その村の人々は他の土地に移り、その名だけが今も伝えられています。

 ずいぶん長くつづいた村で、しかも、めずらしい名をもっている里だけに、村の人たちもこんな名がいつついたか、どうしてついたか、だれも知りたいのですが、それがわかりませんでした。しかし、こんないい伝えがあります。

 これは、まだこの村があったころの話ですが、ある日、この村に役人が来ました。「めずらしい名の村だな。」と思い、土地の人、和田次太夫という人にたずねてみたところ、和田次太夫は、機転をきかせて、
「この土地の殿様である天野氏の家来で、七百文を領していた十五人の人たちが、この夜川の村を知行していたので後になって、十五七百村とよばれるようになりました。」
と答えました。役人は大いに感じて帳面に書き入れたということです。

 また、尼子十勇士の一人大谷古猪之助という人が、たまたま、ここを通った時、夜川で十五になる少年を七百文でかったからこの名がついたとも言われています、十五七百は、キイナゴと読んだこともあります。(「ふるさと春野の伝説」より)

  ◆       ◆       ◆       ◆

Sekito9  この不思議な村の名前が「笹嶺城址」に残っていました。本丸跡に転がる昭和47年春に建てられた石碑に刻まれた文字が、「元山路西東十五七百村」と読めます。

 よかわきいなごむら 夜川十五七百村<春野町>
 〔近世〕江戸期~明治9年の村名。遠江国周智(すち)郡のうち。「よかわきいなも」ともいう。気田川中流右岸、同川と熊切川の合流点付近に位置する。地名の由来は、夜川は横川の転訛で、中世天野氏の治下、永楽銭700文を領した15人の使番が当村を知行したことによるという(掛川誌稿)。(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)

 これが「元山路西東十五七百村」でしょうか?ところが…

 けたきいなごむら 気田十五七百村<春野町>
 〔近世〕江戸期~明治9年の村名。遠江国周智(すち)郡のうち。「けたきいなも」ともいう。気田川と杉川の合流点北部に位置する。地名の由来は、夜川十五七百村と同じく、永楽銭700文を領した15人の使番が当村を知行したことによるという(掛川誌稿)。(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)

 …の項もあり、「元山路西東十五七百村」とは、どうやら「気田十五七百村」のこと。春野には、この「十五七百」の不思議な数字の付いた村が2つあったようです。

「王子製紙株式會社氣田分社」内部の写真

 以前、「王子製紙株式會社中部工場」の製造工程を、「割木機」「韲木機」「ビーター」「蒸煮鑵」「抄取機」「八十八吋長綱抄紙機」「七十二吋丸綱抄紙機」の写真を使用した古い絵葉書で紹介したことがありました。

 そして、今回は「王子製紙株式會社氣田分社」の内部を撮影した絵葉書、「調木室」「韲(大+韭)木室」「汽鑵室」「蒸解室」「抄取室調整室」「第二抄取室」「第三抄取室」「仕上室」の8枚を紹介します。

 工程としては、木材の皮を剥いてチップに砕き、高温で蒸煮し、紙漉きの要領で巻き取り仕上げたものと思われます。

 明治22年(1889)に我が国初の木材パルプからの製紙工場となった王子製紙気田分社で行われていた最先端の洋紙作りの動力は、気田川の水力を使っての発電により自給されていたのです。

 大正12年(1923)8月に工場が閉鎖された後も、自給された電力は引き続き気田の電灯を点し続け、地域の近代化に大きく貢献しました。

 日本の近代化産業遺産の貴重な絵葉書は、龍山の和田芳博氏からお借りしました。

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北遠の「龍」を探せ!―龍禅寺の大梵鐘

 龍禅寺大梵鐘

 文化11年(1814)2月に鋳造されたもので、直径1.25m高さ2.06m重さ2.175tのもので、当時、徳川家康から特権を与えられていた遠江国森(周智郡森町)の鋳物師 山田七郎左衛門の作で、鋳造当日、境内には延べ数百人の職人が動員された。

 参詣者も現世の御利益を得ようと、金や銀の手鏡やかんざしを献納したという。

 昭和17年12月8日、戦時に際して供出したが、幸にも終戦で難を免れ金属回収所より無事還元された。

 今日、遠州最大のものとされ、煩悩を打ち消してくれるという。

Ryuzenji3 Ryuzenji1

 中区龍禅寺町にある古刹「龍禅寺」の鐘楼に吊るされた大梵鐘には、こんな経緯がありました。

 戦時供出では、鴨江寺(鎌倉時代)、天林寺(江戸時代)、普済寺(江戸時代)など、市内にある寺院の梵鐘はすべて供出させられ、失われました。龍禅寺の梵鐘が四日市の石原産業で見つかり、梵鐘に刻まれた「遠州敷知郡龍禅寺」の銘文が決め手となり元の寺に戻って来たのは奇跡としか言いようがありません。

 参詣者が納めた金や銀の手鏡やかんざしが一緒に鋳物に溶かされているため、良い音がするそうです。背伸びして見れば、「龍頭」には200歳になる2匹の「龍」が歯を喰いしばっています。

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 手水口にも「龍」がいましたので、「龍禅寺」の「龍」として紹介します。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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2012年1月 3日 (火)

一足早く古里で成人式 浜松・佐久間地区

Sejinshiki  浜松市天竜区佐久間町の佐久間歴史と民話の郷会館で2日、佐久間地区成人式が一足早く行われ、振り袖やスーツ姿の新成人36人が新たな門出の祝福を受けた。

 式典実行委員会の中野侃治実行委員長は「多くの人々に対する感謝の心を忘れず、大人への第一歩を踏み出してほしい」とあいさつした。出席者を代表し、荒岡浩輔さん(20)と新間三奈美さん(19)が「佐久間のさらなる発展のために力を尽くします」と誓いの言葉を述べた。

 新成人は旧浦川、佐久間中の最後の卒業生。旧浦川中卒業生の森口元貴さん(19)は「自分は出席番号も最後で卒業式は寂しかったが、今日は皆に会えて本当にうれしい。将来は地元に戻り佐久間を盛り上げたい」と話した。

 両校は2007年に統合し、市立佐久間中となった。(「静岡新聞」より)

 佐久間では毎年、正月に成人式が行われています。今後も忘れずに、佐久間へ帰って来てください。

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「竜の果物」天龍村を元気に 「ドラゴンフルーツ」順調に育つ

Ragonfruit  天龍村が2010年3月に苗を植えたサンカクサボテンが、同村平岡清水にあるビニールハウスで順調に育っている。実が「ドラゴン(竜)フルーツ」と呼ばれることから、村が、ことしのえとの「辰」と村名にちなんで栽培。ことし7月ごろには実を付ける見込みで、大平巌村長は「昇竜のように村を元気づける特産品に」と意気込んでいる。

 サンカクサボテンは中南米原産。国内では主に沖縄や九州で栽培されている。天龍村のPRに役立てよう―と、栽培に取り組んでいる中川村の県職員から村が100株を譲り受け、天龍村田村本町の農業、安達賢治さん(77)に栽培を依頼した。

 安達さんによると、暖かい気候を好むため、ビニールハウス内の温度調整に気を使っている。この時季は石油ストーブでハウス内を暖める。ただ、温度が50度を超えると茎などが焼けたようになってしまうといい、夏場などは温度が上がり過ぎないよう調整しているという。

 植えた時は高さが約30センチだった苗が、今では約2メートルに成長。安達さんは「順調に生育している。ことしの夏にはたくさん実がなってほしい」と話す。同村では「信州の伝統野菜」に認定されている大型のナス「ていざなす」が有名。これに次ぐ特産として村はドラゴンフルーツにも期待を寄せている。(「信濃毎日新聞」より)

 「天龍村のドラゴンフルーツ」―北遠の「龍」ではありませんが、辰年らしい話題ですので、紹介させていただきます。

北遠の「龍」を探せ!―民話の郷 さくまの「龍」

Minwanosato2  佐久間には龍や大蛇が登場する昔話がたくさん残り、「民話の郷 さくま」の代表と言えば、カッパの「さくまる」よりも、やっぱ「龍」でしょう!

 中部の三叉路の手前、桜並木の中に立つ木製看板には「龍王ごんげん」の「龍」が描かれています。

Minwanosato4  円盤の中で緑色の龍体をくねらせながら天に昇り、「佐久間ダム3.0km さくま自然休養村8.0km 井上靖文学碑0.8km 天竜川上島親水公園0.8km」の道案内をしています。

 新年早々、佐久間の「龍」がみなさんを出迎えてくれますよ。さあ、佐久間にお出かけください!

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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古い絵葉書「風景と民謡 秋葉小唄入」

Akihakouta734 「天然色」絵葉書「風景と民謡 秋葉小唄入」は、以前「秋葉山麓坂下 たかぎや資料館発行」のもので紹介したことがあります。あの時は、展示のガラス越しに撮影していたのですが、今回紹介する絵葉書は、龍山の和田芳博氏からお借りしたもの。「犬居町秋葉山保勝會發行 井川印刷所印行」の違いがありますが、着色された写真もまったく同じです。

   こちらの絵葉書には、「自然のコーラス 民謡の樂天 秋葉音頭に秋葉小唄」と題した歌詞カードが付いています。

 秋葉小唄

 (三味)トーンチチンテントツチンチンテリトツテンチンリントツテンチン
舞の切火も紅葉にはえて
 (合)チンツンチンツンチンテリリンツンテンツントンツンテンツンテンレントツテンテンチヤンチヤンチヤン/ \/ \/ \(繰り返し記号)
  照らす齋庭(ユニハ)にゃ黄金交りの雪が降る
    (囃)ヨオイトナ ヨオイヤサ

Akihakouta735遥か向ふの御山の峯に 見ゆるかゞ火は 火防(ヒブセ)秋葉の御火の舞
鐘が鳴るぞえへ 狭霧をわけて あれは秋葉の山の御寺の護摩の鐘
宵の口説も 夜明けの霧と 晴れてうれしい秋葉參りも夫婦(ミヨオト)連れ
秋葉参道の 坂下犬居 若身小女郎の秋葉小唄で夜がふける

 …となっていますが、絵葉書に印刷された歌詞とは少し違っています。

 「作曲振付 見付 新壽ちよ」はその通りですが、「撰歌 興津 靑山於菟先生」とされていますので、この歌詞はきっと他にもいろいろとあり、絵葉書にまとめる段になり靑山於菟により「撰」ばれたものだったのでしょう。

 どうやら「高木屋」オリジナルの絵葉書ではなかったみたい。華やかだった当時を偲び、6枚組の全部を一気に紹介させていただきます。

Akihakouta736 Akihakouta737
遥か向ふの 御山の峰に 見ゆる煹火は 火防秋葉の御火の舞 ヨーイトナ ヨーイヤサ 秋葉橋畔より山頂を望む 犬居丸山 河鹿の名所 瀬々の網代に 夜毎/ \(繰り返し記号)歌の聲 ヨーイトナ ヨーイヤサ 麓川畔より犬居若身を望む
Akihakouta738 Akihakouta740
秋葉坂下 九里橋越江りや 山は五十丁 秋葉小唄で 氣も勇む ヨーイトナ ヨーイヤサ 坂下九里橋 秋葉登れば 尾花が招く 尾花穂に出りや 顔は夕日に 照る紅葉 ヨーイトナ ヨーイヤサ 表參道の秋色
Akihakouta741 Akihakouta742
宵の口説も 夜明けの霧と 晴れて嬉れい 秋葉詣りも夫婦連れ ヨーイトナ ヨーイヤサ 表參道四十丁目鳥居 鐘が鳴るぞえ 狭霧をわけて あれは秋葉の 山の御寺の 護摩の鐘 ヨーイトナ ヨーイヤサ 秋葉寺境内

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2012年1月 2日 (月)

鼻高々!推定身長50mの巨大天狗面が浜松に

Tengu  「天狗になるな」とよく戒められたものだが、これだけ大きいとその鼻も高くなろうもの。なにしろ顔の高さ8メートル、幅6メートル、鼻だけでも4メートル。全身に換算すれば50メートルになるという日本一巨大な天狗面が浜松市天竜区春野町の春野文化センターにある。

 春野町は霊山・秋葉山のふもとで、その秋葉山は京都・鞍馬、東京・高尾、長野・飯綱と並び称される修験道場として知られる。天狗には「妖怪と神様の中間である鬼神(きしん)」「人間を魔道に導く」など神秘的なイメージが強いが、「秋葉の天狗さんは子供たちと仲良しで、村の祭りでもおかめ・ひょっとこ・狐や近頃の子供の人気キャラクターのお面に立ち交じって人気が高い」(同センター)。

 恐れ多くも日本一の巨大さを誇る秋葉山の天狗さまがおかめ、ひょっとこと同レベルとは…。植え込みにちょこんと乗った巨大な顔は、今でも来訪者に驚きと親しみで迎えられている。(「産経新聞」より)

 どうして正月早々、このニュースなのかは分かりませんが、見慣れた天狗面が「産経新聞」に紹介されました。北遠ファンとしては、ちょっと鼻高々です。

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羽ヶ庄の歴史と文化「お正月とかまどの神様」より

Otokogi7  現代では門松さえ立てない家が多くなったけれど、昔は「おとこぎ(男木)」と言って、屋根よりも高くなるようにと祈りを込めて、皮をむいた杉の木を玄関前に立てた。根元には、松、竹、梅の枝を飾り、しめ縄を掛けて新年を迎えた。

 お供え餅も、しめ縄も、全ての神様に祀った。お正月には、しめ縄を掛けた新しいバケツに汲み置いた水でお湯を沸かし、調理して神様に供えた。火の神様とも言うべき、かまどの神様にもお供え餅が祀られた。なかにはトイレに神様もあった。

Wariki8  その他、いろいろな神様に仕事の道具を祀ったり、「怠け者は盆と正月に働く」と言って、「紋日(もんび)=元旦や五節句などの特別な日」に仕事することを忌み嫌い休息日だった。

 一生懸命に働いても暮らしが楽にならずということもあったが、昔も今も形は違うけれど貧富の差があった。苦しい大変な時代も、山村の暮らしはお互いに助け合って思いやって協力し合って生活をしてきた。そうして暮らして行くことが一番の幸せだったということが、今の社会に現れている。(「羽ヶ庄の歴史と文化」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 正月飾りにも、お供え餅にも、注連飾りにも意味がありました。それは、民俗学的な意味合いというだけでなく、社会的な役割もあったのだと思います。

 同地域出身の人たちだけに向けて書かれた随想ですが、日本中が失くしかけている大切な精神性について言及されていると思いましたので、紹介させていただきました。

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かつて瀬尻に架けられていた橋「下平山橋」「瀬尻橋」

Sejiribashi727  1枚めの絵葉書の写真を見て、これが何橋であるか分かりますか?背景に写る白い建物は、秋葉ダムの建設工事に伴ない昭和32年(1957)に移転した「瀬尻小学校(同45年からは龍山北小学校に改称)」。現在も主塔の一部が「森林文化会館」下流に残る初代「瀬尻橋=下平山橋」ではありません。

 かと言って、同54年(1979)11月に竣工した現在の「瀬尻橋」は、赤い下路式ランガートラス橋。構造がだいぶ違っています。

 実は、写真の橋こそ2代目(これが初代?)の「瀬尻橋」。天竜川には、現在と同じように吊り橋の主塔が水上に頭を出しているのが見えています。

 それを裏付けるように、この絵葉書には、昭和36年(1961)7月22日の消印が押されています。絵葉書の説明には「近代文化的の村造り成った瀬尻地区の全景」とあります。

 下に並べた4枚の絵葉書に写っているのが、「下平山橋」付近の風景。開校当時の「瀬尻小学校」のあった場所が、現在はダム湖の下に沈んでいるのが分かります。

 古い絵葉書は、西川の和田芳博氏からお借りしました。

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瀬尻小學校附近
天龍川ニ架セル瀬尻下平山橋
Sejiribashi730 Sejiribashi731
生島區ノ一部
瀬尻生島區ノ全景

北遠の「龍」を探せ!―佐久間小学校の「龍」

Sakumasyo1  佐久間小学校運動場の板壁に、迫力満点の「龍」が描かれています。

 ところどころ板が抜け落ち、全身がつながっていませんが、佐久間の空と山とを背景に「龍」が伸びやかに舞っています。

 子どもたちにボールをぶつけられているようで、かなり色が剥げ落ちています。そろそろ、塗り直しをお願いします。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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笑う門には福来る―「大黒天神殿」のお多福鬼瓦

Fuku5  二俣の諏訪神社の奥に、摂社として「瀧不動尊」と小さな「大黒天神殿」とが祀られています。「瀧不動尊」は、「清瀧寺」の名の由来となった滝を御神体としているのだと思いますが、お話したいのは隣の「大黒天神殿」です。

Daikokutenjin7  よく見かける鬼瓦といえば、厄除けの目的で「鬼」の顔で飾られることが多いのですが、「大黒天神殿」の鬼瓦は少し様子が違っています。左右の髪の毛を縛って垂らした下膨れの丸い顔。お世辞にも美人とは言えませんが、ニッコリと微笑んでいます。

 どうやら、これは鬼ではなく「お亀」「お多福」。邪気を鬼の睨みで跳ね飛ばすのではなく、笑いでかわそうというのでしょうか?

 笑う門には福来る―みなさんの新しい年が、良い年でありますように!「大黒天神殿」には、やはり瓦で焼かれた大黒と恵比寿も飾られています。

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北遠の「龍」を探せ!―新年の「龍」

Gosyaryu 。゜+.謹賀新年゜+.゜(○。_。)ペコッ

 面白くもなんともない感じですが、五社神社(近場ですみません)に龍いました。一応ご報告 元旦  M原

Gosya  NPO法人「天竜川・杣人の会」の筆頭見習い事務局長のM原氏から、「龍」の写真が届きました。

 中区利町の五社神社・諏訪神社は、30数年前、私が祝言を挙げた神社。毎年、大勢の初詣客を集めています。

Terada  新年あけましておめでとうございます。皆々様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。 平成24年元旦

 「杣人の会」の寺田氏からは、楽天グリーティングカードの年賀状を受け取りました。天に昇ろうとする白い龍の動画です。動画の龍も、インターネットの時代の「龍」。

 元旦には、「龍」の年賀状がたくさん届きました。本年もよろしくお願いします。

 北遠の「龍」の情報は、somabito@cy.tnc.ne.jpで、お待ちしています!

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2012年1月 1日 (日)

元日の秋葉神社拝殿に飾られた「七葉もみじ」の大凧

Akihajinja3  2012年元日、午前6時22分の秋葉神社上社の拝殿の前には大きな門松が飾られ、灯りの点った拝殿の中に、三組町「もみじ会」奉納の大凧が見えています。

 この6帖の大凧は、2009年秋葉神社の鎮座1300年を祝い、秋葉山 山頂で揚げられた後、奉納されたもの。

Ootako4 凧印はもちろん三組町と同じ。鮮やかな秋葉神社の神紋「七葉もみじ」です。

 凧の金さんへのお年賀のつもりで、この写真をUPしておきます。金さん、本年もよろしくお願いします!

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「辰」にちなみ、竜をかたどった舟運航 「天竜舟下り」

Funakudari  飯田市松尾新井の天竜川下りの運航会社「天竜舟下り」は1日、ことしのえと「辰」と社名にちなんで、竜をかたどった舟の運航を始める。ツアー客などの要望に応じて運航する。

 竜は赤と緑色の2種類。鉄板で作った高さ1メートルほどの頭と尾をそれぞれ船首と船尾に取り付ける。さらに、うろこを描いたビニールシートを舟の側面に張る。

 昨年8月に静岡県の天竜川で起きた舟の事故の影響で、客足が大きく落ちたこともあり、牧野明仁社長(56)は「天に昇る竜にあやかり、繁栄の年になりますように」。天竜川を行く体長約15メートルの竜に願いを託す。(「信濃毎日新聞」より)

 北遠の「龍」を探せ!―ではありませんが、お隣、飯田の「天竜舟下り」ではこんな船が登場しました。ステキな出来栄えで、羨ましいですね。観光客が戻ってくれることを祈らずにはいられません。

「出かけよう!北遠へ」初取材!秋葉神社の「初日の出」

Shinmon8  2012年の「初日の出」は、ぜひとも秋葉山から拝みたいとの思いに駆られ、秋葉神社第一駐車場に車を乗り入れたのは、午前6時5分。参道の鳥居をくぐり、階段を登り始めた頃はまだ真っ暗、と思ったのですが、ライトアップに浮き上がって見える神門を抜け境内に上がった時、すでに東の空に掛かった雲は紅に色づき、美しい朝焼けとなって「初日の出」が近いことを知らせていました。

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 「初日の出」を見ようと集まっていたのは、若者、家族連れ、年配者まで数十人。日の出時刻予報の6時55分頃より前に太陽の光は東の空を染め始め、その明るさを次第に増し、杉の木の間に一際赤色の濃い場所がはっきりと分かるようになって来ました。

 「あそこだ!」「あの木と木の間だね」「もうすぐ?」「うん。もうすぐ!」。

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 やがて、静かな、しかし力強い光が私たちに届きました。「初日の出!」。6時54分。空は一気に明るくなり、一斉にカメラのシャッターが切られました。

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Unkai5  黙ったままで初日を見つめる人、願い事を叫ぶ人、静かに手を合わせる人。それぞれに、今年初めての太陽を迎えました。

 北遠に関わり、これからも北遠に関わり続けたいと願っている私にとって、「初日の出」を秋葉山で迎えることが「夢」でした。しかも、風もなく穏やかに明けた元日。願ってもない1年のスタートです。

 帰り道には、早速の道草。真っ白な雲海もカシャ!

 これが、「出かけよう!北遠へ」2012年の取材始めです!

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2012年 秋葉山から拝む「初日の出」

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 2012年1月1日午前6時55分、秋葉山から望む東の空がオレンジに色づき、やがて新しい太陽が昇って来ました。

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赤い実をつける縁起の良い植物

 「ちょっと道草」も、正月ぐらいは縁起の良い道草をしましょう!

 先ずは、難を転ずるメギ科ナンテン属「南天」。センリョウ科「千両」とヤブコウジ科「万両」は、ともに蓄財につながる名前から縁起の良い植物として正月に飾られます。

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 雪の綿帽子を被り赤い実をつける縁起の良い道草で、今年も大好きな北遠にとって良い年になりますように!

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数少ない写真―峰之澤鑛山(採鑛塲)

Minenosawa726  峰之沢鉱山が現在の天竜区龍山町にあったことまでは知られて来ました。しかし、当時の写真となると、なかなか目にする機会がありません。龍山町西川の和田芳博氏から「峰之澤鑛山(採鑛塲)」の絵葉書をお借りすることができましたので紹介します。

 使用されている写真は、鉱山での採掘場面。金属ハンマーを振るう2人の坑夫と親方風の後姿ですが、「これは、ヤラセじゃあないかな?ハンマーで採掘してたんじゃあ、間尺に合わんでしょう」とは和田氏の話。確かに暗い坑内での撮影ですから、ハンマーを構えたまま、しばらくジッとしていなければ、ブレた写真しか撮れないはずですね。

 しかし、ここが峰之沢鉱山の内部であるのは間違いないでしょう。明治40年(1907)から昭和44年(1969)まで北遠に活気をもたらした峰之沢鉱山の、数少ない貴重な資料写真です。

 この絵葉書が、何かの記念に配られたものなのか、土産として売られていたものかは分かりませんが、絵葉書の周囲はディンプル加工がされていて、かなり高級感のある仕上がりになっています。

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北遠の「龍」を探せ!―中部・天白神社の「龍」

Tenpaku3 佐久間町中部、馬背神社の脇に祀られている天白神社拝殿に「龍」。

 天竜川筋に多い天白神社ですが、中部の天白神社には佐久間の偉人、原田久吉翁が寄付したことを示す木札が掛けられています。

Tenpaku5 蛙股に当たる部分を飾っているのが「龍」の彫刻。丸い電球が宝珠のようにも見えます。

 …ということで、新年になっても引き続き「龍」探索を続けますので、よろしくお願いします。

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北遠の「龍」を探せ!―INDEX

 「龍」の棲む街―浜松市天竜区「北遠」で出会った「龍」たちを紹介します。

Sakumaryujin1 Hansy9
Eto5 Akihajinja6 Dorei4 Hiryu9 Honjo02 Tenryu5 Kaikoin6 Ikenodaira1 Tosyokan8
Shisho1_2 Kitasyo4 Tangochi2
Ryujin6 Ryuyo Shinguike7 Shikiriben6_2 Sakumaryu3 Ryutouoohashi
Asahiren7 Ikenodaira7 Kannondo8 Kotatsu1 Kouyousya4 Ryuto9
Ryuou6 Ryuoutaki0 Ryuoutaki6 Ryusesya5
Ryuou1 Kumakirisyo8 Kuma9 Hansyo7
Ryosuiki6_2 Mozai Ryuoutaki1 Konnnonndo0 Ryutooohashi8
Omamori4 Akaja Hiryu1 Sakuma3
Okunoin3 Daikoji1 Tangochi9 Gesui1_2 Tenryuin3
Nisibori2 Hamakita3 Inuisyo9_3 Eirinji7
Kyuenji0 Sanjakubo8 Kaikoin0 Kannondo0 Shingo8
Furyu9 Densetsu Sakumamukashibanashi7
Furyu2 Yunomi4 Shiosai8 Dorei5 Akihaseiryu Tenryin2 Sakumaryu9

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