「斉藤さん。このごろ春野ばっか行ってるら?」と、よく聞かれます。決して「春野ばっか」ではないのですが、12月11日にも春野観光協会ボランティアガイドの打ち上げ会を兼ねた篠ヶ嶺城址散策に行ってきました。
…と言うわけで、私専用の「どこでもドア」を開けて春野へ。「篠ヶ嶺城址散策レポート」をお伝えします。
篠ヶ嶺城址には、中部電力気田発電所脇の山道から入りました。発電所の水を送っている水圧鉄管に沿って山に登りましたが、ここから先ははっきりとした道があるわけではありません。山はそんなに深いわけではありませんが、地元の人と一緒に登らないと分からないかも知れません。
かすかに残る痕跡を辿り、できるだけ尾根道を通りながらいくつかの鞍部と背を越えて約1時間。地元、昭和47年(1972)に山路(さんろ)の人たちが建てた「笹嶺城址」の石碑と、平成5年(1993)に旧春野町教育委員会で建てた「町指定史跡 篠ヶ嶺城址」の木製看板を見つけました。どうやら、ここが本曲輪跡のようです。
「篠ヶ嶺(ささがね)城」と「篠嶺(ささみね)城」の呼称の違いについて、前述の旧春野町教育委員会「町指定史跡 篠ヶ嶺城址」の記述には、「篠ヶ嶺城址(篠嶺城址とも言う)」と書かれ、それぞれに「ささがね」「ささみね」のルビがふられているところから、統一したものではなさそうです。
篠ヶ嶺城址(篠嶺城址とも言う)は、山路地区の池之端(いけのはた)より約八百米西方へ延びる山の尾根に、砦跡、曲輪が確認される。犬居城の支城として其の規模の最も大きい城址である。
築城の年代は詳かではないが、寛政六年(一七九四年)の遠江國風土記伝に古図面の写しがあり、天野宮内ヱ門、佐渡入道の名が記されている。
急峻な斜面の山裾を気田川が迂廻し、要害堅固な中世の典型的な砦跡である。
明治年間、古器物、古銭等発掘されており又池之端のは端(は)城井戸も伝えられ城の舘跡との考察もされている。
気田川は、ここで大きく蛇行しているため、篠ヶ嶺城(篠嶺城)は三方を川に囲まれていることになります。
「これは、人工的な感じだよね」「堀切じゃあないかな」「この平地も曲輪跡だと思うよ」。城跡らしい二の曲輪や堀切などは、本曲輪から北側に連なっており、帰路は木ノ子島を廻ることにしました。篠ヶ嶺城(篠嶺城)には、本曲輪跡の石碑と看板以外には、案内看板らしいものは一切ありません。
その代わり、自分たちで考えながら山城散策をしたいと考えている人にとってはロマンが膨らむ史跡です。
赤い吊り橋、木ノ子島橋を渡り、気田川の右岸を歩き、「ザーザー」を左手に眺めるともう気田発電所が見えて来ます。ここでの所要時間は約2時間。いかがですか?春野の山城ウォーキング。蛇の心配がない今が山城ウォーキングのシーズンです。
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