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2011年10月31日 (月)

10月30日「トヨタ白川郷自然學校」での研修

 NPO法人「天竜川・杣人の会」の研修ツアーで出かけたのは、「トヨタ白川郷自然學校」。2005年4月に開校された自然學校では、「より多くの方に環境に対する思いを深めていただくための場を提供すること」を目的に、「翻訳者」を意味するインタプリターさんたちが、自然や文化の持つメッセージを人間の言葉に翻訳して伝える橋渡し役として活躍しています。

 ツアーに参加した人たちは、紅葉の合掌集落を楽しむだけでなく、インタプリターと一緒に施設内を散策する「白川郷の暮らしと知恵を学ぶガイドウォーク」にも参加。届けられた写真によれば、自然や環境の大切さを再認識する研修もちゃんと(?)やって来たようです。

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合掌村より季節の便り―「白川郷&トヨタ白川郷自然學校」

 NPO法人「天竜川・杣人の会」事務局長の前原氏から、10月30日に催行された研修ツアー「白川郷&トヨタ白川郷自然學校」の写真が届きました。

 研修の内容はそっちのけで、深まる秋の白川郷の写真を並べてみました。

 日本の原風景―白川の合掌村からの季節の便りです。

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Shirakawa3 Shirakawa4
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白川郷研修旅行の写真

携帯のミニチュアライズモードで撮った写真です。

紅葉がとても鮮やかでしょう?・・・

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待ってました!「50万」アクセス到達!

50man  待ってました!「出かけよう!北遠へ―ふるさと散歩道」のアクセス数の合計が500,000に到達しました。

 「50万」歩目足跡を残したのは、一体誰だったのでしょう?ついさきほど、3時過ぎだろうと思います。

 振り返ってみれば、「10万」に達したのは2年前、2009年の10月2日、「20万」は2010年5月20日、「40万」は2011年5月20日。そして、2011年10月31日に皆さんのページビュー回数が「50万」に到達したという足取りです。

 よし!次は「100万」目指し、北遠に足を運んで、書くぞ!

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「竜神の舞」湖上巡る 浜松で佐久間ダムまつり

Ryujin  佐久間ダムの繁栄を願う「佐久間ダムまつり」(佐久間観光協会主催)が30日、浜松市天竜区佐久間町の佐久間ダム湖と湖岸広場で開かれ、行楽客でにぎわった。

 ダムの繁栄と建設工事犠牲者の冥福を祈って木と布で造られた“竜神”が登場。地元の竜神保存会が竜神を台船に載せてダム湖を周回し、湖岸広場では爆竹音に合わせて「竜神の舞」を披露すると見物客から大きな拍手が送られた。

 会場では東日本大震災復興支援の湖上打ち上げ花火、ご当地クイズ大会、地場産品の販売などもあって来場者を楽しませた。(「中日新聞」より)

 「佐久間ダムまつり」が終れば、いよいよ紅葉が里まで下りて来ます。まさに、行楽シーズン。北遠ならどこに出掛けても、秋の風情で出迎えてくれますよ。

 ●毎年、10月の最終日曜日に開かれる「佐久間ダムまつり」…
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研修ツアー「白川郷&トヨタ白川郷自然學校」

01_2 10月30日に「天竜川・杣人の会」の研修ツアーが開催されました。参加者は、会員と家族と知人の総勢25名。岐阜の白川郷とトヨタ白川郷自然學校へ行ってきました。

02 自称「晴男」のツアコン久保田理事の神通力も不発でたまに小雨が降る天気でした。

 でも 小雨の白川郷も情緒があって良かったです。周囲の山々から靄が立ち上って、黄葉や紅葉とともに綺麗でした。

 次に  トヨタ白川郷自然學校に行きました。

01_3 屋内にて施設の基本理念や経緯、概要などの説明を受けたあと、インタープリターの加藤春喜さんの解説を伺いながら森林の中を散策しました。

02_3 まず、天竜では見かけないブナの前にて。ブナの木が実を落とすのは、4年に1度。ちょうどこのブナは今年、沢山の実を落としていました。また、ブナが実をつけるようになるまでに約60年もかかるそうです。だから、ブナ林を作る場合、実をつける前に皆伐してしまうと、ブナの更新・再生が行われないということです。

Photo 拾ったブナの実。食べられるそうです。ドングリがなる木はみんなブナ科なんですが、「団栗」って感じではないですね。自然學校の森林は約170ha。その中にツキノワグマが19頭はいることが確認されたそうです。ブナの実も好きらしいです。

 林内には、小ぶりなコシアブラの木がところどころに生えていました。この木も天竜ではあまり見ないと思いますが、春先にタラの芽と共に旬の天ぷらとして食べますね。

 ほかにも、マンサクの枝の細工やイタヤカエデの枝を薄く裂くこととか、実演しながらの解説が面白かったです。色々な自然体験プログラムがあるようです。興味のある方はどぞ。 山遊亭北遠楽師匠不参加のため見習い山遊亭お木楽でした。

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「信康山長安院清瀧寺」の絵葉書

Seryuji687  龍山の和田氏よりお預かりした「信康山長安院清瀧寺」の絵葉書です。

 「清瀧寺縁起並に沿革」によれば…

 応永十三年(一四〇六)然蓮社最明長安房(清瀧寺開基)が境内滝の本に庵を結んだ。

 文安元年(一四四四)十月十八日長安房寂。以後この庵は長安院と呼ばれ、次々に庵主が住み継いだ。

Stamp 天正七年(一五七九)九月十五日松平次郎三郎信康(家康嫡男)が信長の口難に逢い二俣城において自刃した。この時、浜松より二俣村役人共を呼び出し、二俣には浄土宗の寺院何ヵ寺あり、寺号は何にというか書き出せと仰渡しがあった。ところが、二俣村には浄土宗寺院は一ヶ寺もないという返事で、それでは庵室でもよいからという次第で、長安院の地に信康の廟所・位牌堂其外諸堂を建立することになった。とりあえず、翌十六日上使渋河四郎右衛門をして、信康のため聖観世音菩薩のほぼ六尺の立像(伝行基作)を納め、観音堂を建立させた。

 信康自刃の夜、長安院六世光蓮社玉誉艸阿春応和尚(清瀧寺開山)がとりあえず密葬を執り行い、法名を仮に常法院松翁道樹と授け、その後、参州岡崎大樹寺十五世呑誉和尚がかけつけ、本葬を行い、騰雲院隆岩長越という法名を授けた。

 後家康が浜松からこの地に至り、寺の入口に瀧のあるのを見て、信康の法名を清瀧寺殿前三週達岩善通と改めさせ、同時に寺号も清瀧寺と改めさせた。

   ◆       ◆       ◆       ◆

 下に並べた絵葉書の説明書きは原文のままですが、日本語表記と英語表記とで年号が違っていたり、二俣城廃城の年号に疑問があったり、「真竜」の表記が「真滝」となっていたり…?二俣城の天守閣が「日本最古」のものであったのかも…?

 疑い出したらきりはありませんが、そのまま掲載します。絵葉書は歴史の教科書ではなく、あくまでも観光用のガイドブックだとお考えください。

 表面の切手を貼る位置には、三つ葉葵が印刷されていました。

Seryuji688 Seryuji693
家康公像 寛政4年(1792)掛川住清水数馬作
A figure of Ieyasu, carved by Kazuma Shimizu in 17 of Ieyasu, carved by Kazuma Shimizu in 1792.
不動明王像 徳川家康公寄進
Fudo myoo, donated by Ieyasu when his son was buried in 15 by Ieyasu when his son was buried in 1579.
Seryuji694 Seryuji695
信康廟 東照神君の長子、信康公は信長の命により自刃、当寺に葬る
The mausoleum of Nobuyasu, who was buried here in 1579.
聖観世音菩薩像 行基作 徳川家康公寄進
Sho-kanzeon bosatsu, donated by Ieyasu when his son was buried in 1579.
Seryuji696 Seryuji691
内山真滝出雲日記写本(清滝寺蔵)
A Japanese classica scholar Matatsu Uchiyama once traveled to Izumo and wrote this journal.
井戸櫓 二俣城中の飲料水として天竜川より取水した井戸櫓を寺内へ移築
Well tower, which was removed to Seiryuji temple from Futamata Castle in 1590.
Seryuji690 Seryuji692
鳥羽山城跡 家康公本陣跡より浜松方面を望ふ
A view fron Tobayama, where Ieyasu took up his main position against Futamata Castle, in 1575.
二俣城跡 日本最古の天守閣があったと云われるが、惜しくも天正18年(1586)廃城となる。
The site of Futamata Castle, deserted in 1590.

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ツヤツヤで真っ赤な「ハダカホオズキ」の実

Hadakahouzuki5  ツヤツヤで真っ赤な実は、ナス科の「ハダカホオズキ」。これだから、山歩きは止められません。

 同じナス科の酸漿(ホオズキ)が大きくなった萼に覆われるのに対して、何も覆うものがないので「裸酸漿(ハダカホオズキ)」。クコの実にも似ています。

 実がなっていないと気づきませんが、秋葉山を少し歩くと、こんな真っ赤な秋が実っていました。

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「はるの山城ウォーキングツアー」11月6日、13日開催

Zuiunzaka1  いよいよ来週(11月6日、13日)に迫った「はるの山城ウォーキングツアー」に向けてのリハーサルを兼ね、主催の春野観光協会さん、当日の講師を務めていただく木下恒雄氏、私たちボランティアガイドとで堀之内城と犬居城の城跡を巡りました。

Dobashi7 春野町の若身を出発して瑞雲坂を登り、足元の山野草や分岐点では大日如来の石仏を眺めながら登ること約50分で、「堀の内の城跡」の看板が立つ場所に着きます。コースには観光協会さんにより「堀之内城山コース」の「← →」の看板が建てられましたので、イラストマップを手にして行けば誰でも、行き着くことができます。

 さて、「堀の内の城跡」ですが…。

Chirashi699 かつては「鞍掛城」と呼ばれたそうですが、「城」とは言いながらも、狼煙台程度のものだったと思われます。「城内道」とされる尾根道の途中には「堀切」だろうと思われる跡に「土橋」が残ってはいますが、決して大きな居住スペースがあったとは思えません。

 「本曲輪」とされている高台の木々の間からは、気田川の対岸の「犬居城」やさらに西には「光明城」跡が見晴らせます。

 戦国の世、北遠を舞台に繰り広げられた徳川方と武田方側についた天野氏との戦い。400年以上も前の流血の領地争奪戦の最中、この小さな山の頂が何に使われ、ここで何が起きたのか…。「はるの山城ウォーキングツアー」は、皆さんの頭と心の中でお考えいただく機会です。

 まだ、定員には少し余裕があるようですので、ぜひ、お申し込みください!

 詳細チラシは、こちらでダウンロードしてください!→「はるの山城ウォーキングツアー」.pdfをダウンロード 。みなさんの参加をお持ちしています!

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2011年10月30日 (日)

子らが清めの湯立神楽 浜松・天竜区「川合花の舞」

Hananomai2  浜松市天竜区佐久間町川合地区に伝わる県指定無形民俗文化財「川合花の舞」が29日午後から翌30日未明にかけて、同地区の八坂神社に奉納された。多くの参詣者が見守る中、地元の保存会員や子どもたちが夜通し舞い続けた。

 川合花の舞は舞処(まいど)の中心に湯釜を据え、周りで舞子が清めの舞を繰り広げる湯立神楽の一種。保存会員や子どもたちは舞処をおはらいする「地固めの舞」に始まり、「扇の三ツ舞」「花の四ツ舞」など約20演目を次々と舞った。

 最後は参詣者が舞子に清められた釜の湯を浴び、家内安全や無病息災を祈願した。(「静岡新聞」より)

 行きたかったんです。見に行きたかったんですけど、行けませんでした。残念です。来年こそは…。一緒に行きましょうね。

 ●「花の舞」は、愛知県奥三河地方に残る「花祭り」と同じ系統のもので…
 
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 ●「花の舞」が舞われる「舞処(まいど)」の中央には…
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「川口の船着場」跡はこの辺り?

Kawaguchi317  かわぐちむら 川口村<天竜市>

〔近世〕江戸期~明治9年の村名。遠江国豊田郡のうち。天竜川左岸で、天竜川支流二俣川の下流に位置する。寛政年間に鳥羽山堀(原文のまま)割ができ二俣川の付替工事が行われる以前、二俣川は天竜川に注ぐ河口左岸に当たり、地名も地形に由来する。はじめ幕府領、慶長14年駿府藩領、元和5年からは再び幕府領。村高は、「元禄Kawaguchi4高帳」5石余、「天保郷帳」9石余、「旧高旧領」6石余。三州街道へ通ずる天竜川の渡船場があり、村高のうち、渡船料として除地3石がある。「遠淡海地志」によれば戸数10。寺社には八幡社がある(静岡県磐田郡誌)。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称)、同4年静岡県、浜松県を経て、同9年再び静岡県に所属。明治3年の家数12・人口62、その多くは渡船場の船頭を稼業とする。明治9年二俣村に合併。現在天竜市の大字二俣町二俣の通称名として残る。(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)

Hachiman4  以前に紹介した「北遠振興會観光部」発行の絵葉書の中に「川口の船着場(二俣町)」の1枚がありました。

 そして、下の写真が、豊田郡川口村のかつての渡船場のあった辺り。川原ではお年寄りがグラウンドゴルフを楽しんでいましたが、現在でも川船が何艙か並んでいます。

 対岸が阿多古川の合流点と渡ヶ島になります。

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「天竜の森」中央駐車場―2011年の紅葉情報

Super0  北遠の紅葉もまだ山裾までは下りて来てはいませんが、標高1280メートルの「天竜の森」中央駐車場辺りでは、まもなく見頃。全山紅葉までには、あと1週間っていうところでしょうか?

 スーパー林道を北に向かうと、「天竜の森」には3ヵ所の駐車場があります。車で走り抜けるだけの「紅葉狩り」ではなく、車を停めてちょっと歩けば、色づいた木々にすっぽりと包まれることができます。

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2011年10月29日 (土)

秋葉山でウロウロ―渡りをする蝶「アサギマダラ」

Asagimadara2  北遠の朝はめっきり冷え込み、最低気温は10度を下回っています。あまり薄着だと風邪をひいてしまいます。

 薄着はいけませんので、「厚着マダラ」じゃない…。「アサギマダラ」の写真でも。

Asagimadara7  秋は、渡りをする蝶にとっては海を渡って南へと帰る季節ですが、まだ秋葉山辺りでウロウロしている「アサギマダラ」がいました。

 コセンダングサの小さな花で吸蜜中。翅裏の特徴からすると、この「アサギマダラ」は♀のようです。早く暖かい南の国に行かないと、風邪をひいちゃうぞ!

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

2011年―スーパー林道の紅葉

 紅葉シーズンを迎え、スーパー林道は普段の週末に比べてグンと車の数が増えています。

 台風によって葉を落とした分だけ色づいた木々が少ないようですが、それでもキョロキョロしながら車を走らせれば、常緑樹の緑に交じり、赤や黄色が青い秋空に映えて見えます。

 写真は、もちろん「好いとこ撮り」ですから、すべてがこうではありませんが…。2011年10月29日(土)に撮影しました。

 *ご注意:危険防止のため、決して「キョロキョロ」はしないでください!

Super1 Super3
Super4 Super6
Super13 Super23

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「さむらうは何万歳を経るとや」と榊鬼を問い詰める禰宜―「川合 花の舞」

Sakakioni1  やがて、午前零時をとうに回ったころ、ついに祭りのクライマックスがやってきました。最も格の高い鬼「榊鬼(さかきおに)」の登場です。右手に大きな榊の枝を持ち、左手を腰に当てて辺りをにらみ回す「榊鬼」。その姿は威厳にあふれ、見物人の間に「かっこいいなぁ」というつぶやきが広がります。と、そこへ神主姿の人物が現れました。祭の禰宜(ねぎ)役を務める男性です。「榊鬼」は禰宜に向かって猛烈な勢いで詰め寄り、ここで二人の「問答」が始まります。激しい問答の末、禰宜が背負う神の権威に敗れた「榊鬼」は、怒って荒れ狂い、腹いせに湯釜の火を棒で一気にかき消して舞処を去ってしまうのです。

 これも、平成20年に浜松市から発行された「浜松 音技箱」、「君臨する大自然の精霊 川合花の舞」の一節です。

 太夫「ことざん申しきなりをして、神方便の庭を舞い荒らす何者にてさむらう」
 鬼 「愛宕山の大天狗 ひゐの山の小天狗 荒みさき荒天狗とは我等のことにてさむらう」
 太夫「さむらうは何万歳を経るとや」
 鬼 「八万歳を経るとや さういうふ者は何万歳を減るとや」
 太夫「王は九善 神十善 王の位にまかせて十二万歳を経るとや」
 鬼 「この御神と申するは 一本は千本 千本は万本 一枝片枝までも山の神三千客の惜しみきしみ給ふこの神 何者が許して伐り取った」
 太夫「伊勢天照皇太神宮 春日大明神 住吉大明神 千代の稚子をもうけそう よく千代の御ため迎へ取ったるこの神」
 太夫・榊鬼「引いても引かれず こいてもこかれず 十二かしょ 万歳楽千秋楽」

 「花の舞」のハイライトシーンの写真は、「浜松 音技箱」に掲載されていたもの。問答は、「川合花の舞しおり」から引用しました。

 2011年の「川合 花の舞」は、いよいよ本日10月29日(土)の午後3時~翌朝3時、佐久間町川合の八坂神社に奉納されます。

 ●「花の舞」は、愛知県奥三河地方に残る「花祭り」と同じ系統のもので…
 
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野生化したソバ―「シャクチリソバ」

Syakuchirisoba3 国道362号沿いの二俣川の河原に咲く、白いソバの花…?

 …と思ったのですが、少し様子が変?どうやら、タデ科ソバ属の「シャクチリソバ」。中国、ヒマラヤ原産で、明治時代に薬用植物「赤地利(シャクチ)」として導入され、いつの間にか野生化してしまったようです。

Syakuchirisoba22  ソバは一年草ですが、「シャクチリソバ」は多年草です。花は白色ですが、中心部は黄色になり、葯は桃色。

 蕎麦にして、食べられるのかって?蕎麦粉に栽培されたこともあるようですが、現在では使用されていないそうです。きっと、美味しくなかったんでしょうね。

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田河内の昔話「樽山の滝と藤たち娘」

Konjaku8  昔、この里に美しい二人の姉妹が住んでいました。

 姉は「きち」と言い十八歳、妹は「まつ」と言う名で十六歳でした。

 山々が紅葉に色づく秋晴れの日の朝、父親は二人の娘に、「もう藤の蔦を採るのにいい時期だから、今日は天気も良さそうだし二人で行ってきたらどうだろうか」と言いました。

 二人は久しぶりに姉妹だけで山に行けるので大喜びで、赤い模様のカスリの野良着に着替え、お弁当に鎌に背負子と忙しく支度をしている処へ父親が、「藤をたつには必ず蔦の先を切ってから根を切るように、特に場の悪い所では絶対に根を先に切ってはいけない」と言い聞かせましたが、おしゃべりと準備に夢中な娘たちはあまり聞いてはいませんでした。

 日の出とともに家を出発した二人は、樽山の尾根から藤の蔦を採り始め昼過ぎには滝の上の岩場まで来ていました。

 すぐ真下に深い滝壺が見え滝のしぶきで湿った足場は滑りやすく危ない場所でしたが、良い藤蔦がたくさん見えました。「もう少し採ったら家に帰ろう」と言い合って二人はこの危険な場所に入って行きました。

 ほどなくして、「姉さんタスケテイ」の「まつ」の悲鳴が谷間に響きました。近くに居た姉の「きち」が驚いて振り返って見ると、滝壺の上に伸びた木にからみついた藤蔦の根を先に切って引っ張ったので「まつ」は藤蔦につかまって振り子の様に滝壺の上を行ったり来たりしていました。

 とっさに「きち」は前掛けを広げ「姉さんが受け止めるからこの上に飛び降りなさい」と言いました。妹の「まつ」も覚悟を決めて姉の前掛け目がけて飛び降りましたが、何分足場の悪い急斜面の為、姉の「きち」も支えきれず姉妹抱き合ったまま滝壺に転げ落ちて行きました。

 一方家では、二人の帰りが遅いのを心配した父親が探しにでかけ夕方滝にたどり着きました。

 そこで父親が目にしたものは、折からの夕日を受けてゴウゴウと落下する滝に打たれて近づいたり離れたり反転したり、さながら遊びたわむれている様な美しくも無惨な二人の娘の姿でございます。

 この悲しい出来事があって以来、秋になると毎年この滝壺に二匹の大きなアメノウオの姿が見られるようになりました。

 村の人たちはこれは「きち」と「まつ」の生まれ代わりだから、いじめたり捕ったりしてはならないと言い合って、樽山の滝の魚は大事に見守られてきました。(栗島清著「田河内今昔」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 田河内(たんごうち)は浜松市の東端に近い集落。県道263号春野下泉停車場線をひたすら東へ進み、あと少しで川根本町です。

 こんな不思議な伝説が栗島清著「田河内今昔」に紹介されていました。「アメノウオ」とは、琵琶湖に生息する固有種のようですが、春野ではアマゴの別名のようです。

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2011年10月28日 (金)

「春野ふれあい公園」に展示された「秋葉山表参道を登ろう!」の写真

Fureaikouen8  「春野ふれあい公園」の管理棟内のギャラリーに、私が撮影した春埜杉の写真が展示してあるのは、すでに紹介した通り。他にも、「新・浜松の自然100選」北遠版と今年(2011年)に撮影した岩嶽山のアカヤシオ、シロヤシオの写真も展示してあるのですが、「秋葉山表参道を登ろう!」の写真も追加しました。

 これらは、もちろん秋葉山に登る「極参会」の仲間たちとの秋葉詣の写真。「火まつり」や「雪の秋葉詣」の写真もあり、けっこう評判が良いそうです。

 このシリーズは、今後も追加して行く予定です。トイレ休憩に寄った時には、ぜひ、ご覧になってください!

2011年「川合 花の舞」は10月29日(土)

Hananomai713  そして、夜もかなり更けてきたころ、真紅の衣装を身にまとった異形の者が舞処に姿を現しました。「山見鬼(やまみおに)」の登場です。別名「山の神」とも呼ばれる「山見鬼」は、いわば大自然の精霊。大きなまさかりを力強く振りながら、舞処の中をところ狭しと乱舞します。その足元は常に松明を持った人によって照らされますが、これは鬼の面をかぶった舞人には前がほとんど見えないため。ひとしきり暴れまわった後、「山見鬼」は舞処の上に吊り下げられた紙製の「ハチノス」をまさかりでたたき落とし、意気揚々とその場を去って行きました。

 平成20年に浜松市から発行された「浜松 音技箱(おとぎばこ)」、「君臨する大自然の精霊 川合花の舞」の一節です。

 2011年の「川合 花の舞」は、明日10月29日(土)の午後3時~翌朝3時。佐久間町川合の八坂神社に奉納されます。

 「花の舞」は、三遠南信地域にその類型が伝えられる湯立神楽。昭和51年(1976)に静岡県無形民俗文化財に指定されました。

 拝殿前には2間四方の舞処(まいど)が設けられ、中心に湯立の釜が据えられます。釜の周りで芸能が演じられますが、その演目は、金山の舞、八千代の舞い、花の舞、山見鬼、榊鬼、おかめの舞、湯立の舞など18を数えます。

 いよいよ、「花の舞」の季節―北遠の秋が深まりを増して行きます。

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2011年10月27日 (木)

「限界集落」を超えた時!―「笑顔を届けるファッションバイク」より

Fasionbike  少し前のことになりますが、今でも気になって仕方ありません。9月29日のNHKテレビ「にっぽん紀行 笑顔を届けるファッションバイク」という番組です。

 春野町和泉平でがんばっている水越さんの笑顔を届ける行商と、そのサービスを待つ岡村さんの独り生活、家族が帰る“新宮池夏まつり”への期待を映し出していました。

 10月6日、朝日新聞19面「はがき通信」に、千葉県在住の男性が寄せた「お互いの絆を深めていた」と題する投稿が掲載されていました。

 29日の「にっぽん紀行 笑顔を届けるファッションバイク~浜松 春野町~」(NHK)は、75歳の女性がミニバイクで山里の小さな集落を回って、女性たちに洋服を行商している話だった。行商は魚や野菜を届けるものと思っていたが、洋服を商うとは初めて聞いた。52年も一軒一軒に顔を出し、笑顔で関わり、一人暮らしの方を気遣って通っているのは、商いというよりお互いの絆を深めていると感じた。(千葉県松戸市・工藤昭夫・無職・79歳)

 北遠の森林が深く、厳しい傾斜の山々であることは、皆さんもご存知の通りです。この中に点在する集落に多く住む高齢者は、どんな気持ちで、どのような生活をされているのでしょうか?

 多くの集落が、もはや「結い」を必要としない社会状況となってしまいました。近くに住む家族や近隣の人々との「絆」に頼り、それでもやっぱりここに住み続けたいという本人自身の意志だけで成り立っている集落なのです。

 テレビ番組からは作り手の意図が伝わり、投稿からは受け手の考えが伝わって来ます。

 確実に言えることは、もはや「限界集落」という言葉を超えてしまい、「絆」というメンタルな言葉だけでは、中山間域の人々は生活していけない状況だということです。

 多くの人に中山間域の暮らしにもっと目を向け、人・物・金を投入して、山や森を元気にする多様な施策が実現されることを願っている者です。(by 久保田)

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「草木トンネル山の駅」に咲くツリフネソウとノコンギク

Benchi5  水窪の「草木トンネル」を抜けた辺りに「山の駅」の広場があります。

 ここは、昨年8月に「親子で楽しむ環境教室」を開催した懐かしい場所。参加者みんなで署名した長~いベンチに腰をおろして一服。翁川の清流を覗いてみると、赤紫色の「ツリフネソウ」が咲いています。

 「ツリフネソウ」の花の時期は終わりに近づき、まだしばらく咲き続けそうな「ノコンギク」も咲いています。

 道路脇に余地があり、車を停めることができますので、ちょっと立ち寄って私と同じようにベンチに腰掛け、水窪の山の色づきを眺めてください。

 背板の裏に「さいとうともゆき」の名前を見つけても、決して落書きしないでくださいネ!

Tsurifuneso0 Nokongiku1

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今秋一番の冷え込み 佐久間で6.9℃

Sakuma7  今年の秋一番の冷え込み―佐久間のアメダスの気温が、午前6時に「6.9度」まで下がりました。

 写真は、昨日(26日)。水窪川と天竜川の合流地点から見た、佐久間の「戸口橋」の風景です。

 木々がうっすらと色づき始め、空の青と川の青さが目立って来ています。

時間 気温
(℃)
降水量
(mm)
風向
(16方位)
風速
(m/s)
日照時間
(分)
積雪深
(cm)
27日
(木)
7時 7.2 0.0 静穏 0 0 ---
6時 6.9 0.0 静穏 0 0 ---
5時 7.2 0.0 静穏 0 0 ---
4時 7.3 0.0 静穏 0 0 ---
3時 7.5 0.0 静穏 0 0 ---
2時 7.8 0.0 静穏 0 0 ---
1時 8.1 0.0 静穏 0 0 ---
0時 8.5 0.0 静穏 0 0 ---

取り合わせの良いものの例え「獅子に牡丹」

Botan8  「勝坂神楽」で道中舞を披露する若衆は、厚く化粧した男性たち。その若衆と奉納舞を披露する2頭の獅子が着る女物の着物は牡丹柄。「どうして牡丹柄なんですか?」の答えは得られなかったのですが、「獅子に牡丹」と言えば、懐かしい高倉健主演の映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」を思い出す人も多いのではないでしょうか?

 つまり、「獅子に牡丹」とは、取り合わせの良いものの代表とされ、獅子の勇姿に花の王である牡丹を配した図柄を見る機会はかなりあります。

 『梵網経』というお経の中に「獅子身中の虫、自ら獅子の肉を食う」という例えがあります。仏弟子のなかにも、この虫のような者がいて、仏教徒の顔をしながら、実は仏法を破っていると、警告しているのですが、味方のような顔をしながら内部から禍を発生させる者、恩を仇で返す者、裏切り者に注意をするように戒めた諺です。

Shishi1  その「獅子身中の虫」を活動させないためには、獅子は薬になるものを飲まなくてはいけないのですが、その薬となるのが牡丹の花に溜まる夜露。それゆえ、獅子は牡丹の花から離れられない、というのが「獅子に牡丹」の取り合わせだそうです。

 「勝坂神楽」の着物の牡丹柄が、果たしてそのようないわれであったのかどうかは判りませんが、気田川に架かる「勝坂橋」を支える2頭の獅子の胴も、見事な牡丹柄で飾られていました。

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相月での出会い―秋の蛾「ヒメヤママユ」

Himeyamamayu5  飯田線「相月駅」前の公衆トイレで、また野生の蚕と出会いました。ヤママユやクスサンよりは少し小さいのですが、それでも目立つヤママユガ科の「ヒメヤママユ」。

 朝晩めっきり冷え込むこの頃、温かそうな衣装をまとい、トイレのガラス窓に外側からピッタリとくっついていました。

 「ヒメヤママユ」は秋の蛾。ヤママユガ科の仲間は、秋に羽化。口は退化していますので、成虫になってから何も食べません。秋の短い期間にいっせいに羽化し、♂と♀とが出会い子孫を残します。

 写真を撮ったのは午前10時過ぎ。水窪の兵越峠の紅葉を楽しんでの帰路、もう一度寄ってみたのですが、もういませんでした。

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キレイな帰化植物「ホソバウンラン」

Hosobaunran7  草木トンネルを抜けて兵越峠を越す少し手前、路肩に咲く黄色い花を見つけました。この花の形は、きっとゴマノハグサ科でしょう。

 検索の結果はズバリ的中。ゴマノハグサ科ウンラン属の「ホソバウンラン」とのこと。春から初夏にかけて薄紫色の花を咲かせるヒョロヒョロとしたマツバウンラン(写真左)と同じ仲間の帰化植物です。

Unran7  マツバウンランの原産地は北アメリカですが、「ホソバウンラン」はヨーロッパ。日本へは大正時代の初期に観賞用や薬用植物として渡来し、野生化したようです。

 ちょっと見ると、同じゴマノハグサ科のキンギョソウにも似ています。英名は「toadflax」。「toad」って「ヒキガエル」のことだって。そう言われてみれば、似ていますかね…?

四季桜の咲く「光明寺」で近づく「秋の大祭」―10月29日、30日

Sakura0  山東の「光明寺」に、四季桜を見に寄ってみました。

 四季桜と言っても、一年中咲いているのではなく、花を開くのは春と秋の年2回。テレビでは各地からこの季節に咲く桜の花便りが届けられています。光明寺も、そろそろ花の季節かな?

 おう、咲いてる!春咲きの桜のほどには花の数は多くはありませんが、もうすっかり見頃を迎えています。

Komyoji3 昨年は11月28日に紅葉と四季桜の情報をお届けしたのですが、2011年は、もう花を咲かせていました。

 特にきれいなのは、大黒殿と三満殿との間にある数本。一重咲きの淡いピンク色の花が、ほぼ満開となっています。

 光明寺では、「秋の大祭」の準備の真っ最中。きれいに掃き清められた石段や砂利の敷き詰められた境内に、祭り提灯を飾り付けていました。

 「こんにちは。お祭りはいつですか?」「こんにちは。今度の土日だよ。遊びに来てね」。

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2011年10月26日 (水)

「草木トンネル山の駅」ではヌルデが真っ赤に紅葉

Yamanoeki8  水窪町の「草木トンネル山の駅」では、翁川沿いの「ヌルデ」が真っ赤に紅葉していました。
 
Nurude3  昨年の8月に『親子で楽しむ環境教室』を開催した思い出の地「山の駅」。「ヌルデ」はウルシ科ウルシ属ですから、他の樹種に先駆けて紅葉します。

 ウルシ科のくせに漆(うるし)が採れない「ヌルデ」ですが、紅葉はこんなにキレイです。これから、もっと、もっと赤くなりますよ。

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色づき増す「兵越峠」―2011年の紅葉

Kokkyo4  静岡新聞に先を越されましたが、「出かけよう!北遠へ」の2011年紅葉情報をお知らせします。

 場所は、長野県との県境。と言うよりも、「国境(くにざかい)」と言った方がピンと来るでしょうか?先日、「国盗り綱引き合戦」での敗北の地「兵越峠」です。

 峠の紅葉はすでに見頃。遊歩道を「青崩峠」方面に10分ほど歩いて少し登ると、ますます好い雰囲気です。

 屈辱の「国境」の表示は、確かにこちら側に食い込んでいました。

Koyo1 Koyo9
Koyo7 Koyo91
Koyo5 Koyo8

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北遠に秋の訪れ 山あいで紅葉始まる 水窪

Misakubokouyou  浜松市天竜区水窪町の標高千メートル級の山々で、紅葉が始まっている。同町の山住峠付近では、道路沿いや登山道の木々が赤や黄色に色づき、訪れた人を楽しませている。

 同峠や自然公園「野鳥の森」で25日開かれた水窪地域自治センター主催の山村交流ふれあい事業「みさくぼ散策ツアー」には、市内各地から12人が参加した。参加者は県環境学習指導員らの先導で登山道を歩き、鮮やかな色に染まった木々を見上げたり、登山道を埋め尽くした落ち葉や木の実を拾い集めたりして豊かな自然を満喫した。指導員によると、今年は台風の影響で例年より多く葉が落ちているものの、11月初旬には見ごろを迎えるという。

 同市西区の会社員江川孔美子さん(27)は「初めて見る植物もあり、勉強になった。紅葉はすごくきれいで癒やされる」と話した。(「静岡新聞」より)

 たった今、私も水窪から戻ったばかりです。いよいよ紅葉前線が北遠にかかって来ました。北遠に出かける楽しみが、また1つ増えましたね。

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「水と緑と伝承の里 みさくぼ」より「水窪まつり」と「西浦田楽」

 以前にも紹介した少し古い絵葉書、龍山町西川の和田芳博氏からお借りした『水と緑と伝承の里 みさくぼ』(企画・製作 水窪町観光協会 水窪町商工会)10枚セットのうち、まだ紹介してなかったものがあります。

 ついうっかりしていましたが、「水窪まつり」と「西浦田楽」の2枚を紹介しましょう。

Matsuri707
水窪まつり
北遠最大のお祭りです。絢爛豪華な屋台の引廻し、中でも、時代物、現代物、風刺に富んだ仮装は最高で、秋の訪れを告げる当町最大行事の一つです。
Dengaku706
西浦田楽
国指定、重要無形民俗文化財「西浦の田楽」です。養老3年(719)僧行基によって開基したといわれ、厳しい戒律と世襲制による特異な民俗芸能は多くの識者に注目されております。

 楽しかった「水窪まつり」と伝統の民俗芸能「西浦田楽」です。

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「村祭りこそ活きる源」―「勝坂神楽」は心の支え

 春野の郷土史家・木下恒雄氏が著した気田川畔民俗誌9「なぜ村は衰退するのか」の中の「村祭りこそ活きる源」の項に、村から都会へと出郷した人の記事として、こんな話が紹介されています。

Kagura9

 今はないが、昔は私の生まれた部落には天神様を祭ったお宮があった。毎年十月には部落民挙げての秋祭りが盛大に行われていた。

 そこでは部落の有志で編成された人たちが、いつも神楽(かぐら)を舞っていた。

 この人たちは百姓の合間に、演技の練習をしていました。小道具は、まず獅子頭・三味線・太鼓・笛。なおそれぞれが衣装もそろえていて、演題の方も幾つかありました。

 ちょっとした旅役者並みで、近郷の部落の祭典などにも、招かれて行って演じていました。

 この時使っていた小道具類は、自分たちの手作りだったといいます。

 ついでの話によりますと、そのころの部落のどの家の主食も、アワかヒエだったといいます。

Kagura7

 寺社の祭典と言えば、宗教行事かのように錯覚してしまう人もいるかも知れませんが、やはり行政主導の華やかなだけのイベントでは、「生きるための心の支え」とはなり得ません。おそらく勝坂の集落で伝承される「勝坂神楽」は、日々の暮らしの安らぎを求めての祭り。

 そんな伝統の「勝坂神楽」が、後継者の問題から存続の危機に立たされています。でも、見物客の中には「昨日から泊まりで来ています」というグループもあり、集落外からの支援も始まっているようです。

 「やっぱり、祭りが心の支えだよな」と話すお年寄りの笑顔が、「村祭りこそ活きる源」を物語っているようで、今でも忘れられません。

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2011年10月25日 (火)

第54回「佐久間ダムまつり」―10月30日(日)

Dammatsuri0  第54回「佐久間ダムまつり」の開催が近づきました。2011年は今週末、10月30日(日)。

 勇壮な竜神の舞に迫力満点の湖上花火、地元産品の即売会や山の幸を使用したぐるめテント村などのほか、さくま飛龍太鼓・ジャンケン大会・ご当地クイズ大会・景品付き餅投げ大会も催されます。

 ●開催日:平成23年10月30日(日)
 ●開催時間:午前10時~午後3時
 ●会場:佐久間ダム湖畔広場
 ●駐車場(シャトルバスが運行します)
   ・佐久間地域自治センター
   ・JR飯田線「中部天竜駅」横 浜松市公共駐車場
   ・天竜消防署佐久間派出所向い 浜松市公共駐車場
 ●問い合わせ:佐久間観光協会 電話:053-965-1651

 10月29日(土)には「川合 花の舞」も催されます。ぜひ、お出かけください!

 ●毎年、10月の最終日曜日に開かれる「佐久間ダムまつり」…
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 ●龍神の舞はとても魅力があるもの 多くの人に見てほしい…
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テグスに利用した野生の蚕「クスサン」

Kususan1  前原さんのブログで「楠さん」を見つけました。

 楠さん?YAMAHAの創始者?そりゃあ、山葉寅楠さんでしょ!野生の蚕(かいこ)、ヤママユガ科の蛾「楠蚕・樟蚕(クスサン)」ですよ。

 これまでに、「ヤママユ」と「シンジュサン」「オオミズアオ」を紹介して来ましたが、見そうで見なかった「クスサン」を紹介します。前原さんのブログからパクリましたので…。

 「クスサン」なんて関係ないじゃん、と思われる人が多いとは思いますが、釣り糸に使う「テグス」は「天蚕糸」と書くのですが、元々はこの「クスサン」の糸を使っていたのです。もちろん、ナイロン糸などが自由に手に入る前の話。知っていましたか?

 漫画『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄さんは、著書『ぼくの学校は山と川』の中で、実際にこの「クスサン」の幼虫からテグスを自作した経験を書いているとのこと。

 「クスサン」は、楠の葉のほか、栗、橡、小楢、桜、梅、公孫樹などの葉も食べるそうです。さあ、何と読むのでしょうか?

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観光協会「仕方ない」 天竜川下り事業廃止へ

 浜松市天竜区の天竜川で今年8月、川下り船が転覆し、5人が死亡した事故を受け、第3セクター「天竜浜名湖鉄道」が運営している川下り事業が廃止となる見通しであることが24日、わかった。1948年に始まった川下りは、63年の歴史に幕を下ろすことになりそうだ。

 同鉄道の幹部は同日、「人件費を負担しきれない。運賃を値上げしても全然足りない」と述べ、事業撤退が避けられないとの見通しを示した。

 一方、同鉄道に川下り事業を委託している天竜観光協会は当初、事業の継続を要望していたが、「地元には代わりの企業はない。あきらめたくはないが、もうけが出ない以上、仕方ない」(幹部)と廃止を受け入れ、既に乗船場の賃貸契約解除など、事業撤退に向けた準備を進めているという。

 同鉄道の2011年3月期の川下り事業は117万円の赤字。本業の鉄道事業でも1億9355万円の赤字が出るなど、現在は経営改革の途上にあり、川下り事業を立て直す余裕は残っていない。

 同鉄道関係者によると、同鉄道に出資する静岡県や浜松市などは、補助金の活用や、別会社への運航委託など、川下り事業継続の道を探ったが有効策は見つからず、事業廃止は避けられないとの認識で一致したという。

 浜松市の天竜川下り事業は1948年、二俣町観光協会(当時)が始め、2003年に同鉄道が引き継いだ。年間の乗船者数は約1万人。(「読売新聞」より)

 ある程度予測はついたことではありますが、大変残念です。いつかまた、復活できる時期まで待つしかないようです。

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「勝坂神楽」が奉納される清水神社と「神の水」

Kaminomizu7  「勝坂神楽」とは、春野町勝坂の清水(きよみず)神社と八幡神社の祭典。清水神社へと登る石段の脇に石が組まれ、差し込まれた竹筒から水が湧き出ています。

 今から約四百二十年前、天正四年(一五七六年)、徳川家康は、犬居城主天野宮右衛門と戦いをいどみ、城はKaidan5落ち、家康公は信州に向って此の地を通過したといわれる。その折、山中にて藤(蔦)をとっている女がいた。女は名を問はるゝので、お勝と答えれば、家康は、吉左右(めでたい)、吉左右と喜ばれて里への案内を命ぜられた。家里に案内された家康は、暑中のことにて咽喉が乾き水を求められた。お勝は、井戸より清水を汲み呈した。大層良き水と賞し、井戸を見たいとの仰せにて案内したれば、暫く井戸を見居られて次の歌を詠まれた。

Shishi0  よろこびし
   よもやつきなん清水の
     神のちかいに 七五三縄(しめなわ)の内

Kaidan8 以来村人たちは、神の水と称し、命の水として毎日の暮しに欠くことのできない水として使はれてきた。今もこの神の水は、絶えることなく、私共の咽喉をうるおしている。(古文書より)

 これが、清水神社の元となった「神の水」。軟らかくて美味しい湧水の後ろに、解説の看板が立っています。

 「勝坂神楽」の若衆たちは、家康公ゆかりの「神の水」の脇の石段を登り、清水神社境内で「ほろ舞」「ぬさ舞」を奉納。石段を下り八幡神社へと向かいました。

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今回は騙されないぞ!水窪の「イカリモンガ」

Ikarimonga3  昨年、スーパー林道の「賽の河原」で出会った時にさんざん調べましたので、今回、水窪で出会った「イカリモンガ」には騙されませんでした。

 飛んでいる時にはベニシジミみたいだし、止まっているとテングチョウに似ています。セセリチョウよりもずっと蝶に似ているのに、前翅に大きなオレンジ色の錨紋を持つ蛾なんですよ。

 白倉川沿いの道路脇の明るい場所を飛び回っている「イカリモンガ」は、多分、自分でも蝶だと信じ込んでしまっているに違いありません。

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「勝坂神楽」―獅子の「ほろ舞」「ぬさ舞」とは?

Horomai0  「勝坂神楽」の紹介サイトの解説には、「清水神社前の舞を『ほろ舞』、八幡神社前の舞を『ぬさ舞』と言い…」と書かれていましたが、「ほろ舞」「ぬさ舞」って何?この際、少しだけ勉強してみましょう。

Nusamai0 「ほろ舞」の「ほろ=幌(母衣)」とは、獅子の胴を表す「布」のこと。二人立の場合には、前足と頭を操る役と、後足役を隠す「布」。勝坂の場合には一人立ですが、1頭はおかめ面、もう1頭は笠を被った者が「ほろ」の後ろを持ち、獅子の胴に見立てて舞います。

 「ぬさ舞」の「ぬさ=幣」とは、獅子が持つ「御幣」のこと。「ぬさ舞」の時には、「ほろ」を体に巻き、「ぬさ」と七五三の順に鈴が付く「神楽鈴」を手に舞います。

Saiten8 さらに言えば、「清水神社前の舞を『ほろ舞』、八幡神社前の舞を『ぬさ舞』と言い…」と書かれていましたが、聞くと見るとは大違い。実際には、両神社で「ほろ舞」「ぬさ舞」が奉納されていました。

 祭典次第を知らせる看板にも、両神社で「奉納神楽舞 ほろ舞 ぬさ舞」と書かれています。一度、間違った情報が流れてしまうと、次々とその間違いがコピーされていってしまいます。気をつけなければ…。

 それとも、昔は違っていたのでしょうか?

 ちなみに、開催日についても「10月29日前後の日曜日」されていましたが、実際には「一度29日の後にやったら雨が降ったから」との理由で、今では必ず「29日前」に開催しているそうです。

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2011年10月24日 (月)

「広報はままつ」天竜区版 歴史探訪―「教伝様」

Kyoden  「広報はままつ」天竜区版10月20日号の「TENRYU WARD HISTORY 天竜区ヒストリー」は「教伝様(天竜区水窪町地頭方)」でした。 

 水窪町の国道152号から向市場へ渡る水窪橋(通称:高橋)は、今でこそコンクリートの頑丈な橋ですが、かつては幅1メートルほどの木橋で、大水のたびに流されるので、住民たちは架け替えの費用に困りきっていました。そのころ、この辺りに多くの山林を所有していた教伝様という人が向市場に住んでおり、あるとき村の人たちに「私の所有林を村に寄付するので、今後はこの山の木を使って橋の架け替えをしてください」と言って全国巡礼の旅に出掛けて行きました。それ以降この地では、費用の心配をすることなく、いつでも橋の架け替えができるようになったので、住民たちは深く教伝様を慕い、この碑を立て、現在まで祭っています。

Kyodenmap  北遠の中でも水窪には、石造文化財とも言える石仏や石碑が多く残っています。「教伝様」が祀られている場所にも、庚申信仰の本尊である青面金剛童子像などが並び、民俗の宝庫とも言える北遠の雰囲気を漂わせています。

 秋の一日、北遠の山城「高根城」を見学する途中、ぜひとも「教伝様」にお立ち寄りください。

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「戦国の城」白煙で結ぶ 浜松の10カ所で「のろしリレー」

Noroshi1  戦国時代の情報伝達を再現する「のろしリレー」が23日、浜松市天竜区内の城跡などであり、同市中区の浜松城まで10カ所で白煙が立ち上がった。

 市制100周年記念事業の一つ。山城の遺構が多く残る天竜区の魅力を発信しようと、「北遠山城歴史旅」実行委員会が企画した。

Noroshi2  メンバーらは、ドラム缶などを利用した煙突形式ののろし台を手作り。静岡と長野の県境にあるヒョー越峠をはじめ、高根城や元光明寺跡、二俣城跡などでのろしを上げた。

 起点となるヒョー越峠では、「峠の国盗り綱引き合戦」の応援に駆け付けた鈴木康友市長が点火し、のろしリレーがスタート。スギやヒノキの葉が燃え上がると、のろし台から白煙が上がり、参加者や見物客らは歴史ロマンに思いをはせた。(「中日新聞」より)

 昨日(11月23日)に開催された、もう一つのビッグイベントが「のろしリレー」です。起点は、水窪の兵越峠。「綱引き合戦」には敗れましたが、「のろし」のリレーはうまく行ったのでしょうね?

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女装の男衆一行、子孫繁栄・五穀豊穣を祈願 春野

Katsusakakagura  浜松市天竜区春野町の勝坂地区で23日、400年余の歴史があると伝わる市指定無形民俗文化財の勝坂神楽が、地元保存会によって奉納された。

 勝坂神楽の特徴の一つは舞手が男性に限られている点。顔に白粉を塗り、花がさに着物姿で女装した一行は勝坂神楽伝承館を出発し、道すがらに「道中舞」を見せた。

 清水神社と八幡神社では、獅子頭をつけ、ボタンの柄入りのほろをたなびかせる「ほろ舞」と、ぬさを持ちながらの「ぬさ舞」をそれぞれ舞い、子孫繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願した。

 少子高齢化により、継承が課題という。男衆に化粧していた深尾龍子さん(59)が「みんなで協力して存続させたい」と話せば、保存会の鈴木茂男会長(88)は「地域に授けられてきた神楽。いつまでも継承できるよう努力したい」と誓った。(「静岡新聞」より)

 佐藤支局長、取材お疲れさまでした。私は、「静岡新聞」の記事を読んで、勝坂に足を運んだ一人です。おかげさまで、和気藹々とした中で伝統の民俗芸能が守られている素朴な雰囲気を味わうことができました。ありがとうございました。

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信州軍「領土」守った 南信濃の国盗り綱引き

Tsunahiki0  長野、静岡両県の「国境」を争う第25回「峠の国盗(と)り綱引き合戦」(飯田商工会議所遠山郷支部など主催)が23日、飯田市南信濃―浜松市境のヒョー(兵)越峠で行われた。観客約400人が集まり、飯田市の牧野光朗市長、浜松市の鈴木康友市長が陣羽織姿で声援を送る中、飯田の「信州軍」が浜松の「遠州軍」を破った。

 勝った方が相手側に領土を1メートル広げられるルールで、12勝12敗の五分で迎えた。信州軍はこれまで遠州軍の「侵入」を許したことがなく、再び勝ち越した。

 合戦は12人ずつの3回勝負。1回目は3分を超えても勝負がつかず初の引き分けに。2回目は信州軍が終始優勢で勝利。3回目は1分半を超えたところで信州軍が一気に綱を引いて勝負を決めた。

 両軍とも9月から練習を重ねて本番に臨んだ。飯田市南信濃の住民でつくる信州軍の隊長、野竹秀範さん(48)は「全員が本当によく頑張った。勝つために隊が一つになれた」。遠州軍の大将、山本功さん(37)は「信州に初めて入り込むチャンスだった」と振り返りながらも、大勢の観客に満足そうだった。(「信濃毎日新聞」より)

 これが、信州側から見たニュースです。悔しい気持ちを忘れずに、1年間は我慢しましょう。県境を見に行かなくては…。

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峠の綱引き、遠州軍苦杯 浜松・水窪

Tsunahiki  浜松市天竜区水窪町の「遠州軍」と長野県飯田市南信濃の「信州軍」が互いの“領土”を懸けて戦う「第25回峠の国盗り綱引き合戦」(同実行委員会主催、静岡新聞社・静岡放送後援)が23日、長野県との県境にある兵越峠で行われた。遠州軍は惜しくも敗れ、悲願の“初侵攻”はならなかった。

 通算成績12勝12敗で迎えた節目の年の決戦は、序盤から大熱戦。互いに譲らず水入りとなった1本目の後、必死の粘りもわずかに及ばず2、3本目で苦杯を喫した。

 勝った信州軍は「国境」の立て札を静岡県側に1メートル動かした。横の標識には「行政の境に非ず」と記されている。(「静岡新聞」より)

 応援に行かず、申し訳ありません。「勝坂神楽」に行ってしまいました。勝ってくれるものと信じていたのですが…。捲土重来。来年、再来年と連勝しましょう。

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ペレット生産に関する資料「木質バイオマス利用促進事業」

 先日(10月21日)に開かれた「ペレット製造工場見学会」に参加した寺田会員から「過日の龍山森林組合のペレット製造工場見学会で戴いた説明書を送付いたします」とのメールとともに、PDFのデータが届きました。

 平成23年3月30日付「浜松市農林水産部森林課」の資料ですが、現在は「農林水産政策課」へと再編されています。ダウンロードしてご利用ください!

 木質バイオマス利用促進事業.pdfをダウンロード

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男根登場!子授け、安産祈願の「勝坂神楽」

Dankon6  「勝坂神楽」は、約400年の伝統を持つ浜松市指定民俗文化財。清水神社と八幡神社の2つの神社の祭典として執り行われ、双方の神社での「ほろ舞」「ぬさ舞」と渡御の「道中舞」に参加できるのは、女装をした男性のみ。女物の着物を着た一人立の獅子というのは、北遠の獅子舞に共通して見られる特徴です。

Dankon4  さらに、もう1つの特徴は、五穀豊穣、子孫繁栄のシンボルとして男根が登場することです。1つは、真っ赤に塗られた大きなものですが、もう1つは列の最後尾の背に負われたもの。この2つの男根のほかにも、大杯を捧げた亀が獅子を先導しているのも、杯が女性器、亀面が男性器を表し、夫婦和合を願ってのものかも知れません。

Dankon6_2  元来、獅子神楽は、五穀豊穣、子孫繁栄を願って奉納されたものと思われます。そこから、子授け、安産へと発展し、大らかな男根登場へとつながっているような気がします。

Kame9  八幡神社での神楽奉納の前には、「新婚さんはいませんか?」との呼び込みもあり、手を挙げた人は拝殿に上がり祈祷を受けることができました。「子どもが欲しい人は、これを撫ぜるとご利益があるよ」との掛け声も。

 季節は秋―牡丹柄の着物は季節外れのような気がします。その理由は分からないそうですが、大正12年(1923)まで気田に工場を構えていた王子製紙から寄贈されたものとのことです。

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「勝坂神楽」前にはシンガーソングライター高橋忠史さんのライブ

Renshu5  春野町勝坂の名前を有名にしているのは、もちろん「勝坂神楽」。次には、旧「勝坂小学校」の木造校舎、この地をベースに活躍しているシンガーソングライターの高橋忠史さん。

Takahashi8  「勝坂神楽」の開始前には、現在は「勝坂公民館」となっている旧小学校の2階講堂で、花笠を被った若衆たちの練習が行われていました。

 そして、彼らが出てくるまでの時間、高橋忠史さんが生ギターをかき鳴らしながらのライブで、聴いてみたかった『勝坂』を歌ってくれました。

♪そびえる山々 谷を渡る風に
 羽根をひろげて舞い上がる
 雄雄しき鳶の陰

 はかない命が 枯れ落ちた木の枝に
 逃げ込んでも又狙われる
 忌々しき蛇の罠

*死ぬるも生きるも運命だと
 山の恵みに手を合わせ
 清き流れの気田川に
 映る勝坂 神の里

 春は花匂い 夏には鮎の群れ
 燃える赤に染まった秋に
 木霊する 鹿の声

 草木枯れ果てて 凍てつく冬が来る
 神の寝床で暮らすもの達
 支えあい春を待つ

 死ぬるも生きるも運命だと
 山の恵みに手を合わせ
 清き流れの気田川に
 萌える勝坂 神の里

*(繰り返し)

Syuppatsu7  覚えやすいメロディーと乗りの良いリズムでしたので、手拍子や拍手もわき、私も思わず「♪映る勝坂 神の里~」と声を出して歌っていました。

 そして、いよいよ笛と太鼓に乗って、獅子、おかめ、花笠の若衆が登場。清水神社に向けて、「勝坂神楽」の始まりです。

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「峰之澤鑛山天龍川船積塲鐵索及運礦船逆航ノ景」と写真師・小川一眞

Minenosawa704  佐口行正氏から届いた古い絵葉書「峰之澤鑛山天龍川船積塲鐵索及運礦船逆航ノ景」は、数少ない峰之沢鉱山の写真。帆に風を受けて川を上る帆船には、明治40年に鉱山を買収した久原鉱業の社章である「扇」の帆印が描かれています。

Minenosawa705 昭和4年(1929)以後の帆印としては、日本鉱業の「○」が使われたはずですので、写真はそれ以前のものと思われます。

 峰之沢鉱山の鉱石は、延長547メートル、高低差265メートルのインクラインを使って下ろされました。以前聞いた話によれば、プラットホームに下ろされた鉱石は、一旦鉄索を使って対岸の青谷に運び、そこから鉱石船に載せられたとのこと。

 この写真の左が川上、対岸から2条の鉄索が右岸に延び、そこにもトロッコのレールのようなものが敷設されていたことが見て取れます。

 目にすることが少ない峰之沢鉱山の写真。裏面には、「小川一眞(おがわかずまさ)印行」とあり、小川一眞とは、万延元年(1860)に生まれて、昭和4年(1929)に没した写真師。日本で最初に写真製版を実用化した、日本写真史にその名を残す人物です。

 *なお、表題の「礦(石+廣)」の字は、鉱山から掘り出した原石を示す漢字。「鑛(金+廣)」は精錬前の金属を指しています。

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2011年10月23日 (日)

どうしても見たかった、400年の伝統「勝坂神楽」

 どうしても、どうしても見たかったんです。どうしても見たくなり、春野町勝坂に向かい車を走らせました。

 今日(10月23日)は、2011年の八幡神社と清水神社の祭典。つまり、「勝坂神楽」奉納の日です。

 心配していた雨も上がり、小さな集落は午前中から人でいっぱい。正午の花火を合図に、旧勝坂小学校である勝坂公民館から、美しい牡丹の柄の女物の赤い着物を着た一団が登場。榊を持った役員、神主に続いて、赤い男根を抱えた人が進み、2頭の獅子に続き道中が始まりました。

Dochumai0 Dochumai10

 先ずは川下にある清水神社から舞の奉納が行われます。清水神社境内は狭いためか、獅子1頭により「ほろ舞」と「ぬさ舞」が奉納され、川沿いの道を歩き、川上の八幡神社に向かいます。

Horomai2 Nusamai7

 八幡神社には子安大神が合祀され、赤い男根に触れれば子宝に恵まれるご利益もあるとのこと。八幡神社の「ほろ舞」と「ぬさ舞」は2頭で舞われました。

Horomai7 Nusamai2

 この後、餅まきが行われて、午後2時過ぎには神事は終了。どうしても見たかった「勝坂神楽」に酔いながら、先ずは撮り立ての写真を紹介しましょう。

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地域共創サロン「天竜に人・物・金を入れる!」

Photo 事務局見習い前原です。21日土曜日、第3回「地域共創サロン」に参加してきました。「天竜川・杣人の会」からは、久保田理事も参加。小嶋先生もいらっしゃいました。

 今回のゲストは、金原明善翁の玄孫でいらっしゃる金原利幸氏。治一郎のバームクーヘンの(株)ヤタロー・取締役本部長で去年から、金原治山治水財団の理事長にもなられました。さらに林業の実働部隊(株)明善フォレストも設立されたそうです。

 04_2ヤタローでは、市内の小学校から大学、15校の学校給食を運営しているほか、浜北森林公園山の家などの公共施設の指定管理者も行なっていて、地域の観光開発取り組んでいるそうです。ユニークだったのは、聖隷病院とコラボした「ヘルスツーリズム」という企画。ツアーに人間ドッグが盛り込まれています。

 北遠においても、秋葉街道ツーリズム推進センターを開設して活動されています。「北遠山の杜倶楽部」にて、会員募集中のようです。 

06 金原治山治水財団では、森林組合と協力し て、森林の団地化にも取り組んでいるそうです。「天竜に人・物・金を入れる!」とっても力強い方針。期待大ですね。

 さらに、(株)明善フォレストを設立して、財団が所有する1,100ヘクタールの森林のビジネス化にも取り組んでいらっしゃいます。木材単価が、1立方米当たり1万円でも、ビジネスが継続的に成立するように計画(BCP)されています。

09 財団林を100ヘクタールごとに10分割し、毎年2割の皆伐と植林、8割の間伐を行なって、50年サイクルで森林の更新を行なっていく計画のようです。今までは、年500立米だった木材産出量を、年1万立米にするそうです。他者所有の森林管理も含め、年2万立米にするそうです。2万立米というと、木造住宅1軒が20~30立米位なそうなので700~1,000軒分位。大手企業と取引を考えると5万立米は必要とのことです。

 と ざあっと金原さんのお話でした。金原氏の活動は多岐に渡っていますが、すべてリンクしている感じです。天竜の林業が進展することは、間違いない感じです^^。

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「遠州周智郡奥山村發電所」が写る古い絵葉書

Okuyama701  前回掲載した「奥山電灯株式会社」の勿体をつけたブログ記事の回答がこれ。佐口行正氏からお借りした「池田屋發行」の古い絵葉書の中の1枚が、「遠州周智郡奥山村發電所」です。

 写真真ん中、やや左上に見える屋根の形、窓の位置、石垣の上に建つ小屋。やはり、あの木造の建屋が旧「奥山電灯株式会社」の発電所に間違いありませんでした。

 山の斜面には、発電用の水車を回したと思われる圧力鉄管が写っています。

Hatsudensyo2  大正7年(1918)~昭和27年(1952)の間、水窪に電気を送り続けた発電所の建屋の小さなこと。当時の発電施設と比べて考えてみると、現在のダム式発電や火力、原子力の発電施設の巨大さが異様に感じてしまいます。

 私たちは、いつからこんなに電気を必要としてしまったのでしょうか?

 下に紹介する絵葉書は、神原方面を写したものと思われる「遠州周智郡水窪全景」と以前にも紹介したことがある「遠州周智郡奥山村縣社山住神社祭典」。2011年の秋季例大祭は11月17日(木)。「遠州周智郡水窪全景」には水窪橋と思われる橋が写っています。

Kamihara702 Yamazumi703

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木質ペレットについて考えてみました。

Pelet3  先日の龍山森林組合の「木質ペレット生産工場」の見学会に参加しました。そこで、家庭用燃料としての木質ペレットの利活用について、もう一度勉強し直してみました。

 扱いやすい家庭用暖房機器のストーブといえば灯油、電気、薪などを燃料としたものを思い浮かべると思います。

 先ずは、電力需要の増大が問題視されている電気ストーブを除外し、代表的な灯油ストーブを考えてみると、灯油の原料となる石油は、燃焼時に地球温暖化の原因物質である二酸化炭素(CO2)発生し、化学物質過敏症、アトピー性皮膚炎などの原因にもなると考えられます。

 また、木質系の燃料を使用する薪ストーブや暖炉は、薪や木材の調達、操作性についてはなかなか容易でなく、普及の頭打ちの原因となっています。

 さて、ここに登場したのが木質ペレットです。木質ペレットは、製造過程において含水率を極めて低く抑えてあります。そのため、他の燃料などと比べても昨今、問題となっているダイオキシンの発生率が低くなります。

 だったら、普通ならば処分してしまうような廃材をペレット化した方が良いのではないでしょうか?

 私にも、この疑問があります。間伐材に、もっと別な有効利用の方法があれば、それに越したことはありません。ただし、「捨て伐り」と称して、森林に放置しっぱなしの間伐材を、廃材よりも安価に安定的に移動搬送できるなら、また、ペレット化することによりこれまで以上に間伐が進むなら、環境にかける費用として考えれば、コストが合うという計算も成り立ちます。

 木材生産の経済林として存続できる森林ならば言うことがありません。しかし、経済林として成り立たない森林については、国民全体で何らかの経済的サポートをする以外に手はありません。だとしたら、木質ペレットが新たな燃料として市場に流通するのを応援するのも、環境問題に関心のある私たちのするべきことだと考えました。

 みなさんの考えを聞かせてください!

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弘法大師ゆかりの薬草「ヒキオコシ」

Hikiokoshi0  水窪で見かけたのは、シソ科ヤマハッカ属の「ヒキオコシ」です。

 その昔、弘法大師が山道を歩いている時、1人の行者が倒れていました。弘法大師は近くに生えていた草の汁をその行者の口に含ませたところ、たちまち元気を取り戻しました。そこで、この草を、病人を「引き起こす」という意味で「ヒキオコシ」と命名したと伝えられています。

 消化不良、食欲不振、腹痛に薬効があるようですが、かなり苦いらしいです。

 草丈はかなり高くなり、細長い花穂に小さな花をたくさん付け、その重さで倒れそうになっています。このままにしておきますか?それとも、引き起こしてあげましょうか?

2011年10月22日 (土)

かっぱで町おこし 天竜区の佐久間観光協会

Kappa  浜松市天竜区の佐久間観光協会(坂井昭彦会長)は、衰退する地域を元気にしようと、地元に伝わる民話に登場するかっぱをイメージキャラクターに決めた。地元で行われるイベントに出演し、盛り上げる。

 民話は佐久間地域に伝わる「かっぱのくれた目薬」。同協会は佐久間を連想し、誰からも親しまれる素材をモデルにしようと、地域の幼稚園児、小中学生、高校生にアンケートを行い、かっぱが選ばれた。名前は「まだない」(坂井会長)ため、30日まで候補を受け付け、11月13日の「フェスタさくま」(佐久間地域自治センター)で発表する。

 坂井会長ら同協会関係者は20日、着ぐるみのかっぱとともに市役所に鈴木康友市長を訪ね、かっぱを前面に古里をPRしていく熱意を伝えた。かっぱと初対面となった鈴木市長は、手を振るかっぱに「かわいいね」と笑顔で応じた。

 佐久間地域は高齢化と少子化が激しく、活性化は急務となっているという。坂井会長は「イベントが多い秋に活躍してほしいと、この時期にデビューさせることにした。何とか町おこしのきっかけにしたい」と意気込んだ。かっぱの名前の募集に関する問い合わせは同協会<電053(965)1651>へ。

 子どもたちに人気があるのは「かっぱ」ですね。「さくま」を大いに売り出してください!

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「はるの山城見学ウォーキング・イラストマップ」無料配布!

Chirashi699  春野観光協会で作成していた「はるの山城見学ウォーキング・イラストマップ」(A4サイズ)が完成し、無料での配布が始まりました。

 マップは11月6日(日)・13日(日)に催行される「はるの山城ウォーキングツアー」に合わせて作成されたもの。「犬居城址」コースと「堀之内城山」コースとが、裏表にイラスト地図で描かれ、ともに所要時間はゆとりを持って2時間。コースの注意点、簡単な城跡の説明や絶景ポイント、トイレの場所なども表記されています。

 昨日、「ウォーキングツアー」の打合せ会に出席して入手したものをPDFに加工してダウンロードできるようにしてみましたが、本物を手に入れたい人は、ぜひ、春野観光協会(053-985-0579)にお問い合わせください!

 ●「犬居城址」コース.pdfをダウンロード
 ●「堀之内城山」コース.pdfをダウンロード

 また、「ウォーキングツアー」の代金は3,500円(昼食代・旅行損害保険料含む)。集合場所は、遠鉄西鹿島駅(8:30)、天竜二俣駅(8:45)です。もちろん、私もボランティアガイドの1人として同行させていただきます。

 詳細チラシは、こちらでダウンロードしてください!→「はるの山城ウォーキングツアー」.pdfをダウンロード 。みなさんの参加をお持ちしています。

Walkingmap1 Walingmap2

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60年で変わったもの、変わらないもの―水窪

 昭和27年(1952)発行の「静岡県磐田郡 水窪町勢一班」―「8.衛生」には、戦中(昭和15年)~戦後(同26年)の年次別結核性疾患者及死亡者数も表になっています。

 「昭和15年 全死亡数147・結核性疾患者数257・結核性疾患死亡者数24」「同16年 153・296・21」「同17年 149・280・30」「同18年 161・275・30」「同19年 165・278・28」「同20年 277・272・31」「同21年 196・266・26」「同22年 118・259・12」「同23年 127・267・24」「同24年 118・276・13」「同25年 129・252・13」「同26年 104・260・14」。

 栄養状態が悪かったかつての日本では、結核は国民病・亡国病とまで言われるほどの猛威をふるい、多くの死者が出ていました。私の母の妹や祖母の姉妹なども結核で死亡しました。

 かつての水窪では、紡績工場などの女工として町外に働きに出た女性たちの中に、結核患者が多く発生したとも聞いています。

 戦後、ストレプトマイシンなどの抗生物質を用いた治療法やBCG接種の普及などにより死亡者は激減した傾向が、水窪でも現れています。

 そのほか、昭和20年の赤痢患者数が81・死亡者数27の数字が、終戦の年に蔓延した赤痢により、多くの死亡者がいたことが分かります。また、結核、赤痢以外の疾患では、疫痢、ヂフテリアで死亡者があり、腸チフス、ヂフテリアも発生していました。

 これは、水窪に限ったことではありません。私たちが生きてきた戦後の時代―わずか60年の時間の流れの中で、住環境の衛生状態は格段に改善されて来ました。

 下に並べた2枚の写真は、先に紹介した60年前の水窪町大里の同じ場所を、2011年10月19日にほぼ同じ構図で撮影したものです。

Misakubo6 Misakubo10

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「葉まで美しい」ゴマノハグサ科コシオガマ

Koshiogama1  水窪の白倉川沿いの道路脇の崖に、ピンク色のキレイな花が咲いているのが目に付きました。何だ、こりゃ?

 花の形からするとゴマノハグサ科。でも、今まで見たことがありません。先ずはカメラに収めて自宅で図鑑を開き…。

 コシオガマ属の「コシオガマ」であることが判りました。コシオガマ?小塩竈?何だ、そりゃ?

 塩竈は塩田で塩を作る竈のこと。名前の由来については、花だけではなく葉も独特の形で美しいので、「葉まで美しい=浜で美しい」とかけて、浜辺で塩を製造するのに使われる塩竈の美しい風情をイメージして名付けられたと説明されていますが、本当かな?

 地域によっては絶滅危惧種に登録されているようですので、初対面なのも納得です。

 自分でも光合成をしながらイネ科の植物に寄生する半寄生植物だそうですが、これは先日、竜頭山で見たミヤマママコナと同じ。ミヤママママコナもゴマノハグサ科です。あっ!いけない!「マ」が1つ多過ぎた!

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「春野ふれあい公園」に立つモニュメント「土霊(つちだま)」

Monument7  「春野ふれあい公園」の管理棟前に立つ、竹の子のようなモニュメントにお気づきですよね?では、このモニュメントにどんな意味があるのかについての解説を、読んでみたことがありましたか?

 みなさんに代わって、私が読んでみましょう…

 1997年7月 春さわやかサミットinはるの開催記念モニュメント

 作品名「土霊(つちだま)」

 この作品は、春の字のつく全国5つの町がまちづくりの活性化を求めて、友好と交流を深めた証として、ここに竹の子のようにすくすくと成長していく力強さを表した記念のモニュメントです。

 福井県春江町、福島県三春町、愛知県西春町、高知県春野町、静岡県春野町

 これで、分かりましたよね。やはり、このモニュメントは竹の子だったのです。向かって左側の足元に、解説のプレートが埋め込まれていました。

2011年10月21日 (金)

後継者不足の神楽 担い手、地区外も視野に 春野

Katsusaka  高齢化、過疎化が進む北遠では、郷土芸能の継承も課題となっている。浜松市の無形民俗文化財に指定され、410年の歴史があると伝わる天竜区春野町勝坂地区の勝坂神楽もその一つ。伝統を守り継ぐ「勝坂神楽保存会」は神楽を後世に残すため、新たな担い手として地区外の人の育成を検討し始めた。今年も23日に神楽を奉納する保存会は「実際に神楽を見てもらい、関心を持つ人が出てきてくれれば」と、来場に期待を寄せている。

 勝坂神楽は子孫繁栄や五穀豊穣(ほうじょう)などを祈り、勝坂地区内の八幡神社と清水神社に「ほろ舞」と「ぬさ舞」を奉納する。舞い手は男性のみ。道すがら、白粉で女装した舞い手一行が「道中舞」も披露する。

 勝坂地区は、山あいにあるわずか十数世帯の小規模集落。昨年4月現在の高齢化率は59.4%に上る。保存会の鈴木茂男会長(88)によると、現在は15人ほどの仲間で神楽を守っているが、在住者と出身者がほぼ半々。最も若くて50代という。

 神楽の将来について、市春野地域自治センターの職員とも相談しながら考える中、勝坂以外からの担い手募集も視野に入れ始めた。地区外の人の手を借りて継承することについて葛藤もあったが「気持ちがある人なら住民でなくても構わない」と考えるようになったという。

 鈴木会長は「400年続く舞を残したい。まずは見てもらい、やってみたいと言う人が出てくれたら、一緒に練習していきたい」と話している。

 勝坂神楽は23日正午、浜松市天竜区春野町豊岡の勝坂神楽伝承館からスタートする。雨天決行。(「静岡新聞」より)

 高齢化、過疎の問題は、日本中のどこででも起こっていることでしょう。勝坂の話は聞かされていましたが、伝統の民俗芸能となると話は簡単ではありません。他の地域の人ができるのは役割の分担だけです。精神的なものや神事としての神楽となると、果たして継承していることになるのでしょうか?

 せめて、かつて集落で暮らしたことがある人とかご親戚の人とかのサポートを期待したいところです。

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水窪にあった発電所「奥山電灯」跡

Okuyamadento9  「水窪町沿革誌」によれば…

 明治40年(1907)の戸数1,061・人口6,264.同42年(1909)水窪に湯浅製糸所設立。大正7年(1918)奥山電灯株式会社が水窪近辺に送電を開始。同年の重要物産の生産額は、生糸26万4,840円・繭16万3,048円・木材19万1,400円・椎茸3万3,000円。

 水窪に電力会社が創立されたのは、大正7年(1918)のこと。この「奥山電灯」は、その後の変遷を経て中部電力に移管され、昭和27年(1952)に廃止されています。

Okuyamadento4  もちろん、このほかにも、組合や個人での発電は行われていたようですが、資料で見る限り、水窪の産業用の電気供給に「奥山電灯」が果たした役割は大きかったようです。

 さて、その「奥山電灯」とは、一体どこにあったのでしょうか?

 地頭方の河内川を少し遡った辺りに、現在では納屋として使われている木造の建屋が見えます。実は、これが「奥山電灯」の発電所跡。取水はさらに上流で行われ、水路と水圧鉄管を通して発電所まで送り、落差を利用しての水車式発電が行われていたようです。

 建屋の側面上部には、電線の引き出し口と思われる5つの穴があり、道路の反対側には、水圧鉄管を支えていたと思われるコンクリート製の脚が残っています。

 今、なぜ「奥山電灯」の話題なの…?その理由が、近いうちに分かりますよ。

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秋葉山、スーパー林道で咲く「コウヤボウキ」

Kouyabouki4  先日、秋葉山でキク科コウヤボウキ属の落葉小低木、「コウヤボウキ」らしい蕾を見つけていました。

 そろそろ開いているだろうと思い確認に行ってみると、予想はズバリ的中!やはり、「コウヤボウキ」でした。

Kouyabouki8  昨年、鳥羽山公園で出会った時に紹介した通り、「コウヤボウキ」の名前は高野山で枝を束ねて箒にしたところから付けられているとのこと。

 うっすらピンク色がかった地味な花ですが、秋葉山からスーパー林道のあちこちで出会うことができました。花に止まっているバッタは、「キンキフキバッタ」かな…?

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栃川沿いに敷設されたトロッコの軌道―「山の人生 川の人生」より

Rindo9  春野の郷土史家・木下恒雄氏が著した気田川畔民俗誌10「山の人生 川の人生」から引用させていただきます。

 あのトロッコの線路も、こゝずうっと使わんくなっちゃってるでの、錆び(鉄さび)ちやってるが、奥の方の丸太ぁ出すについちやぁ、あれやぁ重宝(ちょうほう)したにやぁしたゞいの。

 栃川はさ、途中川だで、年中、尻切れトンボでの、水が無くって枯れちやってるで、川狩り(丸太の搬送)よぉ仕様にも、肝心の水が無くって足りんで、出来るもんじやぁなかったでの。

Rindo8  その大雨が降ってもの、川狩りに要る水量の頃合いのえゝ時分というも、そう長くなかったで丸太ぁ流すにやぁ苦心したゞよ。そこで水ぉ溜めといて流すっていうのも、そうそう出来やぁせんでの、それにやぁ手間隙(てまひま)が要るでの。

 そんだでトロッコの線路ぉ敷いて、栃川が気田川へ出たところまで敷いてったもんだいの。

 そのトロッコに乗せた丸太はの線路ぉ西へ下って行って、その先の気田川の川岸が土場んなってたで、そこで直ぐと筏をかいて(筏を組む)天龍(川・浜松市中之町)へ持ってったゞいの。

 かつて春野町に敷設された線路と言えば、「気田森林鉄道」と「熊切森林鉄道」の名前が挙げられます。しかし、レールを敷いた木馬道とも言うべきトロッコ軌道は、栃川沿いでも活躍していたのです。

 坂下の赤い九里橋と交差するように、かつてトロッコ道だった「丸白林道」が残っていました。

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2011年10月20日 (木)

世代超え町民と交流 浜松・佐久間中生が遠足で体験学習

 浜松市天竜区佐久間町の佐久間中学校は19日、町内で世代間交流学習を兼ねた秋の遠足行事を行い、生徒らは体験学習を通して地域住民との触れ合いを楽しみ文化を学んだ。

 1年生はJR飯田線中部天竜駅から城西地区の基幹集落センターまで約18キロを歩き、地区のお年寄りらの指導でしめ縄作りを体験。2年生は同駅から約6キロを歩いて山香地区の山香ふるさと村で五平餅作り、3年生は学校から浦川地区のアーチェリーガーデン・瞑想館を目指して約6キロを遠足、アーチェリーと弓道をそれぞれ体験した。

 このうち2年生が訪ねた山香ふるさと村では、地域おこしの女性グループらが地場産みそや梅干しなどの特産品を製造販売。生徒らは代表の三井節子さんらメンバー6人の指導で、初めての体験五平餅作りに挑戦した。

 炊きたてのご飯をつぶして小分けし、長さ24センチのスギ板に伸ばして付けた。炭火であぶって特製みそだれをたっぷりと付け、再び軽くあぶって出来上がり。早速試食した生徒らは「おいしい」とほおばり、体験活動を楽しんだ。(「中日新聞」より)

 昨日、「山香ふるさと村」の横を通った時に、いつにも増して車がたくさん停めてあり、賑やかそうでした。遠足だったんですね。

 郷土のことを知り、もっと好きになる機会になったことでしょう。

龍山森林組合で「ペレット生産工場」見学会

Kengakukai8  浜松市は、間伐材を使ったバイオマス(生物資源)燃料「木質ペレット」の製造拠点を龍山森林組合(天竜区)の木材加工場に整備し、4月から静岡県内で初めて稼働させる。操業に合わせて需要拡大を図るため、ボイラーなどの設備更新に独自の助成を始める。

 「中日新聞」に、この記事が掲載されたのは、今年の2月。予定からは遅れていましたが、来月(11月)中旬には本格的に稼動し、生産、供給が行われるという、龍山森林組合内の「ペレット生産工場」を見学させていただきました。

 原材料は、浜松市の山から伐り出された杉やヒノキの間伐材。製造工程は、一次破砕→粉砕乾燥→ペレット造粒。現在は産業用として直径約8ミリのペレットを製造していますが、今後は一般家庭用として直径6ミリのものも造り、ペレットストーブの普及を目指すため、1台につき5万円の助成金が交付されるとのこと。

 木材は成長段階で二酸化炭素(CO2)排出量を吸収固定することから、燃焼時に二酸化炭素排出をしないとみなされる温室効果ガスのカーボンオフセットになります。また、現在の円高から円安になった場合など、原油価格の値上がりリスクのある石油や灯油と比較して、安定した供給可能なことも特徴。

 間伐を促し森林保全にもつながる試みですが、製造、流通などのコスト高のデメリットが気になります。

 普及していくためには、まだまだ課題も多く残っているようですが、先ずは啓発、普及の段階。当面の生産は年間800トン。需要が増えて来れば、民間参入などにより、供給量も安定して来るはず。家庭用燃料として、コスト面の問題も解消されることに期待しましょう。

Hasai1 Kanso9
●一次破砕機 ●粉砕乾燥装置
Pelet7 Pelet6
●ペレタイザによるペレット造粒 ●流れ落ちるペレット

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「ホトトギス」と「タイワンホトトギス」

 ユリ科ホトトギス属のヤマホトトギスとヤマジノホトトギスは紹介したのですが、肝心の「ホトトギス」が水窪の白倉川沿いで咲いていましたので紹介します。

Hototogisu1 Hototogisu3

 ヤマホトトギスとヤマジノホトトギスに見られるような花被片の大きな反りはありません。

 右の写真に写る左側の細長いものは、若い朔果です。面白い形でしょう?

 下の写真は、「ミナの森 にしうれ小学校」で活けられていた「タイワンホトトギス」。観賞用に栽培されているものは、こちらが多いようです。

Taiwanhototogisu8

 ホトトギス、いいですね~。道草、だいすき!です。

 【関連記事】道草ばかりの秋葉山登り①―ヤマジノホトトギス
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レトロな駅舎にレトロなポスト―天浜線「天竜二俣駅」

Futamataeki9  木造平屋建、切妻造、桟瓦葺、縦板張り外壁の本屋が北面し…

 現在の天竜浜名湖鉄道「天竜二俣駅」は、かつての国鉄二俣線「遠江二俣駅」。昭和15年(1940)の開業当時からの駅舎は、国の登録有形文化財に登録されました。

 そんな雰囲気のある駅舎と木造の建屋で覆われた電話ボックスの前に、赤い丸型ポストが似合っています。

 残念ながら、北遠の丸型ポストは意外と少ないのが本当のところ。でも、レトロな駅舎に立つなら、この丸型ポストが似合っています。

 【関連記事】赤いポストを覆う真っ赤な「ピラカンサス」
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 ●いつの間にか四角の箱型に変わってしまいましたが、かつて、ポストと言えば「丸型ポスト」…
 ●昭和24年(1949)に登場した「郵便差出箱1号丸型」…
 ●「郵便差出箱2号」と呼ばれる、壁掛けポスト…
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10月19日「水窪ダム」異常なし!

Misakubodam9  昨日(10月19日)、NPO法人「天竜川・杣人の会」会長より「水窪ダムの水量はどう?」と聞かれました。「はい、すぐに調査に向かいます!」。

 写真は、19日午後1時の水窪ダム。水は濁っていますが、決して多くはありません。

 任務完了!報告は以上です!

 紅葉は、まだ少し先。フジアザミの花が見られなかったのが残念です。

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知っておきたいお城用語―STEP6「別郭一城」

Chobo8  鳥羽山城

 鳥羽山城は天竜川に臨み、支流二俣川を隔て二俣古城に対峙、遠州平野や、北方の山並みが望める標高108メートルの俗に本城山と呼ぶ山頂に築かれており、二俣城とは別郭一城の関係にある城館的色彩の濃い山城である。

 江戸前期の兵学者山鹿素行の著した「武家事記」の「三方ケ原合戦図附総図」には二俣新城と記入されている。

 天正3年(1575)徳川家康が武田軍の守る二俣城を攻略するとき鳥羽山に本陣をしき、天竜川の対岸和田島、二俣川の向う毘沙門堂に砦を置いて二俣城を包囲したことは世に知られている。

 主郭の四囲の山腹、山麓には各種の遺構がある。土塁、石垣、門、井戸、建築跡、庭石のほか昭和50年の発掘調査により、侍屋敷、家老屋敷、蔵屋敷、暗渠跡などが発見されている。

 戦国時代の城館で庭園や泉水を伴うものは全国でもまれで、特に家老屋敷や蔵屋敷に遺存する岩盤利用の枯山水の鳥羽山城庭園は文化史上貴重な遺跡である。

Teienato6  これが、浜松市によって鳥羽山公園駐車場に建てられている看板に書かれた解説です。

 「別郭一城(べっかくいちじょう)」とは、1つの城ではあるのですが、戦時にはそれぞれ別の城として機能したもの。鳥羽山城の築城時には敵対する施設だったのですが、家康が二俣城を奪回して以来、「別郭一城(一城別郭)」の城となったということです。

 上の写真は、展望台から見下ろした眺望。下の写真が枯山水庭園跡と言われている石組みです。

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2011年10月19日 (水)

見上げても見下ろしても水窪町地頭方字上村

 浜松市天竜区水窪町地頭方字上村(うえむら)は、下から見上げれば確かに「上村」。でも、上から見下ろしてもやっぱり「上村」です。

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ヒメジソによく似た「イヌコウジュ」

Inukoujyu8  シソの花にそっくりでしたので、ヒメジソかな?とも思ったのですが、どうやらシソ科イヌコウジュ属の「イヌコウジュ(犬香薷)」のようです。

 ナギナタコウジュ属のナギナタコウジュ(薙刀香薷)は薬草としての価値があるのですが、「イヌコウジュ」は役立たずの犬呼ばわり。

 それにしても、「オオイヌタデ」「イヌビユ」「オオイヌノフグリ」「イヌガラシ」「アメリカイヌホオズキ」「イヌヤマハッカ」「イヌゴマ」…。確かに、我が家のコーギーも役には立ちませんけどね。

 【関連記事】「薙刀香薷」って読めますか?書けますか?

知っておきたいお城用語―STEP5「堀切と土橋」

Horikiri6  二の曲輪と三の曲輪の間には、堀切が設けられていました。堀切の東端には、土橋が確認されています。この土橋によって、城内道は直線で二の曲輪斜面を通ることが可能となったのです。

 堀切の形状は、断面逆台形の箱堀で、上幅が役11m、下幅が約1m、長さ約11mです。岩盤を削って造られており、その深さは、約8m、45度とい急角度に加工されていました。専門集団の関与が考えられるほど、丁寧な造りとなっています。

 土橋は、岩盤を掘り残して造られ、幅約1.5mで、堀底からの高さは60cmです。

Dobashi1  水窪の高根城跡には、井楼櫓(せいろうやぐら)、主殿、城門などが復元されています。よく整備されていますので、山城ファンにとっては分かりやすく人気の高い施設です。

 発掘された「堀切(ほりきり)」は、解説看板の通りの「箱堀(はこぼり)」。硬い岩盤を掘って造られていますので、ここに落ちたら這い上がるのには相当の時間がかかります。そこに矢を射掛けられたら一たまりもありません。

 同じ「堀切」でも、春野の堀之内城山城跡のそれは、山土を掘って造られたもの。そのため、掘り出した土を利用した「土塁(どるい)」が併設されています。こうすれば、5メートルの堀を実質10メートルの高さにすることにより、より防御能力を増すことができます。

 「土橋(どばし)」は、「堀切」の一部を掘り残して橋としますが、「木橋」を架けた場合には、いざ敵が攻めて来た時には崩してしまいます。

 これが、「堀切」と「土橋」の関係。「堀切」は尾根筋を遮断するには有効な手段。戦国時代の山城はあくまでも戦闘基地でしたので、居住のしやすさよりも戦闘時の詰城として、防御に有利な施設となっていました。

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2011年10月18日 (火)

フレーム切手セット「北遠江戦國史 高根城」発売

Kitte  浜松市で開催される「全国山城サミット」を記念して、フレーム切手セット「北遠江戦國史 高根城」が発売されました。

 切手セットは解説付台紙に入り、1シート(80円×10枚)1,500円。高根城の遺構に甲冑姿の武者を配したデザインです。

 このシートを持って高根城見学に出かければ、十分パンフレット代わりになります。

 これは面白そう。ほしいでしょう?早速、浜松市内の郵便局に出かけることにしましょう!

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我が家の近くにもあった「双体道祖神」

Dosojin0  分かりやすい男女の姿から人気の高い「双体道祖神」ですが、我が家のすぐそば、磐田市豊岡敷地のお寺にもあると聞き、早速出かけてみました。

 車で行くほどの距離でもありませんでしたので、散歩をかねて徒歩で向かいました。稲刈りを終えた田んぼの中の道を通り、コスモスの咲く草原を抜け、お寺には南側から入ります。

 本堂脇に「道祖神」と書かれた祠があり、祀られた小さな石には、確かに2体の姿が彫られています。これだ!

 地蔵のような赤いよだれかけをしていて、その下の様子が分かりません。失礼してよだれかけを上げてみると、2体は手と手を取り合っていましたので、どちらかが男神でどちらかが女神だろうと思います。

Dosojin1  道祖神はほぼ真ん中辺りで2つに割れています。以前は、個人宅にあったのを、お寺に移したと聞きましたので、これが元々、地域によって祀られていたものではないのかも知れません。

 二神の頭上中央には「さへ乃かみ」と彫られています。本来は、悪霊や疫病の侵入を防ぐために村の境界に祀られたものであったと思われます。

 時代考証は分かりませんが、もしかしたら、天竜川筋の他の道祖神と同じ民俗伝播のルート、天竜川の水運によってもたらされた最南端の「双体道祖神」なのかも知れません。

 ●路傍に建つ石仏は一見同じように見えますが、実は、地蔵、馬頭観音、庚申仏、観世音菩薩…
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「富士薊」と「富士山」

Fujiazami0  スーパー林道や水窪ダムで咲く日本最大のアザミ「フジアザミ」―まだ見たことがない人には、ぜひとも見ていただきたいと思います。「フジアザミ」は、富士山を中心に、日本列島中部の山地に分布しているとのことですが、子どもの握りこぶしくらいの大きさがあります。

Fuji5  見に行ってほしいな~。

 「富士薊」の花が咲くスーパー林道からわずかに見えた「富士山」。拡大してみたら、山頂がちょこっとだけ写っていました。

 これも、見に行ってほしいな~。

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ふるさとものがたり天竜「三日女峠のあわれ」より

Futamatajo  むかし、むかし、遠江の国の二俣に、二俣城という城があった。
 城の主はまだ年若い殿さまであったが、戦いにかけてはだれにも負けないほどの力を持っていた。その上、頭が良くて、やさしくて……。それはもう、非のうちどころのない殿さまであった。
 家来たちは、そんな殿さまに仕えることを、たいへんほこりに思っていた。
 殿さまを、小さい時から育てあげた乳母や大勢の腰元たちも、
(わらわの殿さまは、日本一)
と、みんなそう思っていた。
 ところが殿さまの奥方は、とても美しいお姫さまであったが、大変なやきもちやきで、大勢の女たちが殿さまに近づくのを、ひどく嫌っていた。
 とうとうある日、そのお姫さまは、
「殿さまのお世話は、ぜーんぶ、わらわがいたすほどに、そなたたちは、国元へ帰るがよい。」
と言って、乳母や腰元たちに、ひまを出してしまった。
 女たちはみんな、三河の国から二俣の城へあがっていたのであるが、奥方であるお姫さまからひまを出されたのでは、もう殿さまのお世話をすることは許されない。
 みんなは仕方なく、国元の三河へ帰って行った。

 ところがそのお姫さまは、今度は自分の生みの親へ、
「わらわの殿は、敵方と内通しているようす。」
という便りを、書いてしまった。
 怒った父親は、二俣城の若き主に切腹を命じてきた。

 風の便りでそのことを知った乳母や腰元は、一目殿さまにあいたいものと、みんなで三河の国を旅立った。
 三河路を、遠江二俣に向けて歩を急がせた女たちは、やがて二俣まであと一息という、阿多古の里、塩見渡の山の峠までやって来た。
「ああ、二俣が見える。なつかしい二俣の城が見える。それにしても、何というご不幸な殿さまであろうや。」
 みんなは涙して、城をながめた。
「この山を下って、塩見渡渡船を渡れば……二俣。ああ、一刻も早く行きたい。」
 女たちの心は、逸った。
 しかし……。
 そのころ遠江の国は毎日毎日雨が降り続いて、天竜川が増水し、今日も渡船は船止めであるという。
「ああ、ここまで来ていながら、殿さまの元へ行かれないとは……。」
 女たちはみんなくやし涙をこぼしたが、二俣への道は、他にはない。
 殿さまの切腹は、三日後に迫っていた。
 女たちは塩見渡峠に立って、二俣城を眺めて泣いた。
 雨は次の日も降り続いて、天竜川の水かさは一向に減る気配がない。
 女たちは雨の中に立ちつくして、二俣城に向かって手を合わせ、泣き続けていた。
 そしてとうとう三日目、殿さまの切腹の日が訪れた。
「ああ、お殿さま……。」
 女たちは、声を上げて泣きあい、世の無常をなげき悲しんだ。

 こうして峠の上で、三日三晩泣き続けた女たちをあわれんで、村人は後に、この峠を『三日女峠(みつかじょとうげ)』と呼ぶようになったと言われている。(「ふるさとものがたり天竜・第4章下阿多古地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 写真は平成21年(2009)、「静岡国民文化祭」に合わせて築造された模擬天守閣「二俣一夜城」です。現存する天守台の上に建てられました。家康の嫡男(長男) 岡崎三郎信康が 非業の死を遂げた城として知られています。

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

アキノキリンソウの別名は本家「アワダチソウ」

Akinokirinso9  キク科アキノキリンソウ属「アキノキリンソウ」の名は、ベンケイソウ科マンネングサ属のキリンソウに似ているところから付けられました。

 ところが「キリンソウ」には、穂状に咲く花が酒が発酵する時の泡立ちに似ているところから付けられた別名があります。その名も「アワダチソウ」。

 そうです。あの帰化植物のセイタカアワダチソウは、「アワダチソウ」に似ていて背が高くなるところからの命名。もちろん、同じキク科アキノキリンソウ属です。

 つまり、どちらかと言えば本家は「アワダチソウ=アキノキリンソウ」の方なのですが、秋の野原はすっかり有名になったセイタカアワダチソウに譲り、「アキノキリンソウ」は山里でひっそりと咲いていました。

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2011年10月17日 (月)

スーパー林道の秋空と今年最初の紅葉情報

 2011年10月17日、「新・浜松の自然100選」スーパー林道の秋景色です。

Aozora9 Aozora5

 青い空と白い雲を背景に、銀色に光るススキ。遠くの山も青く見えます。東を望めば、久しぶりに富士山も見えていました。

Shirakaba4 Shirakaba5

 白樺はすでに葉を落とし、白い幹が青空にスッキリと伸びています。この景色が浜松だなんて信じられますか?

Koyo0 Koyo7

 紅葉は…?部分的には早くも色を変えた木もありますが、全体的にはまだですね。台風15号によって葉を落とされた木々も多く見られます。

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青紫色の「イワシャジン」と布滝

Iwasyajin4  山住神社から水窪市街地(?)に向かう県道389号―ふと見上げると、ツリガネニンジンに似た花が目に留まりました。ツリガネニンジンにしては、季節が遅過ぎます。花の色も濃く、もしかしたら「イワシャジン」?

Nunotaki7  水窪に「イワシャジン」が生育しているのは聞いていました。岩の上から垂れるように咲く青紫色に花。とても、背が届くところではありませんでしたので、望遠で撮影。間違いなく「イワシャジン」であることが判りました。

 岩場に咲くツリガネニンジン(沙参)に似た花「岩沙参(イワシャジン)」。キキョウ科ツリガネニンジン属。地域によっては絶滅危惧種に指定されています。

 先日の雨で自然100選「布滝」の水量が増え、いつもの「糸滝」から久しぶりに本来の「布滝」らしくなっていました。紅葉には、まだ少し早いようです。

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勇壮な舞で観客魅了 南信州獅子舞フェスに2万5千人

Sisimai  飯田下伊那地方を中心とする獅子舞や太鼓の保存会などが伝統の演舞を披露する「第4回南信州獅子舞フェスティバル」(実行委員会主催、信濃毎日新聞社など共催)が16日、飯田市街地で開かれた。JR飯田駅前から延びる中央通りの約700メートル区間が会場となり、県内外から約2万5千人が集まった。

 飯伊地方の21団体、東京都と茨城県の1団体ずつの計23団体が出演。お囃子(はやし)を奏でる屋台をほろで覆った飯伊地方特有の「屋台獅子」などが勇壮に舞い踊った。

 大洲七椙(おおしまななすぎ)神社奏楽保存会(下伊那郡松川町)は、迫力のある屋台獅子と、その前で振り袖姿の女の子が舞う「おかめ踊り」で観客を魅了。

 大人顔負けの演舞を披露する子ども獅子も会場を沸かせた。自前の獅子頭(がしら)を操った羽場獅子舞保存会(飯田市)の渡辺翔真ちゃん(4)は「楽しかったです」と笑顔を見せた。

 昼休みには「第2回創作獅子舞コンクールin飯田」も開かれ、6グループが独創性などを競った。地元の児童や園児らが段ボール箱で作った獅子頭を元気に振ると、沿道からは「かわいー」の歓声も上がった。

 フェス終了後、実行委の佐藤一成会長(61)は子どもたちの活躍を振り返りながら「獅子舞を次代に継承する気持ちが育っているようでうれしい」と話していた。(「信濃毎日新聞」より)

 青崩峠を越した向こう側ですが、北遠の獅子舞と似ていると思いませんか?人々が往来すれば、文化の共通性をもたらしましたのだと思います。

 でも、23日(日)の「峠の国盗り綱引き合戦」に負けるわけにはいきません!

遠州軍、大一番に高まる闘志 23日に国盗り綱引き

Kunitori  浜松市天竜区水窪町の「遠州軍」と長野県飯田市南信濃の「信州軍」が互いの“領土”を懸けて戦う「第25回峠の国盗り綱引き合戦」(同実行委員会主催、静岡新聞社・静岡放送後援)が23日、長野県との県境にあるヒョー越峠で行われる。通算成績は12勝12敗の五分。節目の年の大一番に向け、両軍の練習は一層熱を帯びている。

 綱引き合戦は1987年、旧磐田郡水窪町と長野県南信濃村の商工会青年部の交流事業として始まった。3本勝負で2本先取した方が、「県境」を示す立て札を相手側の領土に1メートル移動することができる。

Iida  昨年の勝利で県境を元に戻し、悲願の“初侵攻”に燃える遠州軍は、市立水窪小で週3回の練習に励む。天竜商工会の山本功青年部長(37)は「チームワークは万全。1度は相手の領土に食い込みたい」と闘志を燃やす。

 一方、これ以上引けない信州軍も気合十分。飯田商工会議所遠山郷支部の大屋敷和彦青年部長(43)は「ベストを尽くし、“侵攻”を阻止したい」と意気込む。

 当日は午前10時半から開会式を行う。会場には駐車場がないため、町内2カ所からシャトルバス(往復500円)を運行する。問い合わせは天竜商工会水窪支所<電053(987)0432>へ。(「静岡新聞」より)

 今年こそ、応援に行ってみようと思っています。どなたか一緒に出かけませんか?

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クローブに似た花「セキヤノアキチョウジ」

Akinochoji5  香辛料の丁子(クローブ)に似た青紫色の花を咲かせるシソ科ヤマハッカ属の山野草の名を、「アキチョウジ」だと思っていたのですが、「アキチョウジ」の分布は関西から九州にかけて。北遠に生育しているのは「セキヤノアキチョウジ」と言うのだそうです。

 「セキヤノ」とは、箱根の関所役人のいる建物「関屋」の近くで見つかったという意味だって。

 「アキチョウジ」のほかに「アキノチョウジ」の表記もありましたが…?

 山住峠の湧き水「日本一おいしい水」の路肩に、いっぱい咲いていました。

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消された「秋葉大権現」の文字―大園の常夜灯

Oozono6  旧天竜市の大園には、「明治四十四年一月建之」の「秋葉常夜燈」が立ち、基礎には「大園區安全」の文字が彫られています。

 この常夜灯のことは以前から知っていましたが、今回紹介したいのは、竿の正面に彫られた「秋葉常夜燈」の文字ではなく、その脇に彫られた「秋葉大権現」の文字。その「秋葉大権現」が何かで埋められて消されているのです。

Daigongen6  明治44年(1911)には、とっくに神仏分離令は周知されていたはず。ところが、何かの理由で「秋葉大権現」と彫ってしまったことに気づき、この文字を埋めて竿を90度回し、現在の正面の位置に新たに「秋葉常夜燈」と彫ったものだと思われます。

 そのため、竿の右側の道路側から建立年月が見えてしまいます。

 姿の美しい神前型の石灯篭。かなり大型ですので、遠目にもよく目立ちます。でも、近寄って見ると、こんな歴史が垣間見えます。やはり、車上から眺めて通り過ぎるだけではダメですね。

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2011年10月16日 (日)

本田伝承館、来場3万人 天竜区

Honda  昨年4月に開館した浜松市天竜区二俣町の本田宗一郎ものづくり伝承館の来館者数が15日、3万人を超えた。3万人目となった静岡市駿河区の会社員桜井仁さん(45)、妻みのりさん(43)、長男颯一郎君(11)、次男隼士郎君(7)一家に記念品が贈られた。

 昔からバイクが好きという桜井さんは、長男に“そういちろう”と名付けるほどの本田ファン。「前々から来たいと思っていました」と語り、颯一郎君は「(3万人目と聞き)ちょっとびっくりしました」とはにかんだ。

 同館を管理運営しているNPO法人本田宗一郎夢未来想造倶楽部の大橋武司理事長は「息長く、皆さんからかわいがられる館にしていきたい」とあらためて誓った。

 同館は、12月4日まで特別展を開催している。月、火曜日は休館。(「静岡新聞」より)

 北遠は、HONDAの故郷でもあり、フェアレディZの故郷でもあります。それにしても、名前も「そういちろう」とは奇遇ですね。

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民話の世界を演出 佐久間民俗文化伝承館で観月会

Densyokan  浜松市と佐久間観光協会城西支部(奥山浩行支部長)は15日、浜松市天竜区佐久間町の佐久間民俗文化伝承館で「民話の郷イベント&風流北条峠の観月会」(静岡新聞社・静岡放送後援)を開いた。あいにくの雨で月を見ることはできなかったが、会場には多くの観光客が詰め掛けた。

 地元の民話語り部グループ「やまんばの会」をはじめ、町内外の団体が各地域に伝わる民話を紹介。それぞれ感情を込めた朗読に人形劇や音響を加える工夫を凝らし、幻想的な雰囲気を演出した。

 地元の小学生による飛竜太鼓も披露されたほか、そばやとじくりなどの地場産品の販売も行われた。

 同町をPRするため先月に「誕生」したかっぱのキャラクターも登場し、会場を盛り上げた。(「静岡新聞」より)

 天気が悪かったので残念でしたね。「かっぱ」のキャラを見たかったのですが…。

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レタスと同じ仲間「ホソバアキノノゲシ」

Hosobaakinonogeshi6  明らかにキク科の舌状花ですがクリーム色。アキノノゲシだろうと思ったのですが、葉が細く、切れ込みがありません。

 調べてみると、同じアキノノゲシ属に含まれる「ホソバアキノノゲシ」のようです。

 ケシ(芥子)の仲間ではないのに「ノゲシ(野芥子)」の名が付いているのは、春咲きの「ノゲシ」や「オニノゲシ」と同じ理由。つまり、葉の形がケシに似ているところから名付けられたのですが、「ホソバアキノノゲシ」は葉の形も違います。

 同じ仲間の野菜がレタスです。属名の「Lactuca」はレタスと同じですので、葉や茎から乳(lac)が出ます。ちょっと苦味があるようですが食用にもなり、油炒め、汁の実、和え物、てんぷら…。

 いざとなったら、食べられるものってたくさんありますね。でも、食べるのだったら、「細葉の」じゃあない方がいいですよね?

60年前の水窪の教育―「水窪町勢一班」より

Misakubo5  佐口行正氏からお貸しいただいた昭和27年(1952)発行の「静岡県磐田郡 水窪町勢一班」。「7.教育」の項を見てみましょう。

 「(4)学令兒童及生徒数 昭.26.4.30.現在」の表には、「小學校数1・男687・女715・計1,402」「中學校数1・男313・女331・計644」「高等學校1・男124・女34・計153」とあります。

 ここで言う「小學校」は、「水窪町立水窪小學校」のこと。当時の水窪小學校には、西浦、大地、大野、草木、有本、大嵐、門谷、河内浦、門桁に分校がありました。「学令兒童」のほぼ全員が就学していたと思われがちですが、「未就學」として「男1・女3・計4」の数字が挙げられています。今では当たり前となっている「六三制」が実施されたのは、昭和22年(1947)。同じ年に国民学校は「水窪小學校」へと変わり、分教場は「分校」へと変わっています。

Misakubo6  また同年創立の「中學校」は「水窪町立水窪中學校」であり、西浦、渡元、大地、門桁に分校がありました。水窪にあった「高等學校」とは同25年(1950)に開校した「靜岡縣立二俣高等學校水窪分校」であり、男女の進学率には4倍もの開きがありました。

 昭和25年度の中学校卒業生の「卒業後の状況調」によれば、男子の12人が高校へと進学しましたが、多くは農業32・林業32などの職に就き、女子の進学者は8人、農業33のほか紡織業に就いた者が35人もいたというのが、当時の世相を反映しています。

 1枚めの写真には、当時の「水窪町本町」「水窪町大里」の家並が写っています。2枚めの写真「水窪町小畑」に写っているのは、ブログ「吾亦紅(われもこう)」を開設している水口さんの「双葉美容院」の丁字路です。

 写真に写っているボンネットバスは国鉄バスでしょうか?何だか60年前の水窪から、現代の私たちの元へ近づいて来ているような錯覚にとらわれました。

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知っておきたいお城用語―STEP4「縄張」

Ezu7  城について解説した文章に必ず登場するのが「縄張(なわばり)」という用語。「縄張」で想像するのは、暴力団だったり、動物のテリトリーですが、お城用語としては、曲輪(くるわ)や堀、門、虎口(こぐち)などの配置を指す言葉です。

 城の良し悪しは「縄張」で決まるとも言えるほどの重要な要素なのですが、平城と違い山城の場合には地形的条件や規模による制約があります。

 永禄3年(1560)に築城されたと言われている二俣城があったのは、標高90メートルの南北に延びた台地上。西を流れる天竜川と、東から南へと蛇行して流れていた二俣川を天然の外堀とし、北曲輪、本丸、二之曲輪、薮屋敷、南曲輪の順に配した「連郭式縄張」。西曲輪は、井戸曲輪として天竜川の水を汲み上げる必要上、本丸西に張り出した配置となっていました。

 本丸に天守台が造営されたのは、天正18年(1570)に家康が関東に移封され、浜松城主堀尾吉晴の弟、宗光の時代に行われた大改修の時と考えられています。

 現地に立つ「二俣城図」の看板でお確かめください!

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槍を構えた武装集団「ヒカゲノカズラ」

Hikagenokazura4  ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属の「ヒカゲノカズラ」の胞子嚢穂です。

 「ヒカゲノカズラ」はツル性のシダ植物。初夏に胞子嚢穂を伸ばし、秋になると黄変し、熟した胞子を撒き散らします。

 「ヒカゲノカズラ」は常緑多年草ですので、1年を通して緑色なのですが、胞子嚢穂だけは淡黄色に色を変えます。

 林縁でこんな槍を構えた武装集団を見かけたら、それは「ヒカゲノカズラ」の軍団です。

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2011年10月15日 (土)

集団生活で協調性養う 水窪小児童が通学合宿

Gassyuku  浜松市天竜区水窪町の市立水窪小の児童が12~14日、小学校から北へ約7キロの同町西浦地区の「田楽の里」で通学合宿に取り組んだ。4~6年生15人が親元を離れ、2泊3日の日程で寝食を共にした。

 児童の自立や、集団生活で助け合いの心を育てることが目的。子供たちはお互い協力して焼き肉やカレーなどの夕食を作ったり、後片付けや清掃をしたりして協調性を養った。朝はバスと徒歩でそろって登校した。

 通学合宿は水窪青少年健全育成会(熊谷啓司会長)主催で、今年で6回目。(「静岡新聞」より)

 いやいや、楽しそうな合宿です。山の学校では、市街地の大きな学校と違い、少人数ならではの教育ができる良さがありますね。

迫力満点の和太鼓堪能 水窪小、城西小が鑑賞会

Taiko  浜松市天竜区の市立水窪小と城西小は14日、合同行事として同区水窪町の水窪文化会館で芸術鑑賞会を開いた。国内外で演奏活動を続ける和太鼓集団「志多ら」が迫力満点のステージを繰り広げ、両校の児童や地域住民らを魅了した。

 志多らは愛知県北設楽郡東栄町に拠点を置くプロの演奏団体。団員は一糸乱れぬばちさばきでリズムを刻み、直径約1メートル、重さ約500キロの大太鼓の演奏ではひときわ大きな音を会場に響かせた。獅子舞と道化役の寸劇も披露し、観客の笑いを誘った。

 「たたこうコーナー」では、児童が団員の手ほどきを受けて太鼓をたたき、日本の伝統芸能を体験した。城西小5年の平出智教君(10)は「はね返りが強くて、しっかり握っていないとばちが飛んでしまいそうだった。志多らの人たちはすごい」と目を輝かせた。(「静岡新聞」より)

 お腹に響く和太鼓の音を体験できたのは、うらやましいです。将来、子どもたちの太鼓チームが出来ると良いですね。

昭和27年「水窪町勢一班」―森林鉄道がある風景

Choseiippan0  いつも古い絵葉書を提供していただいている佐口行正氏から、昭和27年発行の「静岡県磐田郡 水窪町勢一班」を貸していただきました。町章と山住神社と思われる鳥居のある風景をあしらった青色の表紙。B6判28ページに資料写真と広告がついた小冊子です。

 目次は、「1.総覧2.土地3.人口及職業4.行政5.財政6.警察消防7.教育8.衛生9.社会事業10.宗教11.産業12.交通及通信13.金融」に分かれ、昭和27年(1952)当時の水窪の有り様を知るには貴重な資料となっています。

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Tetsudo1  先ずは、別添の「水窪町図」を紹介しましょう。町図には、書き込みがあり少し見難くなっていますが、まだ佐久間ダムの工事が始まる前でしたので、飯田線は水窪を通ってはいません。その代わりと言っては何ですが、凡例に「山林軌道」と記された「++++」の線が、「∴山王」を経て「戸中山國有林」まで延びています。

Tetsudo9  これが昭和15年(1940)に着工し、同28年(1953)には総延長21,310メートルまで延長された「水窪森林鉄道」の軌道。今まで、この鉄道に関する資料を見る機会は多くはありませんでしたが、この「町勢一班」には、鉄道が写っている写真が2枚掲載されています。

 1枚は「水窪榮林署戸中山事業所」、もう1枚は「戸中山へ向ふ森林軌道」。

 いかがでしょうか?写真は印刷のため荒れてはいますが、これが、「水窪森林鉄道」!見たかったあの森林鉄道の写真です。

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 ●昭和42年(1967)に廃止された「水窪森林鉄道」の廃レールは、ここ水窪でも半鐘台となって再利用…
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天竜浜名湖鉄道、川下り撤退方針 経営検討会で表明へ

 浜松市天竜区の天竜川で5人が死亡した川下り船の転覆事故で、運営会社の第三セクター天竜浜名湖鉄道(同区、名倉健三社長)が、来年度以降の継続が焦点となっている川下り事業について受託辞退の方針を示す意向であることが14日、関係者への取材で分かった。今月下旬にも開催予定の「経営体制強化検討会」で表明して出資自治体に諮りたい考え。検討会での協議を踏まえ、その後の取締役会で辞退するか正式に決める。

 川下り事業を継続するには、社長の主体的な関与を柱とする安全管理体制の再構築が大前提となる。関係者によると、鉄道事業との兼務が現実として困難なことや、新たに専属の運航管理者らを置くことに伴う人件費、安全体制の再整備によるコスト増加などから、事業の受託を辞退する方針に傾いたとみられる。

 同社は国土交通省中部運輸局から安全確保命令を受けたが、命令前から安全体制の見直しを進めてきたという。名倉社長は同日、報道陣の取材に対し個人としての考えとした上で川下り事業の継続は「厳しい」との認識を示し、「運航管理体制の強化と言うと組織をしっかりしなくてはいけないが、人(人件費)の問題がついてくる。今の段階では(利益より)経費の方がかさむ」などと述べていた。県の担当部局も県議会の委員会で同様の見解を示している。

 一方、委託元の天竜観光協会は事業継続を同社に要望しているが、受託辞退が決まれば新たな委託先を探すなどの対応に迫られる。同社取締役副会長でもある鈴木康友浜松市長は「今後については会社としての結論を得て、その結果に応じて天竜観光協会など地元関係者と協議していくことになる」とコメントした。

 同社の会長を務める川勝平太知事は同日、県庁で記者団の取材に応じ、川下り事業の再開について、「これまでの経営の在り方に対する反省を踏まえて新しい役員が決めるのが筋」と指摘。同時に「継続したいという地元の気持ちは私も持っている。ただ、5人もの命を奪ったので、徹底した安全管理体制が整うまではそう簡単に再開できない」との認識を示した。(「静岡新聞」より)

 「川下り」の存続は危惧していた方向へと進んでいます。年間通しての事業とはなり得ませんので、環境産業として1本立ちすることは難しいと思いますが、このまま天竜川の伝統が失われてしまうのは残念です。

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ふるさとものがたり天竜「百体観音さま」より

Hyakutai4  天保(一八三〇―一八四四)のむかし、日本の国は全国的に天候不順の年が続いて、大飢饉が発生し、それに加え、悪い病気が流行して、大変に困った時があった。
 きのうまで元気だった若者も、先程まで飛びはねていたいたずらっ子も、突然の高熱に冒されて、どっと病の床につき、家族の者が、
「医者だ。」
「薬だ。」
 と、あわてている間に、病気はどんどん悪化して、数日後には息を引きとってしまう。まるで、悪夢を見ているようなそんな光景が、あちこちでくり広げられていた。

Hyakutai6  上石神(うえいしがみ)の有力者で、しかも人のいい坪井さんは、じっとしてはいられず、あらゆる災難を救ってくれるという観世音菩薩に、
「どうぞ観音さま、悪い病気から、石神の人々をお守り下さい。」
と、願かけをし、秩父三十四か所(埼玉県)、坂東三十三か所(関東)、西国三十三か所(九州:原文のまま)の、計百観音さまにおまいりをして歩いた。
 すると、はやり病は、次第にかげをひそめていった。石神の里に、また平和が訪れた。
 喜んだ坪井さんは、百か所の霊場に対するお礼として、百体の石像観音さまを刻み、上石神の地に、観音堂を建てて迎えた。
 時に天保八年(一八三八)の、春のことであった。

 この『百体観音さま』に願かけをすると、何でも願いを聞いてくれるというので評判になり今でもかなり遠方からも、参拝者が訪れている。(「ふるさとものがたり天竜・第4章下阿多古地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 写真が「百体観音さま」です。もともと観世音菩薩は、様々な姿に変化(へんげ)して私達衆生を救うとされる仏。「観世音」とは、世界の音(苦しみの声)を聞き監視しているという意味とのこと。

 きっと、私の悩みもあなたの悩みも解決してくれるはず。決して遠くまで行かなくてもいいんです。せめて、阿多古に出かけてみませんか?

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

ゲンノショウコの別名は「神輿草」

Gennosyoko1  フウロソウ科フウロソウ属「ゲンノショウコ」の花は、何度か紹介した通り。「現の証拠」の名は、下痢止め、健胃薬として「実際に効く証拠」という意味であることを知っている人も多いと思います。

 でも、「ゲンノショウコ」の別名が「神輿草(みこしぐさ)」であることを知っている人は少ないのかも。「ゲンノショウコ」に限らずフウロソウ属の果実は、右側のように槍の形をしています。付け根に見える丸いものが種子。

Tsumerenge0  乾燥すると左側のように下から裂けて反り上がり、種子を弾き飛ばします。種子を飛ばした後の形が、祭りのお神輿に似ているところから「神輿草」と呼ばれるようになりました。

 花の季節には注目しますが、花が終わると観察の機会が減ってしまいます。水窪の河内浦(こうちうれ)の山住家の石垣の間では、「ゲンノショウコ」が種子を飛ばしている脇で、「ツメレンゲ」が静かに花穂を伸ばしていました。

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2011年10月14日 (金)

Butterfly migrates 1,600 km to China

Butterfly A large butterfly found in mainland China was confirmed to have migrated 1,600 km from Japan, a Japanese researcher said Friday.

It is the first confirmed migration of a chestnut tiger butterfly, whose scientific name is Parantica sita, from Japan to China, said Hisashi Fujii, a lecturer at Kyoto Gakuen University.

In October 2006, a chestnut tiger marked with letters and figures on its wings was found in the city of Pingfu, Zhejiang Province, near Shanghai, Fujii said.

Later studies by a team of researchers from Japan and Taiwan confirmed it was the same marked butterfly as one released into the wild in August that year in Wajima, Ishikawa Prefecture, along the Sea of Japan coast.

Found in many parts of East Asia, chestnut tiger butterflies are known for making long-distance migrations.

They migrate south from fall to winter, but it is still unknown where they spend winters.

Fujii, 49, leader of the Japan Butterfly Conservation Society, said he believes China provides the main wintering spots for chestnut tiger butterflies.(from The Japan Times)

 Dec. 20, 2008のJapan Timesの記事。「a chestnut tiger butterfly」とは、もちろん「アサギマダラ」。「migrate」とは、「移住する=渡りをする」という意味ですので、日本で夏を過ごした「アサギマダラ」が、1,600キロも離れた「mainland China =中国本土」で見つかったという内容です。

 最近になり、南に渡る途中と思われる「アサギマダラ」の姿を見かけることが多くなりました。

北遠の魅力、再確認を 浜松市天竜区熊の道の駅で移住・定住者交流会

Kunma  浜松市天竜区熊の道の駅くんま水車の里で、「移住・定住者交流会inくんま」が開かれ、参加者は北遠地域への移住・定住に関する課題などを話し合った。

 地元住民らでつくるNPO法人夢未来くんまが主催。熊地区の移住者や地域住民、同区内の田舎暮らし相談員に移住・定住サポーター、県西部農林事務所天竜農林局などの行政関係者ら約40人が出席した。

 パネル討論ではパネリストから「ここに移住してからいろいろな勉強会などに参加してネットワークをつくっている。みなさんの力を貸してほしい」「地域に伝わる伝統芸能に移住者が参加するなどして地元の人とコミュニケーションを図り、一緒に守り育てていくことも大事では」「地域の魅力はそこに住んでいる人のことだと思う。地域のよさを再認識しよう」などの声が上がった。

 同NPOでは参加者の意見を参考にしながら、移住希望者受け入れ態勢の整備や情報発信の充実などに一層努める。(「中日新聞」より)

 中山間地域が、市街地居住者の癒しの場で終わってしまってはいけません。1家族入って来ても、2家族出て行くのでは、元も子もありません。移住促進と並行して、雇用を創り出すことも必要だと思います。

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知っておきたいお城用語―STEP3「井戸曲輪」

Nishikuruwa8  二俣城を語る時に忘れてはならないキーワードに、「井戸櫓(いどやぐら)」があります。

 三方を大きく蛇行する天竜川と二俣川とで囲まれた要害の地に立つ二俣城を攻めるには、北側からの進路しかありません。天正元年(1573)、武田軍の攻撃を受けながらも2ヵ月もの間、篭城し抗戦し続けた徳川軍を敗戦に追い込んだのが「井戸櫓」でした。

Idoyagura8  武田軍は、二俣城の兵が崖から滑車で水を汲んでいるのを発見しました。城兵の「水の手」を絶つため、上流から筏を流し、井戸櫓にある滑車の縄にぶつけさせて切断するという作戦に出たのです。この作戦が功を奏し、二俣城は落城。

 現在、清瀧寺に再現されてる「井戸櫓」があったのが「井戸曲輪(いどぐるわ)」でした。

 よく聞く「曲輪(くるわ)」とは、本曲輪、腰曲輪のように使われ、城の内部の区切られた区域を指す言葉。「郭」「廓」とも書き、本丸、二の丸のように「丸」と呼ばれることもあります。

 「井戸曲輪」と呼ばれているのは、「天守台」の西側の一段低い場所。ここからは、天竜川が真下に見下ろせます。因縁の「井戸櫓」が、ここに立っていたのでしょう。

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「薙刀香薷」って読めますか?書けますか?

Naginata9  スーパー林道の「賽の河原」や山住神社では、シソ科ナギナタコウジュ属「ナギナタコウジュ」が咲いていました。淡紅紫色の小さな花ですが、片側だけを向いて咲き、反り返った花の穂が薙刀(なぎなた)に似ているところからの命名。

Naginata7  シソとハッカを合わせたような臭いがあって、中国の香薷(こうじゅ)という薬草に似ているとのことですが、私は見たことがありません…。

 それにしても「薷」とは難しい漢字です。試験に出ても、誰も書けそうにありませんね。読むのさえ難しい…。でも、「艹+需」か?これなら、覚えられるかも…?

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2011年10月13日 (木)

ベニヒカゲ浜松で確認 東北―中部生息の高山チョウ

Benihikage  主に東北―中部地方の標高1500メートル以上の高山に生息するとされるチョウ「ベニヒカゲ」が浜松市天竜区水窪町の山間部に生息していることが、11日までに同市の調査で分かった。南限ではこれまで大無間山(静岡市・川根本町、2329メートル)で報告されていた。今回の確認場所は同山の緯度に近いことから、担当者は「浜松市の生息地も限りなく南限に当たるのでは」と話している。

 確認地は同町奥領家の白倉川源流に近い中ノ尾根山(2296メートル)の山頂西側の急斜面。県内の一部研究者や愛好家の間では以前から生息が知られていたが、8月中旬、市動物園の職員らが現地を訪れ確認した。斜面には相当数が飛び交っていたという。

 ベニヒカゲは羽を広げた状態の幅が約4〜5センチ。羽は焦げ茶色で、だいだい色の斑紋がある。幼虫の状態で冬を越し、7月下旬から8月下旬にかけて羽化した後は10〜14日程度で寿命を迎える。このため現在は成虫は観察できないという。

 生息地は国有林内で、林道に入るには天竜森林管理署の許可がいるほか、落石の恐れもあるという。このため市は「入山には万全の準備を」と注意を促している。

 調査で採集したベニヒカゲは同市西区舘山寺町の市動物園<電053(487)1122>内のこんちゅう館で展示されている。(「静岡新聞」より)

 中ノ尾根山のベニヒカゲについては、先日放送されたTV番組「浅井愼平の環境紀行」の中でも紹介されていましたね。このニュースについては2ヵ月ほど前に知り、写真も見せていただいていました。

 来年の楽しみにしましょう!

「ペレット生産工場」見学会参加者募集!

 NPO法人「天竜川・杣人の会」事務局から、龍山森林組合内の「ペレット生産工場」見学会への参加者を募集するメールが届きました。

 ●日時  平成23年10月19日(水) 10:00~11:30
 ●場所  天竜区龍山町 龍山森林組合
 ●交通  各自自動車は“もったげない”ので、久保田までご連絡ください。調整して連絡します。
 ●申し込みは、10月17日までにお願いします。

 世話人 久保田
 TEL/FAX 053-456-3215
 携帯 090-6095-4587
 Eメール brb35624@nifty.com

 *都合のつく人は、ぜひ、ご参加ください!

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クマ大量出没はない!? 県林務部予測、日頃の警戒は必要

Kumasyutsubotsu  (長野)県林務部は、秋から冬にかけてのツキノワグマの出没予測をまとめた。クマが冬眠前に食べるミズナラやコナラ、ブナなどドングリ類の実りは「平年並み」の状況で、餌不足による山里近くや民家周辺への大量出没の可能性は低いとみている。しかし、木曽地域の実りは「少なめ」となるなど日頃から警戒が必要なことに変わりはなく、注意を呼び掛けている。

 県林務部は8月から9月にかけて、県内の山林95カ所でミズナラ、コナラ、ブナなどの樹木1126本を分析。その結果、ドングリ類の実り具合はおおむね平年並みで、餌不足にはならないと判断した。

 2010年度はミズナラとコナラが「凶作~平年並み」、ブナが「凶作」だったこともあってクマの目撃件数は2575件に上り、同様に餌不足で大量出没した06年度以来の出没となった。

 本年度の8月末までの目撃件数は837件で、担当者は「年間の目撃は1000件を少し上回る程度ではないか」と語る。

 だが、木曽地域はミズナラとコナラが「少なめ」と判断しているほか、暖冬になれば冬眠が遅れることも予想され、地域を問わず警戒が必要だ。

 県林務部は、山中でクマとの遭遇を避ける方法として▽出没が多い早朝や夕方は山中に入るのを避ける▽民家周辺の不要な果実や生ごみを処理し、人里の作物を餌にさせない▽山中では複数で行動し、鈴やラジオを鳴らす-などを挙げる。

 万が一遭遇した場合は「背を向けて逃げると追い掛けてくる。目を離さず、ゆっくり離れてほしい」と話している。(「中日新聞」より)

 毎年、山の木の実の不作が伝えられてばかりでしたが、今年は良さそうですね。先日、北遠のドングリもよく実っているとの話を聞いたばかりです。「でも、斉藤さんは熊に会いそうだよね」とも。もし出会ったら、「目を離さず、ゆっくり離」れればいいんですね?

食推奨品8品追加 天竜フォレストピア協議会

Forestopia  天竜地域フォレストピア協議会は12日、「北遠・食の推奨品 認定会」を、浜松市天竜区の天竜商工会研修センターで開いた。緑茶のロールケーキやシカ肉のたたき、シイタケの甘露煮など申請があった8品目全てを、推奨品として認定した。

 昨年度始まった事業。申請者は一品につき15分以内で審査員にプレゼンテーションを行い、地元・天竜の食材を使った自慢の作品をPRした。

 認定した推奨品は累計で24点となった。同協議会はパンフレットなどを通じ、推奨品の情報発信に努める、としている。

 今回、認定した推奨品は次の通り。

 遠州やまごはん一汁一菜(寿司豊)ご飯付きザルそばセット(そば処北条峠)とじくり(同)椎茸甘露煮(東農名産店)柏(みさくぼっち)鹿肉のたたき(つぶ食いしもと)北遠名物栃もち(北遠菓子処八幡屋製菓舗)緑茶ロールケーキ(森の中の菓子工房ミココリエ)(「静岡新聞」より)

 みなさん、「食欲の秋」ですから、北遠の食べ歩きなどいがかでしょうか?

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スーパー林道(リンドウ)で咲く「リンドウ」の花

Rindo3  リンドウ科リンドウ属の「リンドウ」です。「リンドウ」の根が竜の胆のように苦いところから、漢字では「竜胆(りゅうたん)」。この漢字を日本式に発音したのが「リンドウ」の読みとなったようです。

 要するに、健胃に薬効がある薬草のようですが、口にしたことはありません。それどころか、自生の「リンドウ」を見る機会は減ってしまいましたね。

1.りんりんりんどうの 花咲くころサ
  姉サは馬コで お嫁に行った
  りんりんりんどうは 濃むらさき
  姉サの小袖も 濃むらさき
  濃むらさき
  ハイノハイノハイ

 「リンドウ」の花は、西条八十作詞、古賀政男作曲の「りんどう峠」の中では、島倉千代子によって「濃(こ)むらさき」と歌われましたが、私がスーパー林道(リンドウ)で見た「リンドウ」は、濃い紫色ではなく青紫色でした。

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知っておきたいお城用語―STEP2「虎口」

Kogushi3  「虎口(こぐち)」とは、お城の出入り口を指す言葉。小口とか、戸口とも書かれるようですが、攻防の要所としてあえて狭い出入り口にしたようです。

 基本は、「平入り」と呼ばれる真正面から真っ直ぐに入って来る形態なのですが、これでは、いざ戦いとなった時には、敵軍に一気に入城されてしまう恐れがあります。

 そのために、鉤型に進路を取らざるを得ない入口「喰違い虎口」の遺構が、二俣城址に残されています。

 もしも敵方が攻めて来るとすれば、二俣城は三方を川で囲まれているため、城山の尾根伝いに現在「旭ヶ丘神社」のある北曲輪(くるわ)方面からということになります。北曲輪から本丸に進もうとすれば、橋を落とされた堀切(ほりきり)が行く手を阻みます。

Higasikoguchi8  堀切を抜けたとしても馬出(うまだし)で南進しようとすれば、野面積(のづらづみ)の石垣に侵入を阻まれ、右折して入るしかなく、守備側の攻撃はグンとしやすくなります。

 「虎口」とは出入り口のこと。二俣城に東側から入る「虎口」は、土塁(どるい)も石積も低いものだったようです。

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2011年10月12日 (水)

山住神社に寄ったら「大杉」でヤマメ?串芋?

Yamame1  紅葉の季節には、まだ少し間があるのですが…。

 久しぶりに妻と一緒の北遠ドライブ。スーパー林道を北に向けて走り「山住神社」の駐車場に車を停めて、神社に詣でるまえに、匂いに誘われて山住茶店「大杉」を覗きました。

 香ばしい味噌の焼ける串芋とヤマメの塩焼きが匂いの犯人です。「どうする?」「串芋を食べよう!」。

Kushiimo2  「お客さんは増えて来ましたか?」と店の奥さんに聞いてみると、「そうね。紅葉にはまだ早いけど、週末にはドライブ客が増えて来ましたよ。あなたたちみたいにね」。

 「串芋はあと3本だけ?じゃあ、3本ちょうだい!」。行儀が悪いのですが、串芋を立ったままで食べ、山住神社の門をくぐりました。

 でも、みなさん!本当に美味しいですよ!

 【関連記事】山住神社のもう1つの大杉―山住茶店「大杉」

シソ科の「加波美止利」は薬草です。

Kawamidori6  すでに盛りを過ぎていましたが、秋葉山のスーパー林道でシソ科カワミドリ属の「カワミドリ」と出会いました。

 水の湧く湿地で見つけましたが、ハッカに似た香りと紫色の唇形花をたくさん付ける花穂が特徴。漢字では、「川緑」「河碧」「加波美止利」などと書くようですが、芸能人のようでオシャレです。

 地域によっては絶滅危惧種に指定されているようですので、確かに珍しい花なんだろと思います。

 古くから薬草として風邪や頭痛に用いられていたとのことですので、ちょっと喉に痛みを感じている私が煎じて飲むと良いのかも知れません。それにしても、近頃の気温の変化にはついていけません。

濃いエンジ色の地味なバラ科「ワレモコウ」

Waremoko6  バラ科ワレモコウ属の「ワレモコウ」は、すぎもとまさとが歌ったヒット曲以来、「吾亦紅」の漢字表記を目にすることが多くなりましたが、吾木香、我毛紅などとも表記されます。

 自生しているところを見ることが減ってしまいましたが、ほら、ここには咲いていましたよ。

 秋の七草には入っていませんが、この地味な花のファンも多いのではないでしょうか?

 吾亦紅  さし出て花の  つもりかな 小林一茶

 この皮肉たっぷりな俳句が好きです。楕円形の実のように見えるのが、実は花弁のない小さな花の集まり。バラ科のイメージからは、かなり離れた濃いエンジ色の花です。

 それにしても、「吾亦紅」の歌詞の意味が分かりません…。

知っておきたいお城用語―STEP1「天守台」

Tenshudai5  第18回全国山城サミット連絡協議会浜松大会が、11月19日(土)、20(日)に迫りました。私も、春野町の山城ボランティアガイドとして北遠の山城について勉強中。先ずは、基本となるお城用語を覚えなくてはいけません。

 STEP1として「天守(てんしゅ)」について調べてみました。

 私たちが「お城」の言葉を聞いて先ず思い出すのが何層にも聳え立つ「天守閣」。ところが、近世の天守建築の形は、天正7年(1579)に完成した織田信長の安土城天主(=天守)からとのこと。

 それ以前の「天守」とは、城の中に建てた火の見櫓や物見櫓のようなものだったようです。な~んだ。北遠のお城には、「天守閣」はなかったんだ…。いや、いや、待ってください!

Sangidumi5  城の最も城らしい建造物であり、最も重要な建造物でもある「天守」の遺構を北遠に探すとすれば、岡崎三郎信康が切腹させられた城として知られる二俣城です。現在も残る「天守台」の上に築城されたとのことですので、付属建築物のない独立式の「天守」であったと思われます。

 石垣の多くの面は、自然の石をほとんど加工せずに積んだ野面積(のづらづみ)。隅石には当時の先端の積み方である算木積(さんぎづみ)が用いられています。算木積は、地元で産出されたと思われる石灰岩を直方体に近い形に加工し、長辺と短辺を交互に積み、ほぼ反りを造らず積み上げられていました。

 この「天守台」が残る一画が本丸と呼ばれる中心曲輪(くるわ)。2009年10月31日~11月8日までの期間限定で“復元”された「二俣一夜城」は、この「天守台」の上に建てられました。

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2011年10月11日 (火)

第3回「地域共創サロン」のご案内

 浜松学院大学の佐藤克昭教授より、第3回「地域共創サロン」の案内が届きました。前回は、静岡新聞の天竜と水窪の支局長をゲストに迎え、「天竜川・杣人の会」からは、久保田、前原、斉藤の3名が参加。北遠の抱える問題点や今後への期待などについて意見を交わしました。

 今回のゲストは、金原明善翁来の伝統ある金原治山治水財団・理事長兼(株)ヤタロー・取締役本部長の金原利幸氏。浜松地域の観光振興をテーマにディスカッションが行われます。

 佐藤教授から届いたメールに添付されていましたので、下に書き写します。

 金原氏はすでに現在、北遠を中心に地域資源を活用した観光開発のプロジェクトや、森林の整備、林業の振興などに取り組まれ、地域活性化・環境保全に尽力されているキーパーソンの一人であります。

 浜松市は市域の68%を森林が占める「森林共生型」の政令指定都市ですが、治山治水や水資源の確保など、山側の恩恵を受けている大多数の都市住民の森林・林業・山村への理解や関心は十分と言えません。また、これまでの製造業中心の産業・雇用構造は大きな構造変化に直面し、観光など固有の資源・個性を活用した交流、連携による地域振興が大いに期待される状勢でもあります。

 そこで、ゲストから取組みの状況や、今後への課題と展望を伺い、意見交換を通じて認識を深める有意義な機会としたいと思います。

 第3回 「浜松の観光振興を考える」
 観光開発と森林整備による地域活性化~北遠の観光開発と森林・林業問題への取組み~

 ●日時:10月21日(金)午後7時~9時
 ●会場:浜松学院大学布橋キャンパス2階地域共創センター
 ●ゲスト:金原利幸氏(金原治山治水財団・理事長)
 ●参加費: 無料●駐車場:学内駐車場完備
 ●問合せ: 浜松学院大学・地域共創センターまで 
 ●℡053-450-7000

 ぜひ、ご参加ください!

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石の上で日向ぼっこする「ミヤマシジミ」

Miyamasijimi3  環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている「ミヤマシジミ」の食草はコマツナギ。ただし、コマツナギが生育している場所なら、どこででも見られるという蝶ではありません。

 浜松市で見ることができるとすれば、浜北区の天竜川河川敷。気温が上がり始める時間を見計らって行けば、ほらね!「ミヤマシジミ」の♂が、川原の石の上で、日向ぼっこをしていました。

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内藤亀文著「ふどき」6.土俗と伝承(1)西浦の田楽③

Dengaku8  原始と言ったが、田楽もいろいろ変化している。もとは五穀の豊作を祈る田園神事から発生したもので、その原始の姿は法然上人絵伝や、大山寺縁起に描かれている通り、早乙女が田植えする側で、農夫が笛を吹き、ささらを摺り、腰鼓を打って面白く踊り早乙女の辛い労働をはげまし、なぐさめる一種の舞楽だ。その発生の時代は明らかでないが、文献上では藤原道長のことを書いた栄花物語(一一〇〇年頃)に出ている田楽の記事が最古のものとされている。しかしこの栄花物語が出た永長年間というのは地下民から殿上人に到るまで、田楽に踊り狂ったいわゆる永長の大田楽と言われた時代だから、発生はもっと古いと見ねばならない。

 永長時代の田楽はまだ装束もきまっていなかったが、やがて専門の田楽師が現れて一つの芸団を組織すると、装束も狩衣に指貫を着け、頭に綾蘭笠をかぶり、ささら、笛太鼓のはやしにつれて踊るという手ぶりも決った。これに更に散楽風の高足、一足などという手も盛り込まれ、一三五〇年ごろになって、猿楽の能が生れると、田楽もその影響をうけて能を演じるようになった。西浦田楽はこの能が主体であるから田楽能というので、装束も烏帽子をかぶり、羽織、袴またはカルサンを着けている。カルサンは裁着(たつけ)のポルトガル語だが、もっと簡単なモンペ姿も見受けられる。この能に用いる謡は世阿弥のものが多い点から見て、西浦田楽は室町時代以降ここに流入したことが推定される。流入経路はおそらく信州からで、これと同列の田楽が信州阿南町新野の雪祭りに見られる。尤も西浦ではこちらの方が本家で、能に使う面、これはもと七十五面あったそうだが、そのうちの一面が盗難に会い、それが新野に行っているが、西浦まつりが始まるとその面が動いて仕方ないので、新野でも田楽をするようになったと、ここの人達は言っている。現在能面は二十面あるそうだ。(内藤亀文著「ふどき」6.土俗と伝承より)

  ◆       ◆       ◆       ◆

 写真は、旧西浦小学校に掲出されている油彩画。水窪では、あちらこちらで「西浦の田楽」の絵や写真を見ることができます。

 国指定の重要無形民俗文化財であるのはよく知られた通り。しかも、昭和51年(1976)5月4日の第1回を受けた30件に含まれています。市内ではもう1つ「遠江のひよんどりとおくない」が指定されていますが、こちらの指定は平成6年(1994)12月13日。

 浜松市制100周年記念「浜松市伝統芸能の集い 浜松の祈り 明日への祈り」の舞台上で演じられた「西浦の田楽」は観ることができたのですが、観音堂境内で旧正月に夜通し演じられる本番(?)は観たことがありません。

 来年2012年は、2月9日(木)~10日(金)のはず。観ることができると良いのですが…。

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「ミナの森 にしうれ小学校」で「だら衆」増殖、進化中!

Cafe2  正式オープンが11月5日(土)に迫っている「ミナの森 にしうれ小学校」に寄りました。

 映画「果てぬ村のミナ」の製作に取り組む「AW-One企画」の上嶋代表も顔を出し、方言をモチーフにした妖怪キャラクター「だら衆」の絵を見せてくれました。これまで「ミナの森物語」に登場している「かある」「ちみくる」「ぼう」「あいさ」「てんこちょ」などのキャラクターは手書きでしたが、机の上に並べられたのはコンピューターを使って描かれたもの。

Durasyu0  「キャラはまだまだ増えます。進化中だから完成ではないけど、そろそろストーリーが始まるから見てね」と上嶋さん。「『てんこちょ』と『どべ』は仲良し。恋人同士の間には『あいさ』がいて仲を取り持ってくれている」とも。あなたは、どのキャラが好きですか?

 「ネットを通して大いに宣伝してほしい」とのことでしたので、協力させていただきます。この「だら衆」のキャラがグッズになるようですので、そちらの完成も楽しみですね。

 皆さんも、ぜひ「ミナの森 にしうれ小学校」にお立ち寄りください!

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秋葉山坂下の淡い桃色のツリフネソウ

 この秋、ツリフネソウ科ツリフネソウ属「ツリフネソウ」の花とは何度も出会いました。今回の出会いは、秋葉山表参道の登り口、坂下です。

 濃い赤紫色の花を咲かせている花と淡い桃色の花とが混在しています。もしかしたら、これが絶滅危惧種の「エンシュウツリフネ」?

 でも、「エンシュウツリフネ」は、ハガクレツリフネの変種だと聞いています。だとしたら、その名の通り花は「葉に隠れて」咲くはず。この淡い桃色の花は、「ツリフネソウ」と同じような花の咲き方をしています。

 混在していましたので、環境の違いによる発色の差だとは思えませんので、これも「ツリフネソウ」の変種ということでしょうか?検索してみると、白花の「ツリフネソウ」もあるようですから…。

Tsurifune1 Tsurifune3
Tsurifune4 Tsurifune2

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2011年10月10日 (月)

北遠のクロツバメシジミとアサギマダラ

Kurotsubame3  「おやじのチョウの観察日誌」に「クロツバメシジミ」と「アサギマダラ」が掲載されていましたので、私も負けずに撮り立て(10月10日)の写真を掲載します。

Asagimadara6  撮影場所は北遠・水窪―「クロツバメシジミ」は河内浦(こうちうれ)、「アサギマダラ」は山住神社で撮りました。

 偶然ですよ、偶然…。たまたま、偶然が重なっただけです。私が、そんな意地悪なことをするわけがないじゃあないですか!

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伝統の神楽披露 天竜区・御鍬、日月神社で祭典

Kagura  浜松市天竜区佐久間町城西地区で8、9の両日、御鍬神社と日月神社の祭典が行われた。芋掘、松島の両集落の住民が神楽を披露したり、屋台を引き回したりしてにぎわいを演出した。

 御鍬神社では境内にある舞台で、地元住民でつくる保存会会員が江戸時代中期から伝わる伝統の神楽を奉納した。「神楽を12回舞わなければ祭りは終わらない」との言い伝えに基づき、横笛や掛け声に合わせて古(ひね)、中、新の三つの神楽を両日とも舞い続けた。

 境内では約20年前まで「御鍬座」として住民による歌舞伎や浪曲も披露されていたという。長年にわたり保存会で神楽を指導する沢戸勝男さん(85)は「歌舞伎をやっていた頃は境内に観客が入り切らなかった。今は会員も少なくなったが、よくやってくれている」と話した。

 舞台では地元の子供たちも踊りを披露し、祭典を盛り上げたほか、日月神社でも神楽の奉納やもち投げなどが行われた。(「静岡新聞」より)

 「ミナの森 にしうれ小学校」で、「城西でお祭りがあった」と聞きました。御鍬神社の祭典だったんですね。今日(10日)に神社の横の国道152号を通ったんですけど…。

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ハンターカブ“集結” 浜松市天竜区で50周年記念交流会

Ponpon  浜松市民有志グループ・ポンポンCLUB浜松は9日、ホンダ創業者本田宗一郎さん出身地の同市天竜区で「ハンターカブ50周年記念の集い」(中日新聞東海本社など後援)を開催した。熱心なファンらが詰めかけて交流を深めた。

 ホンダの小型オートバイ、ハンターカブ(C105H、C100H)は1961年に発売。その後CT110などとして輸出用に生産され、一時期国内でも販売されたが終了、現在は逆輸入の形で販売されている。集いは誕生50年を記念して開かれた。

 会場となった天竜区山東の光明公民館には、千葉や山梨、愛知、大阪などから約30台のハンターカブが集合。室内のホールと屋外の駐車場に並べられ、愛車披露や人気車投票、生家跡など本田さんのゆかりの地を巡るショートツーリングなどでファン同士が交流を楽しんだ。(「中日新聞」より)

 排気量が大きいハンターカブは、スーパーカブよりも3年遅れて発売されました。あれから、もう50年も過ぎたんですね?私も、カブや自転車ポンポンが懐かしい世代です。

ふるさとものがたり天竜「石神六所神社の由来」より

Rokusyo7  むかしむかしのこと、阿多古の里のある大家の主が、お伊勢まいりに出かけて行った。
 主はやがて長旅を終え、なつかしい我が家へ帰って来た。
「今、帰ったぞ。」
 主の声に、家族は大喜びで出迎えた。
「ああ、やれやれ。やっぱり我が家はいいもんじゃ。」
 主のそう言いながら、わらじのひもを解きにかかった。すると、わらじのわらの間から、小石が一つ、ころりところがり出た。
「ありゃあ。石だわい。」
 主はその石を手にとって眺めていたが、
「わしと一緒に旅をして来たと思えば、いとしいもんよのう。」
と、一人ごと。さらに、しばらく眺めていた主は、
「石には神さまが宿るという。わしが伊勢まいりの長旅から無事に帰れたのも、ひょっとすると、この石が守ってくれたのかもしれん。うん、そうだわい。ひとつこの石をまつることにしよう。」
Rokusyo3  そこで早速社を作って、毎日
「今日も無事に過ごせますように、石神さま。」
と拝むようになった。
 すると不思議なことにその石は、少しづつ、大きくなっていった。
 主の家も、ますます栄えていった。
 それを知った部落の人々は、
「わしらもどうか、仲間に入れて下され。できたらひとつ、部落の氏神さまに……。」
 そういう訳で、伊勢まいりのわらじについてきたその石は、阿多古の一部落の氏神さまとなった。

 これが下阿多古『石神六所神社』の由来であり、“石神”という部落の名の起こりも、ここからきたものと言われている。(「ふるさとものがたり天竜・第4章下阿多古地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 六所神社に寄ってみました。しかし、残念ながら、小石が大きくなったという「石神」らしいものは見当たりませんでした。近所の人に伺ったみたのですが、「分からない」との答え。

 ただ、境内に建立された石灯籠の文字は「観音講中」とあり、宝珠に付いた紋は「卍」。神仏混淆の名残が見られました。

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

軽くて感触の良いヘチマで作った靴の中敷き

Hechima5  石神(いしがみ)の六所神社での出会い―「効率化と経済性優先で置いて来てしまった文化や伝承を、何とか後世に残さんと。それが、わしらの世代の責任だと思うな」。この意見には、私も大賛成。「あんたみたいな人が、地域のことを掘り起こしてくれるなら、わしは少なくとも自分の家の歴史だけは伝えて行くつもり」「頑張りましょう!」「やらにゃあいかんよな」。地元の人との話が弾みました。

 そして、やおら自分の靴を脱ぎ、靴の中敷きを出して見せました。「何だか分かる?」「ヘチマですか?」。

 「昔はヘチマの繊維を平らに切り伸ばして重ねて草履にしたり、靴の中敷きにもしたんだが、今じゃああんまり見ないよな。思い出して作ってみたんで、持って行きな。軽くて気持ちがいいから…」。

 写真は、その時いただいたヘチマと中敷きです。「評判が良ければ、『山の市』で売ろうと思っているんだけど…」「私も、履いてみます」。

 …ということで、いただいてきました。これから、自分の足型に合わせてハサミで切ります。足の裏の感触は、かなりい~い感じです。

2011年10月 9日 (日)

キチョウ→キタキチョウに訂正します。

Kitakicho7  あえて珍しくもない「キタキチョウ」を紹介します。

 実は、2005年以降、従来のキチョウとして括られていた蝶が、奄美大島以南に生息する「キチョウ」と、私たちの周りにいる「キタキチョウ」とに区別されました。

 私の「蝶の図鑑」では、相変わらず「キチョウ」の名前で表記していたのですが、「おやじのチョウの観察日誌」の宮下さんに触発され、「キチョウ」→「キタキチョウ」に訂正することにしました。

 こっちのキチョウを「キチョウ」にして、あっちのキチョウを「ミナミキチョウ」としてくれれば良かったのに…。

 どうやら、世界的に見ると、あっちの「キチョウ」の方が数が多く、こっちの「キタキチョウ」の方が数が少なく貴重だということのようです。

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熱帯アメリカ原産の「ヒロハフウリンホオズキ」

Hirohafurinhouzuki4  近くの畑で見かけました。ナス科ホオズキ属であることは、果実の姿からすぐに分かります。クリーム色の花と黒い筋が目立つ袋状の萼が特徴。

 「ヒロハフウリンホオズキ(広葉風鈴酸漿)」の名前だけ聞くと、いかにも日本原産のような気がしますが、実は熱帯アメリカ原産。近頃、野生化している帰化植物のようです。

 袋状の萼は、ホオズキのように赤くはならず、熟しても褐色。

 それにしても、「熱帯アメリカ」って、どこ?

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偉業たたえ児童ら合唱曲 浜松・天竜区で二俣川治水の袴田翁しのぶ

Hakamata  江戸中期に私財を投じて河川改修を行い村人らを水害から救った袴田喜長翁の遺徳をしのぶ「袴田喜長翁頌徳(しょうとく)祭」が8日、浜松市天竜区二俣町南口にある頌徳碑前で行われた。

 頌徳碑奉賛会(久保田敦博会長)が主催し、地元自治会や各種団体代表、教育関係者ら約30人が出席。神事で玉串をささげ、袴田翁の功績をたたえた。また、今年は26年間にわたって頌徳碑の管理を奉仕で続けてきた宮川秀雄さんに奉賛会が感謝状を贈り、二俣小学校の児童が合唱した「袴田喜長」と「二俣川」の2曲の歌がCDで披露された。

 感謝状を受け取った宮川さんは「自分が自治会長のときに碑ができた縁で管理を続けてきた。ありがたいこと」と話し、二俣小の児玉一記校長は「古里の偉人を歌で発信する活動を始めています。紹介した2曲は本校職員が作詞作曲し、子どもたちは袴田翁の業績と二俣川の歴史を学習している」と紹介した。

 久保田会長は「袴田翁の偉業を後世に語り継いでいきたい」とあいさつ、袴田家を代表して16代当主の袴田秀治さんが謝辞を述べた。

 袴田翁は旧二俣村の名主だった袴田家の第5代当主。二俣川の水害から村人を守るため1766年に鳥羽山を掘り割って川の流れを変える工事に着手、私財を投じ20年以上をかけて事業を成し遂げた。頌徳碑は奉賛会などが1984年に建立して毎年頌徳祭を開いている。(「中日新聞」より)

 二俣川が昔から今のような流路ではなかったことは、地元ではよく知られていることです。北遠の入口を流れる二俣川が、人間の手により掘り割られた歴史を振り返ってみてください。

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ヒヨドリバナで吸蜜中のミドリヒョウモン

Hiyodoribana8  「秋の七草」フジバカマに似ているのですが、自生しているのならほとんどが同じキク科ヒヨドリバナ属の「ヒヨドリバナ」。フジバカマは、環境省レッドリストの準絶滅危惧(NT)に指定されているのに対して、「ヒヨドリバナ」はよく見かけます。

 ちょうどミドリシジミの♀が吸蜜に訪れていましたが、蝶たちには人気の花です。

 夏の間どこかで休眠していたらしい地味な翅色のミドリヒョウモンが、山道の脇でヒラヒラと舞っているのは、涼しい季節になった証拠。北遠では、南へ渡る途中のアサギマダラも見かけますよ。

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「横尾歌舞伎」住民が熱演 衣装あでやか 浜松・引佐

Yokoo  浜松市北区引佐町の横尾・白岩地区に受け継がれる県指定無形民俗文化財「横尾歌舞伎」の定期公演が8日、同町横尾の東四村農村コミュニティーセンター「開明座」で始まった。地元住民たちが演じる素人役者が伝統の舞台を繰り広げ、来場者を魅了した。9日まで。

 地元の小中学生でつくる横尾歌舞伎少年団による「寿式三番叟・宝の入船」で開幕。保存会の「菅原伝授手習鑑・車曳きの場」など計4芸題(げだい)を演じた。あでやかな衣装で着飾った役者たちが見事な見えを切ると、観客からおひねりが次々と投げ入れられた。

 横尾歌舞伎は、200年以上前から同地区に伝わる農村歌舞伎。現在は、地元住民が保存会を結成して伝承活動を続けている。

 千秋楽の9日も午後4時に開演。初日と同様の4芸題を上演する。(「静岡新聞」より)

 横尾が北区引佐町にあり、天竜区ではないのは百も承知。でも、民俗芸能について考えてみると、私は引佐は間違いなく「北遠」だと考えています。

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秋葉山に出かけるなら、この切符?

Kippu686  佐口行正氏からお借りした古い絵葉書の封筒の中に、ちょっと珍しいものが同封されていました。「遠州電氣鐵道株式會社」と「遠州秋葉自動車株式會社」発行の切符です。

 「(1)旭町驛(濱松)より遠州二俣驛ゆき→(2)遠州二俣驛より犬居町(東登山口)又ハ雲名(西登山口)ゆき→(3)犬居町又は雲名より遠州二俣驛ゆき→(4)遠州二俣驛より旭町驛(濱松)ゆき」の秋葉山詣の往復切符のようです。

 「遠州秋葉自動車」の設立は昭和6年(1931)。大正10年(1921)社名を変更した「遠州電氣鉄道」とは共に、同18年(1943)、浜松自動車・掛塚自動車 ・遠州乗合自動車・気賀自動車と合併し現在の遠州鉄道株式会社になっています。

 ですから、この切符の発行は、昭和6年~18年の間。さらに調べてみると、「遠州二俣驛」まで到達し全線電化したのは同12年(1923)でしたので、切符の発行年はさらに絞られます。

 この切符を使って秋葉山に行こうと思っても、残念ながら「通用 発行日共五日」となっていますので…。

ふるさとものがたり天竜「富士馬頭観音」より

Jyunisyojinja9  二月十一日、それは上阿多古西来院“いぼとり観音”のおまつりの日である。
 むかしから、いぼとり観音のおまつりは、それはそれはにぎやかであった。
 この日はいぼとり観音さまを、近くの十二所神社の広場に持ち出しておまつりし、その広場前の路上で、村人たちは草競馬を楽しんだ。
 みかしはどの家にも、農耕用の馬が飼われていた。そこで飼い主たちはその馬に、思い思いの趣向をこらして飾りつけ、
シャン、シャン、シャン、
と、鈴の音も高らかに、たづなを引いて、このまつりにやってきた。
 集まったたくさんの馬たちは、ヒヒーン、ヒヒーン、といなないて、路上を走り回ったり、騎手と見物人が入り混じって、十二所神社前の広場は、大変なにぎわいであった。

 ある年のこと、この近くの大家の自慢の馬“富士”が、下男に引かれてやって来た。
 ところが富士は、そこここに立てられた紅白の幟が、はたはたと、風に踊っているのを見て、びっくりした。
Bato2  富士は、ヒヒーンといなないて、大きく前足をあげたと見るや、道下の田んぼに、ドーと落ちて、そのまま動かなくなった。
 下男はさんざん苦労したあげく、なんとか馬を連れ帰って、一心に看病したが、富士はとうとうその夜のうちに死んでしまった。
(主人の大切な馬を殺してしまった。自分がねんごろに世話してきた馬を、殺してしまった。)
 下男は無念さに泣きながら、馬の落ちた道ばたに観音さまをたて、『富士馬頭観音』と刻んで、その霊をなぐさめた。

 今でもその観音さまは、十二所神社の広場前にひっそりとたち、村人たちは季節の草花を供えて通る。(「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 「十二所神社」と近くの畑の脇に祀られていた馬頭観音です。これが、言い伝えの「富士馬頭観音」でしょうか?

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

古い絵葉書「天龍観光協會」発行「天龍川沿岸の風景」

Futamata685  佐口行正氏から、北遠の古い絵葉書が届きました。「天龍観光協會」発行の「天龍川沿岸の風景」のモノクロ5枚組(?)です。

 「二俣鳥羽山ヨリ天龍吊橋ヲ望ム」―吊り橋「天龍橋」が架けられたのは、明治44年(1911)。「鹿島橋」の竣工は、昭和12年(1937)でしたから、撮影されたのはその間ということになります。帆に風を孕む帰り船の姿が見られます。

 「天龍船朋(明?)辨天島附近の勝景」―「辨天島」は、現在の船明ダム運動公園辺りにあったとのこと。「天龍川戸口ノ瀬」は、大正 11年 (1926) に就航した飛行艇(プロペラ船)です。となると、制作されたのは、大正11年~昭和12年?

 「二俣二光ノ瀧」の掘割りが完成して、二俣川の流路が現在のようになったのは昭和10年(1935)。写真は直後(昭和10年~12年)の撮影だと思われます。

 「秋葉山神社 徳川信康公御廟所」の団扇のデザインは、お馴染みのもの。秋葉神社の団扇は七葉紅葉ではなく、天狗の団扇。信康廟の団扇は三つ葉葵紋。

 最初に5枚組と書きましたが、最後の1枚だけは、裏のデザインが違っています。他の4枚は「CARTE POSTALE」ですが、これは「POST CARD」。どうやら、この1枚はセットではなかったようです。

Futamata680  Futamata681
Futamata682 Futamata683
Futamata684

おでんの季節ですが、ヌマダイコンはいかが?

Numadaikon6  キク科らしいのですが、果たして何と言う野草でしょう?そんな時には、先ず写真に撮って、図鑑で検索します。

 ところが、なかなかピントが合わず…。

Numadaikon5  ヌマダイコン属の「ヌマダイコン」らしいと分かりました。「ヌマダイコン」とは「沼大根」の意味。確かに山から水が湧くジメジメした環境で育っていましたが、「沼」というほどの所ではありません。葉の質が「大根」に似ているとのことですが、食べてみたわけではありませんので…。手触りは…?

 総苞が球形であるのが特徴。頭花はすべて筒状で約30本。近づいて見ると、なかなか可愛らしい花ですが、遠目には見逃してしまいがちです。

 「おでん」が美味しい季節になりましたが、「沼大根」では種にはなりませんね。せめて、話のネタに…。

2011年10月 8日 (土)

秋を代表する香り「キンモクセイ」と「ギンモクセイ」

Kinmokusei5  誰もが知っている「キンモクセイ」は、モクセイ科モクセイ属ですが、雌雄異株。中国南部が原産で、日本には江戸時代に渡来したのですが、なぜか雄株だけしか入って来ていないのだそうです。へ~。

 雄株だけでは実ができませんので、挿し木で増やすしかありません。だったら、雌株も輸入すればいいのに…。

Ginmokusei1  子どもたちからトイレの匂いと言われている「キンモクセイ」は、芳香剤の定番の香りでした。確かに、家の外に汲み取りトイレがあった頃には、すぐ近くに「キンモクセイ」が植えてありましたね。でも、いい香りを漂わせるのは、この季節だけ。1年中いつでも香る芳香剤にはかないません。

 それにしても、秋を代表する香り「キンモクセイ」が、「ギンモクセイ」の変種だって知っていましたか?2枚めの写真が「ギンモクセイ」の花です。

Team Earth「浅井愼平の環境紀行 天竜~残された悠久の自然~」

Tv5  あさひテレビ「悠久の大河“天竜”浅井慎平が旅する秘境 変わる山と川人の営み」を視ました。

 天竜川流域の自然、浜松市の最高峰である中ノ尾根山、「天空の里」大沢集落などを紹介。津ヶ谷寛奈さんも出ていましたよ。

 視ましたか?

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「紅葉社」の屋台は破風ニ層屋根

Kouyousya4  秋葉山本宮秋葉神社の下社が鎮座しているのは、春野町西領家。秋葉神社に因んだ「紅葉社」の屋台は破風ニ層屋根の4輪屋台。出番に備えて、すでに準備が終わっていました。

 「『もみじしゃ』って読むんですか?」「いえ、『こうようしゃ』です」「『こうようしゃ』ですか?役場の車みたいですね?」「そう言われてみれば…」。

 北遠は祭りの季節―六所神社の祭礼も今日(10月8日)、明日(9日)でしょうか?

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熱田神社祭礼―「龍勢社」の豪華な屋台

Ryuseisya5  平成23年(2011)10月8日(土)、9日(日)は、春野町犬居の熱田神社の祭礼。見たかった「龍勢社」の屋台が曳き出されていました。

Atsutajinja7  見てください!漆塗りの2輪屋台です。一層唐破風屋根の下には、提灯が飾り付けられ、「龍勢社」らしく豪華な龍の天幕が提げられています。

 お囃子の笛は一人だけ。いいですね~。これを見たかったんです。

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「広報はままつ」全市版・表紙の写真「高根城」

Takanejo  ●水窪のまちを見下ろす高根城

 標高420mの山頂部に築かれ、天竜区水窪町の中心部を見下ろすようにそびえる山城「高根城」。1414年に地元の領主・奥山氏が築き、1572年以降は武田信玄が遠州・三河の侵攻の拠点として支配していました。現在は城門や井楼櫓などが復元されており、当時の姿を思わせます。

 また、市内にはこの他にも大小さまざまな山城が多数あり、11月には第18回全国山城サミット連絡協議会浜松大会を開き、全国に浜松の山城の魅力を発信します。

Takanejo2  「広報はままつ」全市版(2011年10月5日号)の表紙を、水窪の山城「高根城」が飾りました。

 第18回全国山城サミット連絡協議会浜松大会が、11月19日(土)、20(日)に迫りました。私たち秋葉山に登る仲間である「極参会」も、春野町の山城ボランティアガイドとして勉強中。

 北遠の山城はちょっとしたブームです。

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ふるさとものがたり天竜「八郎神社縁起」より

Hachirojinja5  むかしむかし、
 石神村、上の平の田んぼのあぜ道で、少年が一人、遊んでいた。
 少年は、天狗さまがはくような、一本歯のたかーいげたをはいて、まだどろどろした塗りたてのあぜ道を、ピョン、ピョンと、はね回っている。しかし不思議なことに、そのあぜ道に、少年のげたの歯跡は一つもついてはいなかった。
 それを見ていた村人たちは、
「何て身軽なこんずら。まるで天狗さまみてえじゃのう。」
と、言い合って驚くのだった。
 少年の名は八郎と言い、年はまだ十二、三歳であろうか。上の平の一番奥まった山際の小さな家に、八郎少年は一人で住んでいた。
 八郎は大変な美少年で、しかも頭が良く、人柄が良く、みんなからとても好かれていた。
 その上、やること成すこと、すべて人間業とは思えないほど素早く、力持ち……。
 そんな八郎であったから、みんなは
「神童とは、八郎どんのような子供を言うのであろう。」
と、うわさし合っていた。
 ある春の日、
 田んぼのあぜかけを早ばやとすませていた上の平の人々は、今日はみんな揃って、田植えをすることになっていた。
 どの家の人も朝早くから田んぼに入って、一生懸命に苗を植えていく。
 するとそこへ八郎少年が現れて、
「おらも、手伝いするからね。」
と言って田んぼに入り、みんなと一緒に植え始めたが……。その早いこと、早いこと。
 みんなはたまげて、
「わあっ、早い。八郎どんが手伝ってくれるで、こりゃあ、大助かりじゃ。」
「ふんとだわい。八郎どんなら、田んぼ一枚くらい、見てる間に植えちゃうだでな。」
「今夜は八郎どんに、うんとごちそうしにゃあ。」
などと、言いあっていると、
「おーい、八郎どん。わしらも田んぼも、頼むぞーい。」
と、向こうの方からも声がかかる。八郎少年は、人気者であった。父母がいなくても、上の平のみんなから、重宝がられたりかわいがられたりして、幸せであった。

 こうして、その年の田植えも無事終わろうとするころ、どこで発生したのか不思議な疫病が、隣村から隣村へと広がって、ついに石神村の上の平へも流行ってきた。
 人々は高熱を出して、つぎつぎに倒れていった。医者も薬も神さまも、この疫病には勝つことはできなかった。
 そんな時、
「伊賀(三重県)の国の山の中に、疫病によく効く薬草がある。」
という、うわさが伝わってきた。他に何の手だてもない村人たちは、
「そんじゃあ、何としてもその薬草を取りに行ってこまいか。」
と、いうことになった。
 しかし伊賀の国は、あまりにも遠い。たとえその薬草をさがしあて、無事帰って来たとしても、その時はもうすでに、上の平の人々はみんな病におかされて、生きてはいないであろう。
 では、どうしたものか。村人たちは思案にくれ……、思うのは、八郎少年であった。
 神童と言われ、人間業とは考えられないようなことを、次々とやってのける八郎少年なら、ひょっとして……。
 そこでみんなが、八郎少年にそのことを話すと、
「わかった。それではおらが、ひとっ走り行って来るからね。」
 八郎少年は心よくひき受けて、その日のうちに旅立って行った。

 村人たちの疫病は、その後もどんどん増え続け、何人もの人が死んでいった。
 みんなは八郎少年の帰りを、ひたすら待っていた。
 そして六日目、
 八郎少年は帰って来た。伊賀の薬草を肩にしょって、宙をかけて帰って来た。けれども、薬草を村人に渡した八郎少年は、その場にばったり倒れて、息たえた。
 遠い伊賀への道のりを、走りに走った強行に、さしもの神童も、力つきてしまったのか……。
 村人たちは思わず手をあわせて、涙にむせんだ。
 伊賀の薬草のおかげで、村人たちの疫病はだんだんと影をひそめて、やがて上の平は、もとの平和な村にもどっていった。
 村人たちは、少年の住んでいた家跡へ社をつくり『八郎神社』と呼んで、おまつりするようになった。

 今でも学問の神、万病の神として、八郎神社の霊験はあらたかと言われ、八月下旬の祭日には、遠近から大勢の参拝者が訪れている。(「ふるさとものがたり天竜・第4章下阿多古地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 写真が、くだんの「八郎神社」。神社と言うよりも、普通の住宅の造りです。鳥居もありませんので、地元の人に教えていただいて、初めて分かりました。

 それにしても、この少年は何者だったのでしょう?不思議な言い伝えですね。

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX

2011年10月 7日 (金)

竹内雅明氏の日本画「里の祭り」

Masaaki8  9月30日~10月2日、佐久間歴史と民話の郷会館で開かれた「北遠地域文化交流会」の会場で、佐久間町出身の日本画家、竹内雅明氏の作品を見つけました。

 中央の1匹の赤い獅子が舞い、笛と太鼓のお囃子が取り巻いています。「里の祭り」と題した小品ですが、竹内氏らしい静けさが宿る作品。

 北遠は今年も、祭りの季節を迎えています。集落を構成する住民が減少し、伝統の民俗行事も継承が難しい時代になってしまいました。

 ●佐久間町出身の日本画家・竹内雅明の日本画展が…
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ズガニ「今年は大きい」

Zugani  河津町の河津川で、モクズガニ漁が始まった。秋から冬にかけて産卵期に入るモクズガニは、みそが詰まって一番おいしい時期を迎えており、地元の「秋の味覚」として、塩ゆでやカニ汁が人気メニューとなる。

 モクズガニは、川で採れるカニの中では大型で、同町では「ズガニ」と呼ばれる。夕方から夜にかけて岩場に竹かごを仕掛け、翌朝引き揚げる。6日朝には、体長15センチほどの大きめのカニがたくさんとれた。

Zugani9 河津川非出資漁業協同組合の加藤四郎組合長(72)は「今年は大きい。豊漁が期待できそう」とほくほく顔だ。

 河津川流域の民宿や旅館では、12月28日までモクズガニ料理を提供する「ずがにまつり」を開いている。問い合わせは町観光協会(0558・32・0290)。(「読売新聞」より)

 下の写真は、西雲名の「自然市」で売られていたズガニです。久々に見るズガニでしたので、この記事に併せて紹介させていただきます。

 皆さんも、おおいに寄り道してみてくださいね。

田河内の壁掛けポストと美しい秋景色

Tangouchi3  今回紹介する壁掛けポスト「郵便差出箱2号」は、春野町田河内。「このポスト所在地・郵便番号 437-0611」のシールが貼ってあります。

 「田河内」は現在では「たごうち」と読むのが正しいようですが、地元では「たんごうち」と読んでいますので、この「ブログ」ではそれに倣っています。

 木下恒雄著「春野町の地名」にも「田河内」は紹介されています。前段を省略して紹介すると…

 「田河内」の土地名の本意とするところは、熊切川に沿って造られていた河岸の小平野を拓いた場所、時には谷間の脇附近であったとしても、手厚い開墾の事業が及んでいて、そこに在所する小盆地の田圃や、畑を指していることに在る。勿論のこと、そこには営々として築かれて来ている豊かな人家を見ることが出来る。

Tagouchi5  柳田国男氏の言う「河内」考を容れて眺めれば、下流より上流に向けて、熊切川を辿っては、登って来た人達、遠い祖先達には、曲折を繰り返えしては流れる川の河岸に、開拓安住の土地を見つけたかに見える。

 又山の峰々を辿っては、適当な谷間に降った人達の目に、田河内の土地は、住むに適地だとの判断があったかにも見える。

 「田河内」の地内に入り、其処に広がりを見せている数々の田畑の耕地を眺めると、最初にこの土地に“鋤・鍬”を下ろしたのは、誰であったのかと、その上の先祖達のことを思う。(以下省略)

 写真は、美しい田河内の秋景色です。赤く咲くのは曼珠沙華、黄金に実る稲田の上の茶園と茶園との間に屋敷が配置されています。

 もしも、私たちの暮らしの理想郷を求めるとしたら、それは中心市街地ではなく、自然に囲まれた田河内にあります。「郵便番号 437-0611」の地に出かけてみてください!

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 ●いつの間にか四角の箱型に変わってしまいましたが、かつて、ポストと言えば「丸型ポスト」…
 ●昭和24年(1949)に登場した「郵便差出箱1号丸型」…
 ●「郵便差出箱2号」と呼ばれる、壁掛けポスト…
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栗島清著「田河内今昔」―学校と貧困

Konjaku9 九、田河内学校の事始め

学校と貧困

 明治五年の教育令以来田河内では、借金地獄による最貧部落にありながらも、部落民一丸となり涙ぐましい努力により学校を作り、子供を通学させて来た。

 殊に貧乏人の子たくさんの零細百姓ほど教育の負担は生活を大きく圧迫したであろう事は容易に想像できる。

 明治二十三年、堪りかねた村人たちは教育費の軽減を訴える請願書を、出来たばかりの熊切村議会に対して差出している。

 請願書(区有文書L-32)要旨

 「昨年から農作物の不作が続き、一家の生計は誠に困窮している、そのため学齢児を学校に通わせるのも不本意ながらままならず、これらの児童に仕事の手助けをさせる事になり、国民の義務を欠き教育の進歩の趣旨に背き申し訳なく思います。

Tagouchisyo1  しかしながら、当てにしていたお茶の値段は安く、米を始め生活費は値上がりし貯えも底をつき、どうにもならない状態に立ち至っています。

 このような請願をするのは心苦しい限りですが、尋常小学校を変更し経費の三分の一に減額して、小学簡易科を設置し、民力相当の教育を普及して頂きたい。

 明治二十三年六月十日 増田与平 他全員の署名がある。」。(栗島清著「田河内今昔」より一部引用)

  ◆       ◆       ◆       ◆

 私たちが当たり前のように考えている就学も、ままならない家庭があったのです。聞き慣れない「小学簡易科」とは、簡易な初等教育を施す制度であり、修業年限3年以内、経費は町村負担で、尋常小学校に代用できるものでした。

 「学校と貧困」に書かれた歴史のこそ、庶民の側から見た真実の歴史。目からウロコの歴史が、この「田河内今昔」の中に記されていました。

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2011年10月 6日 (木)

西区・舞阪の園児、自然の中でのびのび 水窪

Hoikuen  浜松市西区舞阪町の順愛保育園(鈴木順一園長)の園児約30人が、長野県との県境に近い同市天竜区水窪町西浦地区の西浦公民館で「みさくぼキャンプ」に取り組んでいる。「大自然の中で子供たちを育てたい」という鈴木園長の思いから始まった山あいでの共同生活は、今年で30回目を迎えた。

 園児は8日まで4泊5日の日程で、木の実を使った工作や星空観察会、青崩峠でのハイキングなどを通して自然を満喫する。入浴はドラム缶風呂で済まし、食事は職員と協力して自炊するなど、生活のすべてを体験して子供の自立性を養う。4日の夕食のメニューは親子丼。園児は畳の上にきちんと正座して、友達と一緒に食べるご飯を笑顔で味わった。

 今年は節目の年を記念して、西浦地区の中谷博彦自治会長(69)が手作りした竹太鼓を園児に贈呈した。鈴木園長は「キャンプを続けてこられたのは歴代の自治会長をはじめ、住民の皆さんのおかげ」と地域の支えに感謝した。(「静岡新聞」より)

 4泊5日の水窪滞在は、きっと生涯記憶に残る体験になるに違いありません。楽しんでくださいネ。

秋葉山に咲くエンシュウハグマとツリフネソウ

Haguma1  見頃を迎えている「エンシュウハグマ」を目当てに、秋葉山に出かけました。

Tsurifune9  前回、ピンク色が飛んでしまったような写真しか撮れませんでしたので、リベンジのつもりでしたが、20枚ほど撮影した中で、もっとも良い1枚でこの程度です。う~ん、いけません…。

 仕方がないので、「ツリフネソウ」の写真も載せておきます。こちらも、秋葉山で撮ったもの。赤紫色の花は、ピントが合いやすく素人向きです。

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「広報はままつ」天竜区版 歴史探訪―「毘沙門堂」

Bisyamondo  「広報はままつ」天竜区版9月20日号の「TENRYU WARD HISTORY 天竜区ヒストリー」は「毘沙門堂(天竜区二俣町二俣)」でした。

Bisyamondomap  二俣町旭町地内に鎮座する堂宇(どうう)(神仏を祭るお堂)。栄林寺の記録によりますと、本尊の毘沙門天王(てんのう)像は行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の作品と伝えられ、堂宇は1370年に建立されたといわれています。明治年間に一度火事により焼失してしまいましたが、1909年(明治42年)に山の上から現在地に移築再建され、1994年(平成6年)4月に現在の堂宇に改築されました。この毘沙門堂が建つ一帯は、1575年(天正3年)に徳川家康が二俣城を巡って武田勝頼と戦った際に、とりでを置き二俣城を包囲したとされ、現在でも堂宇の裏山にはとりでの堀切や曲輪(くるわ)の跡が残っています。

 天正3年(1575)、徳川家康により二俣城攻略のための陣城として、蜷原砦、和田ヶ島砦と同時に毘沙門砦も築城されました。毘沙門堂は移築されたものですが、北遠一帯を吹き過ぎた戦国の嵐の名残を留める場所として、立ち寄られることをお勧めします。

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アケボノソウとアサギマダラ

Akebonoso7  リンドウ科センブリ属の「アケボノソウ(曙草)」と再会したのは、浜松市の東端に近い集落、田河内(たんごうち)に向かう県道263号沿いの水が湧き出る湿った場所です。

Asagimadara2  5枚の花弁には紫色の点と、黄緑色の丸があり、この模様を夜明けの星空に見立てた命名なのですが、写真がヘタでゴメンナサイ!

 5枚の花弁と言いながらも、4弁の花も見られます。しかも、同じ株から5弁と4弁とが咲いていますので、もしかしたら6弁もあるかも。

 まあ、教科書通りには行かないのが、世の中ですよね。

 近くで咲くシシウドの花に、アサギマダラが来ていました。

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 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

「田河内今昔」に導かれ、旧田河内小学校跡を訪ねる

Haiko0九、田河内学校の事始め

学校の始まり

 明治維新を成し遂げた新政府は、国民教育の振興を急務として、明治五年(一九七二)八月三日教育令を発布、「自今以後一般の人民必ず村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」

 翌六年六月には、これに基付き浜松県は権参事、石黒務より「中小学校区割の章程」が出される。この木版刷り小冊子は田河内区有文書として現存する。「章程に準拠し毎区一校を建設し、子弟男女の別なく六歳より必ず学業に就しめ可申し候」と書いてあり、こんな山奥の小さな村まで素早く届けられているのが驚きである。

Haiko7  この通達を受けたその年、明治六年十二月十五日には早くも田河内では、お寺神向庵と鈴木弥次平宅を教場として授業を開始したと報告されている。

 (中略)

 明治七年十一月には熊切に松下学校が創立され、田河内の教場は熊切戸長役場の管理下に入り松下学校田河内分教室となる、すべて公費で賄われる訳ででなく学校通常費として各村に割り付けられている。

 当時田河内戸数三十九戸、学校生徒数三十四名、割り付け額六十円でありこの集金は戸数割三十円、地価割り三十円で集金されており各家かなりの負担になっている。(栗島清著「田河内今昔」より一部引用)

  ◆       ◆       ◆       ◆

 栗島清氏が著した「田河内今昔」には、学校創立当時の様子が分かりやすく生き生きと書かれていました。グングン引き込まれ、気づいた時には、田河内に向けて車を走らせていました。

 写真は、現在残る旧春野町立田河内小学校跡です。

 田河内小学校が廃校となったのは、昭和44年(1969)。花島小学校とともに熊切 小学校へ統合されました。現在も、校門と鉄筋コンクリートの校舎が残り、「春野町立田河内小学校跡」の碑が建てられています。

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 ●写真の2階建ての校舎は、知る人ぞ知る「周智郡立勝坂小学校」跡…
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足神神社の例大祭レポート(下)

Ashigami4  午前8時頃、足神神社の例大祭に向けて出発しました。

 平成23年10月2日(日)、この緑深い水窪の地は晴れ渡り、風は少々肌寒く気温17℃。信心するには素晴らしい天候です。

 神社に到着したのは、10時10分頃。すでに境内は人と車とでいっぱいです。参詣者は概ね200余名程でしょうか。近郷近在の方が多く、中には信州飯田からいらした方も。

 11時15分頃より、守屋宮司と2人の神官と1人の巫女により、神事が進められました。

Ashigami5  小さな社殿の最奥に祭壇があり、その中に御神体が鎮座されているのでしょう。社殿に昇った者は約20名程。社殿の周りに50~60の椅子が並べられ、他の参詣者は社殿の周りに立って神事を見守ります。

 全国に希なる足の神様の例大祭神事は、ごく普通に進められて行きます。玉串奉納の際には、1本の笛による「越天楽」が奏され、何やら“しめやかな”気持ちにさせられました。

 白い布の向うに御座する御神体とは…?幾度も例大祭に参詣されている方にお聞きしたところ「北条時頼公の『書状』と聞いていますが…」。

Ashigami6  足神神社由来には「数ヵ月後、一通の書状がこの地を驚嘆させた。僧姿の人物こそ、時の鎌倉の執権、北条時頼公その人であった。書状に曰く「(守屋)辰次郎こそ医術に優れ、仁徳人望厚き無類の名庄屋である。高齢がゆえ、その身に万一の事あれば、救われしゆかりの地にその徳を讃え霊神として末永く祀るべし」とあり、なるほどと合点がいったところです。

 さて、多くの神社の御利益と言えば「天下泰平」「武運長久」「五穀豊穣」「子孫繁栄」「家内安全」「交通安全」というのが一般的。ところが、ここ足神神社の御利益は、実にシンプルに「無病息災・健脚祈願」だけなのです。

 毎日働き生活を成す“もと”は、強く、しなやかで健康な足腰があればこそ。

 神事は約30分程で終わり、その後、宮司より参詣の方々に挨拶があり、皆に御神酒と赤飯が振舞われ、12時過ぎに散会になりました。

 宮司の守屋家は、この地に930年近く生き、現当主は41代目とか。長くこの水窪(辰之戸・たつんど・池島)の生活・文化・信仰を支えて来られ、そして塩の道の安全・繁栄と旅人の苦労を十分に知る「家風」であったかと、敬意を表したい気持ちになりました。(by 久保田)

 ●長野県との県境、「青崩峠」の手前に「足神神社」があります。「足神神社」とは…
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2011年10月 5日 (水)

足神神社の例大祭レポート(上)

Ashigami1  過日、足神神社の守屋宮司より、10月第1日曜日(2011年10月2日)に催される例大祭への案内を頂戴しました。

 「大神の鎮座される静かな杜は、大いなる神気に満ちて、湧き出づる水清く、風慄然として清しく皆様の御参詣をお待ちしています。ここに謹しんで御参詣のお勧めと御案内を申し上げます。」

Ashigami2  神社由来によれば、鎌倉時代1250年頃(約760年前)「この地に一人の旅の僧があった。折あしく熊笹を足に受け高熱を発し重体に陥ったと言う。聞き及んだ守屋家五代目は池島の屋敷に匿(かくま)い、昼夜手厚く看病し、数日後見事に全快せしめた。命拾いした旅の僧は深く感謝の言葉を残し、一人静かに立去った。」とあり、その礼として祠を建立されることを許されたことに始まるとあります。

 この地は、遠州と南信濃の国境「青崩峠」の南で、塩の道(秋葉道、信州街道)に沿う急坂の中途にあって、いかにも難所を旅する者の足を守り、治癒してくれる好適な位置にあると言えるでしょう。

 次に足神様をもっと身近に感じ、ロマンをかき立てるお話を2題。

 神社前の坂を少し登った所に“しっぺい太郎”の小さな祠があります。磐田見付天神で怪神(老ヒヒ)と戦い手傷を負った早太郎が、故郷駒ヶ根の光前寺に戻れることなく、力尽きた地と語られています。

Ashigami3  この話は約700年も前のものですが、早太郎がきっと駒ヶ根の地まで帰り着くまでの体力(足)を神様に願ったのでは、と想像されます。昨年、見付天神では“しっぺい太郎”生誕700年を祭ったと言うことです。

 そしてもう1つは、1572年(約440年前)、武田信玄の軍隊が、この青崩峠と兵越峠から水窪に入りました。この時、多くの将兵が足神様に祈願をしたと想像されます。これを裏付ける文献が、どこかにあったら…!楽しみですネ。

 全国に数多くある神社の中で、足を祀る神様は珍しく、足神様の例大祭はどんな神事なのか、何が御神体なのか、そして、どんな御利益があるのか、などを少し知り、この神社の多様なロマンを楽しみたいと思って出かけました。(by 久保田)

 ●長野県との県境、「青崩峠」の手前に「足神神社」があります。「足神神社」とは…
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母を連れてこころの故郷へ(下)一佐久間を味わう

Ogasawara3  母と叔母を伴った坊さん一行は、かつての一家をわずかに記憶している人と出会い、鉱山が栄えていた頃の話を伺いました。「学校も病院あったし、クラブやテニスコートだったあったのよ。帆掛け舟がなくなってからは、坑道から出された鉱石は鉄索を使って、中部(なかべ)まで運んだのよ」。

 懐かしい話は尽きませんが、もう食事の時間です。何をいただきましょう?

 そうだ!ホウジ峠のそばがいい!というわけで、「佐久間民俗文化伝承館」に向かいました。台風15号による倒木も片付けられ、工事による通行規制も日曜日にはありません。

 「佐久間って、こんなに山奥だったんですね」「でも、おそばが美味しいですよ」。

 注文は、迷わず「梅おろしそばご飯付きセット」。縁側から外の景色を眺めたり、懐かしい土雛を見たりしているうちに、「お待たせしました」と「梅おろしそば」が届きました。

Soba1 梅肉と卸し大根とそばつゆでいただく、さっぱり味のそばと郷土食の「とじくり」「水窪じゃがたの煮ころ」と「赤飯」。「遠くからいらっしゃったんですってね?味はいかがですか?」「とても美味しい!」。

 来てみたかった佐久間、見てみたかった久根、食べてみたかった故郷の味―その夢がようやく叶いました。「民俗文化伝承館」には、「山香ふるさと村」の三井さんと山口さんも来ていました。「また、きっと来てくださいね」「はい。必ず帰って来ます!」。

 そして、昨日(10月4日)届いたお礼のメール―富山の坊です。今年の春先から、ずっと杣人の会の皆さまにお世話になっております。曾祖父母と祖母の故郷に念願叶って母と叔母を連れて訪れることができました。この日を迎えることができたのも皆さまのお陰と心から感謝しております。特に最初にお電話を受けて下さった久保田様、そして佐久間に何度も足を運んで調べて下さった斉藤様ありがとうございました。私達、塩澤直系一族全てが杣人の会の皆さまに心から感謝しておりますことをここにお伝えいたします。そして、佐久間の地元の方々、振興課や観光協会の方々にも御礼申し上げます。これで最後ではありません。私達はまた佐久間を訪れると思います。その時はどうか気軽にお声を掛けて下さいませ。本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。富山県氷見市 坊 伊都子 真奈美

 私にとっても、その日が待ち遠しくなりました。次の機会にも、また私が案内させていただきます。お待ちしていま~す!

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 ●「とじくり」という名前のお菓子をご存知ですか?…
 ●①まず、お米を洗いざるに入れて乾かしておきます…
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自生のオミナエシとオトコエシ

Ominaeshi7 オミナエシ科オミナエシ属の白い花、「オトコエシ」は結構見かけます。ところが、黄色い花を咲かせる本家の「オミナエシ」の自生している姿を見かけることは大変稀です。

 「オミナエシ」は、秋の七草の1つ。「多年草で日本各地の山野に自生する」とはされているのですが、その後に「…が、近年減少している」と付け足さなくてはいけません。

 ひょろひょろと 尚露けしや 女郎花 松尾芭蕉

Otokoeshi6  地元の人に挨拶をして山道を歩きました。「おはようございます」「何しに来たの?」「野の花を眺めながらの散歩です」「この頃じゃあ手入れもしてないから、昔からの花が咲いてるかな?」。

 黄色く輝く自生の「オミナエシ」は、百古里(すがり)の山道で見かけました。「オミナエシが咲いていましたよ」「ほう。どこにあった?」。

 どうやら、誰かが植えたものではなく、自生の「オミナエシ」だったようです。

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2011年10月 4日 (火)

母を連れてこころの故郷へ(中)―久根が見える

Kouzaniriguchi3  旧塩澤家のルーツは久根の山。正確に言えば、上野の山にあった鉱員住宅のさらに上、大久根小学校のすぐ上にありました。

 高齢の母親に山登りは無理。久根鉱山の入口まで歩くのも難しいと判断し、鉱山や住宅のあった山を見るのは諦めてもらおうと考えていました。その時、「山香ふるさと村」の三井さんが動きました。

Kune9  「久根を見て帰らなくちゃあダメじゃん!私が乗せてってあげるから」。すぐに車をまわし、母親を乗せ、久根鉱山入口ゲートまで移動してくれました。「さあ、お母さん。ここが、鉱山の入口。そこに見える鉄の扉の奥が坑道になっているんですよ」。

 木々の間から見下ろす天竜川の水は青く、川の向うに鉱山遺構が見えます。さらにその向うには、ルーツとも言える上野の山。「お母さん!久根が見えるね」。

 「まさか、自分が本当にここに立てるなんて思ってもいなかった。皆さんのおかげです」。

 いえいえ、お母さん!誰の「おかげ」でもありません。私たちはみんな心の中でつながっているのです。それが久根を去った人たちをつなぐ「こころの故郷―山香ふるさと村」。「私たち、ふるさと村の会員になります!」「また、来てちょうだいね!」。

 私の心の中にも、あの頃の久根が見えたような気がしました。三井さん、山口さん、本当にありがとうございました。

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寒い朝―佐久間で10.2度を記録

 寒い、寒い朝―それもそのはず、佐久間のアメダスが、「10.2度」を記録しています。 今年の夏に活躍した扇風機をまだ片付けていないというのに、一気に秋が深まり始めたようです。

 どんな服装で出かけましょうか?どこへ?北遠へ。

時間 気温
(℃)
降水量
(mm)
風向
(16方位)
風速
(m/s)
日照時間
(分)
積雪深
(cm)
4日
(火)
5時 10.2 0.0 西北西 1 0 ---
4時 10.7 0.0 静穏 0 0 ---
3時 11.1 0.0 西北西 1 0 ---
2時 10.9 0.0 西南西 1 0 ---
1時 10.9 0.0 西北西 1 0 ---
0時 10.8 0.0 西北西 1 0 ---

久しぶりに見る「ヤママユ(Japanischen oakworm-Nachtfalter)」

Yamamayuga7  3年前に野生の蚕(かいこ)ヤママユを見かけたのは、飯田線「相月(あいづき)」駅。今回のヤママユとの出会いも、駅前の公衆トイレでした。

 この大きな蛾を見逃すわけがありません。にも関わらず、こうして再び出会ったのは奇しくも相月だということは、相月では普通種であっても、他の地域ではあまり生息していないということでしょうか?

Yamamayu9  トイレの内側に1頭、ガラスの外側に1頭。「天蚕(てんさん)」とも呼ばれる日本在来の代表的な野生の蚕(かいこ)が翅を広げてへばりついていました。

 年1回の発生で、ちょうど今頃がその時期。幼虫のうちはコナラやクヌギの葉を食べて育つのですが、蛹の時はもちろん、羽化してからも何も食べません。

 ヘルマン・ヘッセ作の『少年の日の思い出(Jugendgedenken)』の中で、主人公は隣に住むエミールの「クジャクヤママユ」を一目見ようと彼の部屋に入り、その美しさゆえに盗みを犯してしまいます。日本の教科書に掲載されているこの小説の原題は、そのものズバリの『クジャクヤママユ(Das Nachtpfauenauge)』。

 思い出した人はいますか?久しぶりに見る「ヤママユ(Japanischen oakworm-Nachtfalter)」でした。

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2011年10月 3日 (月)

母を連れてこころの故郷へ(上)―「山香ふるさと村」

Furusatomura0  自分たちの祖母の出身地である佐久間町を「こころの故郷」と感じている富山県氷見市に住む姉妹の話は、すでに何度も紹介した通り。今回は姉が母と叔母とを連れて、久根を再訪するためにやって来ました。

 JR浜松駅前のホテルに前泊した3人とは、今日(10月2日)午前8時に合流。早速車で佐久間を目指しました。

 途中、国道152号の通行止め箇所をかわすため県道285号を迂回しましたが、10時過ぎには「山香ふるさと村」に到着。三井さんと山口さんに迎えられ、まるで里帰りした家族のよう。母も初めて来た佐久間、初めて会った三井さんと山口さんの親切な対応に感激し、何度も頭を下げてお礼を言っていました。

 一家の出身地は、間違いなく佐久間。しかし、それは亡くなった祖母が子ども頃までのこと。既に100年近くが過ぎ去っているにも関わらず、ここを「ふるさと」と感じさせる温かさが「山香ふるさと村」にはあります。

 「来て良かった!」「本当に皆さんのおかげです」の言葉は、本音だったと思います。3人は三井さんと山口さんの案内で、久根鉱山遺構と祖母が生まれて育った山が見える場所に向かいました。

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ペプシコーラのレトロな看板―水窪

Pepsi8  ペプシコーラのレトロな看板はかなり劣化していますが、水窪の商店街入口の目に付きやすい場所に残されていますのでお気付きの人も多いのではないでしょうか?

 コーラの味と言えば、「薬臭い」というイメージ。それも、そのはず。ペプシコーラは、もともと消化不良の治療薬として売り出した飲料が元になっているのです。消化酵素のペプシンが含まれていたところから「ペプシ」の名が付けられました。

 看板はかなり錆付いていましたので、ホーロー看板というよりもブリキ看板なのかも知れません。横長と縦長の2パターン。横長のものは、同じく「DRINK ペプシコーラ」の文字とトリコロールの王冠のデザイン。縦長の看板には「DRINK ペプシコーラ」の文字と王冠ボトルのコーラ瓶。ただし、「ペプシコーラ」の文字はロゴにはなっていないようです。

 若かった頃に時々、無性にコーラが飲みたくなったことがありました。「コーラ中毒」とか「炭酸中毒」と言われた時期がありましたが、あれは胃の調子が悪かったのでしょうか?コーラか…。もう、長い間、飲んでいませんね~。

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2011年10月 2日 (日)

内藤亀文著「ふどき」6.土俗と伝承(1)西浦の田楽②

Nishiure665  田楽を執行するのは祭主にあたる別当が一人、能頭が三人、能衆が十七人という構成で、それぞれの持ち役は全部世襲、男子に限られている。祭りは旧正月十八日徹夜で行なわれるが、その十日も前からきびしい物忌みに入り、別当などは全く家族と別居して、火打石できり出した清浄火で自ら煮炊きし、肉も魚も一切口にしない。ほかの能頭、能衆も大体同じような生活に入り、家族の女子で月の障りにあるものは、この期間中別棟の小舎(こや)に住まわせる。小舎(こや)という言葉は、今は全く廃語になっているが、江戸時代は一般に月の障りにある女を小舎と言い、事実家族とは別の小屋に入ったもので、女が初潮になることを、こやになると言った。そういう古い言葉も事実も、ここではまだ生きているのである。このような厳重な戒律を、頑固と言えるほどの律儀さで守り通して来たのであるから、おそらく西浦田楽は時代の変化にもあまり影響されないで、原始の姿を保っているのではないか。以下③へつづく(内藤亀文著「ふどき」6.土俗と伝承より)

  ◆       ◆       ◆       ◆

 7月2日に開催された浜松市制100周年記念「浜松市伝統芸能の集い 浜松の祈り 明日への祈り」でも、「西浦(にしうれ)の田楽」が披露されました。

 会場で配布されたプログラムには、会長・守屋治次氏により「西浦田楽保存会」が紹介されています。

 この神事に参加する者は、能衆と呼ばれる世襲の人々で、西浦田楽は、この能衆によって伝えられてきました。日常生活の中に信仰が根付き、祭の前から精進潔斎する掟が守られてきました。

 しかし、時代が流れるとともに過疎化の波が押し寄せ、世襲の一角が崩れ始めました。その後は残った能衆で欠けた役を補い、現在は13戸が親子ともども参加することで伝承しています。(当初は24戸の世襲)

 遠い祖先が育ててくれた西浦の田楽を守り、子孫に伝え残すのが務めと毎年の祭に取り組んでいます。

 住民の流出、過疎化が進む山間の里で、伝統の芸能を守ることの難しさは相当なものだと思います。元来は神事であり、部外者に見せて評価を得る観光芸能ではありません。

 写真は、プログラムにあったものを転載させていただきました。来年こそぜひ、夜明かしの祭りを見てみたと思っています。

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 ●浜松市天竜区水窪町西浦地区に伝わる国指定重要無形民俗文化財「西浦田楽」が、3月3日夜から…
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取集時刻11:00頃―春野町平野の「郵便差出箱2号」

Post2  壁掛けポスト「郵便差出箱2号」と出会うなら春野。和田之谷、西領家、勝坂、長蔵寺、花島…。そして、今回6ヵ所目の出会いは、平野でした。

 もちろん、まだ現役で、平日の「取集時刻」は11:30頃と表示してあります。「取集」…?

 「取集」とは、何かを取り集めることで「集取」とも表記する…?

Tairano9  集めるのなら収集でも良いと思うのですが、郵便物の場合には「取集」を使っているようです。ですから、手紙やハガキを出すのは、ポストの投函口。投函された郵便物を集める口は「取集口」と呼んでいます。

 ところで、春野町のここは「平野」と書いて、「たいらの」と読みます。その証拠は、秋葉バスのバス停の表示。「平野公会堂前」は「Tairano Kokaido-Mae」となっています。「ひらの」ではありませんので、お間違えのないようにお願いします。

 9月25日に起きた県道58号袋井春野線の崩土災害の際、浜松市の同報無線が一旦「ひらの」と伝えた後「たいらの」に訂正された、との話がありました。笑い話で済んでいるうちは良いのですが…。地名の読み方は、難しいですね。

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 ●いつの間にか四角の箱型に変わってしまいましたが、かつて、ポストと言えば「丸型ポスト」…
 ●昭和24年(1949)に登場した「郵便差出箱1号丸型」…
 ●「郵便差出箱2号」と呼ばれる、壁掛けポスト…
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訪ねるはずだった浜名湖体験学習施設「ウォット」

Wotto4  昨日(10月1日)は、本来ならば私たちNPO法人「天竜川・杣人の会」が、北遠の子どもたちを浜名湖体験学習施設「ウォット」に案内するはずだった日。台風15号による国道152号の崩土のため、やむなく中止にせざるを得ませんでした。

 でも、訪ねるはずだった「ウォット」は、私にとっては未知の場所。ちょっと気になり、出かけてみました。

Wotto5  先ずは、水族館とも言える「アクアゾーン」を通ります。実は浜名湖は、都田川の下流部とされています。都田川を再現した渓流水槽にはニジマスなどの淡水魚が泳いでいます。

 大水槽には、浜名湖や遠州灘に生息する魚がいます。どこかの水族館のように、ジンベイザメはいませんが、水槽は天井部まで広がり、水中にいる気分で魚たちを下から見上げることもできます。

Wotto7  水槽の横から水の中に手を入れることができるのに水がこぼれない不思議な「ふれあい水槽」や、ヒトデやウニ、ヤドカリなどに直接触ることができる野外コーナーや体験ゾーンもあり、楽しみながら浜名湖について勉強することができる場所です。

 私たちが企画した「親子で楽しむ環境教室」の狙いは、北遠の山に降った雨が森林の腐葉土に蓄えられて浄化され、やがて川に浸み出して海へと流れ下るメカニズムを知ってもらうこと。森林を守ることが、海の環境を守ることにつながっていることを、北遠の中山間地に住む子どもたちに勉強していただく機会としたかったのですが…。残念!

 お申し込みいただいた皆様、ご協力いただいた皆様に感謝いたします。この企画は、また別の機会に仕切り直しとなりましたが、ぜひ一度、浜名湖体験学習施設「ウォット」をお訪ねください!

 「ウォット」は県営の有料施設。高校生以下は無料ですが、大人は有料(300円)。 車でお出かけの方は、別に駐車料金400円が必要となります。

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2011年10月 1日 (土)

地域共創サロン「共創による地域活性化セミナー」に参加

Salon9 9月30日(金)午後7時~9時、浜松学院大学布橋キャンパスで開催された、地域共創サロン「共創による地域活性化セミナー」の第2回「北遠の取材から見えてくる浜松の素顔、課題、将来」に参加しました。

 今回のゲストは、静岡新聞天竜支局長の佐藤章弘氏と水窪支局の木村祐太氏。本来は8月19日に予定されていたのですが、天竜川下りの事故により、1ヵ月遅れての開催となりました。

 佐藤氏からは、自身の書いた記事「天竜川下り転覆事故の余波《中》瀬戸際の観光協会」(9月8日)の取材を通して感じた印象から始まり、私たちも気になっていた「消える森林課 林業界に不安」(6月20日)にも話が及びました。

Kiji8 9月29日付の「台風15号天竜区に大きな爪痕 2集落3世帯いまだ孤立」については、孤立世帯のお年寄りに取材した感想を、記事に書けなかったことまで含めて話してくれました。

 参加者の口からは、過疎化、限界集落、森林荒廃など、北遠に広がる問題が次々と飛び出しましたが、それでも、水窪支局長の木村氏も言うように、私たちは「水窪や北遠が大好き」です。

 北遠の情報源として、新聞の記事は極めて有用。佐藤氏も木村氏もまだ若いのですが、健全な問題意識を持って取材に当たってくれています。これからも、今まで以上に静岡新聞天竜支局・水窪支局発の記事に注目して行きましょう!

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「白熊」と書いて「ハグマ」と読みます。

Ensyuhaguma8  キク科モミジハグマ属の「エンシュウハグマ」を漢字で書くと「遠州白熊」。ええ?白熊?

 実は、名前の元は仏具の「払子(ほっす)」から。法要の時に導師が所持する「払子」には、柄の先に白くて長い毛がついています。

 この「払子」の毛は、本来は「厄(ヤク)を払う」に掛けて「ヤク」の毛を使うらしいのですが、この「ヤク」のことを「白熊(ハグマ)」と呼んでいるようです。

 そんな「ハグマ」の毛を使った「払子」に姿が似ているところから、「ハグマ」と命名され、遠州地方に多く自生しているところから「エンシュウハグマ」の名前が付きました。

 「ヤク」の毛を、白く染めたものを「白熊(ハグマ)」、赤く染めたものを「赤熊(シャグマ)」、黒く染めたものを「黒熊(コグマ)」とも呼ぶそうです。

 この「エンシュウハグマ」を見るのなら、今です。でも、本当はもう少しピンク色なんだけどなあ…。

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地域限定の野草「エンシュウハグマ」

Ensyuhaguma9  9月30日(金)~10月2日(日)、佐久間歴史と民話の郷会館で「北遠地域文化交流会」が開かれています。昨日訪れた会場では、展示の部の準備の真っ最中。写真や絵画、絵手紙や手工芸作品などが飾り付けられていました。

 そんな中で目に留まった1枚の写真。「この花は…?」「遠州白熊と書いてエンシュウハグマっていう花なんだけど。ちょうど今頃に咲いているはず。小さな花だけど…」「気になりますね。どこで撮ったんですか?」「秋葉神社の上社…。上社と言っても広いけどね」。

Tsuruninjin1  そこがどこであるのか、何となく思い当たりました。多分、あそこだろろう!よし、今から行ってみよう!

 予想はピタリと当たり、キク科モミジハグマ属の「エンシュウハグマ」の写真を撮ることができました。本当はもう少しピンク色なんですが…。

 「エンシュウハグマ」は、静岡県から愛知県にかけて見られる地域限定の野草です。先端が捩れた風車のような花は、何とも個性的。う~ん。でも、本当はもう少しピンク色なんだけどなあ…。

 近くには、ツルニンジンも咲いていました。こちらは、キレイに撮れました。

 なお、「北遠地域文化交流会」は、明日(2日)「芸能発表の部」が開催されます。

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鮎釣隧道を抜けるとアレレ?

Ayuduri  天竜川右岸、龍山大橋の南、鮎釣付近の国土地理院の地図ですが、この道って、どうなっていると思いますか?

 橋を渡ってそのまま左折するのではなく、一旦右にカーブを切りトンネルを抜けて橋の下を回り、集落へと向かっています。まるで、ループ橋のような道を「ループ線」と呼び、螺旋状(スパイラル)に道路を造ることにより、急勾配を緩和しています。

Tunnel8  鮎釣の「ループ線」を走ると、一瞬、自分がどこに向かっているのか分からなくなります。丸く弧を描くように伸びる「ループ線」。八幡神社の下を貫ける「鮎釣隧道」も曲がっています。

 トンネルを抜けると、今渡って来たばかりの橋が頭上に現れ、アレレ?不思議な感覚を味わってみたい人は、ぜひお立ち寄りください!

 *現在は、国道152号通行止めのための迂回路になっています。

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152号「秋葉トンネル」北出口の通行止めと迂回路を確認

Ukairo6  台風15号による通行止め箇所と迂回路を確認するために、佐久間まで出かけて来ました。

 現在も残る国道152号線の通行止め箇所は、旧天竜市の西雲名と龍山町とを結ぶ秋葉トンネルの出口から少し北に進んだ辺り。そのため、トンネルを出たらすぐに右折するように案内が出ています。

Ukairo5  秋葉街道を龍山町大嶺の鮎釣に向けて下り、案内看板に従って日星電気龍山工場方面に左折、ループ線を回り鮎釣隧道を抜け、龍山大橋を渡ります。

 対岸の県道285号を通って秋葉ダムへと進み、ダムの堤体の上を通り、西川トンネルの途中の分岐から国道152号へと戻ります。

Akihadam2 分かりましたでしょうか?言葉で説明すると難しいのですが、現地に行けば看板や案内の人が立っていますので、迷うことはありません。秋葉トンネルの手前を右折して285号に入ろうとすると、こちらも通行できませんので、ご注意ください。

 そんなわけで、明日(10月日)、いよいよ富山県氷見市に住む姉妹が自分たち家族の「こころの故郷」である久根に、母親を連れて来ます。もちろん、私が案内人。この迂回路を通り、安全に佐久間をガイドしてあげたいと思っています。

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