むかし、むかし、阿多古の里のその奥に、瀬戸渕という、大きな渕があった。渕の両側には大木がむら立ち、青黒い水はうずを巻いて、底の深さも知れないほどであった。
この瀬戸渕には、二本の金色の角を持った、大きな竜が住んでいると、村人はうわさしあっていた。
ある時、この渕の上の山に、ふじづるを取りに来たおじいさんがあった。
ふじづるは、あっちの木にも、こっちの木にもからみついていた。
おじいさんは何本目かのふじづるを、トーン、トーンと切っていた時、どうしたはずみか、手元がちょっと狂ってしまって……。
「あ、しまった。」
おじいさんがそう思った時には、もうなたは、ころころと地面をころがっていた。渕の上は急な斜面である。なたはころころころげて渕の中へ、ドボーン、と、落ちていった。
おじいさんは、途方にくれてしまった。大事ななたである。拾いたい。けれども瀬戸渕は青黒くよどんで、とてもとても深かった。
おじいさんはどうすることもできずに、とぼとぼと家へ帰って行った。
さて、その夜のことである。
おじいさんの夢の中に、振り袖姿のきれいなお姫さまが現われて、
「おじいさん、ふじづる取りのおじいさん、瀬戸渕に落とした、なたを拾って下さいな。私は、金気のものがきらいです。」
と、訴えるように、そう言った。
おじいさんはびっくりしてとび起きたが、お姫さまの姿など、もうどこにもありはしなかった。
けれどもお姫さまは、毎晩のようにおじいさんの夢の中に現れて、
「ふじづる取りのおじいさん、どうぞなたを拾って下さいな。」
と言うのだった。
そのころからこの村に、雨が降らなくなった。雨は何十日も降らなかった。村人たちは、大変に困っていた。
おじいさんは思った。
(あの姫さまは、瀬戸渕の竜ではなかろうか。昔から、竜は金物がきらいだという。この日でりは、瀬戸渕の竜のたたりかも知れん。だとしたら、早く何とかせねばならん。)
そこでおじいさんは、村の庄屋に相談した。すると庄屋は、
「そうであったか。おそらく、たたりであろう。一刻も早く、じいさんのなたを、瀬戸渕から拾い上げねばならんのう。」
そう言って、威勢のいい若者たちを集め、渕に網を入れることにした。
大勢の村人たちが見守る中で、網はザブン、ザブンと渕に投げ入れられた。そしてついに何回目かの網の中へ、おじいさんの落としたなたがかかって、無事引き上げられたのである。
渕の岩上で、それを待ちかまえていた村人たちは、
「それー。」
とばかりに、鐘や太鼓を打ち鳴らし、念仏を唱えて、雨乞いの行をとりおこなった。
するとついに竜のいかりも解けて、待望の雨が降り出したという。
喜んだ村人たちは、
「瀬戸渕の竜は、雨ごいの神さまじゃ。」
と、言い伝えて、渕のそばに祠を作り『瀬戸渕の水神さま』と呼んで、おまつりするようになったということである。(「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より)
◆ ◆ ◆ ◆
東阿多古川沿いの県道296号に、それらしい石碑が建てられていました。青黒い水を湛える「瀬戸渕」の写真は、久保田氏が撮影したものです。
■「ふるさとものがたり天竜」INDEX
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