80年前の水窪⑤―鈴木保彦著「大正琴―池の平」より
「池の平に水が溜(たま)った」というしらせが、まるでその水が、山肌へしみとおるように、一夜にして山の町の戸毎に伝わっていった。「池の平」附近の出材人夫達が、陽の傾く頃それを見つけ、帰り支度をはじめる頃には、もうあたり一面湖水と化し、まわり道をして下山したというのである。出始めの時、源泉となったあたりに、水の吹き出る鳴動もしたという。
「池の平」は海抜千メートル、水窪から、天竜端(ばた)の白神(しらがみ)へ抜ける山道を登りつめて、峠を越えたすぐ西側にある。そのあたりはやや平坦(へいたん)地をなし、茅萱(ちがや)の原と杉林になっている。山頂を西に下ったところといっても、ほとんど山頂に近いのだから、こんなところに水が湧き出ることなど、どう考えてみても理屈に合わない。その平坦(へいたん)地が、天竜川東岸の果てであり、山塊は、そこから切り立ったような絶壁をなして天竜の河谷へと落ち込んでいる。はるかなる足下をその大河が蛇行(だこう)し、白神の知久氏のお屋敷が小さく見える。(中略)
「池の平」に水が溜るのは、七年目毎と言われているが、規則正しくそれを繰りかえすわかではない。溜る前に雨の多い時もあり、そうでない時もある。諏訪湖から発した天竜川は、流域五十里をうるおして、遠州灘(なだ)へそそいでいる。丁度その中ほどに、鳴瀬の淵があり、この深淵に潜(ひそ)む蛇(じゃ)が、七年目毎に諏訪へ渡り、途中「池の平」で一泊するので、その前後七日間だけ、天竜の水をこの山頂へ呼び集める。「池の平」が不時の湖水と化するのはそのため、と国文(*主人公の名)達は聞いている。ふだんは杉の美林の「元池(もといけ)」といわれるあたり千坪と、まだ杉の若い「新池」数千坪が、共に水を張る年もある。
「水が溜った」としらせがあった翌日、日頃は一日に一人通るか通らない白神道を、近在の人々が、ひきもきらず登りはじめ、山の町の人口の何分の一かは、山上に移ってしまう。山道を登っている間は、行楽の気分で冗談もとばし、諏訪明神や鳴瀬の蛇(じゃ)を、軽口の材料としても、一度山頂の不思議な湖水を目撃してからは、たちどころに畏怖(いふ)のおもいに打たれ、誰れも、あまりしゃべろうとはしない。百年に近い杉の、下枝のあたりまでが水に漬かっているから、この俄(にわか)な湖の深さは、二丈をはるかに越えている。透きとおった清水で、目をこらすと、薄暗い水底の夏草が見え、灌木(かんぼく)のみどりの枝も見える。時折、水の湧出(ゆうしゅつ)があって湖心に大きい水の輪がひろがっていく。(鈴木保彦著「大正琴―池の平」より)
手元に、「幻の“お池”が現れた!」(昭和57年8月12日付「静岡新聞」)の切り抜きがあります。昭和57年とは、西暦1982年。今から28年前のこと。平成元年(1989)9月、同10年(1998)10月にも出現したようです。その後、水が湧いたとの報告はありませんが、7年周期となれば、そろそろ周期の年。出現の可能性があります。
さて、今年の夏に「池の平」の湧出はあるのでしょうか?
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