「霜月祭り」「花まつり」「花の舞」などと称される祭りは、本来は万物の生命力が衰える旧暦「霜月」に催される儀式。煮えたぎる湯を素手で撥ね退け、邪悪を追い払い、魂を蘇生させる祈りを込めた「湯立て神事」が起源と考えられる民俗芸能です。その伝播の経緯については不明ですが、三遠南信地域に広く分布しています。
愛知県北設楽郡豊根村富山の「熊野神社」で行われる「御神楽祭り」もその1つ。愛知県一宮市の河合幸男氏から、「御神楽祭り」のレポートが届きましたので、掲載させていただきます。河合さん、ありがとうございました!
<奥三河の御神楽(みかぐら)祭り>を訪ねて
全国的に有名な「花祭り(霜月祭り・神楽)」が1月3日から4日に行われる、旧富山村大谷地区の熊野神社の「霜月祭り」(富山村は、「御神楽祭り」と呼称される)を見学しました。
ここは、愛知県の東北部に位置し、東を静岡県(磐田郡佐久間町及び水窪町、現在は浜松市天竜区)、北を長野県(伊那郡天竜村)と接し、県境を天竜川が流れ、千メートル級の山岳に囲まれた山の里です。特に、訪問した旧富山村(平成17年11月、豊根村に合併)は、最奥部に位置し、豊橋方面からの経路は、静岡県(佐久間町)経由の交通アクセスが最も利用されますが、東名豊川インターから豊根村まで約2時間を要する交通不便な場所。そして旧富山村までは、千メート近い峠を経由し、さらに小一時間を要しました。
今年の冬は、予想に反し例年以上に降雪があり、地元の方から車の凍結対策を忠告されました。このため、NPO天竜川・仙人の会の斉藤事務局長から貴重な情報提供を受け、「中部天竜駅」から「大嵐(おおぞれ)駅」まで飯田線を利用しました。「大嵐駅」は、天竜川の東岸にあり、住所は水窪町です。駅から神社周辺まで徒歩で約20分でした。
このような地形から、古来、奥三河、遠州北部、南信濃の集落は、人的交流があり祭りなどの文化面の影響があるとされます。その代表として、多くは花祭りと呼称される霜月祭りが、(昭和60年現在)一円で49カ所で開催されています。<霜月神楽分布図参照>
大谷の熊野神社は、正平元年(1342),紀州室郡から落去してきた熊野別当の一族の田辺藤四朗国量(くにかず)が開郷し、熊野三山を勧請したことが始まりであり、その縁で熊野修験者が往来したとのこと。
当地の花祭り研究者である山崎一司さんの書籍『隠れ里の祭り』によると、祭りの起源は、熊野神社の勧請時代で、古代からの山岳信仰(神奈備(かんなび)信仰)に熊野(観音、薬師、不動明王)修験者が先導・導入したと解説。その後、秋葉山を利用した白山信仰、伊勢信仰の影響を受けましたが、明治時代初期の修験道禁止令、及び廃仏毀釈により、伝統的な神仏混合の祭りから仏教色を無くしたのが現在の形態としています。
祭りは、「湯立て神楽」と「演能」で構成。湯立て神楽の源は証明されていないが、熊野修験者によるものと推定されています。なお、ここでの湯立ては他の地区のように村人たちに振りかけることなく、神様に捧げる、村人を清めるように静粛に行われます。
「御神楽祭り」の特色は、舞手が舞を舞うことによって神が宿り、身体の再生と新たな魂の授与が果たされるものとし、激しく踊ることです。舞処(かいど)で床を踏み鳴らした力強い跳躍と旋回が何回も繰り返されます。
この基本の舞が「御神楽」と呼ばれることから、村民は氏神の祭りとして「御神楽」と呼称してきましたが、昭和10年代に、この祭りを訪れた研究者によって「御神楽祭り」と呼ばれるようになり、現在の名称が一般化したと言われています。
最後に、当地区の人口は、現時点で200人を下回るとのこと。しかし、祭り会場では活気に溢れ、多くの村民から親しみを込めた声をかけていただきました。毎年、見物に来るというファンにも会いました。不思議な魅力を感じさせる祭りでした。
小さな集落のため、時間と経費の負担が大変と思います。私も№7の背景にある寄付披露(左から5枚目)のとおり些少ながら参加しました。来年、見学される時には、参考にしてください。
翌4日、午前中に佐久間町に移動し、「日月熊野神社」(佐久間町地頭方)及び「相月熊野神社」(佐久間町相月)に参拝したが、双方とも旧街道沿いにあり、探しにくい場所にありました。ここでも、地元の方に神社の場所をお尋ねし、親切に教えていただきました。
また、「御神楽祭り」見学を契機に「NPO天竜川・仙人の会」とも縁ができ、記事を掲載していただくこととなりました。現在版の小さな交流ができ、良い思い出となりました。ありがとうございました。 感謝 河合
最近のコメント