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ブログ「出かけよう!北遠へ」引越しの挨拶

 ご利用、ご愛読ありがとうございます。

 当ブログ「出かけよう!北遠へ」は、「だいすき!北遠」とともにbeblogサイトで運営して来ましたが、サイトの閉鎖によりlekumoビジネスブログへと引越しすることになりました。

 新しいURLは独自ドメインを取得しましたので、今後は「出かけよう!北遠へ」「大好き北遠」にアクセスしていただきますよう、お願いいたします。

 旧サイトの全ブログ記事は、新サイトへの引越しを完了しました。旧サイトの更新は6月30日までとし、7月1日からは新しい記事の投稿はなし。10月末までは閲覧できる予定ですが、その後はアクセスできなくなります。

 これまで同様、新サイトへのアクセスをお願いいたします。(NPO法人「天竜川・杣人の会)

2016年6月30日 (木)

スカイプで交流授業 7月討論会 佐久間小⇔城西小

Skype

 浜松市天竜区佐久間町の市立佐久間小と城西小は29日、インターネットのテレビ電話サービス「スカイプ」を使って交流授業を行い、7月1日に佐久間小で行う合同学級討論会の打ち合わせをした。

 テーマは「住むなら、田舎より都会がいい」。城西小では、佐久間小の児童の姿が映像で映し出されると、手を振ったり声を掛け合ったりして、テレビ電話を通じて会話を楽しんだ。

 打ち合わせでは、両校の児童は肯定と否定、聞き手の三つのグループに分かれて、テーマに基づき意見をまとめたり質問内容を話し合ったりした。

 討論会は国語の授業の一環。2校の5、6年生計16人が参加する。城西小6年の向坂優治君(12)は「佐久間の子たちが同じ教室にいたように感じた。しっかり話し合うことができたので、7月1日の授業も楽しみ」と話した。

 2校は今後も、テレビ電話サービスを使った交流授業を行っていく予定。(「静岡新聞」より)

 我が家でも、東京の孫たちとはスカイプで顔を見ながら話をしています。観光協会の問合せにも、ぜひ、スカイプを利用してください。

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ドローン活用 環境整備着手 浜松市が中山間地振興

 浜松市は本年度、市内の中山間地域での小型無人機「ドローン」活用に向けた環境整備に取り組む。手始めに7月26日、同市天竜区で関係者の連携促進などを目的とした「浜松ドローンイノベーション会議」を開催し、本格的な検討を始める。

 ドローンは、輸送、土木、建築、災害、医療、農林業などさまざまな分野での活用が期待されている。ただ、昨年の航空法改正に伴って都市部での飛行が原則禁止になり、訓練や研究を行う場所が不足しているという。

 市はこうした状況を受けて、飛行禁止区域の対象外となる市内の中山間地域をアピールし、安全に研究、活用できる場所の情報提供などを目指す。市民協働・地域政策課の担当者は「中山間地域の振興に結び付けたい」と話している。

 会議では専門家による基調講演や、建設事業者、空撮事業者らを交えたパネル討論を通じ、ドローン活用の可能性を探る。(「静岡新聞」より)

 ドローンの飛行が許可になるなら、見てみたい所、やってみたいことがあります。あなたには、どんなアイデアがありますか?

光明電気鉄道の面影を辿る③―西光寺前

Saikouji1

 かつての鉄路跡が、現在は道路になっていると勘違いしてはいけないことは前回紹介した通り。見付の西光寺前でも、道ではないところに線路は敷かれ、その跡地も道にはなっていません。

Saikouji2

 西光寺南で、かつての鉄路は今は民家の庭になってはいましたが、側溝は道から左へカーブするように逸れて西光寺の前を通り、北では家と家との細い間がかつての鉄路の跡のようです。

 「新中泉」駅を出た電車は、田の広がる沼地だった今之浦から少し高い磐田原台地の縁を走り、「遠州見付」駅から先も台地の最上部には上がりません。それは、この後、田んぼの中に造られた豊田町の「加茂東」駅まで気賀坂を下らなければならないため。

Saikouji3

 大正15年(1926)4月に光明電気鉄道の起工式が行われ、測量はコースを決めるだけはなく、高低差も計り、ある場所では高さを削り、またある所では堤を築き工事は進みました。「田川」駅までの工事が完了して開業するまでの期間は約2年半。しかも、電車ですから架線を設置し、電気を引かなくてはなりません。

 当時は、まだ電気の配電供給が始まったばかり。天龍電力が川瀬発電所を完成されたのは明治41年(1908)11月。大正11年(1922)3月には早川電力に、さらに同14年(1925)には東京電燈に吸収合併されましたので、光明電鉄に電力を供給した当時は東京電燈だったことになります。

 磐田市歴史文書館企画展「光明電気鉄道の消長」(7月4日~8月26日、竜洋支所2階)。

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名古屋城木造復元 「天竜材売り込む」 浜松市長が意向

 浜松市の鈴木康友市長は29日の定例記者会見で、木造による復元が予定される名古屋市の名古屋城天守閣について、「良質なヒノキ材が大量に必要と聞いており、天竜の木材を売り込む大きなチャンス」と述べ、天竜産の国産認証材をトップセールスする意向を示した。

 名古屋城天守閣の復元を巡っては、当初、河村たかし名古屋市長が2020年7月までの完成を掲げて市議会と対立。河村市長が議会側と協調し、27年を完成目標とすることで一致したため、今後、復元に向けて具体的に前進する見通し。

 浜松市は、森林環境保全の国際認証を所得した「FSC材」の森林面積が約43,000ヘクタールと、市町村では全国一。鈴木市長は「天竜の木材は強度もあり、天守閣復元に活用してもらえる。河村市長や業者にしっかり営業していきたい」と話した。

 また、英国の欧州連合(EU)離脱を巡る一連の動きに関して鈴木市長は、急激に円高が進んだことについて、「市内には輸出企業が多いため、動向を注視する」と懸念を述べた。(「中日新聞」より)

 名古屋城に天竜材―夢が広がる話題です。おおいに進めてください!

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑩―日本の地質百選

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 鳳来寺山は標高695メートルの火山の名残りとも言える山。声の仏法僧(ブッポウソウ)=コノハズクが棲息していることでも知られ、「国指定名勝」「天然記念物」のほか「日本の地質百選」にも指定されています。

Sando2

 地質的に言えば、山体の底部は砂岩、泥岩の海成層であり、主要な山体は流紋岩・松脂岩・石英安山岩など。参道の石段はこれらの岩石を並べて造られていますので、1歩1歩が地質調査のようなもの。

Kuhi

 本堂までの1425段を数えるつもりでしたが、そんな「つもり」はいつの間にかどこへやら。

 左手に見えるのは、「夜鷹鳴くを止めよ佛法僧の邪魔」はホトトギス同人加藤猿子の句碑。参道には、こんな句碑や歌碑が次々と現れます。

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薬用植物が野生化したキササゲの花

Kisasage

 中国原産のキササゲが花を咲かせていました。

 薬用植物として、日本に入って来たのはかなり古い時代だったとのこと。しかし、三輪家の薬箱にキササゲを示す生薬名「梓実(しじつ)」「梓白皮(しはくひ)」は見当たりません。

 キササゲの果実や根の皮は、利尿薬として利用されたようです。

 ◇三輪医家に伝わる薬箱.PDF版をダウンロード

 【関連記事】県西部農林事務所育種場で咲く黄色い花
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2016年6月29日 (水)

梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑨―赤紫と白色のホタルブクロとホタルガ

 鳳来寺石段参道の手前に、赤紫と白色のホタルブクロが咲いていました。ホタルブクロの花の色は関東では赤紫が、関西では白が多いとのこと。ちょうどその中間には、両方が混在しているようです。

Hotarubukuro1 Hotarubukuro2

Hotaruga

 ホタルブクロ(蛍袋)の名は、子どもたちが花の中にホタルを入れて口を閉じて遊んだことから。ちょうどホタルの季節に花を咲かせます。

 そんな季節に林縁を飛び回っている蛾はホタルガ(蛍蛾)。ホタルガがホタルに似せているのか、ホタルがホタルガに似せているのかは分かりませんが、大きさはともかく、お互いに擬態しているようです。

 さて、この先から1425段の長~い石段が始まります。

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うるさいコバエには蝿毒草

Haedokuso

 以前みたいに大きなイエバエを見ることは減りましたが、生ごみバケツ付近ではコバエがうるさくって。「五月蝿」と書いて「うるさい」。6月もあと少しで終わりですが、コバエ撃退商品があまり効かなくって。

 ここは一つ、ハエドクソウに登場いただくしかないのかも知れません。根の絞り汁を煮つめて蝿捕り紙を作ったことから「蝿毒草」。つまり有毒です。 

 【関連記事】汁を絞って蝿捕り紙を作った「蝿毒草」
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光明電気鉄道の面影を辿る②―磐田農高前

Shinnakaizumi 光明電気鉄道の遺構を訪ねるには、当時の地図を元にするのが一番。しかし、昭和3年(1928)11月に開業した鉄道は、同14年(1939)4月には廃業解散してしまいましたので、当時の鉄路を辿るのは簡単ではありません。

Noukoumae

 地図上の鉄路を現在の道路に当てはめてみたくはなりますが、実はそれが勘違いの元。磐田農業高校の東を北上していたのには違いないようですが、かつての鉄路跡は現在の道路ではなく住宅が立つ一段高い所とのこと。

Kamogawa

 その先、現在の加茂川交差点南にあったのは「遠州見付」駅。軌間1067ミリのレールが敷かれていたのは道路東側の住宅地。さらに東には駅舎と車庫があったそうです。

 磐田市歴史文書館企画展「光明電気鉄道の消長」(7月4日~8月26日、竜洋支所2階)。

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2016年6月28日 (火)

喜長翁の地元愛を学んだ 二俣小児童が子孫の袴田さん訪問

Hakamata

 江戸時代に私財を投じ、現在の浜松市天竜区の二俣川を改修した袴田喜長(よしなが)翁(1716~91年)について学ぶため、二俣小学校の2年生49人が27日、子孫の袴田国博さん(44)=二俣町=を訪ね、話を聞いた。

 喜長翁は旧二俣村の名主の家に生まれた。当時、村を流れる二俣川は大雨のたびに氾濫し住民を悩ませた。天竜川へと真っすぐに流れを変える大工事は、1791年まで25年続いた。喜長翁はその完成に尽力した。

 袴田さんは、喜長翁が私財をなげうったのは、おおもとに家族や地域、仲間への愛情があったからだと説明。「皆さんにも先祖がいる。喜長翁を知ることで皆さんも自分の先祖を敬い、地域を思い、人に優しくしてもらえたら」と語りかけた。

 児童は熱心にメモを取っていた。地元への理解を深める生活科の授業の一環で、ほかに地元の老舗旅館、清瀧(せいりゅう)寺も訪れた。(「中日新聞」より)

 郷土の偉人・袴田喜長翁について、目に見える地域の歴史とともに学習できたと思います。

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学校施設で全国初 来春開校の中部中 国際認証の天竜材活用

 森林環境協議会(FSC)の国際認証を受けた天竜材を、小中一貫校として来春開校する浜松市中部中学(中区)の校舎や体育館に活用するプロジェクトグループの設立総会が27日、市役所であった。建設業と木材の加工、流通業など1団体7社と、市が官民連携で進める。学校施設にFSC認証材を使用するのは全国で初めて。

 北小と元城小を統合する中部中学は、運動場に校舎と体育館を建設中。新校舎3階部分の間仕切りをはじめ、体育館では壁の羽目板や柱、構造材などに認証材を使用するが、加工から流通、施工まで認証の基準を満たすようグループが管理する。

 設立総会では、市林業振興課を管理責任者と決めたほか、認証審査や木材発注から完成までの手順などを確認した。市林業振興課の担当者は「全国モデルとなるように成功させたい」と話す。

 FSC認証材を利用した施設はすでに全国では10カ所が完成。そのうち浜松市内には浜松信用金庫於呂支店と天竜区役所がある。浜松市の森林面積43,500ヘクタールは全国市町村でトップを誇り、市は天竜材の普及拡大に力を入れている。(「中日新聞」より)

 天竜材の普及を目指し、今後、中部中学校の建築に注目しましょう。

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上阿多古の出桁造り

Ochiai

 阿多古川沿いの落合にある旧阿多古館の軒も出桁造り、少し上流、東藤平川瀬の民家も出桁造りです。

Kawase

 「こんな造りが流行ったみたいだね」とは、川瀬で聞いた話。天竜川河口の掛塚でも見られる出桁造りが気になって仕方ありません。

 建築スタイルの共通性の背景には、木材を流した北遠とその木材を船に積んで運んだ掛塚との深い結び付きがあったに違いありません。ちょうど、掛塚で作られた鋸が北遠の林業に使われたように。

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光明電気鉄道の面影を辿る①―歴史文書館で第17回企画展開催、7月4日~

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 磐田市歴史文書館の第17回企画展は「光明電気鉄道の消長」(7月4日~8月26日)。これまでにも阿蔵、二俣から、大谷の廃トンネルまでを「光明電気鉄道の遺構」としてまとめて来ました。

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 しかし、今回の企画展は「新中泉」駅から「田川」駅までの15.3キロの区間に関する資料の展示。この際ですから、私も磐田と北遠を結んだ無謀な計画とも言える鉄路の面影を訪ねてみようと思います。

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 先ずは、光明電気鉄道の社章が入ったマンホールの蓋が残っていたJR東海道線「磐田」駅前。かつての国鉄「中泉」駅前の東にあった「新中泉」駅が光明電鉄の始発駅となりました。

 マンホールの蓋は、私が2年前に撮影したもの。現在はもう現地で見ることはできません。中央のマークは光明電機鉄道株式会社の社章です。

 電車に乗らず、2本の脚で北を目指しましょう!

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑧―ねずの樹と秋葉道

Nezu1

 鳳来寺の石段に向かう途中、「愛知県指定文化財(天然記念物)ねずの樹」と書かれた看板が立てられた老木がありました。

 解説によれば・・・

 樹齢 推定一四〇〇年 樹高 九メートル 周囲 三・五二メートル ねずの分布は本州の中部以南、四国九州の乾痩地に多く、大きなもので高さ一〇メートル、径〇・三メートルになるといわれています。このねずの樹齢と大きさは全国的にも例がなく貴重な樹です。

 樹高はもと一三メートルありましたが、平成八年二月、樹木医による樹勢回復措置で枯枝を切り詰めたので、現在の高さになりました。

 鳳来寺参拝者のみちしるべとして親しまれています。 新城市教育委員会

Nezzu2

 「乾痩地」とは聞き慣れない言葉ですが、そのまま「乾いた痩せ地」のことのようです。

 ネズはヒノキ科ビャクシン属に属する針葉樹。「三輪医家に伝わる薬箱」によれば、杜松子(とうしょうし)とも呼ばれ、その球果は利尿・鎮咳。

 その前には、「牛頭天王廣前」と刻まれた常夜燈と並び「秋葉山」と刻まれた常夜燈の竿のような石塔も。その先には、かつての「秋葉道」を示す看板も建てられていました。

Akihamichi

 昔の家はかや葺きであったため、火事になるとまたたくまに燃え広がりました。だから、火の神様がまつられている秋葉山への信仰がたいへん盛んでした。

 どこの村にも秋葉講という仲間がありました。毎年きまった時期に、仲間の代表者が秋葉山に参詣して、お札を受けてきました。そして、仲間が集まっておまつりをし、それぞれお札をいただいて、家の台所やいろり端に貼って、火事にならないようにお祈りをしました。旅を楽しみながら、秋葉山へお参りに行く人達も数多くありました。

Akihamichi2

 秋葉山へ参詣に行く人達が通った道を秋葉道と呼んでいます。鳳来寺から引地に下り、宇連川を渡し舟で越え、大野、細川、巣山を経て遠州に入り、熊、石打、戸倉を通って秋葉山まで九里(三十四㌖)の道のりでした。

 今は裏通りとなってしまった大野の秋葉道とか、巣山の秋葉道の道筋には、秋葉山参詣者で賑わった宿場の面影が残っています。

 秋葉道を逆から辿れば鳳来寺道。三河と遠江とを結ぶ、重要な道が秋葉道だったのです。

 三輪医家に伝わる薬箱.PDF版をダウンロード

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2016年6月27日 (月)

梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑦―鳳来寺門前町の出桁造り

Monzen1

 さて、鳳来寺へのアクセスはパークウェイを使って山頂駐車場まで行くか?それとも、1425段の石段を登り、参道を通って行くか?悩んだ結果、歩いて登ることに決めて歩き始めました。

 鳳来寺参道までの道の両側には、いにしえの雰囲気を漂わせる建物が並び、軒下を見上げるとあの出桁造り。江戸に始まった商家の造りが、家康の故郷である三河国にはおそらく江戸時代の早い時期から広まっていたことが考えられます。

Monzen2 Monzen3

Jyunishizo

 北遠で見られる出桁造りは、江戸と海の道で結ばれていた掛塚から天竜川を遡ったものではなく、三河から秋葉道を通じて広がった文化だったのかも知れません。

 石段の参道の起点までは、十二支像が100メートル間隔で設置されていますので、約1.2キロの道のり。先ずは、歩くしかありません。

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秋葉ダムの水を三方原用水へと流す

Saigawakouguchi2

 国道152号を龍山町の西川(さいがわ)で左折し、白倉へと向かう道の途中、「三方原用水西川抗口」のプレートが嵌め込まれた隧道口が現れます。

Saigawakouguchi

 秋葉ダム湖の水は、発電に使われているだけではなく、主に戦後に開拓された三方原台地の灌漑用水の水源としても利用されているのはご存知の通り。国土地理の地図に点線で描かれている水路のうち、東側を通っているのが、秋葉ダム第一発電所へと水を落としている導水トンネルで、西側の点線が三方原用水への送水トンネルです。

Saigawa2

 もう1枚のプレートには「昭和四十年三月竣功」とあり「施工」は「村上建設株式會社」。我が家のミカン園にも供給されている三方原用水の水源は、近くの都田川や浜名湖からではなく、北遠から遠路遥々トンネルを通って送られているのです。

 農業用水だけでなく、工業用水や上水道用水としても供給。どうですか?北遠の水が、私たちの暮らしを支えてくれているんだと再認識していただけましたか?秋葉ダムは発電用だけではないのです。

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トリアシショウマの季節がやって来た

Toriashisyoma

 梅雨時の林縁で爽やかに咲く白い花穂、トリアシショウマの季節がやって来ました。園芸品種のアスチルベは、ユキノシタ科トリアシショウマの仲間。

 また、「三輪家の薬箱」に入っている「升麻(しょうま)」はキンポウゲ科のサラシナショウマ。見た目は似てはいますが、植物学的には別の科に分類されています。

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2016年6月26日 (日)

水窪で出会ったツバメとツバメシジミ

Tsubame

 水窪の民家の軒先に、ツバメの姿。日本に渡って来るツバメには数種類がいるのですが、一番多く見られるのはスズメ目ツバメ科の「ツバメ」。喉と顔の下側が赤く、人家の軒先に巣を掛けるお馴染みのツバメです。

Tsubameshijimi

 同じ水窪のツメレンゲ群生地で出会った尾状突起を持ったシジミチョウは、クロツバメシジミかと思いカメラを向けたのですが、よく見るツバメシジミ。幼虫の食草であるシロツメグサで吸蜜をしていました。

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑥―旧豊橋鉄道田口線大井川橋梁橋脚跡

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 愛知県道32号長篠東栄線を鳳来寺山に向かって進む途中、石を積み上げた巨大な橋脚跡が見えました。少し行き過ぎて車を停め、歩いて戻り、これが旧豊橋鉄道田口線大井川橋梁橋脚跡であることを確認しました。

Kyoryo2

 旧豊橋鉄道田口線は、「本長篠駅」から「三河田口」へと敷設された電化軌道。昭和4年(1929)に開業し、同43年に(1968)廃止されましたが、軌間1067ミリでしたから、現在のJR在来線などと同じ狭軌の軌道でしたが、主に木材輸送を目的に開業されましたが、もちろん鳳来寺参拝客の輸送も行いました。

 ・・・となると、この橋脚が造られたのは、昭和の初期。この背の高い橋脚を造られたのは、三信鉄道が開通したのとほぼ同じ時期でした。

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熊(くんま)の出桁造り

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 これまでに何ヶ所かの出桁造りの家を紹介して来ましたが、ここ熊地区にも平入造りの軒に出桁造りが施されている家があります。

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 側柱から肘木を出して、その先端に桁を出した構造。北遠では、江戸時代には町家と呼ばれた通りに面した店舗兼住宅の軒を、やや深く前面に張り出すのが風格を示す建物として流行した時代があったようです。

 北遠の山では、建築材に使われる杉やヒノキが生産されていました。これが、ちょっと贅沢な出桁造りの木造建築が多く残っている理由。遠州材が豊富な遠州には、腕の良い大工が育っていたのです。

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2016年6月25日 (土)

天竜高生、地元小学生らに植林指導 苗木50本

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 浜松市天竜区の県立天竜高の生徒が23日、同区山東の大沢演習林で地元小学生に植林を指導した。市と同校が連携した「森林・林業交流事業」の一環で、林業の次世代の担い手育成や森林保全への関心を高めてもらうことが狙い。

 授業で活用する演習林で、森林科フォレスター類型の3年生15人がくわの使用法や土の耕し方を市立光明小の5年生61人に指導した。クリやカエデなど6種類約50本の苗木を用意した。生徒が雑草を刈り、間伐材で土留めを作るなど整備した川沿いの土地を利用した。

 児童は汗を流しながら、一生懸命土を掘って苗木を植えた。

 指導した川嶋洋斗さん(18)は「普段小学生と関わる機会は少ない。山の管理について学んでくれればうれしい」と述べた。今後間伐体験なども行う予定。(「静岡新聞」より)

 あなたが今までに、山や海岸に植えた木って何本くらいありますか?その木を見に行ったことってありますか?小学生たち、自分の植えた木を見に、山へ足を運んでください!

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて⑤―双瀬の秋葉山常夜燈

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 愛知県道32号長篠東栄線で鳳来寺山へと向かう途中、新城市副川(そえかわ)の双瀬(ならぜ)で秋葉山常夜燈を見つけました。

 火防の神として人気を集めた秋葉山は、奥三河からは山一つ隔てた聖地。秋葉講も結成され、秋葉道を通り、講中を代表しての秋葉詣が盛んに行われていました。秋葉山の御膝元・北遠よりも秋葉信仰が盛んだった奥三河ですから、秋葉山常夜燈があるのも不思議ではありません。

 中央のものは「昭和五十六年十一月吉日 塚島組」に補修された火袋が乗り、竿には「正一位秋葉大権現」「施主 双瀬村中」。建立の時期は「乙酉七月吉祥日」とだけ読めますが、肝心の年号部分は欠損。向かって左には同じ「双瀬村中」「秋葉山夜●」と刻まれた竿部、右には石祠が並びます。

 秋葉山は火の神。燈籠に火を入れ、一晩中点し続けることが火防信仰の形であり、遥拝所の役割でもあったのです。

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あいづき昆虫館⑥―オオシラホシアツバ

Ooshirahoshiatsuba

 自分は蝶だと信じているらしい蛾についてはこれまでにも紹介して来ましたが、どうやらオオシラホシアツバも蝶だと思い込んでいるようです。

 ちょっと見た目では、黒い翅に白い紋が入ったダイミョウセセリ。でも、私の目はごまかせません。お前は、蛾だ!

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「報徳の家」の門標に「丸に木瓜」

Houtokunoie

 玄関先に「報徳の家」の門標が多く見られるのは、熊(くんま)地区。熊地区には、今でも熊報徳社が一般社団法人として存続しています。

 熊地区の報徳社が結成されたのは明治23年(1890)。報徳社は節約・貯蓄を奨励し、生活に困った人には無利子で金を貸す共助組織でもあり、熊地区の多くの家庭が社員として農村振興に参加しました。

 「報徳の家」の門標は、大日本報徳社の社員の証。門標の「丸に木瓜」は、二宮尊徳の家紋。たまたまですが、私の実家の家紋と同じです。

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 ●私たちが子どもの頃、どこの小学校にでも見られた「二宮金次郎像」・・・
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春野の魅力発見を 浜松学院大生に講義 夏に山村留学

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 浜松市北部の中山間地域振興に関する浜松市の出前講座が24日、中区の浜松学院大であった。この夏に天竜区春野町勝坂地区に滞在予定の1年生らが、地元の活性化に向けて求められる役割を市職員から学んだ。

 市市民協働・地域政策課の藤田裕主幹が、人口減少が著しい現状と、水や木材の供給などで都市部が恩恵を受けていることを解説。「普段暮らしていないから気付く魅力もある。面白いものを見つけたら『これ、すごいですね』と大声で住民に伝えることが、新たな地域づくりにつながる」と語り掛けた。

 学生らは、文部科学省認定の長期学外学修プログラムの一環で、8月の約1カ月間、春野町勝坂地区に滞在。農作業や神楽を学びつつ、市から無償で借り受ける休館状態の茶屋の活用策を探る。

 春野町で勤務した消防士の兄の話から、中山間地域に興味を持ったという現代コミュニケーション学部1年の鈴木嵩斗さん(18)=東区=は、「一度訪れた際に美しい景色に感動した。多くのことを学び、街との今後のつながり方について考えたい」と話した。(「中日新聞」より)

 暮らしの周りの自然環境だけでなく、人と人との強いつながりが田舎の魅力です。きっと、春野が好きになりますよ。

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 ●10月27日(日曜日)、春野町豊岡の勝坂地区で、市指定無形民俗文化財「勝坂神楽」が行われました・・・
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 ●写真の2階建ての校舎は、知る人ぞ知る「周智郡立勝坂小学校」跡・・・
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2016年6月24日 (金)

国道473号(原田橋)河川内仮設道路の通行について

 河川内仮設道路の通行につきましては、下記の「通行止め基準」に該当しない場合、並びに定期補修中(毎週月曜日22時~翌朝5時)以外は、常に通行可能です。

 通行にあたっては、片側交互通行になりますので、ガードマンの誘導に従い徐行によりご通行ください。(「浜松市公式」HPより)

 工事は予定通り終了。通行可能となりました。

親と離れお寺で生活 天竜区で児童ら「仲よし学校」

Nakayosigakko

 浜松市熊青年クラブ主催の宿泊体験「くんま仲よし学校」が23日夜、天竜区熊の光雲寺で始まった。寺に隣接する熊小学校の児童8人が、25日まで集団生活を送る。

 30回目を迎え、熊小OBらでつくる同クラブや地元の女性たちが食事作りや活動を支える。

 本堂で開かれた開校式では、釈随芝山(しゃくずいしざん)和尚(77)が「体に気を付け楽しい思い出をつくってください」とあいさつした。3年の小出涼人君らは「マナーを守り楽しく過ごしたい」などと抱負を述べた。

 24日は寺から登校する。最終日まで親と離れ、テレビもない生活を送る。座禅を組んだり、家族に感謝の手紙を書いたりするほか、花火も楽しむという。(「中日新聞」より)

 小さな小学校ならではの体験学習の機会です。たくさん勉強してね。

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木を未来を守ろう 天竜高生が児童に植林手ほどき

Tenryuko

 子どものころから森林を身近に感じてもらおうと、天竜高校森林科で学ぶ生徒が23日、浜松市天竜区山東の同校演習林に地元光明小五年生を招いて植林をした。

 植樹は、スギやヒノキが立つ標高100メートルの演習林入り口付近で行った。天竜高の生徒15人が児童61人を引率し、演習林を流れる川の斜面に、クリやアジサイなどの苗木を、くわの使い方を教えながら穴を掘って植えた。

 生徒の鈴木翔悟さん(17)は「意欲的にやってくれる児童もいた。家に使ったりと、木と人のつきあいは一生涯続く。一緒に守っていけたら」と話した。

 ヤマザクラを植えた児童の浅田乃愛(のあ)さん(10)は「初めての体験で難しかった」と話した。この事業は、浜松市が森林・林業の専門コースを持つ同校に委託した。(「中日新聞」より)

 木を植えたり、伐ったりは、子どもたちにとって貴重な体験。自然を好きになり、将来林業に携わる青年に育ってくれたら嬉しいですね。

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて④―中央構造線長篠露頭

Roto1

 満光寺を後に、鳳来寺山に向かう途中でちょっと寄り道。中央構造線長篠露頭を訪れました。 国道515号から少しだけ歩けば中央構造線長篠露頭に到着。

 中央構造線は、日本列島の中央(関東から九州まで)を通る約1000㎞に渡る日本最長の断層系(断層の集まり)です。この断層を境に北側(日本海側)を内帯、南側(太平洋側)を外帯と呼びます。

Roto2

 ここ長篠露頭は、外側の三波川変成帯の結晶片岩の上に、内帯の領家変成帯の花崗岩源圧砕岩が衝上し覆いかぶさっている様子のよく分かる、断層です。中央構造線の観察には非常に適した場所であり、はるか大昔の地球の活動を肌で感じることのできる場所です。

Kawa

 ・・・とのことで、ここも新城市指定文化財です。写真の上が領家変成帯で下が三波川変成帯。

 長篠露頭から見下ろす川には、宇連川(板敷川)の川床と同じような平らな岩盤が見えます。これも、領家変成帯の花崗岩源圧砕岩(ミロナイト・マイロナイト)が露頭している箇所。日本列島の大きな動きを感じさせられるスポットです。

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掛塚に残された筏の櫓②―これが、櫓?

Ro2

 蔵に残された古い農機具の中に、果たして筏師が残した櫓(ろ)があるのか、あちらこちらを見回しました。T字の持ち手の櫂(かい)らしきものはあるのですが・・・。

 櫓らしきものは、先が平たくなった長い丸太。あれかな?

Ro

 蔵の外に出ると、駐車場との境に埋め込まれた短い丸太の列。櫓を伐って造ったとしたら、これかな?

 調査結果は分からないままで終わってしまいましたが、かつての掛塚湊のどこかに、きっと筏師たちが残して行った櫓があるはず。北遠から川を流れて来た筏は掛塚で製材され、船に載せられて江戸へと運ばれて行きましたが、その歴史を伝える櫓が見つかれば、まさに歴史ロマンです。

 掛塚で、筏師の櫓を探しましょう!

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あいづき昆虫館⑤―苔を餌にして苔を纏う、オオベニコケガとスジベニコケガ

 ヒトリガ科の仲間に「コケガ」と名付けられたグループがあります。「コケガ」とは「苔蛾」の意味。このグループの中には、幼虫の時には苔を食べて育ったり、付着させた苔で天敵から身を隠す能力まで備えた蛾もいます。

Oobeniherikokega オオベニコケガ Sujibenikokega スジベニコケガ

 成虫に羽化したオオベニコケガもスジベニコケガも、地味な幼虫時代からは想像できないほどに鮮やかな色の翅を持っています。苔を食べて育ったというのに・・・。

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春野で土砂が崩落 市道500メートル通行止め 雨の影響か

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 23日午前10時半ごろ、浜松市天竜区春野町杉の市道春野石切線で、土砂が崩落しているのを通行人が発見し、市天竜土木整備事務所に通報した。浜松市は同11時から、現場付近を約500メートルにわたって通行止めにした。通行再開の日時は未定。

 市道路保全課によると、のり面が約20メートルにわたって崩れており、22日からの降雨の影響と考えられる。国道362号などを経由する迂回路があり、孤立する集落はない。現場は山間地で、1日の通行量は5台ほどという。(「中日新聞」より)

 北遠の山沿いを走行する時には、崩落まではいかなくても、落石にはひんぱんに出くわします。充分ご注意ください!

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2016年6月23日 (木)

あいづき昆虫館④―スジモンヒトリとフタスジヒトリ

 多くの蛾は夜行性。かつての照明器具、灯火の周囲を輪を描くように飛び回り、火を消してしまうこともあったため「火取蛾」とか「灯盗蛾」と呼ばれたのがヒトリガの名前の由来。

Sujimonhitori スジモンヒトリ Futasujihitori フタスジヒトリ

 スジモンヒトリの白い前翅には、斑点状の黒い逆V紋様が見られ、これが筋紋。翅を透かして、赤い体毛が透けて見えています。

 フタスジヒトリのクリーム色の前翅には、X字の黒い筋。これが二筋の名の由来です。

 スジモンヒトリもフタスジヒトリも、食餌植物はクワ科の桑など。養蚕が盛んだった北遠に植えられていた桑と無縁ではありません。

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて③―満光寺の庭園

Hondo

 満光寺の庭園は愛知県指定文化財。若い頃に家族と訪れたことがある懐かしい庭園です。

 小堀遠州流で鶴亀蓬莱式の回遊林泉庭園。東庭二〇〇平米、北庭八〇〇平米。高くそびえる裏山の斜面を利用し書院に迫るように築かれている。全体として山岳の姿、自然の景観を石組みで表現している。

Teien1

 「サツキの花が終わったばかりで草取りもしてないので、あまりキレイじゃないけど・・・」と、お寺の奥様に誘われ、何十年ぶりかで庭園を見せていただくことができました。

Teien2

 庭の中心には釈迦如来と脇侍とに見立てた三尊石が配置され、幾筋かの滝に見立てた石組みが見られます。池には蓬莱島を模した島が造られ、鶴石、亀石も配置されています。

 懐かしい景色を堪能し、鳳来寺山へと向かいました。

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掛塚に残された筏の櫓①―木造の古い蔵

Ikada

 かつて、天竜川を下った北遠の木は筏に組まれて流れて来ました。その筏を操ったのは、筏師と呼ばれる人。船明(ふなぎら)の長養寺に残された古い写真には、筏の前後に1人ずつ乗った筏師が、太くて長い櫓(ろ)を操っている姿が写っています。

 船を手で漕ぐ道具である櫓と櫂(かい)の違いは、櫂が船の横からほぼ水平に入水し、片方向に漕いで推力を得るのに対し、行きと戻りの両方向で推力を得るのが櫓です。

Kura

 掛塚湊まで下り、筏に組んだ木を引き渡した筏師たちは、不要になった櫓を売り、小遣い銭を得て、掛塚で遊んで帰ってと言われています。そして、買い取られた櫓は、刈り入れた稲を乾す稲架の柱として使われたと聞き、掛塚蟹町の民家を訪ねました。

Renjimado

 訪問の理由を告げて案内されたのは、木造の古い蔵。見上げる梁には、今では使われていない木製の農機具が並んでいます。さて、この中に筏師が残した櫓があるのでしょうか?

 蔵の欅板が張られた内扉には、曽布川藤次郎翁が建てた高木の秋葉山常夜燈で見たのと同じ45度傾いた連子子(れんじこ)が並ぶ連子窓が見られました。

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山里発信に応援隊募集 春野、佐久間に各1人

 浜松市は、市内の中山間地域で暮らしながら魅力を伝える「浜松いきいき応援隊」事業で、10月から天竜区の春野、佐久間両地域に派遣する20~45歳の各1人を募集している。

 自家用車を所有しパソコン操作ができることが条件。春野地域では、放課後子ども教室や縁側カフェの企画や運営を支援する。佐久間地域は、市とNPOが取り組む陸上養殖アワビ研究の支援をする。

 活動期間は10月1日から来年3月末までだが、活動状況を勘案して最長2019年3月末まで更新できる。月額15万円の報償があるほか、市の単身用住宅を利用する場合の賃料を市が負担する。

 募集は8月10日まで。書類選考を通過すると、8月24日に面接試験がある。募集案内や応募用紙は市ホームページの「浜松田舎暮らし」から。問い合わせは、市民協働・地域政策課=電053(457)2243=へ。(「中日新聞」より)

 私は年齢制限から外れますが、あなたはどうですか?もし、適齢年齢だったら、ぜひ、問い合わせしてみてください!

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2016年6月22日 (水)

夏の原風景楽しむ!「田舎の七夕祭り」―歴史と民話の郷さくまを守る会

Tanabata

 佐久間カン子さんから、「歴史と民話の郷さくまを守る会」主催「農家の歳時記」のお知らせが届きました。

 夏の原風景楽しむ!「田舎の七夕祭り」は、ホウジ峠の佐久間民俗文化伝承館で楽しむ七夕行事。夢や希望、健康と幸せを願う思いを短冊に書いて願う素朴な行事を体験しに、天空に手が届きそうな「北条峠」に行ってみまいか!と呼びかけています。

 開催は、7月2日(土)で、集合は午前11時。参加希望者は電話053‐987-2265、または053‐987-1888まで。

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ヒノキの香り漂うFOREST工房

Forest1

 昔取った杵柄―久しぶりに間伐材木工のFOREST工房を訪れました。

 今回、工房を訪れたのは、若い知人の結婚式披露宴の受付に置くウェルカムボードを手作りしたい、との希望を叶えるため。今日は、ルーターで「WELCOME」「TO OUR」「WEDDING」の文字を自分で彫り、文字を着色するまでの工程でした。

Forest2

 明日は、もう1枚のボードを仕上げ、全体を着色します。

 自然が大好きな彼は、初めて手にしたルーターも見事に使いこなし、サンダーでの仕上げも丁寧に。明日もまたFOREST工房に出かけますので、ヒノキの香りをいっぱいに浴びる楽しい時間が過ごせそうです。

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あいづき昆虫館③―擬態するアケビコノハとツマキシャチホコ

Akebikonoha

 翅を閉じてジッとしていると、まるで枯れ葉みたいな蛾。アケビコノハと言います。

 幼虫が食べるのはアケビやムベの葉。翅を広げると、後翅は派手なオレンジ色なのですが、この日は枯れ葉に擬態して動きません。

Mukutsumakisyachihoko

 木の枝に擬態しているのはツマキシャチホコ。こちらもまったく動かず、どうみてもポキッと折れた木の枝です。

 さて、ここで問題です。アケビコノハとツマキシャチホコの、それぞれどっちが頭か分かりますか?

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梅雨晴れの奥三河を訪ねて②―満光寺の山門と菩提樹

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 徳川家康ゆかりの曹洞宗の寺、青龍山満光寺の山門の建立は宝永4年(1707)とされ、新城市指定文化財に登録されています。

 山門は「桜門」とも呼ばれ、切妻造の四脚門(よつあしもん)。主柱(本柱)は驚くほどに太く、普通は金具で装飾される根巻きも柱から浮き出るように彫られています。

Sakuramon2 Sakuramon4

Bodaiju

 本堂前には菩提樹が植えられています。花の時季は終わり、緑色の実の周りに枯れた花がこびりついていました。

 菩提樹の花は、細い葉に似たヘラ状の苞(ほう)から垂れるように房となって咲きます。そして、実が木から離れる時には、この苞がプロペラのように回り、実を遠くまで飛ばします。

Bodaiju2

 コーヒーの空き瓶に入っているのは、お寺の奥様が見せてくれた菩提樹の実。「井伊直虎の許嫁の直親の遺児で、のちに直虎が養子とした井伊直政(幼名虎松)が幼少時代を過ごした柿本城が、お寺の裏山にあったのよ」と来年放映予定のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」に関連した地であることも教えてくれました。

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サイトの引越

  • 2016年年7月1日より、新サイトへ引っ越しします。
    過去の記事については暫くの間はこのサイトからご覧になれますが、お早目にLINK・BOOKMARK等の変更をお願いします。
    新サイトのURLは http://www.somabito.org/ となります。(過去記事に関しても、既に新サイトで閲覧可能です)

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