このブログの購読者に登録しよう!

●協力・協賛

  • ホームページ企画・制作 アスカパソコンスクール

2010年9月10日 (金)

光明山の樹林を飛び回る「ヒカゲチョウ」

Hikagecho9_2  光明山には、明るい林縁の花に寄るタテハチョウ科のサカハチチョウが多くいるかと思えば、薄暗い樹林下には樹液を求めるジャノメチョウ亜科の「ヒカゲチョウ」も飛びまわっています。

 日陰を好む蝶だから「日陰蝶」。翅表は茶色の地味な色ですので、翅裏の蛇の目模様で見分けるしかありませんが、光不足でピントがなかなか合いません。たまには、日光浴もするようですが、普段は暗い方へ暗い方へと逃げて行きます。

 今回も、半分だけ日が当っているこの写真が精一杯。それでも、前脚が退化して4本足に見えることがよく分かりますよね?

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】雑木林に棲む褐色の蝶―ヒカゲチョウ

正月24日に「田遊び」が行なわれていた小畑「観音堂」

Kannondo2  水窪の小畑に祀られている「観音堂」を訪ねる機会がありました。

 水窪町奥領家の「観音堂」は少し坂道登った高台にあり、ちょうど集落を見下ろせる位置。境内は狭く、本殿も小さなものですが、屋根下周りや脇障子、木鼻(きばな)などに龍や獅子の彫刻を施し、かなり豪華な造りとなっているのに驚かされます。

Kannondo8  ここが、鈴木保彦著の「大正琴―田遊」の中で、西浦の田楽祭りと並び「神原(かんばら)の薬師堂でも、小畑の観音堂でも、田遊のまつりがある」と紹介されていた、あの「観音堂」。

 古くからの集落「小畑(おばた)」とは、「御旗」の意味とか。応永の中頃(1410年頃)、奥山金吾正定則が、後醍醐天皇の孫伊良(ゆきよし)親王を奉じ、水窪の地に仮御所と政所を設けた場所が「大里(内裏=だいり)」、そして、関所を置いて錦の御旗を掲げた場所が「小畑(御旗)」であると言われています。

 かつては、正月24日に「田遊び」の行事が行われ、鬼面、仏面、女面等など16点が残されているとのことですが、残念ながら現在では、ご開帳をするだけだそうです。

 【関連記事】80年前の水窪③―鈴木保彦著「大正琴―田遊」より

2010年9月 9日 (木)

「川を治めるには、まず山を治めよ」―春野山の村の「明善道」

Meizenmichi7  「川を治めるには、まず山を治めよ」と語り、私財を投げ打って天竜川の治水のため、龍山や佐久間での植林を進めた金原明善翁は、春野でも植林をしています。その証拠とも言える「明善道」の名が、「春野山の村」に残されていました。

 それは、「山の村」を東西に延びる道。管理棟の辺りに、小さな看板が立てられ、「明善道」を紹介しています。

 ここを東西に走る道は、「明善道」または「小俣(おまた)街道」と呼ばれ、金原明善が、小俣谷に植林をするために開通させた道です。

 この歴史の道には、杉やヒノキのチップが敷き詰められていますので、歩く度に心地よい木の香りが漂って来ます。今度の休日、林業が栄え、山が豊かだったあの頃を偲び、優しい木漏れ日の道を歩いてみませんか! 足にも心にも優しい「明善道」です。

 【関連記事】「秋葉山町石」に残された「明善翁」父君の名
 【関連記事】間伐や下草刈り―手入れの行き届いた「瀬尻スギ展示林」
 【関連記事】「瀬尻スギ展示林」に残る「天竜美林」の面影
 【関連記事】 金原明善の生家ミュージアムに
 【関連記事】金原明善翁の名が残る旧「明善橋」

「九日」だから「旭」―「旭ツバメ学生服」のホーロー看板

Asahitubame9  すでに紹介済みの「旭ツバメ学生服」のホーロー看板と同じものを、国道362号、天竜区只来(ただらい)で見つけました。 当たり前ですが、 「日本PTA全国協議会推薦」の文字も同じ。

 岡山県倉敷市のメーカー「旭被服興業」の創業は昭和25年(1950)。現在は廃業となっていますが、「旭ツバメ学生服」のブランド名は、「菅公学生服」尾崎商事の子会社「エクセル」が継承しているそうです。

 …の情報も、すでに紹介済み。ところで、今日は9月9日―「九日」と書いて「旭」とシャレてみました。

 【関連記事】横長ホーロー看板「旭ツバメ学生服」

 【関連記事】「火気に注意」―秋葉山の防火看板
 ●「エビス完全飼料」のホーロー看板は…
 ●「ホーロー看板」って、ご存知ですよね?…
 【関連記事】懐かしい「キンチョール」のホーロー看板
 【関連記事】佐久間・浦川で出会ったホーロー看板
 ●写真のホーロー看板は、佐久間町西渡の「舟戸(ふなと)商店街」で…
 ●またまた、佐久間で見つけたレトロなホーロー看板の紹介…
 ●春野町長蔵寺で見つけた「三菱かつらエンジン」のホーロー看板です…
 【関連記事】学生向け衣料メーカー「菅公シャツ」のホーロー看板
 【関連記事】懐かしい「ナショナル」のロゴは「ナショ文字」
 ●「三和シヤッター販売店」のホーロー看板は、縦と横の2タイプ…
 【関連記事】赤い「高嶺ソース」のホーロー看板
 ●マニアの間では金融系に分類される「第一證券」のホーロー看板…
 【関連記事】「優等清酒 登録商標 日本勢」のホーロー看板
 【関連記事】「仔豚用人工乳ママ」のホーロー看板
 【関連記事】「赤玉フトン袋」のホーロー看板
 【関連記事】高度経済成長の時代「第一證券」のホーロー看板
 【関連記事】老舗の化成肥料「トモエ化成」のホーロー看板
 【関連記事】祈・合格―「菅公学生服」「菅公シャツ」
 【関連記事】詰襟と五つボタンの「ダイヤ学生服」
 【関連記事】味の素「エスサン肥料」のホーロー看板
 【関連記事】4枚並んだ農業系ホーロー看板―「日産化学」
 【関連記事】食料自給率に関わる「協同飼料」のホーロー看板
 【関連記事】あの「大洋漁業」が作った餌「マルハ完全飼料」
 ●黄色いホーロー看板は「完全配合飼料 ニップン飼料」のものです…
 ●軍配印「農薬 肥料 石灰窒素 電気化学」のホーロー看板です…
 【関連記事】「ペプシ」と「コカ・コーラ」のホーロー看板
 ●4枚の農業系ホーロー看板の1枚として紹介した「東亞化成肥料」の青い看板は…
 【関連記事】金鳥+キンチョールのホーロー看板
 【関連記事】懐かしい「農協マーク」―「くみあい配合飼料」のホーロー看板
 【関連記事】ホーロー看板で思い出す「新聞統合令」
 【関連記事】「Coca-Cola」と「Sprite」のホーロー看板
 ●「うまい酒 清正」のホーロー看板は、愛知県半田市にあった「田中酒造」のもの…
 【関連記事】ポンプ式虫除け剤「キンチョウスカイローション」のホーロー看板
 【関連記事】「オロナミンC」のホーロー看板でニッコリ!大村昆
 【関連記事】復活酒蔵「曽我鶴」の古いホーロー看板
 ●「電球はナショナル」のホーロー看板で思い出されるのは…
 ●天竜区熊で見つけた、赤地に白文字「蛇の目ミシン」のホーロー看板です…
 ●佐久間町と愛知県との県境付近、川上で見つけた「酒はシキシマ」の横型のホーロー看板と「清酒 敷嶋 シキシマ 伊東醸」の縦型看板…
 ●「自動模様編機の開発メーカー アルス編機 編物教室」のホーロー看板…
 ●「一ばん良い ナショナル電球」の横長ホーロー看板は、水窪町での撮影です…
 【関連記事】「ライオンかとりせんこう」の琺瑯看板

2010年9月 8日 (水)

仮装コンクールが大人気―「みさくぼ祭り」9月18、19日

Misakubo  玄奘三蔵法師と孫悟空ら「西遊記」一行の写真に、「水窪祭」の大きな文字―よく目立つポスターを見つけました。

 春日神社、八幡宮、諏訪神社の三社合同の祭礼である「みさくぼ祭り」は、遠州最大の仮装コンクールで知られています。

 「みさくぼ祭り」は、いよいよ今週末9月18日(土)19日(日)、水窪町商店街通りでにぎやかに開催。普段は静かな山間の地がこの日ばかりは熱気を帯びます。例年約70組が仮装コンクールにエントリーし、思い思いの趣向を凝らしてコンクールに挑みます。

 また。両日とも午後4時頃から9時まで、4地区の屋台の引き回しが行われます。18日(土)午後7時30分から花火の打ち上げもあります。(雨天の場合は19日)

 約200台(無料)の臨時駐車場が設けられていますので、車で出かけましょう!

 *ちなみに「西遊記」は「本町第1」の仮装。昨年の第2位グループです。

「キアゲハ」と「ナミアゲハ」の違いはどこ?

 ついつい「アゲハチョウ」と言ってしまいがちですが、黄色い「アゲハチョウ」には2種類あります。先ずは、よく見る並(標準的)のアゲハということで「ナミアゲハ」。次は、「ナミアゲハ」より少し黄色が濃いアゲハということで「キアゲハ」。

 Q.じゃあ、「ナミアゲハ」と「キアゲハ」はどこで見分けるの?

 はい、よくある質問です。

 ヒラヒラと飛んでいるところのパッと見だけでは、黄色の濃さ(*個体差があります)くらいしか分かりませんが、花を訪れている時には、翅を静かに開くこともあります。この時が、観察のチャンス。

Namiageha キアゲハ
      ナミアゲハ       キアゲハ

 A.見分けのポイントは、前翅の付け根の模様。丸の中をよく見てください。黒い線がはっきりしているのが「ナミアゲハ」で、黒く塗り潰したようなのが「キアゲハ」です。

 「ナミアゲハ」の幼虫は、ミカン科の植物の葉を食べ、「キアゲハ」の幼虫は、セリ科の植物のほか、ニンジンの葉やパセリも食べますので、家庭菜園が増えれば「キアゲハ」の個体数が増えるかも。もちろん害虫なのですが、キレイな害虫です。

 私が書いている「浜松公園緑地協会」のブログ「公園だいすき!」で、「ナミアゲハとキアゲハとの違い」のキーワード検索が目立ちましたので、こちらでも、解答させていただきました。

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】「並」と呼ばれる蝶―ナミアゲハ
 【関連記事】雨上がり―「ナミアゲハ」の集団吸水
 【関連記事】「アゲハ」と言えば「ナミアゲハ」―夏型の♂

 【関連記事】アルストロメリアで吸蜜する「キアゲハ」
 【関連記事】暑さに弱い北方系の蝶「キアゲハ」

暑さに弱い北方系の蝶「キアゲハ」

Kiageha9  春野町花島のキバナコスモスで吸蜜中のアゲハチョウ科「キアゲハ」の夏型と出会いました。

 最近、地球温暖化の指標として南方系の蝶の北上を紹介することが多くなってたのですが、実は、この「キアゲハ」は北方系の蝶。「ナミアゲハ」と比べ、最近、見かける機会がグンと減ってしまいました。と言うことは、地球温暖化?ヒートアイランド現象?

 柑橘系の葉を好んで食べる「ナミアゲハ」と比べ、「キアゲハ」の食草はセリ科。セリ、ハマウド、シシウドのほか、にんじん・パセリ・ミツバ・セロリを好んで食べるそうですので、家庭菜園が盛んになれば、無農薬の野菜を栽培する畑が増え、「キアゲハ」には好都合のはず。それでも、見る機会が減ってしまったのは、地球温暖化?ヒートアイランド現象?

 まあ、今年の暑さじゃあ、しょうがないですけどね。

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】アルストロメリアで吸蜜する「キアゲハ」
 【関連記事】「キアゲハ」と「ナミアゲハ」の違いはどこ?

明治29年2月―熊村に祀られた「馬頭観音」

Bato4 熊の六所神社の脇には、庚申様の青面金剛童子と並び数体の「馬頭観音」が祀られています。かつての熊は、秋葉道の宿として賑わった地ですから、道中で倒れた馬たちの供養として「馬頭観音」が祀られていても何の不思議もないのですが…。

 青面金剛童子の左側に立つ「馬頭観音」は、頭上に3つの馬頭を戴き、右肩に刻まれた文字は、「明治廿九年二月初午」と読めます。当時の熊村は、どんなところだったのでしょう?

 熊村 明治22年~昭和31年の自治体名。はじめ豊田郡、明治29年からは磐田郡に所属。大栗安村・神沢村・熊村が合併して成立。大字は旧村名を継承。役場を大字熊に設置。明治24年の戸数334・人口1,693、厩120。世帯・人口は大正9年461・2,460、昭和25年434・2,635.地内は田畑が少なく、周囲は山林で、杉・檜などの良材のほか椎茸・木炭・楮・三椏・樹皮・茶・干柿・繭などを産出。また馬を飼養する農家も多かった。(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)

Bato5  いかがでしょうか?明治24年の資料では、「戸数334」に対し「厩120」。3軒に1軒以上が馬を飼っていたというのです。これは、決して突出した数字ではありません。例えば同年の浦川では「戸数421・厩302」であったことからも、北遠の路傍に立つ「馬頭観音」は、単なる「道中で倒れた馬たちの供養」だけが目的であったとは思えないのです。

 明治29年(1896)2月―「馬頭観音」が建立された同年の4月1日、豊田郡熊村は「磐田郡」へと編入されました。

 【関連記事】二本杉峠の馬頭観音
 ●「馬頭観音」――6~7世紀ごろ日本に伝えられました…
 ●人も馬も道行きつかれ死ににけり…
 【関連記事】六観音の一つとして建つ「馬頭観音」
 【関連記事】「プロペラ船」を見守った西渡の「馬頭観音」
 【関連記事】肥えた馬―「馬頭観音」
 【関連記事】馬の顔だけが浮き彫りにされた立原の「馬頭観音」
 【関連記事】木材を運ぶ馬―心に残る「馬頭観音」
 ●水窪の半島(はんじま)の路傍に立つ「馬頭観世音」の文字碑…
 【関連記事】材木を運んだ馬を供養―竜戸の「馬乗り馬頭観音」

2010年9月 7日 (火)

メタリックブルーの輝き―青い蜂「セイボウ」

Seibo  それは、一瞬の出来事――目の前で小さな光が青く輝き、何が起きたのか分かりませんでした。

 これまでに紹介したブルー・ビー「ルリモンハナバチ」とは明らかに違う、体全体がメタリックブルーの輝きを持つ昆虫。出来の良い写真ではありませんが、雰囲気だけでも感じてください。青い蜂「青蜂」と書いて「セイボウ」と読む、ハチ目セイボウ科の仲間です。

 セイボウの仲間の多くは、他のハチの巣に卵を産み込み、寄生生活を送るのだそうです。そんな横着さも、「ルリモンハナバチ」によく似ていますね。

 出会いは、光明山―光明寺遺跡の崩れかけた石垣の下。「光明」とは、瞑想中の仏が全身から発する「光」のこと。光明山に、こんな蜂がいるなんて…。

 【関連記事】幸せを呼ぶ青い蜂「ルリモンハナバチ」
 【関連記事】幸せを運ぶのに大忙し―ブルー・ビー「ルリモンハナバチ」

ふるさとものがたり天竜「光明の二本杉」より

Nihonsugi6  むかし、むかし、信濃の国の諏訪大明神の氏子たちは、霊験あらたかな大明神の神威を広めようとして、その分霊を小さな祠におさめて、天竜川に流した。
 祠は天竜川の荒波に乗って、流されていった。そのうちの一つが、遠江の国、光明の船明(ふなぎら)のところで、天竜川につき出た岩の上に打ち上げられて、とまった。
 船明の村人たちは、それを見つけて、
「おお、これはありがたい神さま……。」
「諏訪さまの分霊じゃな。みんなでおまつりするべえ。」
と、相談がまとまり、その岩の上に立派な社を作って、諏訪神社としておまつりした。

 ある時、ここを通りかかった行基菩薩が、
「ああ、くたびれた。ひとつここいらで、腹ごしらえをしよう。」
と言って、その社の参道に腰をおろして、弁当包みを広げた。が、箸がない。
 それを見ていた村人が、
「お坊さま、ちょっとお待ちなされ。わしが今、箸を作ってあげますで。」
 そう言って、かたわらの杉の小枝を折り、鎌で器用に箸を作って差し出した。
「おうおう、ご親切に。」
 行基菩薩は、村人の作ってくれた箸で、弁当を食べながら、
「ここは良いところじゃが、水には悩まされそうじゃのう。」
と、一人ごと。
 やがて食事を終えた行基菩薩は、村人の作ってくれた杉の箸を、かたわらの土に差して、次の地へと旅立って行った。

Suwajinja2  行基菩薩の差したその箸は、やがて根付き、どんどん大きくなった。
 そして幾たびかの天竜川の洪水にも、びくともせずに成長して、現在では天竜市の名木の一つになっている。
「大水が出ても流されないのは、神さまが宿っているからじゃ。」
と、だれかが言い出して、いつのころからか水難よけの御神木として、あがめられるようにもなった。
 行基菩薩の使った箸が根付いたこの大杉は、『光明の二本杉』または、“光明の鳥居杉”と呼ばれ、今なお、船明諏訪神社の元参道跡に、ゆうゆうとそびえ立っている。(「ふるさとものがたり天竜・第3章光明地区」より一部引用)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 現在では、「船明の二本杉」の名前で知られるこの杉については、『光明村誌』に「参道入口堤上に数百年を経た老杉が二本あり、水災難を祈請する神木として知られている」と記されているとのこと。「光明村」とは、明治22年(1889)~昭和31年(1956)にあった自治体名です。

 二本杉は、昭和52年(1977)に完成した「船明ダム」建設に伴なう道路のかさ上げ工事により、幹が数メートル埋められています。樹齢は300年と言われていますので、行基菩薩の逸話は、もちろん創作。ただ、本来は諏訪神社参道入口の御神木であったのは間違いなく、諏訪神社は、現在でも「船明ダム運動公園」の南側に鎮座しています。

 「船明の二本杉」は、「新・浜松の自然100選」に指定されています。「100選」のガイドブックは、A5判70ページで400円(消費税込)。浜松公園緑地協会本部(053-411-6687)ほかで販売しています。

 【関連記事】「新・浜松の自然100選」―「船明の二本杉」
 【関連記事】神社参道の記憶を残す国道152号沿いの2本杉/天竜区船明

 【関連記事】豪快な流れと響き渡る水音「龍山の不動の滝」
 【関連記事】「新・浜松の自然100選」―「稚児の滝」
 【関連記事】読めますか?「下百古里の将軍杉」
 【関連記事】第1回「自然100選」ツアー―「新宮池」で記念碑設置
 【関連記事】「自然100選」の地「渡ヶ島諏訪神社」で思う
 【関連記事】「自然100選」ツアー―「下百古里の将軍杉」
 【関連記事】力強さに感動―「自然100選」の「春埜杉」
 【関連記事】北遠の玄関口―船明ダム湖畔の紅葉

 【関連記事】浜松の自然102カ所を紹介―「100選」ハンドブック販売開始!

爽快なスリルとともに「遠州天竜下り」/「広報はままつ」の表紙より

Kouhou  『広報はままつ』(9月5日号全市版)の表紙写真は「遠州天竜下り」―「JR雄大な天竜川に浮かぶ伝統の遠州天竜下り」。

 岩場には四季折々の花、水面には羽根を休める水鳥が旅人を歓迎してくれます。見上げればサイクリングの人たちもこちらに笑顔で手を振っています。舟の上では、竿や櫓を巧みに操りながら軽快なおしゃべりと歌を披露してくれる船頭さんが旅の思い出をいっそう印象深くしてくれます。

Funekudari  もう何年も天竜川を下った心和ませるこの歌声は、今年も11月まで山間の天竜川に響きます。

 船明ダム下流の「みな沢乗船場」から「飛竜大橋」まで、約6キロを約50分かけて下る船旅。天竜川の水運の歴史を今に伝えるのが「天竜下り」―天竜浜名湖鉄道「天竜二俣」駅舎内が受付(053-926-2111)です。

2010年9月 6日 (月)

スーパー林道を行く④八尺坊

Chomeishi4  現在のスーパー林道と秋葉古道は、あちらこちらで交差しています。その交差点の1つに「八尺坊」の看板が。「八尺坊」と言えば、秋葉山の奥の院だったと言われる霊場。

 八尺坊

 古より秋葉山奥の院の本尊だったが、正徳三(一七一三)年二月に田中藩主内藤信輝の宿願により焼津市花沢の法華寺へ移された。徳川信康が八尺坊であるとの言い伝えもあり、その旧跡に小祠が建つ。四月最終日が例祭日。 中村 育男 近藤 饒

Wakimizu8  そうと分かれば、登ってみない手はありません。道路脇に車を停めて、リュックを背負って…。

 少し登った辺りに、3基の「丁目石」が。「百二十七丁」「百三十三丁」「百三十四丁」と並んでいましたので、秋葉山からの道程の目安とされ、1丁(約109メートル)ごとに設置された石碑。127丁と言えば「109×127=13,854メートル」、134丁は14,606メートルですので、だいたい14キロ程。もちろん、別の場所から移転されたもののはずです。

Hassyakubo  参道沿いの杉林の床はスズタケの原だったはずですが、葉は食べ尽くされています。おそらく、ニホンジカの仕業でしょう。さらに進むと、水溜りが見えて来ます。山頂近くの窪地に湧いていますので、まさに小さな小さな「池の平」。小さな「池の平」を過ぎて、山道を進むと、ところどころに「八尺坊」を示す道標が現れます。

 道を間違えずに進み、天神山山頂に向かっての最後の登り。着きました。ここが、「八尺坊」跡です。小さな祠は低い石積みの上に建ち、「信康」の名が刻まれた石も祀られています。ここが、かつての秋葉山奥の院。現在の奥の院は佐久間町大萩にありますが、明治以前の奥の院は、ここにありました。

 「スーパー林道」は、「新・浜松の自然100選」に指定されています。「100選」のガイドブックは、A5判70ページで400円(消費税込)。浜松公園緑地協会本部(053-411-6687)ほかで販売しています。

 【関連記事】スーパー林道を行く①一杯水
 【関連記事】スーパー林道を行く②賽の河原
 【関連記事】スーパー林道を行く③戒光院跡

 【関連記事】浜松の自然102カ所を紹介―「100選」ハンドブック販売開始!

光明山の「サカハチチョウ」夏型

Sakahachi2  9月最初の土曜日、少し風が吹いてはいましたが、まだまだ秋の気配には遠い暑さの光明山を訪ねました。「何か珍しい蝶はいないでしょうか?」。

 車を走らせながらも、林道沿いのヒヨドリバナの白い花に目をやり、集まっている蝶をチェック。すると、黒い翅に白の一文字―まるで小さめのイチモンジチョウのような蝶が吸蜜。車を停めて、カメラを構えて近寄ってみたところ、すでに紹介したタテハチョウ科「サカハチチョウ」の夏型だと分かりました。

Sakahachi0 そうか。この山には「サカハチチョウ」がいるんだ…。

 他の地域ではあまり見かけることのない「サカハチチョウ」ですが、光明山にはたくさん飛んでいます。どうして、こんなに地域性があるのでしょう?

Sakahachi4  2枚目の写真は、コアカソの葉に止まり、翅を広げたり閉じたり…。コアカソは食草ですから、産卵のための来訪だったのかも知れません。それにしても、光明山の「サカハチチョウ」の多さは極めて特徴的です。イラクサ科のコアカソが多いからかな?

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】一瞬の出来事―「サカハチチョウ」との出会い
 【関連記事】夏型に衣替えした「サカハチチョウ」

2010年9月 5日 (日)

水遊びまだまだ 県内各地で猛暑日

Atagogawa  日本列島は4日、台風9号の影響を受けた沖縄・奄美地方を除き、太平洋高気圧に覆われて全国的に晴れた。気象庁によると、岐阜県郡上市で39.1度を観測。今夏最多の全国213地点で35度以上の猛暑日となり、9月の観測史上最高気温を更新する地点が続出した。

 猛暑は今後1週間は続く見込みといい、同庁は熱中症に対する警戒を引き続き呼び掛けた。

 静岡県内では最高気温が浜松で35.6度、三島で36.2度を記録するなど7地点で猛暑日に。三島、御殿場、富士は9月の観測史上最高だった。

 浜松市天竜区渡ケ島の阿多古川では、川遊びに涼を求める家族連れが詰めかけ、水を掛け合う子どもたちの歓声が渓谷に響いた。家族で訪れた近所の主婦(38)は「連日の暑さには困っています。早く涼しくなってほしい」とうんざりしていた。(「中日新聞」より)

 佐久間のアメダスによる今日(9月5日)の最高気温は、先ほど午後2時の「34.8度」。「春埜杉」まで車を走らせて来ましたが、なかなか収まらない暑さにグッタリです。川遊びが羨ましいなあ…。

スーパー林道を行く③戒光院跡

Kaikoin2  2009年12月13日早朝、消失してしまった春野町豊岡山路(さんろ)の「戒光院」は、豊岡に下りる前は竜頭山の中腹にありました。元々は、「秋葉寺」から独立し、明治29年(1896)真言宗へ転派。山城国(現在の京都府南部)宇治郡より戒光院を迎え「遠州秋葉総根本道場 勝坂不動龍頭山戒光院」として誕生したのです。

 以前は、スーパー林道沿いの駐車場跡に、「勝坂不動竜頭山戒光院再建完成図」の看板が建てられていたのですが、「戒光院」消失後の現在では、再建はあり得ないというのでしょうか?それも撤去されていました。

Kaikoin5  「戒光院」跡は、スーパー林道を挟んで駐車場の向かい。坂道を少しだけ登ったところにありました。

 跡地には往時の石積みがあちらこちらに残り、「戒光院」跡を示す小さな祠が建てられているのみ。近くには、手水鉢と崩れた石の常夜灯が…。その苔むした竿部分には、確かに「戒光院」の文字が刻まれているのが分かります。

 実は、「勝坂不動尊」は、寛政10年(1798)に著された「遠山奇談」にも紹介されていました。その記述によれば…

 「さて是より五十町ゆきて奥院龍頭山葛坂不動尊。本堂三間四面惣朱ぬり 庫裏三間に四間 僧壱人僕壹人住けるが、高山ゆへ常に霧ふかければおのづからそれがために其気をうけしにや、面色(かほいろ)黄にてつねの人と異也」

 秋葉山から山住山へと続く竜頭山は、行者たちの修験の地。山門があり、本堂があり、宿坊もあったはず。「秋葉寺」から独立した「戒光院」とは、「勝坂不動尊」跡に再建されたものだったようです。敷地の広さから、熱心な信者たちを集めていたかつての伽藍の大きさが偲ばれました。「戒光院」跡は、「勝坂不動尊」跡とも呼ぶべき歴史的にも重要な遺構。ぜひ一度、お立ち寄りください!

 「スーパー林道」は、「新・浜松の自然100選」に指定されています。「100選」のガイドブックは、A5判70ページで400円(消費税込)。浜松公園緑地協会本部(053-411-6687)ほかで販売しています。

 【関連記事】スーパー林道を行く①一杯水
 【関連記事】スーパー林道を行く②賽の河原
 【関連記事】スーパー林道を行く④八尺坊

 【関連記事】浜松の自然102カ所を紹介―「100選」ハンドブック販売開始!

北遠で撮った「ゴマダラチョウ」

Gomadaracho0  また、蝶?しかも、「ゴマダラチョウ」って、この間も載ってたじゃん!

 お叱りはもっともです。このブログは北遠応援のブログのはず。それも、よく分かっているつもりです。でも、自然が大好きな私には、時々こんな瞬間があるのです。そして、気がつくと蝶と睨めっこ。そんな時、「そまびとキッズ」たちからは、「斉藤さんに、何かが降りて来た!」と冷やかされてしまいます。

 この「ゴマダラチョウ」は、「春野文化センター」で撮ったもの。前向きに車を停めた瞬間、この蝶が目に入り、何かが降りて来て、右手はすぐにデジカメへ。ドアをそっと閉めて車外に出ると、カシャ!

 少し傾きかけた太陽の光を浴びて、少し赤く見えますが、実際には黒と白との胡麻斑模様。何かが降りて来た斉藤さんが、北遠で撮った少し痛んだ「胡麻斑蝶」です。

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】雑木林で生まれて育った「ゴマダラチョウ」
 【関連記事】白と黒のツートンカラー「ゴマダラチョウ」

2010年9月 4日 (土)

<チョウ>猛暑で異変!? 秋に南へ移動するアサギマダラ、涼しさ求め?北へ

Asagimadara7  海を渡るチョウとして知られるアサギマダラの生態解明のため、「群馬の蝶(ちょう)を語る会」(広沢隆一代表)が8月下旬、嬬恋村でマーキングして放した2匹が、約20キロ北の長野県高山村で捕獲されたことが分かった。アサギマダラはこの時期、秋の南への大移動に備え、少しずつ南下すると言われているが、北への移動が確認された。マーキングした同会の田島茂さんは「暑すぎるため涼しい地を求めて北に行ったのではないか」と話している。

 同会によると、アサギマダラは8月21日の「マーキング会」で、嬬恋村の桟敷山林道から放した510匹のうちの2匹。4日後の25日に長野、群馬県境の毛無峠付近で嬬恋村在住の平井博さんが捕獲した。羽には、放した場所と人を示す「サジキ C136」などとマーキングされており、同会の田島さんと伏島済さんが放したものと判明した。平井さんは反対側の羽にマーキングして再び放したという。

 捕獲の連絡を受けた田島さんは「短距離の移動についてのデータがあまりないので、生態を解明するのに貴重な資料になる」と話している。

 アサギマダラは、前羽の長さが4~6センチで日本全国に分布。夏は標高1000メートル前後の高原に生息し、秋になると海を越え1000キロ以上の「渡り」をするチョウとして注目されている。愛好者は羽に捕獲者や場所などを「マーキング」して放し、インターネットで情報交換も行われている。(「毎日新聞」より)

 おやおや、猛暑の影響ですか?アサギマダラは現在南下中、そろそろ引佐の富幕山でもその優雅な姿が見られると思っていたのですが…。写真は、先日「春野山の村」で撮影したアサギマダラです。

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】名前も姿も美しい「アサギマダラ(浅葱斑)」
 ●渡りをするチョウとして知られ、夏から秋にかけて南下するアサギマダラが…
 【関連記事】やった!「アサギマダラ」と「ルリタテハ」
 【関連記事】オオムラサキと国蝶の座を競った美しさ―「アサギマダラ」
 【関連記事】「春野山の村」で翅を休める「アサギマダラ」

スーパー林道を行く②賽の河原

Sainokawara1  水窪の「池の平」に水が湧いたとのニュースが流れてから、1ヵ月とちょっと。あの時、「新宮池」のある春野町和泉平で聞いた話では、「桜ヶ池の龍神が諏訪湖に帰る時には、新宮池でも休息するんだけど、スーパー林道の『賽の河原』にも水が湧いて…」。

 …というわけで、気になっていた「賽の河原」に寄ってみました。

 賽の河原

 欅や杉木立に囲まれた窪地に苔むした積み石が十塔ほど点在し、夭折した幼子や水子の苦しみを救済するための地蔵菩薩二体と不動明王一体の石像が祠に安置され河原を見守っている。不動明王の舟形の刻銘から、佐久間町上平山の片桐家と太田家の先祖が願主であることがわかる。 中村 育男 近藤 饒

Hokora5 もちろん、スーパー林道脇に、この木製の看板が建てられていたのは知っていました。内容も読んではいたのですが、道路際の水の流れが「賽の河原」だと勘違い。流れに沿って遡ってみると、やや開けた窪地があり、そこには看板に書かれた通り、石が積み上げられています。左手を見上げれば小さな祠があり、中には地蔵尊2体と不動明王像1体が祀られ、ここが、秋葉古道「賽の河原」です。

 「賽の河原」は、寛政10年(1798)に著された『遠山奇談』にも紹介されていました。その記述によれば…

 「又其あたりに西の川原といひつたへて石塔七つほどありしが、ふゞきの雪に閉られたるか、蛭虻乾責られて身まかりなどするものあらばこゝに葬となん」

 「西の川原」と言うのが「賽の河原」のこと。秋葉山への途上で倒れた参詣者を埋葬した場所として紹介されています。「ふゞき=吹雪」や「乾=渇き」で倒れるばかりか、蛭(ひる)や虻(あぶ)にも悩まされた様子。確かに、現在でもこの辺りの虻は難敵ですが、大袈裟に言ったとしても死に至るほどではありません。

 とにかく、本願寺再建の用材を求めて、南信州の遠山まで出かけた僧の紀行文『遠山奇談』には、こう記載されているようです。

 さて、龍神休息に欠かせない肝心な水ですが、「池」とまではいかず「ぬかるみ」程度。しかし、ここに湧いた水が細い流れとなって、スーパー林道の下を横切る沢となっているところを見ると、確かに湧いてはいるようです。

 もしかしたら、1ヵ月前には、もう少し豊かな水を湛えていた可能性はあります。すぐに確認に来ればよかったのですが…。お地蔵様は、「賽の河原」に水が湧き、龍神が休息する様子をにっこり笑顔で見ていたのかな?

 「スーパー林道」は、「新・浜松の自然100選」に指定されています。「100選」のガイドブックは、A5判70ページで400円(消費税込)。浜松公園緑地協会本部(053-411-6687)ほかで販売しています。

 【関連記事】スーパー林道を行く①一杯水
 【関連記事】スーパー林道を行く③戒光院跡
 【関連記事】スーパー林道を行く④八尺坊

 【関連記事】浜松の自然102カ所を紹介―「100選」ハンドブック販売開始!

「キマダラセセリ」の夏型と「ヒメキマダラセセリ」

Kimadaraseseri7  蝶には、季節型と言われるものがあります。羽化する季節によって形態的な変化が現れる現象で、「春型」「夏型」「秋型」があり、季節による気温や日照時間などの違いが原因と考えられています。

 蝶によっては、色や形または大きさがまったく違いますので、別種のように見えることもあります。

Himekimadaraseseri3  龍山で見かけた「キマダラセセリ」の「夏型」は、「春型」と比べるとかなり小さく、後翅の先端が、かなり丸い感じ。「ヒメキマダラセセリ」なのかとも思ったのですが、違うようです。

 前翅を半分開き、後翅を水平に開くセセリチョウ独特のポーズ。「ヒメキマダラセセリ」は、春野で撮ったこちらです。あっ、いけない!「ヒメキマダラセセリ」は初登場だっけ?

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】「蝶なのか?蛾なのか?」―キマダラセセリ

2010年9月 3日 (金)

スーパー林道を行く①一杯水

Ippaimizu0  スーパー林道沿いの秋葉古道「一杯水」までやって来ました。ここには、天明年間(1781~1788)に愛知県新城の住人により建てられた「一はい水」の文字碑が残されています。

 この「一杯水」は、本願寺再建の用材を求めて、南信州の遠山まで出かけた僧が寛政10年(1798)に著した紀行文「遠山奇談」にも、「一盃水」として紹介されています。

 その記述によれば…

 「是まで水一滴もなし。しかるに此巌の平なる所に一盃水という麗水あり。よにもて扱ふ摺鉢やうの凹にて麗水をたたへたり。ここにて人々休息、手にむすびてのみほすに、暫して、又もとのごとく一盃にたたへ湧といへども少しもあふるることなし。此ゆへに此名あり」

Ippaimizu8  「一杯水」の名は、二本杉峠やホウジ峠に向かう山道にも「三階松の一杯水」にも見られるように、長時間歩き続ける旅人にとって欠かせない水分補給のための大切な場所。旅人にとって尾根伝いの道は安全な道なのですが、それはところどころに湧水があってこそ。

 どこかに「すり鉢状の窪地」というのがあったのでしょうけど、申し訳ありません。水筒にあった麦茶を「一杯水」とし、確認せずに先へと向かってしまいました。

 そこで、「龍山森林文化会館」の写真展にあった「一杯水」の写真を紹介します。「標石の下10m」と解説されています。やっぱ、探索すべきでしたね。

 「スーパー林道」は、「新・浜松の自然100選」に指定されています。「100選」のガイドブックは、A5判70ページで400円(消費税込)。浜松公園緑地協会本部(053-411-6687)ほかで販売しています。

 【関連記事】スーパー林道を行く②賽の河原
 【関連記事】スーパー林道を行く③戒光院跡
 【関連記事】スーパー林道を行く④八尺坊

 【関連記事】浜松の自然102カ所を紹介―「100選」ハンドブック販売開始!

 【関連記事】「三階松のいっぱい水」は天野氏由来?

翅がボロボロ―テリトリーを張る「ルリタテハ」

Ruritateha5  龍山から春野に抜ける山道で見つけた、翅がボロボロの「ルリタテハ」です。

 樹液を吸って生活する蝶の仲間には、テリトリーを張る性質があります。「ルリタテハ」の♂は、見晴らしの良い場所で翅を広げて止まり、他の♂が接近すると激しく追い立てます。その争いの結果、翅がボロボロに。

Ruritateha3  キレイな瑠璃色のラインが入った派手な翅表と比べると、翅裏はこんなに地味な保護色。警戒心が強く、飛び方も予想外の方向にめまぐるしく向きを変えますのでとても撮影しにくい蝶。成虫で越冬するとのことですが、こんなボロボロの翅でも大丈夫なのでしょうか?

 蝶の図鑑―INDEX…検索はこちらからお願いします。

 【関連記事】ジッとしてて!「ルリタテハ」との遭遇
 【関連記事】やった!「アサギマダラ」と「ルリタテハ」
 【関連記事】瑠璃色ラインの「ルリタテハ」

2010年9月 2日 (木)

駒ケ根の光前寺に熊出没の痕跡 夜間の立ち入りを規制

Kuma  駒ケ根市の駒ケ根高原にある光前寺境内でこの夏、熊の足跡やつめ跡が複数見つかり、同寺は夕方から朝にかけ境内への立ち入りを「規制」している。中央アルプスのふもとに広がる同高原は観光客が多く訪れ、寺の参拝者も推定で年間30万~40万人に上る。現在も朝夕に散歩がてら本堂へ向かう人がいるとみられ、熊に詳しい人は「熊がすぐ近くにいるという意識を持つことが必要」と指摘している。

 光前寺の境内は国の名勝に指定され、国重要文化財の「弁天堂」や県宝の「三重塔」などがある。

 吉沢道人住職(62)によると、本堂近くのコイがいる池の底で8月上旬、寺職員が熊の足跡を発見。参拝案内所などが無人になる午後5時から翌日午前8時ごろの間、立ち入り禁止の張り紙をした柵を参道途中に置くようにした。

 その後も足跡や杉の木につめ跡が見つかっている。今のところ熊自体の目撃情報はない。市農林課は境内に捕獲おりを設置したが、熊は捕まっていない。2年前にも境内に熊が出没し、同様に立ち入りを規制したという。

 市によると、今年4月から8月末までに市内で報告があった熊の目撃情報は12件。うち8件は駒ケ根高原一帯で、日中の目撃もあった。広報車で観光客らに注意を呼び掛けているが、「抜本的な対策は見いだせていない」(農林課)。寺側も当面規制を続ける予定で、「何をもって安全と言えるか分からない」(吉沢住職)と困惑している。

 同高原で熊の生態を探っている市内の動物写真家宮崎学さん(61)によると、20~30年前は熊をほとんど見なかったが、ここ5年ほどはセンサー式カメラに頻繁に写り、個体数の増加を感じるという。「気付いていなかっただけで、日常的に熊がいる場所。観光地だからこそ、正確な個体数など熊の生態を調査すべきだ」と求めている。

 県野生鳥獣対策室によると、4月以降、県内で熊による人身被害は8件発生。8~9月は特に人里に出てくることが多いといい、注意を呼び掛けている。(「信濃毎日新聞」より)

 霊犬の古里「光前寺」に熊が出没しているとのニュースです。「悉平太郎」さえいれば、熊など恐れをなして近づくことはないでしょうけど…。

ふるさとものがたり天竜「悉平太郎の物語」より②

Hadakamatsuri6  そしていよいよ八月十一日、見付天神社の祭りの日がやってきた。
 重くしずみきった見付の町に、夕やみがせまり、やがて夜がきた。
 うめは、真白な着物を着せられて、今しも大きな白木の箱に、入れられようとしていた。あと数時間のちには、まちがいなく悪魔のえじきとなってしまうであろう娘に、父母はとりすがって泣きくずれた。と、あわただしい足音が聞こえ、
 「ああ、間にあったか。おうめさん、喜んで下され。」
 飛び込んで来たのは、泥と汗にまみれた、弁存と悉平太郎であった。ことのいきさつを話す弁存に、みんなは手をとり合って喜んだ。弁存は悉平太郎を白木の箱に入れて、
 「あやしいやつが出たら、きっとかみ殺してくれよ。」
 と、何度も何度もたのむのだった。

 やがて白木の箱は、裸に腰みの姿の若者たちにかつがれて、天神社に向かった。
 「わっしょい、わっしょい。」
 「わっしょい、わっしょい。」
 かけ声と共に、白木の箱を境内に運び終えた若者たちは、
 「わぁーっ。」
 と、ときの声をあげて、あとをも見ずに、走り帰ってしまった。

 その時、さっと本殿の床下にもぐりこんだ人影があった。弁存である。
 弁存は床下に正座すると、手を合わせ、無言の経を唱え始めた。
 やがて夜がふけて……。
 静かだった境内の木々が、ざわざわと音をたててゆれ始め、どこからともなく不気味な声がひびいてきた。

 「娘はいるか。人くさいか。」
 「おう。」
 と、何者かが答える。
 「悉平太郎はおらぬな。」
 「おう。」
 「きっといないな。きてないな。」
 「おう。」
 さっと一ふき、はげしい風と共に、悪魔がおり立った。
 「悉平太郎はきてないな。」
 と、なおも呼ばわりながら、悪魔は白木の箱のふたを取った。

Hadakamatsuri9  すると中から、真白な着物をかぶった悉平太郎が、さっとおどり出た。ふいをつかれたじろぐ悪魔に、悉平太郎はところかまわずかみつき、つめを立てた。長い戦いが続いた。はげしいひびきと、けだもののうなり声は、延々と夜が白むまで、見付の人々をおびやかした。

 やがて、うそのような静けさが訪れた。
 一心にお経を読み続けていた弁存は、そっと外に出た。

 戦い終った境内に、小山ほどもある大ヒヒが、血にまみれてころがっていた。そのそばには、傷ついた悉平太郎が、体を横たえている。弁存はかけ寄って、悉平太郎をだいた。
 天神さまのしわざと見せかけ、悪事を働いた老ヒヒは、こうして悉平太郎により、退治されたのである。

 以後、見付の町は平和を取り戻し、その名残りとしての裸まつりが、現在なお盛大に行なわれている。 (「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より一部引用)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 「強い犬が生贄を要求する老猿を退治する」という話は『今昔物語』の中にもみられ、日本各地に同じような伝説が語り継がれているそうです。北遠は、相良の海岸から長野県塩尻まで通じる「塩の道」の中継地。決して、地果てる地域ではなく、物流と文化とが交差点であったのは間違いありません。

 写真は、2009年の「裸祭」での1コマ。2010年の「見付天神裸祭」の日程は、9月5日(日)祭事始め、8日(水)浜垢離、10日(金)御池の清祓、11日(土)12日(日)御大祭。「裸祭」は11日の夜です。

 【関連記事】水窪の民話「しっぺい太郎」
 【関連記事】「しっぺい太郎」と山住神社のお犬様―千葉からの便り④
 【関連記事】矢奈比売神社:“霊犬”3世が行方不明 「早く見つけて」情報提供訴え
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「悉平太郎の物語」より①

幸せを運ぶのに大忙し―ブルー・ビー「ルリモンハナバチ」

Rurimonhanabachi5  先日紹介した、幸せを運ぶ(呼ぶ?)青い蜂―もう一度会いたいと願っていた「ルリモンハナバチ」と龍山(1枚目の写真)でも春野(2枚目の写真)でも出会うことができました。

Rurimonhanabachi9  珍しい蜂と聞いていたのですが、普通のミツバチと比べると少し大きいので、探してみれば見つかるかも。理由は分かりませんが、キバナコスモスのオレンジ色の花に寄っています。確か、自分では蜜集めもしない横着な蜂のはず。

 でも、まあ、いいか!蜜は集めなくても、幸せを運ぶのに忙しいんだよね、きっと。いっぱい、運んでね!

 【関連記事】幸せを呼ぶ青い蜂「ルリモンハナバチ」
 【関連記事】メタリックブルーの輝き―青い蜂「セイボウ」

2010年9月 1日 (水)

蝶にとっては美味しい花―「ダンドボロギク」

Dandoborogiku7  キク科タケダグサ属の「ダンドボロギク」―山道でよく見かけますので在来種だと思っていたのですが、北米原産の帰化植物だそうです。

 「段戸襤褸菊」とは、昭和8年(1933)に愛知県の段戸山で発見されたことIchimonji8 に因んでの名前。咲いているのか咲いていないのか分からないような花ですが、白い綿毛が風に舞っています。

 吸蜜中の蝶はヒメウラナミジャノメ。イチモンジセセリとダイミョウセセリも来ていました。私Daimyoseseri5たちには咲いているのかどうか分からない「ダンドボロギク」ですが、蝶たちにとっては蜜の美味しい花のようです。

 【関連記事】「南洋春菊」「昭和草」と呼ばれた「ベニバナボロギク」

ふるさとものがたり天竜「悉平太郎の物語」より①

Taro4  大きな山門をくぐった弁存(べんぞん)は、庭にすわっている子牛ほどもある犬を見て驚いた。大きな目をらんらんと光らせて、耳をピンと立てたその姿は、まことに勇ましく、
 (これぞさがし求めた、悉平太郎にちがいない。)
 と、思 えたのである。

 弁存はお寺の和尚に、
 「わしは遠い見付の町から、悉平太郎という人をさがして、この信州までまいった弁存と申すもの。しかしどうやら人ではなく、この犬のようです。」
 「それはまた、何として……。」
 「はい、実は……。」
 弁存は、一部始終を語った。旅の途中の見付の町で、すておけぬ話にでっくわし、はるばるこの信州まで訪れたことを……。
 「わしは何としても真を見きわめて、見付の町を救わねばならんのじゃ。人身御供にされるむすめを、見殺しにはできんのじゃ。」

 「それで…。」
 おしょうは、たたみかけるように聞いた。
 「実は天神社の社で、『悉平太郎に知らすなよ。』という悪魔の声を聞きました。娘をほしがる悪魔は、きっと悉平太郎をおそれているにちがいないのだ。どうぞ悉平太郎を、このわたしにしばらくお借(貸)し下され。」

 和尚は、ふっとため息をついて、そばにひかえた悉平太郎を見やった。悉平太郎はことのしだいがわかったのか、勢いづいて、大きく一声ほえると立ち上がった。
 「弁存とやら、どうやらこの太郎は、喜んでいるようす。どうぞお連れ下さい。悉平太郎は、この駒が根山の狼の血を受け継いだ、勇かんな犬じゃ。きっとお役に立ちますぞ。」
 力強く言う和尚に、弁存は、ただただ頭をさげるのだった。

 和尚は、悉平太郎の頭をなでて言った。
 「どんな悪魔と戦うことになっても、決しておそれるではない。わしもこの駒が根から、お前の無事を祈っているぞよ。」
 悉平太郎は和尚をじっと見上げていたが、さも『分かった。』というふうに、また一声高くほえたのである。

 「さて、そうと話がきまれば、一刻も早く、もどらねばならん。はや今日は九日の夕刻、それでは悉平太郎を、お借りいたす。」

 弁存と悉平太郎は、信州駒が根をあとにした。
 山を越え、谷を越え、走りに走った。

 そしていよいよ八月十一日、見付天神社の祭りの日がやってきた。 (「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より一部引用)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 「ふるさとものがたり天竜」は、昭和62年、上阿多古草ぶえ会により発行された487ページに及ぶ分厚い本です。

 霊犬「悉平太郎」の話は、信州と遠州とを結ぶ有名な伝説。北遠の各所にも、「悉平太郎」の足跡とも言える話が残されています。それにしても、文化の共有とは興味深いもの。写真は、磐田市の「見付天神社=矢奈比賣神社」に建つ「悉平太郎」の銅像です。

 2010年の「見付天神裸祭」の日程は、9月5日(日)祭事始め、8日(水)浜垢離、10日(金)御池の清祓、11日(土)12日(日)御大祭。「裸祭」は11日の夜です。

 【関連記事】水窪の民話「しっぺい太郎」
 【関連記事】「しっぺい太郎」と山住神社のお犬様―千葉からの便り④
 【関連記事】矢奈比売神社:“霊犬”3世が行方不明 「早く見つけて」情報提供訴え
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「悉平太郎の物語」より②

2010年8月31日 (火)

初版・さくま昔ばなし「若子城顛末記」より

 以前、佐久間の民話「落城物語 若子城」として紹介した話を覚えていますか?同じ話を紹介している、初版・さくま昔ばなし「若子城顛末記」には、次のような話も紹介されています。

   ◆       ◆       ◆       ◆

Toomiishi3_3  ○大洞木馬道(おおぼらきんまみち)の終点は、加賀守(かがのかみ)様の倉があったところで、「倉の平」と言われています。

 ○「櫨本(はぜもと)」という地名は、採れた農作物をほしたところだそうです。別の説によりますと、旗をたてた場所なので旗元(はたもと)といわれ、それが「はぜもと」になったといわれます。

 ○城西駅のま向かいに「岡田(おかた)の井戸」があります。この井戸は何日、雨が降ってもにごらないそうですが、若子城のかくし井戸だそうです。今でも、病人がこの水を飲むと気分がよくなるというので、ほしがるそうです。

 ○見張りをたたせた岩は遠見石岩といって、遠見石さんの前にある大きな岩のことです。

 ○遠見石岩の近くには、若宮がそこで遊んだという岩があります。その上に円形の石があります。若君がおもちゃにした石ということで、おもちゃ石といわれています。この岩付近は、城の人達が出入りした場所ということで出口と呼ばれています。

 ○加賀様の若君が殺された場所には、サカキが二本植えられています。

 (中略)戦国時代には若子城のように城とつくものがいたるところにありますが、大名達が住んでいた城のように石を高く積み堂々とした立派なものは少ないものです。民家より少し大きい程度のもので、兵隊を多くかかえる余裕(よゆう)もありませんでした。

   ◆       ◆       ◆       ◆

 こんな、こぼれ話が伝えられています。その中から、今回紹介するのは「遠見石岩」。確かに遠見石さん宅の脇に、セッコク(石斛)をたくさん付けた大きな岩がありました。なるほど、大きな岩で上が平になり、これが戦国時代に見張りを立たせた岩というなら、そうかも知れない、と思わせる堂々とした大岩です。

 ●以前、「向皆外(むかがいと)」の地名について、次のように…
 【関連記事】「城西(しろにし)」は「若子城」の西?
 【関連記事】佐久間の民話「落城物語 若子城」
 ●「城ブーム」の中、気軽に近づける「若子城」の人気が…
 【関連記事】「広報はままつ」(天竜区版)歴史探訪―若子城跡

繋ぐ馬、食べる馬などいないのに…

Senninso2  先日紹介した「ボタンヅル(牡丹蔓)」によく似た草に「センニンソウ(仙人草)」があります。もちろん、「ボタンヅル」と同じキンポウゲ科。アルカロイドを含む毒草ですので、別名「馬喰わず」。馬をつなぐことが多い道端に育つ植物の自己防衛が、アルカロイドを含むことでした。

 逆に、萩によく似たマメ科の「コマツナギ(駒繋)」は、馬の好物だから、ここに馬をつないでおけば、手綱を縛らなくても大丈夫、というところから名付けられたとの説があります。

Komatsunagi1  かつて、街道の乗り物と言えば、馬。今や、「センニンソウ」を食べようとする馬も、「コマツナギ」のそばに繋がれたがる馬もいないというのに、北遠の山の道では、今でも寂しそうに咲いています。「昔は馬が通ったのになあ」「旅人も歩いていたよね」。

 「センニンソウ」や「コマツナギ」が寂しがらないよう、皆さんも、北遠に出かけてください!

2010年8月30日 (月)

春野をアートの町に きょうまで「決起大会」 有志がプロジェクト

Event  浜松市天竜区春野町の住民有志がアートで地域を盛り上げようと、「春野アーティスト村プロジェクト」を始動させた。企画第1弾の「アート・ミュージックフェア2010」(静岡新聞社・静岡放送後援)が28日、同町の春野ふれあい公園で始まった。29日まで。

 フェアはプロジェクトの「決起大会」という位置付け。約25の工芸、物産ブースが並び、野外ステージでは各種パフォーマンスを行っている。ライブペインティングを披露する県外の女性2人組は「春野は初めて。自然がいっぱいで気持ちいいです」と話していた。

 プロジェクトは、若いアーティストに同町へ移り住んでもらい、アートが日常にあふれる町づくりを通じて地域活性化を目指す。渥美典久代表(59)は「春野に足を運んでもらうための『何か』を考えたとき、人を感動させる力があるアートを選んだ」と話す。

 当面、教職員住宅などをアーティストの住居に利用したい考え。「少人数でも構わないので、まずは移住してもらうところから始めたい」と渥美代表。廃校もアートの場に活用したいという。(「静岡新聞」より)

 イベントは28日、29日の2日間、盛況のうちに終了しました。「春野アーティスト村プロジェクト」は、まだスタートしたばかり。これから先が、大切です。

加工センター着工 シカ、イノシシ市が食肉処理

Syokugai2  有害鳥獣として駆除したシカやイノシシを食肉処理する伊豆市食肉加工センターが26日、同市下船原で着工した。有害鳥獣を食肉処理する県内初の公的施設で、来年1月の完成を目指す。

 市職員や猟友会員、施工業者ら約20人が出席して地鎮祭を行い、工事の安全を祈願した。菊地豊市長は「人間の都合でいただく動物の命なので最大限活用したい。有害鳥獣駆除に取り組んでいる猟友会員の負担軽減も図りたい」などと述べた。

 同センターは、国や県の補助金を含め総事業費6千万円で、工場跡地に新設する。延べ床面積約200平方メートルの木造平屋建てで、2ライン制で解体室や冷蔵室、加工室などを設ける。主にシカを処理し、年間処理能力は最大800頭。工期は来年1月までで、同4月から本格運用を見込む。

 市は9月24日まで、同センターの解体作業員3人を募集する。普通自動車免許取得と食肉の取り扱い経験が条件。問い合わせは市食肉加工センター準備室<電0558(85)2602>へ。(「静岡新聞」より)

 私たちNPO法人「天竜川・杣人の会」では9月26日(日)、シカ食害の実態を勉強するために伊豆に出かけます。ここにも寄るのかな?

●サイト内検索

2010年9月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30